戦場のハッピーバースデー
cherry 様
あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
太陽が、もう随分低いところにある。夕焼けが綺麗だ。
「サンジくん!」
俺の姿を見つけたナミさんが、俺に駆け寄ってくる。
俺が無事なのを確認すると、ナミさんは、ほっとしたような、不安なような、複雑な笑顔を見せた。
俺は甲板を見渡す。別行動を取っていたルフィやウソップは、既に戻ってきていた。
チョッパーが、皆の傷の手当てをしている。
「ごめんナミさん。ちょっと手間取っちまって。俺が最後か」
苦笑いしながら、俺はポリポリと頭を掻いた。
そんな俺に、ナミさんが小さく首を振る。
「ゾロがまだ・・・」
そう言うと、ナミさんは少し俯いた。
*
「チョコレートケーキもいいな・・・。いや、ここは王道のイチゴショートか・・・?」
並みいる敵に強烈な蹴りを食らわせながら、俺は考える。
「なぁ、どっちがいいと思う?」
前から来た敵の攻撃をさらりと避けてから、隣りで刀を振り回しているクソ剣士に声をかける。
「さあな・・・」
短く答えて、周りを囲っていた3人を一気に片付けてから、ゾロはふと思いついたように言った。
「・・・みかんケーキ」
俺は、ほう、と小さく頷く。
「なるほど、お前にしちゃあ・・・」
向かってきた最後の1人の顎を、俺は思いっきり蹴り上げた。
「ナイスアイディアじゃねぇか」
これまで幾度も、命がいくつあっても足りないような戦いを乗り越えてきたが、これもそんな戦いの最中だった。
俺とゾロが目指すのは、この回廊の向こう。
この奥に、目指す敵がいる。
向かってくる雑魚どもを倒しながら、俺たちは、奥へ、奥へと進んでいく。
「みかんづくしのディナーってのもいいな。みかんのフルコース。まず前菜は・・・」
「俺は酒がありゃいい」
「てめぇは料理酒でも飲んでろ」
振り返ることなく、前へ、前へ。
俺たちが急いでいるのには、訳があった。
今日は、特別な日なのだ。
心優しく美しい女神が、この世に生を受けた日。
ナミさんの誕生日。
「大体、ちまちま料理出したって、腹に入りゃ一緒だろ?どかっと大盛り出しときゃいいじゃねぇか」
「あぁ?ナミさんの誕生日だぞ?お前らの時と一緒にすんな」
まず、テーブルには白いテーブルクロス。その真ん中には、儚げに揺れるキャンドル。
俺の頭の中に、イメージが膨らんでいく。
「綺麗に磨かれたグラスに、ワインを注ぐ。テーブルごしに向かい合う2人。『ナミさん、誕生日おめでとう。今日の君は特別輝いて見えるよ』『ありがとうサンジくん、私のためにこんなに素敵なディナーを用意してくれて』そして2人は見つめ合い・・・」
「おいっ、分かれてるぞ!」
今夜起こる出来事を想像して、いつの間にか独り芝居していた俺は、遥か先から聞こえたゾロの声にはっと我に返る。
声のした方を見ると、回廊を抜けた先から、道が二手に分かれていた。
俺は慌てて、ゾロの元へと駆け寄る。
「俺はこっちへ行く。お前はそっち行け」
ゾロが、刀で道を指す。
「あ?俺に指図する気か?」
「お前が余計な妄想してるからだ」
言い合いながらも、俺たちはそれぞれの道へと向かう。
「くたばるんじゃねぇぞクソまりも」
「そりゃこっちのセリフだグルまゆ」
そして、お互い、声を張り上げるように言った。
「約束、忘れんじゃねぇぞ」
*
「大丈夫、アイツは殺したって死なねぇよ」
俯いたナミさんを元気づけるように、俺は努めて明るく言った。
「それに」
ナミさんが顔をあげるのを待ってから、俺は言う。
「アイツは約束は破らねぇ。だろ?」
俺の言葉に、ナミさんが頷く。再び顔をあげたナミさんは、いつもの笑顔に戻っていた。
「そうよね、私との約束破ろうなんて、10万年早いわよ」
「そういうこと。さてと、俺はナミさんのために、最高のディナーを作るとするか」
そう言って腕を上げようとして、俺は一瞬、躊躇した。
「・・・っ」
思わず顔を歪める。
「どうしたの?」
ナミさんが心配そうに覗き込んでくる。上目遣いのナミさんが、可愛すぎる。
おまけに胸の谷間が強調されて、思わず鼻の下を伸ばし・・・そうになったとき、ナミさんに思いっきり頭をグーで殴られた。
「もう。心配してるのに」
「あ、いや、ごめんごめん。ちょっと左腕をやられたみたいで。けど・・・」
俺は、左腕の袖を捲ってみせた。
「ほら、ナミさんにもらった傷薬と包帯のおかげで、大丈夫」
*
キッチンで夕食の準備をしていた手が、ふと止まる。
「・・・殺したって死なねぇ、か・・・」
ナミさんに言った言葉を、ひとり呟いてみる。
周りに誰もいないせいか、やけに声が部屋に響いている気がした。
左腕の傷が疼く。ナミさんにもらった傷薬と、包帯に包まれているはずなのに、なぜだか痛い。
先程作ったばかりのバースデーケーキを見つめる。みかんがたっぷり載った、大きな太陽のようなケーキ。
「クソ・・・。なんであんなヤツのこと心配してんだ俺は」
俺は大きなため息を吐いた。
ナミさんには「大丈夫」と言ってはみたものの、あれからまだ、クソ剣士は帰ってこない。
もうすっかり、日は沈んでいる。
途中までは一緒にいたんだ。こんなに帰りが遅いとなると、何かあったとしか思えない。
「ほっときゃいいだろ、別に・・・」
そう呟いて、再び夕食の準備を始める。
『約束、忘れんじゃねぇぞ』
ふと、声を合わせて言った、あの言葉が脳裏に浮かんだ。
約束・・・。
『約束よ』
ナミさんの声が、それに重なった。
*
それは、俺たちが戦いに出る、少し前のこと。
「はい、これ、プレゼント」
背後から声がして、俺とゾロの間から、すらっとした美しい手が伸びてきた。
目の前に手を差し出されたゾロは、しばらく怪訝そうな顔をしてから、
「・・・俺か?」
そう呟くと、その美しい手から差し出された白い包みを受け取る。
振り返ると、今日も麗しいナミさんの姿があった。
「なんだこりゃ・・・?」
ナミさんから受け取った包みを開けたゾロが、首を傾げる。
「チョッパーから預かってきたの。傷薬と包帯。ゾロはいつも怪我して戻ってくるんだからって」
ナミさんはそう言うと、からかうように笑う。
「包帯は動きにくいから好きじゃねぇんだ・・・」
そう呟いたゾロに、俺は横槍を入れる。
「てめぇナミさんからの優しい心遣いに文句言ってんじゃねぇ」
「チョッパーからだろ?」
もう少しで足蹴を食らわせてやるところだったが、その前に、ナミさんからお声がかかった。
「はいこれ、サンジくんにも」
そう言ってナミさんは、俺にも白い包みを差し出す。『ゾロだけなんて、サンジくんが可哀そうよ』と、チョッパーに頼んでもらってきてくれたに違いない、その包みを。
「っナミさん、好きだ〜!」
「はいはい・・・」
俺のラブコールを軽くかわしたナミさん(そんな照れ屋なナミさんも好きだ)は、そのあと少し寂しげな笑顔を浮かべた。
「絶対戻ってくるのよ。ひとりでも欠けたら、承知しないんだから」
ナミさんの不安を吹き飛ばすように、
「任せとけ」
俺とゾロは、思わず声を揃えて言った。
ふふっと笑って、ナミさんがいつもの笑顔に戻る。
花が咲いたように、辺りがパーっと明るくなる、あの笑顔。
「ひとり残らず、みんなにたっぷりお祝いしてもらわなくちゃ」
「当り前さ。腕によりをかけて料理を作るよ」
念を押すように、ナミさんはゾロにも声をかける。
「あんたも忘れんじゃないわよ?プレゼントは3倍返し!」
「・・・3倍って、これのか?」
ゾロが言い終わるか言い終わらないかのうちに、
「約束よ」
ナミさんはそう言うと、そっと俺たちの背中を押した。
*
俺はまた、何回目かの大きなため息を吐いた。
「アイツは約束は破らねぇ、自分でそう言っただろうが・・・」
俺は少し、自嘲気味に笑う。
「・・・いや、それよりも、アイツがどうなろうが俺の知ったこっちゃねぇ」
誰も聞いてないのに、俺は声に出して、ぶるぶると首を振る。
「知ったこっちゃねぇ。けど・・・」
次の言葉を、必死に考える。
誰も聞いてないのに、何か言わなきゃならない。そんな気がしてくる。
その時ふと、心配そうに俯いたナミさんの顔が浮かんだ。
「そうだ、知ったこっちゃねぇ。けど・・・」
俺は顔を上げる。
「ナミさんにあんな顔させるヤツは、俺が許さねぇ。そういうことだ」
ひとり頷くと、俺はキッチンの扉を開けた。
「サンジくん」
船から降りようとした俺の背後から、声がかかる。呼び止められて、俺は振り返る。
寂しそうな瞳でこちらを見つめていたのは、ナミさんだった。
「大丈夫、アイツは殺したって死なない」
ナミさんが、俺に向かって言う。俺がナミさんに言った言葉だ。
「それに、アイツは約束は破らない。そうよね?」
念を押すように、ナミさんがまた、俺の言葉をなぞる。
「ナミさん・・・」
呼び止められた意味に気付いて、俺は少し俯いた。
どんなクソ野郎だって、アイツは仲間だ。アイツのことを信じてないわけじゃねぇ。
だから、わかってる。わかってる、けど・・・。
「けど・・・」
このままずっと、待ってろって言うのか?
そんな寂しそうな顔をしていても、君は・・・。
俺が何か言おうとする前に、ナミさんが言った。
「『迎えに』・・・行ってやって。あの馬鹿」
思いがけない言葉に、俺は顔を上げる。
こちらを見つめているナミさんを、まっすぐに見返した。
「ね?」
少し首を傾げるようにしてそう言うと、ナミさんは、俺に向かって満面の笑みを浮かべる。
ナミさん・・・。
ナミさん、ナミさん、ナミさん、っナミさん!!
俺の胸の中に、熱いものが溢れてくる。
「任せとけ」
俺は笑顔で返すと、船を飛び出した。
*
「くたばったんじゃなかったのか」
船からはずいぶん離れた荒廃した地に、その影を見つけたのは、それからしばらく後のこと。
息を切らして探していたのを悟られないよう、たっぷり30秒深呼吸を繰り返してから、俺はクソ剣士の元へ歩み寄った。
丸太に腰掛けていたゾロが、俺の声に気付いて顔をあげる。泥や血で汚れてはいるが、いたって元気そうだ。
少しほっとしたのを隠すように、俺はゾロをじろりと睨む。
「こんなところで何やってる?」
「別に・・・」
俺の心配をよそに、ゾロは、そっけない返事を返してきた。
思わず、軸足を踏みしめる。
俺の脳裏に、ナミさんの顔が浮かんできた。
俺たちにプレゼントをくれたナミさん、『約束よ』と俺たちの背中を押すナミさん、心配そうに俯くナミさん、俺を笑顔で送り出してくれたナミさん。
ナミさんの顔が浮かぶたび、沸々と怒りが湧いてくる。
「てめぇ、ナミさんに散々心配かけといて、なんだその態度。大体お前・・・」
俺が捲し立てるのを遮るように、クソ剣士はポツリと言った。
「忘れたわけじゃねぇんだ、約束・・・」
「あぁ?」
俺は再びゾロを睨む。
「だから、だなぁ・・・」
歯切れの悪い返事をして、ゾロはどうにもバツが悪そうに頭を掻いた。
何か言い返そうとして、俺はハタと思い当たった。
「まさかお前・・・」
俺は思わず、目を見張る。
同時に、さっきまでの怒りが、どんどん小さくなっていく。
それとは別に、なんだか、クスクスと心地良い笑いが、心の底から込み上げてきた。
クソ剣士がいっそう、バツの悪そうな顔をする。
「迷ってたのか?」
言ってしまうとどうしようもなく可笑しくなって、俺は思いっきり声をあげて笑い出した。
いつものことなのに、なんでそんなことに気付かなかったんだろう。
俺は自分の馬鹿さ加減に、首を傾げる。
心配して心配して、結果がこれか?
どうしようもなく可笑しい。ゾロにだろうか、それとも、自分にだろうか。
「まったく、何やってんだホントに」
どうにも笑いの止まらない俺に、
「うるせぇ。笑いすぎだお前・・・」
ゾロは、凄みもなく、まるでいたずらが見つかった小さな子供のようにそう言った。
自分の中にあった、何か重いものが、すっと抜けていく。どういうわけか、さっきまで疼いていた左腕の痛みもなくなった。
「しょうがねぇなぁ。帰るぞ」
まだ笑い足りない気持ちを抑えながら、俺は言った。
とにかく、心配してるナミさんを、早く安心させてやらないと。
・・・それとも?
俺は少し考える。
ナミさんにはわかっていたのだろうか?『迎えに行って』と言った、ナミさんは、もしかしたら・・・。
ゾロが、傍らに置いてあったものを持って立ち上がった。
コイツにはちっとも似合わない、大きな花を3輪。
コイツなりの優しさなのか何なのか、茎の切り口に、包帯がぐるぐると巻きつけてある。
彼はそれを、包み込むように両手で抱え込んだ。
俺の視線に気づいたのか、ゾロが呟くように言う。
「・・・ここへ来る途中で見つけた。なんて花だ?」
「ひまわりも知らねぇのか?」
ゾロが持っていたのは、ひまわりの花だった。月明かりの中でもそれとわかるような、鮮やかな黄色。
俺の問いかけに「知らねぇ・・」と短く答えてから、ゾロはまた、呟くように言った。
「・・・なんとなく、似てるだろ?アイツの・・・」
彼の途切れた言葉の向こうに、笑顔が見えた。
無邪気に、楽しそうに笑う、彼女の笑顔。
「あぁ・・・」
短く答えたあと、俺はしばらくの間、その残像に見惚れていた。
しばしの沈黙のあと、俺は3輪のひまわりに視線を戻すと、からかうように言う。
「3倍返しには程遠いんじゃねぇか?」
「うるせぇ・・・」
ゾロはまたバツが悪そうに呟いた。
ゾロの抱えたひまわりを見つめながら、俺は考える。
すっかり遅くなってしまったが、船に戻ったらさっそく、ナミさんに最高のディナーを振舞おう。
コイツにはたっぷり反省してもらわねぇと。酒は一滴も出してやらねぇ。
みかんケーキなら一口くらいは、食わしてやってもいいか?
今夜は長い夜になりそうだ。
彼女は、一体どんな笑顔を見せてくれるだろう。
FIN