ゆらりうみのうえ

                                かっち 様



ここは果てしなく広い海の上で、ここは限られたスペースしかない海賊船だから、例え今日が特別な日だとしても、特に何が豪華になるわけでも、特に優れた品が誰かの手に渡るわけではないことくらい、全員が承知している。
けれども、優れた腕を持つ料理人や、仕事の速く丁寧な船大工や、細かな装飾を得意とする者や、宴好きなクルーが集まれば、そこそこ良いものが出揃ったりもするのだ。
だから、全員にとってとても大切な航海士を祝いたい、という総意の元に開かれた祝賀の宴は、ささやかながら素晴らしいものになるはずだった。

それをどうにもこうにも取り返しのつかなそうな雰囲気にしたのは、船長だ。
人間、大きな出来事に対していくら心が強くなっても、ほんの些細な瞬間によって、心がグチャグチャに乱されるものである。
・・・ということを証明するように、今、聡明な航海士は大変機嫌を損ねている。
いくら料理人が見栄えも味もよいデザートを笑顔や褒め言葉と共に用意しても、船医がとても心配そうに下から覗き込んでも、音楽家が驚くほど場違いなアップテンポの曲を奏でても、船大工と考古学者と狙撃手が順に丁寧に慰めても、剣士が珍しくそれなりにフォローらしき言葉を紡いでも、その顔は表情を持たず、視線は自らの太股の上へ置いた指先を見つめている。
原因の船長といえば、全員に責められた直後、料理人に蹴飛ばされ、まだ戻ってきてはいない。
しん、と静まったリビングは、宴の勢いを無くしていた。

じっと全員が航海士を無言で見つめていると、ガタンガタンと外で物音がする。どうやら船長が復帰したようだ。
それによって狙撃手と船医は冷や汗を一つ浮かべ、料理人はふうと小さく息を吐き、剣士は一回首を捻って元へ戻し、無言の考古学者の横で船大工が小さく肩をすくめ、音楽家がかちりと歯を鳴らした。

――瞬間がたりと、わざと音を立てるように航海士が立ち上がる。

「ちょっと行ってくるわ。みんな、続けてて」

これに応えられるものがいるだろうか・・・と全員が互いを見渡せば、その緊張の糸を解こうとするように、音楽家が彼自らにしては珍しく、セレナーデなんかを奏で始めた。





船長は甲板の縁でギリギリ引っ掛かった身体をどうにか外し、船の中、と呼べる場所で座り込んだ。
隣の扉はリビングで、すぐに戻れば美味しいご馳走が自分を待っていることは分かっている。
けれど、そこで航海士が怒っていた。それを考えて、ちょっと甲板に座っていれば、その扉から航海士本人が現れる。
とても機嫌の悪い表情だ。見上げて、そんな顔は似合わないと言ってやりたかったけれど、それを口にしたらもっと不機嫌になるような気がして、船長は無言を選んだ。

ぱたん、と静かに航海士の背中で扉が閉まる。
あぁ、ご馳走はオアズケか・・・と船長がヨダレを垂らしそうな顔をしたから、航海士はずいと一歩踏み出し、その船長の緩んだ頬をぎゅっと抓った。
「痛い?」
航海士は立ったまま船長を見下ろし、真顔で聞く。
船長は頬を引っ張られた間抜け顔で、「ぁんは、」と返事のような声を漏らした。
「――何で、食べちゃったのよ」
そう言うと、航海士はバチン、とそれを引っ張ってから弾く。そのまま離した手と空いていた手を自らの腰へ当て、ぼけっと見上げてくる船長の瞳を覗きこんだ。
まん丸だ、なんて関係の無いことが浮かんで、消えた。
「美味そうだったからだろ、そんなの」
「だって、私の誕生日なのよ」
「知ってる」
じゃあ、なんで・・・と迫った航海士の首へ、するりと熱いものが巻き付く。船長の腕だ。
ゴムのくせに熱くて、ゴムのくせに筋肉が綺麗についていて、そのくせにゴムみたいにしなやかなそれが、航海士の首をぐいと引っ張り、体勢を崩させる。
そして倒れ掛かってきた細い身体を、船長はぎゅうぎゅう抱き締め、その耳元で得意気に囁いた。
「おめェの誕生日のケーキだろ。だからおめェのが一番美味いに決まってんじゃねェか」
「・・・どこから訂正すればいいか、分からないわ」
憤りながらも、力の入りきらない口調で航海士が呟けば、船長はその背中とオレンジの髪を優しく撫でながら、くす、と少年らしからぬ笑みを零す。
「ナミ、ありがとな」
「何がよ」
「誕生日で、ありがとう、ナミ」
その言葉に、航海士はぎゅっと拳を握った。船長と自分の胸の間で、力いっぱい両手の拳を握り締める。
ぽん、と船長が撫でていた手を止め、軽くその背中を叩いた。
それを合図にするように、航海士はぐいと船長の身体を力いっぱい押しやり、握った拳を広げる。
「ルフィ、」
名前を呼ばれた船長は、目前にある航海士の瞳をじっと覗きこんで自らの瞳はぐっとまん丸に見開き、唇を引き上げる。
瞬間、航海士の開いた両手が、ふわりと船長の頭を包んだ。
先ほどとは逆に、船長が航海士へ抱き込まれている。
真っ黒い船長の髪へ両手を差し込んだ航海士は、それをぐしゃりとかき混ぜ、ふうと小さく息を吐いて囁いた。

「おめでとう、ルフィ」

強い海風が、果てしなく広い海へ浮かぶ、限られたスペースしかない海賊船をぐらりと揺らす。
その甲板にある二つの人影は、一度離れてもう一度重なり、ゆっくりと離れる。



くしゃりと乱れた髪の二人が揃って笑顔でリビングへ戻れば、クルーはようやくホッと胸を撫で下ろした。
これでやっと、航海士に言われた宴の続きが出来るのだ。
大きな出来事にいくら慣れても、小さな出来事がぐらりゆらりとクルーを揺らす。
その一つ一つが、果てしなく広い海へ浮かぶ、限られたスペースしかない小さな海賊船を少しずつ確実に強くしてゆくことを、船長も航海士も、クルーもみんな知っているのだ。




FIN



 
     



<管理人のつぶやき>
せっかくの誕生日の祝宴なのに、ナミの機嫌が悪くなるとは。船長は一体なにをしたのかと思ったら・・・ああー(笑)。クルー達の気遣いも及ばず、気まずい空気。これはもう二人が仲直りするしかない。仲直りの仕方がルフィとナミらしくっていいですね。二人の笑顔が戻ってよかった。この後は、きっと賑やかな宴が再開されたことでしょう^^。

【ESTANTE】のかっちさんが投稿してくださいました!素敵なお話をどうもありがとうございましたv

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