サマータイム

                                ソイ 様



「ゲンさんはあたしとナミの父親って事にしてんだから」

それは特別に言い聞かそうとか、秘密にしていた思いを告白するとかいうような気負いを感じさせるようなこともなく。
ある時、ノジコはさらりと当たり前のように、そうゲンゾウに言い放った。
「勝手な」と言いはしたものの、そう言われて気分が悪いということもないのはまた確かで。
ノジコのその言葉を思い出すたび、ゲンゾウはまだあの二人が幼く、手がかかる頃だった時分を懐かしく思い出していた。







夏が来れば、ココヤシの子供達はみな海で遊び回っていた。
娯楽もそうない小さな村には大自然が格好の遊技場となる。ましてや高温多湿のこの島の気候では、夏場の暑い時期に体力ある子供の相手をしてやれるのは、いくらでも寄せては返してくれる波と潮風ぐらいしかない。もとより豊かとは言い難いこの村の大人は、働いて身銭を稼ぐだけで精一杯だ。
ノジコとナミの養母であったベルメールももちろんのこと。特に夏場は蜜柑の生育に大事な時期だとして猫の手も借りたいほど忙しい。とは言っても本当に猫みたいな娘の手は、借りるどころか遠ざけておきたいのが現状だった。
「ゲンさーん」
「げんたーん」
遊んでおいで、と外に出されたノジコとナミは、そんな折は決まってゲンゾウの居る駐在所に顔を出していた。
「海いこ!」
「いこ!」
まだ二つになったばかりで言葉もおぼつかない幼いナミの手を引いたノジコは、用意よくベルメールの手作りの水着を着ていた。ナミに至ってはそのノジコが着古したおさがりの水着姿だ。
仕事だ、忙しい、ダメだと言っても、小さな柔らかい二つの手に強引に引きずられ、結局は海まで連れて行かされる羽目になる。まだ子供だけで海に入れさせる年齢じゃないとしょうがなく自分自身に言い聞かせたものの、なかなかにこの二人のお相手は大変なものだった。
警官の制服のままズボンの裾をまくり上げて、波打ち際ではしゃぐナミを追いかけたり、ノジコに突き飛ばされて大波をかぶったり、そのうちに諦めて自分も水着で泳ぐようになれば、今度は沖まで連れて行けと亀よろしく背中にまたがられる。
「や、やめんか! いくらなんでも沈む・・・ゴボ!」
「やーーー! りゅうぐうじょ、いく!」
「ナミ、もっと前にずれて! 私がのれない!」
「乗るなぁ!」
日が暮れて帰るぞと言えば駄々をこねられ、一喝して連れて帰ろうとすれば波に潜って逃走する。それを引きずり出して逃げられもう一度連れ出してまた潜られての繰り返しで、ようやく二人をベルメールの家に届けた時は二人とも腕の中ですやすや眠っているような状態だった。
苦笑して出迎えたベルメールに嫌みの一つでも言ってやるのだが、返答は「また明日も頼むよ」。
実際にその通りに相手をしてしまうのだから、ゲンゾウ自身も始末に負えないというものだろう。


まだ、あの子達の瞳になんのかげりも無かった時代の一風景。
そんな風にすごせた夏は短く、その海が魚人達によって土足で踏み荒らされ、それがようやく消えた時、そのうち一人の娘ははるか沖に旅立ってしまった。







今年の夏も、また海岸に子供達の嬌声がこだましている。
夕刻になり、駐在所を夜勤の若い新人に任せて帰宅する際にかならず通るこの浜辺。夕日がだいぶ色づいたこの時分にも、まだ幾人もの子供たちが波打ち際ではしゃいでいた。
ふとその中の二つの小さな影に、ゲンゾウは目を細めた。わずかな既視感が彼の胸に蘇る。
浮きを腰に巻き付けられて、妹と思えるあの時のナミより幼い子が姉の手をしっかり握って足をばたつかせていた。泳ぎの練習だろうか。もう嫌だと半べそを掻いた妹が、姉に叱咤されてまた海面に顔をつけなおす。ちらり、とゲンゾウは辺りを見渡してみる。あの年の子を、子供達だけで泳がせる親などいるはずがない。やがて予想通り視界の端に、こちらを先に見つけて軽く手を挙げる人影を見いだした。
「よお」
波打ち際の岩影に背を持たれて、水着に上着を羽織っただけの姿で、子供達の荷物片手に緑頭のその男は座っていた。
「なんだ、珍しく眠っとらんの」
「寝てたら見てる意味ねえじゃねえか」
その男――ゾロは、苦笑混じりにそう呟き、そして視線を、二人の幼子に戻した。




月日は流れた。
旅立ちを見送ってから数年。もう一人の娘が村の男の元に嫁ぐ頃合いを見計らったように、沖から戻ってきた娘がいた。
右手には男を連れて。そして腹の中には新しい命を宿して。





オレンジ色の髪をした二人の幼子は波打ち際で戯れている。いい加減泳ぎの練習に辟易した妹が本気で泣き出してしまい、ゾロが座ったまま「もうやめとけ」と声をかけると、姉の方も諦めて純粋に海水浴を楽しもうと押し寄せる波でバシャバシャと遊びだした。 姉が楽しげに声を立てて泳ぐと、さっきまで泣き声をあげていた妹もそれを真似て笑いながら後を追う。
その光景を、ゲンゾウはゾロの隣に立って黙って見つめていた。姿かたちが違えども、それはもう一度彼の前に戻ってきた、夏の日の光景だった。 ふと漏れた言葉も、おそらく意識してのことではない。

「竜宮城には、連れて行ってやらんのか」
「あ?」

ゾロには意味を計りかねたが、ゲンゾウが口の端で笑っているのを横目で見て、首をかしげることもなくそのまま黙っていた。

やがて二人の幼子は勢いよくゾロの元へ走ってきた。
「飽きたー!」
「あきーたー!」
「ん、じゃ家に帰るか」
だが、腰を上げかけたゾロの上にのしかかるように、二人は「やだやだ」と騒ぎ出す。
「ざぶーん、したい、ねえ、おとおさん!」
「えーやだ! 貝ほり、貝ほりしたい!」
ステレオで両サイドから喚かれて、ゾロは本気で眉をしかめた。
「あ? どっちかにしろ。両方見れるかよ」
「いや! ざぶーん! ざぶーん! ざぶーんすーるーのー!!」
「貝! 貝まだほってない! お父さん、かーーーいーーーー!!」
「ざーーーーぶーーーーんんーーー!!」
「かーーーーーーいーーーーーーーーーー!!」
徐々に高音になっていくダブルの超音波に、ゾロは目をふさぎかけ――その直前一瞬目があったゲンゾウを見やった。
「・・・わかった、じゃザブーンな」
すくっと立ち上がり、「ざぶーん」を主張していた妹の方を肩に担ぐ。瞬間、さらなる奇声を上げようとした姉をくるっと振り向かせ、ゲンゾウの方向に向かってその背をとんと軽く押した。
「貝掘りはゲンじいちゃんとやっとけ。それならいいだろ?」
「うん!」
「だ、誰が、じいちゃんだ!」
ゲンゾウの頬は一瞬で紅潮した。が、ゾロは気にとめる様子もなくしれっとした様子でその顔を見やった。
「あんたしかいねえだろ」
「じいちゃん、貝掘ろう!」
ぐいぐいと小さな手に引っ張られ、その感触にまんざらでもないと一瞬顔をゆるめかけ、いやしかし、とゲンゾウはゾロを睨み付けた。しかしゾロにはそれが失礼だという怒りなのかそれともただの照れなのか、見分けがあまり付かなかった。
「なんだよ、嫌ならザブーンの方頼んで良いか? おっさんにゃ心臓に悪いぜ」
肩に担つがれたままバタ足をしている妹を差しだそうと、ゾロはひょいとその体を持ち上げる。
「い、いや。嫌なわけは無いが・・・貝掘りくらい。・・・って、そもそも何だ、その、『ザブーン』とかいうのは」
不審げなゲンゾウの表情に、ゾロは浜の端にある小さな丘の、切り立った岩肌を指さした。おおよそゲンゾウの背の5倍はありそうな高さの崖だ。
「あそこから、こいつと飛び降りるのが『ザブーン』」
「なんだとお!! お前幼児抱えてそんなことをしておるのか!」
「抱えてやらねえと危ねえだろ。一人で落っことせって?」
「そ、そうじゃない! そもそも抱えてても危険だろうが!」
「やってやらねえと、自分で勝手に落ちようとすんだよ。何が楽しいんだか分からねえけどよ」
「ざぶーん! ざぶーん! はやくー!!」
肩に担がれた妹が、少々焦れた風にゾロの肩で暴れ出す。
「おじいちゃん、貝!」
足下では姉の方がまとわりついて、ゲンゾウをしゃがませようとぐいぐいと力任せに引っ張っている。子供用の熊手をむりやり持たせられ、そちらに気を取られているスキにゾロは妹の方を担いだまま「じゃ、頼むぜ」と一言残してすでに姿を消していた。
「ま、まったく・・・。わしだって、もう少し若ければやってやらんこともないんだが・・・」
「なにが?」
「いや・・・。貝だったな。ほら、熊手もうひとつ貸しなさい」
「大きいのいっぱいとってきてねーってお母さんが言ってたの。いっぱいとらないとー」
ざくざく、と砂をかき分けるその音と、それを真剣に見つめる小さなオレンジの髪を、ゲンゾウはそっと撫でた。
「そうか」
持ち直した熊手を握りしめ、こちらを見上げてにっこりと笑うその顔に、自然と綻びた表情を向ける。
「じゃあ頑張らんとな・・・おじいちゃんも」



「貝掘りもけっこう大変なんだがな・・・」
一度思いっきり崖から飛び込んで、喜ぶ娘を胸に抱えたまま水面に上がってきたゾロは、ちらりと浜辺の方に目をやって独りごちた。だがすぐに腕の中で暴れる手足が視線を戻させる。
「もっかい!もっかい!」
「・・・分かった分かった」



「ほ、ほら、今度のはいいんじゃないか?」
大きなアサリを手のひらに乗せてはみたものの、目の前の幼子は口を横に結んだまま首を横に振る。
「だめ! もっと大きいの!」
一心不乱にざくざくと砂を掘るその姿にゲンゾウは半ば気圧されつつも、すでにバケツにいっぱいに盛られた貝の山に視線を移す。
「もう大きいのは十分採れたじゃないか。お味噌汁にしてもバター焼きにしてももう食べきれないだろう?」
「だめ、もっと採るの! 売る分も!」
「売るのか!?」
「そーだよ?」
当たり前のことを聞くなとばかりに口をとがらせ、姉はまた砂浜とその中に眠る貝に神経を集中させる。その真摯な姿を怒ることもできずに、ゲンゾウはおろおろと屈んだままその後を追って貝を掘り集め――。


そして、夕日の端がようやく西の海面の縁にたどり着いた頃。
「あら、いっぱい採れたわね。あれ? ・・・ゲンさん?」
夕飯よと娘たちとその父親を迎えに来たナミは、嬉しげな顔で小走りに駆け寄って来た姉の後ろに、腰と太ももが悲鳴を上げたといわんばかりに砂浜に突っ伏したゲンゾウの姿を見つけていた。



「・・・ゲンさんも年取ったわねえ」
そうして、夕闇の中を家路につく。
ナミの右手には、さんざん「ざぶーん」を堪能して満足げな妹の手。左手には、貝のバケツを大事に抱える姉の手。そしてその後ろを、両足を釣らせてしまったゲンゾウをゾロが背負って続いていた。
「な、なにが・・・! ちょっとばかし足がしびれただけ・・・」
「おい、暴れるなおっさん。落ちるぞ」
「う、うるさい! む、むしろ降ろせ、降ろさんか!」
そうわめく声も、前を歩くナミと子供たちの楽しげな声にかき消されがちで。
それは今日の夕ご飯はなんだ、とか、海で顔をつけられるようになったならない、とか、きれいな貝殻を拾ったからおかあさんに見せてあげる、あら嬉しい、だとか、でも見せるだけ?くれたりしないの? だめ! ケチー、だとか、そんなたわいもない会話だったが、くるくると耳に心地よく響くその笑い声に、ゲンゾウは次第にぶつぶつと文句を言っていた声も潜め、西から照るオレンジの夕日に彩られたその三人の光景を、ただじっと眺めていた。

「なんだ、おっさん。急に静かだな」
訝しげなゾロの声に、応えは小さく。

「いや・・・」
「ん?」

「いつまでも、夏は終わらん・・・と思っての・・・」

ゲンゾウの心の中では、その暖かな光が、過去と未来の壁をゆるやかに溶かしていたに違いなかった。


「ノジコたちも、もう来てるわよ」
ふいに振り返ったナミが、もう一人の、彼の娘の名を口にした。

ミカン畑に囲まれた一軒家に続く坂道。遠い昔にゲンゾウは二人の娘を抱えてこの道を降りたものだった。
しかし坂のてっぺんから見下ろす家の窓からは、あの時と同じく、食卓にともされた灯りがぼんやりと浮かんでいる。





遠くにあらず。

形を変えども、それはこれからもずっと彼の側に――。





―― FIN ――


 
     



<管理人のつぶやき>
ゲンさんと幼いナミ達が海で戯れる。穏やかで幸せな思い出。時を経て、再び海岸に幼子達の歓声がこだまする――なんとそこにいるのはナミ(とゾロ)の幼子達。ナミの小さい頃よりも更にパワーアップしているような?これはゾロの血でしょうかw 彼女達を見守るゲンさんの眼差しはどこまでも優しくて。辛い時もあったけど、再びこんな光景を見られるようになってよかったね、ゲンさん!

【B.E.A.N.S】のソイさんが投稿してくださいました♪心温まるお話をどうもありがとうございました!

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