矛盾しているようで、でもそれが真実。
水も滴るこの佳き日
糸 様
・・・隣に気配を感じて、ゾロは目を薄く開ける。
眩しさに思わず瞬きした後、視界に飛び込んできたのは、細い足首と踵の高いサンダルだった。ナミか、と思いつつまた目を閉じると、今度は声がかかった。
「あんたって、そのうち芝生と見分けつかなくなりそうよね」
「・・・あぁ?」
「あんまり寝腐ってるとロクなことにならないわよ、ってこと」
放っとけ、と返すとナミはおかしそうに笑った。
何だか目が覚めてしまい、欠伸をしながらゾロは起き上がる。と、歓声が上がって水飛沫が顔に飛んできた。
何事かと眉間に皺を寄せると、ナミが船首近くを指差す。年少組3人が水の掛け合いをして遊んでいるのが見えた。
――今日はナミの誕生日。夜には宴会をすることになっていたはずだ。
コックはいつもの数倍気合を入れて夕飯の支度をしている。それをつまみ食いしようとして、てめぇら甲板の掃除でもしてろ!とキッチンから3人組が追い出されたのは数時間ほど前のことだ。
しかし、彼らが大人しく掃除などするはずもなく。どうやら本来の目的を忘れて水遊びに興じているらしい。
ウソップとチョッパーがやんやと囃し立てる中、船長がホースを両手に持ち、さらにデッキブラシを口にくわえて「ふぁんふぉうひゅう!!」などと言いながらポーズをとっている。
・・・あまり考えたくはないが、あれは自分の三刀流を真似ているつもりなのだろうか。
思わずゾロが舌打ちをすると、ナミはまた軽く笑う。
ゾロは何となく不思議に思って、隣に立つ航海士を見上げた。
いつもなら「こっちにまで飛ばすんじゃないわよ!」と拳骨を浴びせるはずのこの女が、何やら感慨深げにその光景を眺めているのは調子が狂うのだ。
そのナミはすとんとゾロの隣に腰を下ろして、呟いた。
「楽しそうよねぇ、あいつら」
「まぁな」
「時々、すごく羨ましくなるのよね。見てると」
「・・・なら交じってきたらいいじゃねぇか」
「やーよ、無駄なサービスする気はないの」
そう言われ、改めてゾロはナミの格好を見る。薄っぺらい白のワンピースだ。なるほど、これなら水かけなどに交じったらすぐに下着が透けてしまうだろう。コックあたりが鼻血を出して狂喜しそうだが、それもまた鬱陶しい。
「だったら着替えて来いよ。水着くらい持ってんだろ」
「わざわざ?・・・そこまでして入りたいわけじゃないわ」
僅かに尖らせた唇を見てゾロは目を逸らしたが、ナミの言いたいことは何となく分かった。こういう時に女という性別は面倒なものだろう。
だが、いつものナミならそんなことは気にしない。
子供は勝手に遊んでなさい、と言わんばかりの涼しい顔をして、一人優雅にデッキチェアで寝そべっている奴だ。
一体何なんだ、と少し顔をしかめた時、ナミがふと遠い目をして言った。
「ねぇゾロ、あんたは、『もし女に生まれてたら』って考えたことある?」
「無ぇよ」
答えは即答だった。
ゾロは船縁にもたれながら、亡き親友を思い出す。
――ゾロはいいね、男の子だから。
だからどうだと言うのだ、と自分は反発した。
自分より強いくせに。いつか自分がお前に勝った時でも、お前はそう言い訳するのかと。
そんなの理由にならない。させてたまるか、と思った。
そう言えば、もう一人同じようなことを言った女がいた。くいなにそっくりだった海軍の女。
さらに、目の前のオレンジの髪の女。
全く、自分の周りの女共はどうしてこう同じことばかり言うのだ。
憮然とした気分になりながら、ゾロは尋ねる。
「お前はあるのかよ、男に生まれれば良かったと思ったことが」
「それはないわ」
「はあ?」
「『男に生まれれば良かった』って思ったことはないわよ。『もし男に生まれてたら』なら考えたことはあるけどね」
微妙な違いに、ゾロはナミをまじまじと見つめてしまう。こいつは一体、何が言いたいんだ?
「男だったら大事なものを守れたかもしれない。男だったらもっと海賊をガンガン蹴散らして、お金だって簡単に貯められたかもしれない。そう思ったことはあるわ。でも、私は女だもの」
しかも、とびきりキュートな。男だったら勿体なさすぎると思わない?
ふざけた調子で言い放ったナミの表情は妙にさっぱりとしている。少なくとも、くいなやあの海軍の女のように悔しさを滲ませたような表情ではなかった。
こいつらしい、とゾロは思う。ナミはいつだって誰よりも現実的だ。どんなに辛い現状でも、受け入れて前を見据えるのが彼女の強さだった。
だから、こちらもあくまで軽く切り返した。
「アホか。仮定の話に意味なんかねぇだろ」
「まぁね。所詮、『もしも』の話よ」
あっさり認めてナミは笑う。
船首からはルフィのひときわ高い歓声が上がり、また水が飛んできた。
「でも、この船にいると、時々思うの」
私が男だったなら。もっとあんたたちと同調できたかしらって。
肩を組んで、ああやって水浸しになって遊んで、喧嘩して、男部屋で女の話なんかしたりして。
「女の話だぁ?そんなもん、誰が・・・」
「何よ、今更。男部屋に写真集隠してあるわよね?」
「・・・・・・あんのアホコックが・・・・・・」
「測量室に置いてないからってバレてないと思ったら甘いわよ」
声を立てて笑うナミに、ゾロは肩を落とす。別に知られて困るものでもないのだが。
・・・それにしても。ナミが男だったら、だと?
「気色悪い話はそれくらいにしとけ。お前が男になってみろ、まずあのエロコックが泣き喚く。ブルックも残念がるだろうな」
「それって・・・今から男になったら、って話でしょ」
「どうでもいいだろ、そんな細かいことは。んで、ウソップやチョッパーは怖がる。ロビンが寂しがる。フランキーも多分同じだろ」
怖がるって何よ、失礼ね!と顔をしかめるナミを意に介さず、ゾロは続けた。
「あと、ルフィが・・・あー、本人に聞いてみろ。その方が早ぇ」
ゾロは息を吸い込む。水音に負けないような大声を上げて、船長の名前を呼んだ。
「ルフィ!ちょっと来い!!」
「おう、何だゾロ、起きたのかぁ?」
お前も遊ぶか、とホースを持ったままにこにこしながら歩いてきたルフィに、ゾロはおもむろに尋ねた。
「お前、もしナミが男になっちまったらどうする?」
「あ?」
目をまん丸にしたルフィは、しばらく何も言わなかった。
そして大仰な顔をして考え込む。ひどく難解なクイズを出されたかのような表情に、ナミは驚いた。この男が、仲間の性別など気にするとは思えないのだが。
「想像できねぇよ、そんなの。」
なんつーか、それじゃナミじゃねぇだろ。
当然のように言い切ったルフィを見て、ナミは呆気に取られる。
「なぁ、ゾロもそう思うだろ?」
「ああ、全くだな」
「・・・何で?」
「だってナミは女じゃねーか」
「だからもしもの話だって言ってるじゃない。じゃ、私が男なら仲間から外すの?」
「何?お前男になったのか?!」
「違うわよ!!あーもう、ゾロ!ちゃんと説明してよ!!」
全く噛みあわない会話に怒り出すナミ。それにくつくつと笑いながら、ゾロはルフィからホースを奪い取る。
そして、ナミの方に向けて思い切り水を浴びせかけた。
「きゃあああ!ちょ、ちょっと何すんの!!」
「何言ってんだ、水浴びしたかったんだろ。ちょうどいいじゃねーか」
「おー、やれやれゾロ!いいかナミ、海賊にもウルオイは必要なんだぞ!サンジが言ってた!」
「あんた絶対意味分かってないでしょ?!ちょっと、ゾロ!!ぶん殴るわよ?!」
「おー怖ぇ、やっぱこいつが女で良かったなぁ、ルフィ」
おう!と頷くルフィは、いつもと同じ太陽のような笑顔を浮かべた。
威勢よく響く声。きらきらと輝く濡れた髪。文句を言いながらもこぼれる笑顔。
それは明らかに、自分たちとは違う『女』のものだ。
もちろん、ナミが男だったら仲間にしなかった、なんてことはルフィは言わない。自分も言わない。性別の壁など、仲間という絆の中では些細なことにすぎない。
――けれど、それも、今のナミを形作るものの一つだから。
肌に張り付いたワンピースと、透けた下着を見たコックが鼻息を荒くして、ウソップが口笛を吹いて、チョッパーはちょっと赤面して。
大人組は微笑んで、自分もこっそり笑って、ルフィは満面の笑みを見せる。ただ、それだけのことだ。それだけで、いい。
こいつが航海士であることが嬉しい。そして、こいつが女であることも、同じくらい嬉しい。ナミが、ナミであることが嬉しい。
だから、甘えて、頼って、こうして時には水を滴らせて。女であることを最大限に活用しつつ、自分たちと共に在ればいい。
片やハートを飛ばし、片やぶつぶつ言いながらも、男どもはそれを叶えてくれるだろう。必ず。
あまり考えたくはないが、勿論、自分も含めて。
とびきりの女として、生まれてきてくれて、ありがとう。
皆、心からそう思っているから。
船長と航海士の笑顔が、雫と共に弾けた。
眩しさに目を細め、ゾロはもう一度大きく水を煌かせた。
FIN
<管理人のつぶやき>
もしもナミが男だったら、もっと麦わら一味の男達と混じって遊んで闘って、共感できたかも。そんなナミの気持ちはとてもよく理解できます。でもゾロは的確に(ルフィは本能的に?笑)応えてくれました、ナミは今のナミのままであればいいと。ありのままを受け入れてくれたことがすごく嬉しいですね!「とびきりの女として、生まれてきてくれて、ありがとう。」はゾロが贈ってくれた最高のプレゼントだと思いました^^。
【投稿部屋】で投稿してくださってる糸様が、ナミ誕にも投稿してくださいました♪
糸様、素晴らしいお話をどうもありがとうございました!