自分は空気を感じ取ることには長けている方だ。
もっとも、航海士のそれとは少し違うが。
笑顔、満ちるとき
糸 様
ここ数日,何だか皆の調子がおかしい。
船の空気全体が,ささくれ立っているような感じがする。
ウソップがやたら実験に失敗する。2回に1回はおかしな煙をあげている。
ルフィの食欲が若干少ない。今日も、おやつに大皿1杯のスコーンしか食べていないのだ。
・・・いつもなら、あと3杯はねだっている。
芝生に座って目を閉じ、黙考している自分も、何とも気分がパッとしない。とにかく、コックとの小競り合いがやたら多いのだ。しかも長引く。
原因はいつも通りくだらないことばかりだが、最近は目が合うたびに喧嘩をしている気がしていた。あのふざけた眉毛を見るだけで眉間に皺が寄ってしまう。
船の備品を壊しまくり、フランキーも渋い顔をしているが、おそらく一番の被害者はチョッパーだろう。ウソップの実験失敗も含めて怪我が増え、必然的に船医の仕事が増えているのだ。ついでに、自分自身が巻き込まれることも多いのだが。
――青い空,気持ちのよい風。ポカポカとした春の海域。昼寝には最適な天気だ。
どこを取っても,イライラする要素なんか見つからない。
なのに、この消えないもやもやは何だ?
船全体を包んでいる、どうにもしっくりこないこの空気は。
「はあー!終わった,終わった!!」
霧のかかったような雰囲気の中に響いたのは,涼風のように凛とした声。
船の時間が。
一瞬,止まった。
「んナミすわぁん!!お疲れ様ですっ!!!!スコーンのベリーソース添えはいかがですかぁ??!」
「ありがと,サンジくん。あ,カモミールティーも頼んでいい?」
「もっちろんですとも!ただいまお持ちします!!」
「おーナミ、海図終わったのか」
「うん。ところでウソップ、クリマタクトどう?」
「おお、バッチリだぜ。少しだけ調整しといたからな」
空気が変わる。
・・・ああ,そうか。そういうことか。
「あー肩凝ったわ,ねえチョッパー,マッサージしてよ。」
「うわ,すごく硬いぞナミ!あんまり根詰めすぎちゃだめだって言っただろ?」
「あはは,ごめんごめん。集中するとどうしてもね。」
なるほど。
ここ何日も,測量室に篭りきりで海図を描いていた彼女が。
「おいナミ、それうまそうだな!!」
「そんな大皿抱えて何言ってるのよ、同じスコーンでしょ」
「いや、何かうまそうなソースがかかってるじゃねーか!俺にもくれ!」
「てめぇはさっき30個も食っただろうがクソ船長!!」
欠けていたのだ。
弾けるようなその笑顔と,時々鉄拳がおまけについてくる威勢の良い声が。
「ロビン,針路はどう?」
「ええ,問題ないわ。天気も上々よ。さすがね。」
「でしょ?だから、どうしてもこの海域にいる間に仕上げたかったのよね〜」
「おう航海士,次の島でコーラ補給してえんだが。」
「え、また?結構高いんだからね,節約してって言ったじゃない」
「いや,最近どうもリーゼントの調子がよ・・・」
「船じゃなくてそっちかっ!!却下よ却下!!!」
「ヨホホホホホ!相変わらず手厳しいですねえ,ナミさん!!」
本のページがなかなか進まなかった考古学者も。
リーゼントが垂れ下がり気味だった船大工も。
スカルジョークに切れのなかった音楽家も。
ようやく,いつもの調子を取り戻していく。
乾いた地面に雨が沁みこむように、船に笑顔が満ちていく。
――賑やかな仲間たちを見つめながら、出会ったばかりの頃のナミを思い出す。
簡単に気を許していたルフィと違って、自分はまだどこか彼女を信じきってはいなかったと思う。その頃のナミは、もっと強張った空気を纏っていたから。
ルフィたちと笑い合いながら、たまにふっと緩むことはあったが、それでもすぐにまた張り詰めてしまう。そんな雰囲気が、常に彼女を包んでいた。アーロンパークで精一杯に粋がっていた姿は、まるで今にも折れてしまいそうなほどだった。
けれど、今は。
「あ、ゾロ!」
自分の名を呼んで振り返るナミは、その髪の色に相応しく、どこまでも明るくてしなやかで。
「今夜、付き合ってくれない?」
目を細めて風を感じながら、祝杯あげたい気分なのよね、と屈託なく笑って。
「ああ、悪くねぇな」
「決まりね。実はいいお酒仕入れたのよ、前の島で。結構高かったんだけどね」
「・・・おい、言っとくが金は払わねーぞ」
「じゃ香りだけかがせてあげるわ」
「てめっ、誘っといて何だその仕打ちは!」
「あははっ、冗談よ冗談。今回は特別におごりよ、私の」
余程機嫌がいいのか、そう言い放ったナミに、全員が(勿論自分も含めてだ)驚愕した。
「「「あ、嵐が来るぞーーーーーーっ!!!」」」
船長と狙撃手と船医が、海に向かって叫んだのも無理はない。
その珍妙な光景に、ナミはますます楽しそうに笑った。
大丈夫。
天気も海も、全て味方につけた航海士が。笑っているのだから。
願わくばこれからもずっと、その笑顔が翳ることがないように。
何があっても守ってみせよう。
そうすれば、彼女によって満たされた自分たちは、きっとどこまでも進んでいける。
FIN
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