俺の車にはカーナビがついている。
当初ついていなかったが、俺が車を大学の先輩から譲り受ける際、親はもちろんのこと、知り合いの多くが「絶対にお前にはコレが必要だ」と口を揃えて言った。





ココヤシ医院の事情3  −3−

                                四条



実際、カーナビは非常にお世話になっている。たいていのところへはこれで行けるから便利だ。
しかし、ナミが助手席に座る時はカーナビが働くことはまずない。
カーナビよりも、ナミのナビゲーションの方がはるかに的確で正確だからだ。

しかし、いくらなんでも、自分の大学くらいはカーナビもナミのナビが無くとも行けるのだった。
イースト大学はイースト市の郊外にあって、農学部のための農場なんかもあるから、その風景はのどかなことこの上ない。盛夏を迎える今の時期、濃い緑が覆うように繁茂している。
大学の周りには農場の水田へと引き込まれる水路も巡らされていて、そこでは最近昼夜を問わずにカエルが大合唱している。ここの学生はもう聞き慣れているが、そうでないヤツだと面食らうらしい。ナミもそうだった。
学生達はこののどかな立地の大学に、徒歩で、自転車で、バスで、地下鉄で、バイクで、車で通っているわけだが、夏休みに入った今は、用のあるヤツしか大学にはやって来ない。
課題、研究、実験、自主学習、クラブやサークル活動。
そして今日の俺達のような、退官記念講演などの行事の参加者だ。

大学構内をしばし走り、駐車できる場所を探す。普段は車を置く隙間もないぐらいだが、夏休み中はさすがに場所に余裕があった。建築科も入居している工学部棟の前に車を止めると、時刻は9時になっていた。

「うわ〜!久しぶり〜!」

車を降りた途端、ナミは両腕を振り上げて伸びをしながら歓声をあげた。瞳をキラキラと輝かせ、懐かしそうに工学部の棟を眺めている。
ナミは高校3年の秋、うちの大学祭の準備期間の数ヶ月間、うちの大学の工学部棟の中にある測量実習室に通っていたことがある。
今はグランドライン大学の医学部に在籍しているナミだが、その頃は地図や測量に興味があり、それらへの夢が絶ちがたく、今日退官記念講演をする都市工学科の教授に誘われて、大学祭の展示品となるイースト市の地図作成に参加したのだ。
ナミはそのことをベルメールに内緒にして、塾が終わった後に行っていたため帰りが遅くなり、それを心配したベルメールが俺にナミを追跡させるという暴挙に出た。まぁそれがきっかけで、俺とナミは再会することになったわけだが。

その後、ナミはうちの大学を目指して受験勉強に励んだはずが、腕試しのつもりのグランドライン大にも受かってしまい、そちらに進学してしまったため、うちの大学に再び訪れる機会が今日までなかったのだ。

講演は10時からなので、それまでに腹ごしらえをすることにする。そう、俺達はまだ朝食を食べていなかったのだ。
まず、学食に向かう。今日は土曜日で、本来は休みのはずだが、記念講演の後の打ち上げがここで行われるため営業しているようだった。
俺は朝定食、ナミはトーストセットを注文し、食事をのせたトレーを持って窓側の席についた。ナミはイースト大学に夜にばかり通っていたため、学食利用は初めてらしく、窓の外を眺めながらウキウキとした様子を見せている。

「あれ、ゾロ。お前も記念講演、聞きにきてたんだ。」

不意に声を掛けられた。見上げると、同じ学科の同期の連中だった。
俺に声を掛けつつも、しげしげとナミを見つめている。

「その子、いつぞやの女子高生じゃね?」

一人がナミを指差して言った。ナミがイースト大通いをしていたことを覚えていたらしい。
確かに、当時は女子高生が夜な夜な出入りしているということで(しかも可愛いということで)、建築科の中の一部ではナミのことは有名になっていた。
そして、同期の奴らは俺達二人を交互に見比べた後、叫んだ。

「もしかして、おたくらくっついたの!?」

あまりに直截的な物言いに面食らってしまい、俺とナミが顔を見合わせると、それだけで奴らは何かを察したらしい。

「えー、マジで!」
「やっぱそうかー。」
「いや、当時からアヤシイとは思っていたんだが・・・。」

当時から俺と女子高生だったナミの仲を勘ぐる人間は多かったようだ。実際、俺が通っていた製図室にいた連中にはよく冷やかされたりもした。それはそうだろう。毎夜、俺がナミを大学から家まで送っていく様子を見られていただろうから。
しかもそれだけではないらしい。

「だってあんな場面見せられたらなぁ・・・?」
「そうそう。」

ニヤニヤしながら同期連中がつぶやきあう。何なんだと問い詰めると、学祭の前日に俺が感極まってナミを抱き寄せたところも見られていたという。それにはさすがに赤面した。

「おまえら、もうあっち行け!」
「おお、ロロノア・ゾロが照れてる!」
「貴重なもん見れたー!」
「うるせぇ!」
「もしかして、彼女も退官記念講演、聞くんだね?」
「また後でなー!女子高生ちゃん!」
「もう女子高生じゃないよな?女子大生ちゃんだろ。」
「それにしても、いっそう可愛くなったねー。」

そんなことを言いながら、ナミに手を振りつつ同期連中は去っていく。
まったく・・・とため息をついていると、ずっと呆気にとられて固まっていたナミがくすくすと笑い出した。

「ゾロも普通の大学生なんだね。」

ナミが笑顔で言う。
そりゃどういう意味だ。

「ゾロが友達といるところ、初めて見たから。友達とはあんなやり取りしたりもするんだ。」
「当たり前だろ。俺のことなんだと思ってんだ。」
「うーん、なんかゾロってちょっと超然としてるというか・・・。」

首をかしげながらナミはその細っそりとした顎に人差し指を当てている。
はぁ?と思いっきり顔をしかめてしまった。
どこが超然としてるというんだ。

「例えばさ、ゾロ、すごく建築好きじゃない?こだわりがあるというか、ちょっとオタク・・・なぐらい。」

うっと言葉に詰まる。
やはりナミもそう思っていたか・・・。
いやちょっと付き合えばそう思うのが当然だ。
俺は建築物を見て回るのが好きで、それは確かに既にオタクレベルだった。
古いものほど好きで、現代建築よりも近代建築。近代建築よりも古建築。
近代建築はあまり残っていないので、自ずと寺社仏閣巡りが多くなる。
始めは徒歩や自転車で巡っていた(時間はかかれど最後には辿り着く力だけはあった)。そして、近場のものはすぐに行き尽くしてしまった。
行き先を遠方へ移すが、遠出をするとなると足がない。公共交通で行けないところもあるし。
それで親の車を借りて出かけていたのだが、それもあまりに頻繁になってくると親からクレームがきた。
仕方なく、自分の車を持つことにした。ちょうどその頃、建築科の先輩が車を乗り換えるからどうだと言われた。渡りに舟だったので、相場よりもかなり安めの値段で譲ってもらうことになった。必死でバイトに勤しんだのはこの頃だ。

そして、この建築巡りという趣味は、女にはウケなかった。
2〜3回や有名寺社ならデートコースとしてよいのだろうが、毎度毎度、しかも俺が行きたがる所はマニアックで一見では価値が分からないし、誰も寄り付かないような所もある。一般人が見てもそう楽しいものではないのだ。適切な解説でもあれば別なのだろうが、俺も口下手なことや面倒くさいこともあって、連れへの説明を怠っていた。
そういうわけで、俺はいつも女から誘われて付き合うパターンなのだが、俺のこの趣味に愛想が尽きるのか、いつの間にか女の方から離れていく。これもパターン化していた。
女も自分の行きたいところを主張すればいいものを、行き先を俺に任せようとするのはどうしてなんだ。サンジに言わせると、俺に好かれたくて遠慮してるんだろうと。まったく余計なことだ。

ナミは最初から俺のこの趣味に大変理解を示してくれていた。昨年秋に俺が学会のためにグランドライン市へ出向いた時なんかは、ナミは近辺の目ぼしい寺社や近代建築をピックアップして案内してくれた。しかもナミは初めて行くところでも土地勘がとにかく強いので、どんなところでも非常に効率よく巡れるのだ。
この趣味のことでナミと別れるハメにならないのはよかった。ナミとは遠距離だから今までのパターンから外れてしまったのか、それともナミが俺にとっては特別だからか、その辺のことはよく分からないが。ともかくも、俺の建築オタクぶりについても、ナミは痛いほど理解しているらしい。

「うちの医院の建物も好きだよね?」
「ああ・・・ココヤシ医院はめったに残ってない近代の西洋建築だからな。」

ココヤシ医院は外観は西洋風なのに中は和風という、和洋折衷型の珍しい建築様式を持っている。
建築の西洋様式が入ってきた近代に、そういう建築物が富裕層を中心にいくつも建てられた。富裕層が建てただけにディティールが凝っていて、意匠も独特なものが多く価値が非常に高い。
おそらくココヤシ医院が建てられた頃、ナミの家はとても裕福だったのだろう。
しかし、戦災で焼失したり、時代の流れ、生活様式の変化で建て替えが進み、現在はそういう様式の建築物はほとんど残っていない。それだけに現存している建物はとても珍しく貴重なのだ。
そういうことをとうとうと語っていると、ナミがまたニッコリ笑った。

「建築にしても剣道にしても、何かに打ち込んだらとことんやるところ、すごいと思う。」

そう言って、ナミは何かまぶしいものでも見るように俺を見ている。
いや、それはお前だろう。お前の方こそ。
ナミは俺のことを買いかぶっている。そう思う。

でも、ナミにこんな風に率直に俺のことを言われるのは初めてだった。
ナミに認められることはやはり嬉しかった。


「そろそろ行こうか。」

テーブルの上の伝票を持って立ち上がる。時刻は9時半をわずかに過ぎていた。
講演は10時からだが、開場はしているだろう。
記念講演は大ホールで行われる。ナミのためにもなるべく良い席をとるには、早めに行くに越したことは無い。

大ホールへは、今日のために集まった大勢の人々が集まり始めていた。教授を始めとする大学関係者、院生、現ゼミ生、卒業したOB・OG、そして建築科で授業を受けた在学生達、それ以外の人々も見受けられる。
そんな中に立ち混じり、ナミは少し緊張した硬い表情になっていた。なだめようとポンポンと背中を叩いてやると、ナミは俺の方を見て微笑んだ。
大ホールのロビーでは受付テーブルが3台設置されていて、有志の建築科の学生達によって講演資料が入った封筒が配られていた。俺達も並んで受け取ると、

「・・・・ロロノア?」

また、不意に名前を呼ばれた。
受付に立っている人物を見てぎょっとした。
たしぎが、立っていた。



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