かわりゆくもの、すべて

                              
糸村和奏 様


その日、新世界の海はめずらしく凪いでいた。
まるで自分たちを嘲笑うかのように荒れ狂っていた空に、翻弄されること数日。クルーは皆疲れて眠っていた。

ふと目を開けると、大の字になって眠る仲間たちの盛大な鼾が聞こえてきて、ルフィはむっくりと起き上がる。
まだ外は薄暗く、夜が明けきっていない。波の音だけが聞こえる静けさの中で、腹の虫が勢いよく鳴いた。

「んー、腹減った・・・・・・」

まだ体は疲れを訴えているが、睡眠欲よりも食欲が勝った。よくあることだ。
何か食べるものはないかとキッチンに向かおうとして、気づいた。

甲板に立つ人影。

明るく長い髪に、すらりとした立ち姿。

「・・・・・・ナミ?」

見間違いようもなく、それは自分たちの航海士のものだった。ルフィは驚く。

どうして、ナミが起きている?

この連日の空模様に、一番神経を尖らせていたのはまぎれもなく彼女だ。実際、ほとんど眠ることなく自分たちに指示を飛ばしていたのを知っている。この一味において、まともに航海術を持っているのは彼女しかいないから、こういう時の負担は否応なく大きくなってしまうのだ。
それは仕方のないことだったし、ナミも文句など言わない。けれど、だからこそ休める時はしっかり休むというのが彼女の言い分だった。体調を心配する仲間たちにも、決して無理はしないと笑っていたのに。

今休まなくて、いつ休むんだ。

ルフィは幾分むっとして、船長として一言言ってやるべきだと決意を固める。
甲板に足を向け、名前を呼んだ。

「おい、ナミ!」

一度体をびくりと震わせて、ナミは驚いたように振り返る。夜明けの風に、長い髪が靡いた。

「ルフィ? 早いわね」
「何やってんだよ、お前」
「何って・・・・・・空を見てたたけだけど?」

きょとんとした様子のナミに、ルフィは腰に手を当ててふんぞり返る。

「お前なあ、何でこんな早くに起きてんだ。ちゃんと休めよ」
「休んだわよ。さっきまで寝てたもの」
「そんなんで足りるのか? ここんとこずっとまともに寝てなかっただろうが」
「大丈夫よ、このくらい」

何てことはない、という顔で、安心させるようにナミは笑う。
その笑顔を見て、ナミが一度高熱で倒れた時のことをルフィは思い出した。

あの時も、ナミは大丈夫だと笑っていて。ウソップが、強がりだと言っていて。
だからこそ、心配になる。ナミは、ちっとも無理なんてしていない顔をしながら、無理をする奴だから。
未だに渋い顔をしたままのルフィに、ナミはため息をついて言う。

「ねえ、ルフィ。私はこの船の何?」
「・・・・・・何言ってんだお前。航海士だろ?」
「そうでしょ。航海中の無事を守るのは私の役目なの。それができないなら、私がこの船に乗ってる意味がないじゃない」
「んなことねェよ」
「あんたにはなくても、私にとってはそうなのよ」

大体ねえ、とナミは続ける。

「あんただって、仲間を守るためにはいくらでも無茶するじゃないの」
「そんなの当然だろ。おれは船長なんだからな」
「だったら、私だって嵐やサイクロンから皆を守るためには少しくらい無茶するわよ。航海士なんだから」

きっぱりと言い切られ、ルフィは言葉に詰まる。ナミの言うことはいちいち正しい。
けれどルフィは諦めなかった。ナミはそれで良くても、自分は良くないのだ。

「今はいいじゃねェか、こんなにいい天気だぞ」
「まだ油断できないのよ、気圧があまり安定してないし。だから起きて様子を見に来たの」
「・・・・・・けど、それでおまえが倒れたら、一番困るんだぞ」
「分かってるってば。少しだけよ」
「まあ・・・・・・分かってんなら、いいけどよ」

結局そう言うしかなかったルフィに、ナミはようやく表情を緩めた。

「でも、ちょっとびっくりしたわ。まさかあんたにそんな船長らしいこと言われるなんて」
「・・・・・・お前、失敬だな」

憮然とするルフィに軽く笑い、ナミはしみじみと言う。視線はまた空に戻った。

「2年って、思ったより長かったのかもしれないわね」
「は?」
「考えてみれば、あんたももう19才なんだし。私だって20才になったし」
「・・・・・・ナミ?」
「色々、あったもんね・・・・・・変わらないままでなんて、いられないんだわ」

ナミの言葉は独り言のようで、ルフィはどう答えていいのか分からなくなる。けれど、空を見上げているナミの横顔からは、なぜだか目が離せなかった。
夜明けの朝日に溶けてしまいそうな、オレンジ色の髪。2年の間にすっかり長くなったそれを、ルフィは今更認めた。

「お前、髪、伸びたな」
「はあ? 何よ、今頃。まさか、今まで気づいてなかったなんて言わないでしょうね」
「いや、それはさすがに気づいてたぞ」
「・・・・・・だったら何で今言うわけ?」

呆れたような顔をしながらも、ナミは笑っている。
別に気づいていなかったわけではないのだ。ただ、言わなかっただけで。どうしてか今は言いたくなったのだけど、その理由はルフィにはよく分からなかった。

分からないのは何だかもどかしい。
でも、嫌ではない。

ナミはまだ空を見上げたままだ。
こういう彼女を見るのは、初めてではない。2年前、メリー号に乗っていた頃から、さらには自分とゾロの3人しかいなかった頃から、ナミの横顔なんて数え切れないくらいに見てきた。

勝気そうな大きな瞳は、いつも自分たちには見えない何かを、まるで射抜くように見つめていて。
きりっと引き結ばれた口元は、大きな嵐を超えるとふっと綻んで、それを見たらああもう安心なんだなと思って。

彼女はいつだって、自分の大切な仲間で、最高の航海士で。
東の海で仲間にした時から、ずっとそうだった。ゾロやウソップや、他の仲間たちと、同じものだった。

それは、今でもそうだけど。


(なんで、だろうな)


ナミが、ナミでないように見えてしまうのは。
それなのに、それを当たり前のように受け止めている自分が、いるのは。

そんなことをぼんやり思っていたら、ナミは一つ大きな深呼吸をしてこちらを振り向いた。

「さてと、大丈夫そうだから私はもう一寝入りしてくるわ。あんたはどうするの?」
「おれ? あー・・・・・・そういや腹減ってたんだった」
「もうすぐサンジ君起きてくるだろうから我慢しなさいよ」
「えー?」
「えーじゃない! 盗み食いしたら承知しないわよ! ほんっとにそういうとこは変わってないんだから」

ひとしきり小言を言うと、ナミはあっさりルフィの横を通り抜け、女部屋に戻って行く。
ルフィは何やらむずむずしたような感覚に囚われて、その背中に呼びかけた。

「ナミ」
「ん?」

くるりと振り向いた航海士に、言う。

「おれ、お前に何か言いてェことがある気がする」
「言いたいこと? 何よ、言えばいいじゃない」
「それがよー、分かんねェんだ」
「は? 分からない?」
「言いてェことはあるんだけど、何が言いてェのか分かんねぇんだよ」
「・・・・・・はあ??」
「なぁ、ナミ、おれは何が言いてェんだ?」
「そんなの私に分かるわけないでしょうが・・・・・・」

全くもってその通りだ。
ルフィは一生懸命考えようとするが、考えるという行為自体に慣れていない頭は今にも湯気を噴出しそうだった。

「んんー・・・・・・あーもう駄目だ! 分かんねェぞ!!」
「いいじゃない。どうせそうたいしたことじゃないわよ」
「・・・・・・お前、おれを馬鹿にしてるだろ」

唸りながら頭を抱える船長に、ナミは苦笑する。

「あんたのことだから、言うべき時になったら勝手に口から出てくるわよ、きっと」
「・・・・・・そうなのか?」
「そうよ。だから慣れないことするのはやめなさい、頭破裂するわよ」

ナミの口調は軽く、どうせそんな大層なことではないと思っているのは丸分かりだった。
けれど、その言葉は不思議とルフィの胸にすとんと収まった。


つまり、今はまだ。言うべき時ではないのだ。

その時になったら、分かる。


「・・・・・・そうだな。うん、そうだよな」
「納得した? じゃ、私もう行くわよ」
「おう。しっかり休めよ」
「言っとくけど、盗み食いしたら次の島でお小遣いゼロだからね」
「げっ、それは困るぞ! 肉が食えねェだろ!」
「だったら今日はちゃんと我慢しなさい、もう食料残り少ないんだから」

しっかり釘を刺して去って行くナミを、今度こそ見送って。
小遣いゼロは嫌なので、仕方なく自分も男部屋に戻るとゾロが体を起こしたところだった。

「何だルフィ、起きてたのか」
「ああ、ゾロか。腹が減ったんだ」
「・・・・・・てめェ、まさかまたつまみ食いか?」
「いや、してねェ。ナミに止められた」

再び音を立てて鳴り出した腹を抱えて、ゾロの隣に座る。サンジはまだ寝ているようだ。
ゾロは意外そうに片眉を上げた。

「ナミ? あいつ起きてたのか?」
「おう。まだ油断できねぇから様子を見に来たっつってた」
「・・・・・・ったく、あいつは。また倒れても知らねェぞ」

舌打ちするゾロに、ルフィは笑う。悪態をつきながらも、彼は彼なりにちゃんとナミを心配しているのだ。

「なぁ、ゾロ。ナミは、ナミだよな」
「ああ? 当たり前だろ、いきなり何だ」
「だよなー」

ゾロの次に、程なくして見つけた2番目の仲間。金が大好きで、おっかなくて強がりで、でも、優しい。
自分たちの航海士は、出会った時からずっと、そんな奴で。

「でも髪は伸びたよな」
「・・・・・・? だから何だよ?」

2年の月日は、彼女の髪を伸ばした。
そうして、気づかせた。


「あいつ、女だったんだよな」


どうして気がつかなかったのだろう。いや、知ってはいたけれど。
さっき、甲板でナミの横顔を見るまで、そんなことは思ったことがなかったのだ。


しみじみ述懐すると、一瞬の間の後にゾロが呆れた声を出した。

「・・・・・・寝ぼけてんのか? ナミは最初から女だっただろ」
「まー、そうなんだけどさ。何か、急にそう思ったんだ」
「・・・・・・。そうかよ」

訳が分からないという顔をして、ゾロは頭を掻いた。

「とりあえず、お前それ、ナミには言わねェ方が身のためだぞ。海に蹴り飛ばされたくなかったらな」
「ししし! そうだな!」


そう、まだ言わない。本当に言いたいことは、これではない。
分からないけれど、何かが変わったのだ、きっと。
果たしてそれが、自分の中の何かなのか、ナミの方なのは分からないが。


けれど、とりあえず。まだ気づいていないであろう、彼女に。
「言うべき時」が来たら、全部伝えよう。


朝陽の中で振り返るナミがひどく眩しくて、目がちかちかしたこと。
何やら体が疼いて、空腹だったのをすっかり忘れていたこと。
手を目一杯に伸ばして、長く伸びた髪を捕まえたいと思ったこと。


・・・・・・最初から、彼女以外にはいなかったこと。


そしてきっと最後まで、彼女の他にはいないのだろうということを。



<完>






<管理人のつぶやき>
2年の歳月が、確実にルフィにも変化をもたらしていました。その気持ちが何なのか、ルフィはまだ分かっていませんが、いつかはきっと、ね^^。

【閏月の庭】の糸村和奏様が投稿してくださいました。糸村さんは、毎年ナミ誕に投稿してくださってた「糸」さんです^^。糸さん、今年も素敵なお話をどうもありがとうございました!



戻る