ココヤシ医院には駐車場がない。
仕方ないので、門扉から玄関にかけての空間に頭を突っ込む形で停めた。
この後またナミと出かける予定だから、少しくらいの間ならこれで大丈夫だろう。

俺はトランクからナミとノジコの荷物を取り出して再び両手に持ち、夏のツタの葉の濃い緑に包まれた、レンガ造りの古式ゆかしい西洋館、「ココヤシ医院」を見上げた。




ココヤシ医院の事情3  −2−

                                
四条


ココヤシ医院は1階が診療所、2階が住まいとなっている。
俺達は1階脇にある勝手口から2階へと続く階段を上がっていく。すると2階の玄関スペースがあり、そこで靴を脱ぐ。靴を脱いだらそこがすぐ居間となっていて、この家の娘達がベルメールが出迎えるよりも早く、ずかずかと居間を通り抜け、台所へと入っていった(自分の家なのだから当然か)。
俺がまだ靴を脱いでいる間に、台所の方ではワッと騒がしくなった。女三人寄ればなんとやら。それを見事に体現しているかのようだ。

ココヤシ医院でベルメール、ノジコ、ナミの3人が勢揃いしているのを見るのは、それこそ約10年ぶりになる。俺がココヤシ医院に再び通うようになって1年半ほどになるが、どういうわけかノジコとはなかなかタイミングが合わず、さっき駅で再会するまで顔を合わせる機会がなかったのだ。
まだガキだった頃、俺は両親の仕事の都合でココヤシ医院によく預けられていたので、この3人と俺という取り合わせで、よく過ごしたものだった。月日が流れ、ガキだった俺達も大きくなった。大人になってもまたこのメンツで集う日が来ようとは、当時は思ってもいなかった。

俺達が着いたのは午前8時ちょっと前。ココヤシ医院の診療時間は9時からだが、8時半にはアルバイトの診療助手の人達がやってくるので、ベルメールはちょっと慌しげな気配を見せていた。
ナミはひとしきりベルメールと話した後、俺と出かけるために部屋へ着替えに行った。
それを見たノジコが不思議そうに尋ねる。

「なに、デートに行くのにわざわざ着替えるの?」

今の格好のままで十分じゃん。

「デートの前にイースト大へ行くんだよね?それで、ちょっとマジメな感じの服にするんだって。」

俺の代わりにベルメールが答えた。
そう、今月末でイースト大を退官する教授の退官記念講演を聞くためだ。
彼はイースト大の工学部都市工学科の教授で、ナミは高校3年の一時期、この教授に誘われてイースト大の学園祭に出品する作品製作に参加したことがある。そんな縁もあることから、ナミにその教授の退官のことを伝えると、最後の講演を聞きに行きたいと言った。それで、退官記念講演の日が、ナミの帰省の日となったのだ。

「へー。で、その後でデートってわけね。どこ行くの?」
「花火大会へ行くのよね?」
「あー、カップルの定番だよねー。」

毎年7月下旬に開催される隣県の花火大会。
ノジコのいう通り、この辺の恋人同士なら必ず一度は出かけるといわれている、いわばデートコースの定番中の定番だ。なんとベタなと自分でも思わないでもないが、これもナミが行きたいと言うのだから仕方がない。
子供の頃にはベルメールやノジコとも一緒に見に行ったこともある。だが、付き合い始めてからはこれが初めてとなる。
というわけで、ナミの帰省初日は、退官記念講演に花火大会という、ダブルヘッダーな日程になったのだ。

「でも、隣県だと帰りも遅くなるね〜。あそこの花火、午後10時ぐらいまでやってるでしょ?」
「そうそう。ゾロ!ナミが疲れているようだったら、休んできていいからねー!」

ニヒヒと笑いながらベルメールとノジコがこちらを見ている。

“休んで”

その言葉の持つ本来の意味とは違う、別の意味が察せられて、思わず口をへの字に曲げる。
いつもこうだ。
ナミと出かける時は、いつもこの手のからかいをベルメールから受ける。
こうやって俺をからかって面白がっているのだ。


昨年末の大晦日、ナミと二年参りに出かける時にはこう言われた。

「ナミは“初めて”だと思うから、優しくしてやってね?」
「あ?」

何のことか一瞬分からなくて、素で聞き返した。
みなまで言わせないでよ!と肩をバーンと叩かれて、ようやくその意味するところが理解できた。
果たして世間では母親が娘の彼氏を捕まえて、娘のことをこんな風に言うのは普通のことなのだろうか。
はっきり言って、恋人の母親にこういうことを言われるのはなんとも言えない気持ちになる。
そもそもどう反応すればよいのか。「ハイ、分かりました」とも言いかねるし。

ナミが“初めて”だろうということは頷ける。なんと、ナミは男と付き合ったのは俺が初めてだというのだから。今まで一度も彼氏というものができたことがないそうだ。
どういうことだ。ナミの周りの男どもは一体何をしていたのだろう。ナミを目の前にしてずっと指をくわえて見ていたなんて、にわかには信じられないのだが。
その後、ナミに話をよく聞いてみると、告白は何度となく受けたことがあるらしい。だが、お付き合いに応じたことは一度もないという。
ナミの通っていた高校の校風にもよるのだろう。男女交際にかなりお堅い雰囲気で、ナミの同級生でも彼氏ができた子は数えるほどしかいなかったそうだ。

俺の高校はどちらかというと女の方が積極的だった(今風に言うと肉食系女子というのだろうか)。俺も女側から何度かアタックされて付き合うパターンだった。

それでも、大学ともなるとそうお堅いはずもあるまい。硬派も軟派も揃っていて不思議ではないし、そもそも、ナミほどの女を男が放っておくとは思えない。
俺と気持ちが通じるまでの間、果たしてナミはずっと一人でいたのか、実はそのことがずっと気になっていた(自分のことは全く棚に上げて)。
都会で洗練された、しかも頭もいいグランドライン大の男達に声を掛けられて、心が揺れたりしなかったのかと。恐る恐るその辺のことも聞いてみた。
するとナミは、声を掛けられたことはあると。
ああ、やっぱり。そらそうだろう。
「でも、全部断った」という。
聞くのも野暮かと思ったが、どうして断ったのかと尋ねてみた。
そしたら、「だってゾロのことが・・・」と恥ずかしそうに俯きながらナミは呟いた。
それを聞いた時は、柄にもなく嬉しさと面映ゆさで顔が赤くなった。
つまり、俺のことが気になっていたから、他には目がいかなかったし、目を向ける気もなかったということだ。
俺とは約1年ほど全く音信不通であったのに、ナミはなんて健気に想ってくれていたことか。

前から薄々感じていたことだが、ナミはけっこう純粋で一途なところがある。
高校時代、他人が受験にまい進している最中に測量や地図の作成に打ち込んだこと。
その後は頭を切り替えて大学の受験勉強に一点集中したこと。
ベルメールに一人前になるまでは帰ってくるなと言われると、本当に帰省をしなかったこと。
そして俺のこと。
思い込んだらまっしぐら。
なかなか他を見たり脇見をしたりしない。
一度覚悟を決めたら、それを貫く強さがある。
ある意味、非常に頑固で融通が利かないともいえるかもしれないが。
それに引き換え俺はどうだったかというと。
ナミと想いが通い合うまでの間、ナミのことを気にかけながらも、他の女と付き合ったりしていた。
むしろ、ナミのことを吹っ切ってしまおうと思ってそうしていたのだ。
でも結局最後には、ナミのところへと心は戻ってしまう。その繰り返しだった。
そんなことをしていた俺はナミに比べると、どこか薄汚れた存在のように感じてしまう。
そのことが心のどこかで引っかかっていて、ナミに対して少し気後れしてしまうところがある。
そんなわけで結局、大晦日の日も何もできなかった。

恐ろしいことに、俺たちの間に特に進展がないことにベルメールは鋭く察知しているらしい。
その後もベルメールは俺をからかいながら、何かとけしかけるような発言をする。ぐずぐずしている俺の反応を面白がっているのはもちろんだが、ベルメールなりに俺の背中を押してくれているらしい。ありがたいやら情けないやら。
けれど、ナミは俺にとっては清くて眩しい存在で、なかなかどうこうできそうにないのだ。
この辺は明らかに今まで付き合ってきた女とは異なっている。こんなことは初めてだ。


そんな回想に浸っていると、ナミが着替えて戻ってきた。先ほどとは打って変わって、白い半袖のブラウスにクリーム色の少し光沢のあるズボン。髪も後ろで一つにまとめて白い細紐のリボンで結わえていて、かなりフォーマルな雰囲気になっていた。

「その格好で花火にも行くの〜?暑くない?」

ナミの姿を頭の先からつま先まで見回した後、ノジコがつっこむ。

「着替えも持っていくから。今日はゾロが車を出してくれるし、多少荷物があっても大丈夫だもんね。講演が終わったら、どこかで着替えるわ。」

そう言って、ナミは俺に向かって了承をとるように微笑みかけた。
俺ももちろん異存はないので頷く。

「ハイハイ、ゴチソウサマ。じゃぁ行ってらっしゃい。ごゆっくり〜。ゾロ、ナミのこと頼んだからね!」

目と目で会話する俺達を、ベルメールがはやし立てて追い出しにかかる。
やはり何か含みのある顔をして、ニシシと笑って俺を見ていた。



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