アイノチカラ
mariko 様
「で、何で飲んじゃうわけ?」
ナミの呆れた声に、ゾロは返事に詰まりプイと顔を逸らした。 キッチンに集まった他のクルーたちも、皆やれやれと肩をすくめている。 チョッパーだけは心配そうにおろおろしながらゾロを見つめていた。
事の発端はチョッパーにある、といっても間違いではない。 だが、今の状況になってしまったのはやはりゾロ自身のせいだった。
今朝上陸した町でいつものように医薬品を補充したチョッパーは、船に戻ると医務室の棚それらを収納した。 怪我人絶えないこの船では消毒薬や抗生物質は必需品だ。 包帯もすぐに無くなるため、上陸するたびに大量に補充しなければならない。 それでも時折足りなくなったりするのだから、船医としてのチョッパーは忙しいことこの上ない。
所定の位置に所定の物をしまいながら、最後に取りだした瓶を見てチョッパーは手を止めた。 椅子に座り、机の上に置いたそれをじっと見つめる。 古ぼけた透明赤褐色の瓶を持ち上げて、光りにかざして中を透かしてみたり軽く振ってみたりする。 そうしてふと、底に小さなヒビが入っていることに気付いた。 まだ本格的に漏れ出してはいないが、机の上にはうっすら染みが付いているし、このまま保管するには支障がある。 チョッパーは慌てて周りを探したが、運悪く検査用の試験官は全て洗浄して乾燥中だった。 まだ乾いておらず、他に代わりになる空の瓶も見当たらなかった。 少し迷って、チョッパーはその瓶を机の上に戻すと、ぴょんと椅子から飛び降り医務室を出ると、無人のキッチンを駆ける。 サンジはまだ買い出しから戻っておらず、主のいない調理場でチョッパーは食器の並ぶ棚をきょろきょろと見渡した。 それから手の届く距離にあった、透明のグラスを見つめてパッと顔を明るくし、それを取って再び医務室に戻る。
ヒビの入った瓶の蓋をポンと外すと、持ってきたグラスに中身を全て移した。 倉庫を探せば蓋付きの空瓶が見つかるだろうから、それまではとりあえずこのグラスに入れておく、そのつもりだった。 チョッパーはグラスを机の上に置いたまま、瓶を探すべく医務室を出た。
他のクルーはまだ船に戻ってきていないから、このまま置いていても問題は無い。 そのはずだった。
奇跡的に早めに船に戻ってきたゾロが手伝いでもしようと医務室に顔を出すなどと、想像出来なくともそれは決してチョッパーのせいではない。
「おれが、普通のグラスに入れたりしたから……」 「チョッパーは悪くないわよ。ちゃんと医務室に置いてたんだから」
ナミは慰めるように優しくチョッパーに笑いかけ、それから一転して冷たい視線をゾロに向ける。
ゾロの方も、さすがに卑しいことをしたという自覚があったため、その目を睨み返すことは出来なかった。 医務室に入ったらチョッパーはいなくて、机の上には中身の入ったグラスがあって、匂ってみればなかなか美味そうなアルコールの匂いがして、その時点でゾロの本能は「飲め」と指令を出した。 その結果で、今のこの状況だ。
「自業自得って言葉がこれほどぴったりくるなんてね」 「ゾロだけのせいじゃないよ!
おれがまず先に瓶を探してたら……」 「いいのよチョッパー。別に命に関わることでもないし」
まわりのクルーからは呆れられ、ナミからはチクチク嫌味を言われ、挙句の果てにチョッパーからは涙目でフォローされる。 情けないことこの上なく、ゾロは居心地が悪すぎてそわそわしていた。
「で、やっぱりまだ出ないの、声?」
ナミは溜息と共にゾロの隣に腰を下ろし、顔を覗き込むようにしながらそう尋ねた。 ゾロは声を出そうと何度か口をパクパクと動かしたが、諦めて頷く。
チョッパーが買い、ゾロが酒と勘違いした液体は、自白防止剤として売られていただった。 と言ってもあらたに開発された新薬、などというものではなく、実際は単純に飲むことにより喉をしびれさせ喋れなくする、という誤魔化し程度の代物だ。 チョッパーがこれを買ったのは、薄めて気管挿入等の処置に使う目的としてだった。 純粋な好奇心は一切なかった、というわけではないが、それは説明しなくともクルー全員が解っている。 チョッパーの好奇心と向上心は、周知の事実だ。
そして薄める前のそれを飲み干したゾロは、見事喋れなくなってしまったのである。
「一日か、せいぜい二日だと思う」 「ま、喋れないからって支障はないでしょ」
ナミは手を伸ばして、ゾロの首筋をするりと撫でた。 促され猫のように顎を上げたゾロは、その指先から逃げることはせずにじっとナミを見返す。
「飲み込んだりは大丈夫?
ゴハン食べられる?」
ゾロが頷き、ナミもそれに応じて頷き返す。
「じゃ、夕食にしましょサンジくん。一応ゾロのは飲み込みやすいのに……してくれてるみたいね」 「抜かりはありませんよ?
たとえクソマリモの食事だろうと必要とあらば!」
サンジはナミへと微笑みかけながら、いつの間にやら準備完了していた夕食の皿を両手で掲げていた。 随分と前からそれに気付いていたルフィはロビンの咲かせた手により椅子にしばりつけられ、つまみ食いを阻止されている。
テーブルの上には次から次へと料理が並べられ、夕食の準備は着々と進んで行く。 普段なら支度が完了してから全員に集合がかかるのだが、今日は既にクルー全員が揃っているのでナミやウソップも手伝いをした。
そうして至極いつも通り、サニー号での夕食は始まった。 ゾロは若干の違和感はあるものの食事自体は不可能ではなかったので、いつもよりはゆっくりと箸を進める。 だがしびれがある分、飲み込むという行為を意識しなければなかなか上手くいかなかった。 仕方なく、充分に咀嚼したら水で流し込むようにして飲み込む。 おかげでいつもより水の減りが早く、グラスの中はすぐに空になった。
サンジへお代わりを告げようとゾロがグラスを持ち上げると、合図する前にそこに水が注がれた。 隣に座るナミは、変わらぬ呆れた顔で水差しを傾けている。
「………」 「ゆっくり食べなさいよ」 「………」 「それは解るけど、詰まったらどうするの」 「………」 「そういう問題じゃないでしょ。薬のせいなんだから」 「………」 「ダメよ。文句言わないの。自業自得って言ったでしょ」 「………」 「はいはい、あとサンジくんにはちゃんとお礼をね」 「………」 「返事」 「………」 「よろしい」
「……なぁ、二人とも」 「え?」
二人のやりとりをじっと見ていたクルーたちを代表して、ウソップがおずおずと挙手して発言した。 ナミは自分の口に運びかけていたフォークを下ろして、ウソップのほうへと顔を向ける。
その隣のゾロは目だけを向けて、もぐもぐと口を動かしていた。
「今の会話、いやそもそも会話?
って、成立してんのか?」 「え?」 「いや、だってゾロ全然喋ってねぇんだぞ?」 「そりゃそうだけど、でも解るでしょ?」
ナミは首をかしげて、心底不思議そうな顔をしている。 解らないということのほうが理解できない、とでも言いたげだった。 ゾロの方はウソップの質問を気にもせず、さっさと食事に集中してしまっている。
「お前テレパシー能力でも持ってんの?」
ウソップがじろじろと観察しながら尋ねると、ゾロはちらりと目だけを向けて肩をすくめた。
「馬鹿か、だって」 「うん、そういう通訳はいらねぇ……いらねぇ……」
ウソップはナミに哀しげな視線を向け、大人しく自分も食事に戻った。 せっかく通訳したのに何よ、とナミは唇を尖らせて、だが同じく食事を再開した。
ゾロは食事をしながら、ちらりとナミを見る。 ナミもすぐに気付いて、視線を合わせた。 相変わらず声は出ないが、ナミはその目を見ただけで「知らないわよ」と返事をした。
まわりからすれば、それこそゾロが念力で話しかけているように見える。 だが当然そんな力は無いし、かと言ってナミの方にそういった力があるわけでもない。
それなのにやはり二人は、片方が無言のままの『会話』を平然と成立させている。
「そんなこと言われても、解るもんは解るの」 「………」 「……何でなの?」 「………」 「勿体ぶる意味あるの?
解ってるんなら教えてよ」
ゾロはじっとナミを見つめ、それからニヤリと笑った。 次の瞬間、ナミの顔がカッと一気に赤くなる。 バカ!と言いながらゾロの肩をバンと叩き、誤魔化すようにバクバクと勢いよく料理を口に運ぶ。
叩かれたというよりも殴られた、の表現の方が近い力で攻撃された肩を押さえつつも、ゾロはクックッと笑いをかみ殺している。 あのやりとりの中のどこに、ナミが赤面しゾロを攻撃し、そしてゾロが笑う点があったのか、さっぱり解らないウソップたちは揃って首をかしげる。
「やっぱゾロってエスパーなんじゃねぇの」 「あら、本当に解らない?」 「へ?
ロビン何でか解るのか?」 「えぇ」
ロビンは優雅に食事をしながら、にっこり微笑んだ。 答えを聞くべく、ウソップたちは揃ってロビンの方へ身を乗り出す。 ゾロは相変わらずの調子でしれっと食事を続行していて、ナミはまだ赤い顔のまま聞こえないフリをしている。
「想像してみて」 「何を?」 「結婚して何十年の仲睦まじい夫婦の……そうね、夕食風景」 「ふむふむ」 「旦那様が奥様へ向かって『おい』。奥様は何も聞き返さずにドレッシングを差し出す」
「おぉ!
なんかありがち!」 「お醤油でも、新聞でもいいわね。つまり」 「……つまり……」
「愛の力?」
ゾロとナミ以外のクルーの声がハモる中、ニヤニヤと笑うゾロの隣でナミの顔はまた一段と真っ赤になっていた。
(了)
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