船に戻ってきたゾロは、ナミと対面するなり、いきなり言った。

「お前、俺のこと好きなのか?」

は? なに言ってんの? こいつ?




幻想の夜

                                四条


とある島に着いて、ログが貯まるまでの間、しばらくクルー達は思い思いに過ごすことになっていた。
次の航海のための補給の仕事さえ済ませたら、あとは自由行動だ。下船して陸の上でしばらく満喫するもよし、船に滞在するもよし。
ゾロは、初日の船番の後は、船を下りていた。一体どこをどう過ごしてきたのか知らないが、3日目に戻ってきたら、いきなりコレである。
ナミはというと、初日をサンジの食料の買い出しに付き合った後は、船に戻って地図を描いていた。
3日目の朝、ナミが甲板に出てきたら、ちょうどゾロが船に戻ってきたところだった。


ひゅるるる〜と落ち葉が寒風に舞いながら、二人の間を吹き抜けていく。
その間たっぷり、ふたりはにらみ合ったまま、微動だにできなかった。
ナミには、ゾロの質問の意味がわからない。なんで帰ってきていきなりその問いが出てくるのだ?
ゾロはというと、何か奇妙なものを見るような目つきでナミを捉えていたが、ふーっと下を向いてため息をついた後、再び顔を上げ、ひたとナミを見据えた。

「質問を変える。お前、夕べはどこにいた?」
「今度は尋問!?」
「いいから、答えろ。」

何をえらそうに!!

「女部屋にいたけど・・・。」

そこで地図を描いていたわけで。

「それを証明できるヤツは?」

なに、アリバイを聞いてるの? 私に何かの容疑がかかっているみたいじゃない!

「誰もいないわ。ロビンは初日から陸で過ごしてるし。」
「じゃあ、何時ごろに寝た?」

わけがわからない!なぜこんな質問が繰り返されるのか。

「なんなの!? なんでそんなこと聞くのよ? 私が何したっていうの?」

そもそも、最初の質問は一体なに?
私がゾロを好きかとかどうとか。どこからそんな質問が出てくるのだろう。どういうつもりでそんな質問をするのだろう。
二人は恋人同士でもなんでもないというのに。

ナミの反論に対して、ゾロは腕を組んで考え込んでいる。
しばらくして、観念したように口を開いた。

「いや、すまん。実はな・・・」




***



迷った・・・・。
ここはどこだ?


ゾロは上陸2日目の朝、ウソップと船番を交代して船を下りた。
予定では、昼間は陸の上で過ごし、夜は船に戻るつもりだった。宿に泊まる金もないので。
やがて日が傾き始め、船の方へ向かおうとしたのだが、いっこうに港に着かない。それどころか、どんどん山深くなっていく。いつの間にか、右も左も前も後ろも、うっそうとした樹木で覆われている。もう何時間、樹海の中を歩いたことだろう。歩いても歩いても、周囲の景色は変わらない。ゾロには樹木はどれも同じに見えるので、いつまでも同じところをグルグルと回っているような錯覚に陥る。

ひゅーっと音がするほどの風が吹く。その音を聞いてるだけで寒気がするような冷たい風。
ここは冬島に分類されるようで、昼間はまだしも、夜になるとかなり冷え込んできた。強い風は、ゾロの体感温度を下げるばかりだった。
出かける際に、ナミにうるさく言われて厚手の上着を羽織ってきていた。着てきてよかったとつくづく思う。いくらゾロでも、この寒さはいささか堪えた。

自分が、森の中にいるのは分かる。
落ち葉を踏みしめて、獣道にもならないような、道なき道を彷徨い歩く。
上空にはまばゆいばかりの丸い月。黒い木立の陰の中、月が煌々と照り輝いているのは、とても幻想的だった。

ずいぶんと歩き回った。もうかなり遅い時間だろう。月明かりのおかげで比較的周囲はよく見えるが、どちらに街があるのかは、相変わらずさっぱり分からない。
これは野宿か。しかし、いくら無駄に体力に自信があるとはいえ、凍てついた夜に外で寝るのは避けたい。せめて洞穴か、あるいは廃屋でもいい、建物の中で休みたい。

ゾロの願いが叶ったのだろうか、前方でポツリと明かりが灯った。
それを目印にして歩いていく。
近づいてくると、それはありがたいことに建物であった。酒場であるようで、それらしき看板が出ており、店の中の喧騒が外にいても窺い知れた。
助かった、今夜はここでやり過ごそうと思い、迷いなく店の中へと入っていった。
内部は、極力明かりが落とされていた。はっきり言って、よく見えない。
辛うじて、カウンターとボックス席が並んでいるのが分かる程度だ。店内は混んでいるのか、混んでいないのかすら、最初は分からなかった。
ただ、人いきれは感じる。だから、何人か客がいるのだろう。

やがて目が暗闇に慣れてくると、客や店員達の動きだいぶ見えてきた。
カウンターのスツールの一つに腰を下ろすと、頼みもしないのにすぐさまグラスが出された。
どこからともなく現われた女が隣に腰を下ろし、黙ってウィスキー瓶の蓋を開け、グラスに琥珀色の液体を注ぎ込む。
なかなか気が利いているじゃねぇか。身体が冷え切っていて、酒が飲みたかったところだ。
これでなんとか人心地つけそうだ。

何杯か空けたところで一息ついて、ようやく隣の女に目を配る。
黒い衣装に身を包んだ女は、10人いれば10人が振り返るようななかなかの容貌で、驚くほど色が白かった。
店内が暗すぎて、黒髪と思しき長い髪が顔の半分を覆っていて、表情ははっきりしないが、これまた黒い瞳を、長い睫が縁取っている。モノトーンの色彩のなか、紅い唇だけがいやに目についた。
そして、女はことの他無口だった。
カウンターに姿を現した時も、更には酒を注いでいる時でさえ、言葉を漏らさない。飲み屋の女なら、愛想のひとつも振りまいてもよさそうなものだが、この女はそうではなかった。
しかし、それはゾロには返って好都合だった。脳裏でオレンジ色の頭を思い浮かべ、おしゃべりな女は船の上だけで十分だと内心一人ごちる。そうして、ゾロもまた黙って酒を煽る。

酒はやけに旨かった。一口目を飲んだ時からその美味さに驚いていた。なんて芳醇な味だろうかと。これでは、するすると飲み干してしまう。かなり高価な酒なんだろうなと思った。
ふと、懐具合のことが気になった。一体いくら持っていただろうか。
しかし、財布の中身を気にして飲むことほど、無粋なことはない。
無かったら無かったで、その時はその時だ。どうにかなるだろう。しばし金のことなど頭の片隅に追いやって、再びグラスに口をつけた。

久しぶりに、良い酒をしたたかに飲んだ。
ゾロは酔うことはめったにないが、この日は軽い酩酊状態になっていた。こんなことは珍しい。
いつの間にか、カウンターテーブルに両肘をついてうつらうつらしていた。
しかし、何かが身体に触れるのを感じて、ガバリと身体を起こす。
先ほどの女が、ゾロのベルトを外し、ズボンの前を寛げている。
あっと思う間もなく、白くて細い手を中へと差し入れ、ゾロのものを下穿きの上から触れて、軽く撫でさする。
ここは、そういう店だったのか?
その行動の意を察して、すかさず言った。

「俺ぁ、金はないんだが。」

店内に入って、初めてゾロは口を開いた。
するとどうだろう。女は薄く笑みを引いて立ち上がり、目線を合わせた後しな垂れかかってきた。
ゾロは咄嗟に女の両肩を掴んで、その身を己から離して距離をとる。
女は白い手をそろりと持ち上げて、ゾロの唇をゆっくりなぞると、今度ははっきりと嫣然とした表情を浮かべた。

「お金など・・・・」

いりませぬと、女は肩に置かれたゾロの手を取り、

「こうしてくれるなら、それで十分。」

自分の胸へと導いた。
そこは、丸くて大きくて柔らかだった。
手を引っ込めようとするが、思いのほか強い力で手を捕らえられている。
女はゾロの手の上に自らの手を重ね、笑みを浮かべながらゾロに女の胸を揉むよう促す。
その女の表情にゾクッとした。
どういうつもりだ。金はいらない。その上、身体も差し出すような行為。
その時、背後からどこからともなく聞こえてきた女の嬌声に、驚いた。
てっきり、目の前の女が発したのかと思ったが、そうではなかった。
声は背後から聞こえてくる。ボックス席の方から。
振り返ると、女の後姿が目に入る。しかしその格好が異様だった。
女が、男の腰の上に跨って、身体を揺すっていた。
男のズボンはだらしなくくるぶしまで下げられていて、女はスカートを捲り上げ、裸の尻を丸出しにしている。

(なんだここは。やっぱり、そういう店だったのか)

目を凝らすと、思ったよりも広い店内のあちこちで、男女の影が揺れているのが見え、色めいた声が聞こえてくる。
さて、どうしたものかと考える。目の前の女は相変わらず、ゾロの手を己が胸に押し付け、妖艶な瞳で見上げている。

(まぁいいか)

ぐっと、手に力を込めてやった。女の制御から逃れ、自らの意思で揉んでやると、途端に女はうっとりと瞳を細めた。
かなり長い間こういうことからご無沙汰であることだし、ここらで一度ぐらいハメを外しても問題ないだろう。これからまた長い航海が続くのだ。またいつこういう機会があるかわからない。幸い、うるさい奴もここにはいない。
ゾロがその気になったのが伝わったのか、女はゾロの手を引き、奥の方へと促した。そのための部屋がちゃんと用意されているのだろう。
ゾロは立ち上がり、女の細い腰に腕を回してやると、女は紅い唇の端を嬉しそうに引き上げて、ゾロに腕を絡ませて抱きついてきた。
そのままボックス席の間の通路を通って店の奥へ向かって歩いていくと、あるものが視界の隅に入った。


―――オレンジ色の髪


目を見開いて凝視すると、それは間違いなく、うちの航海士の姿だった。
なんでこんなところにと思う間もなく、その異様な様子に思わず息を呑んだ。

テーブル席のソファで、男にもたれかかって。
あまつさえ、その男に腰を捉えられ、抱き寄せられて。
男がその白い顎に指をかけ、そっと持ち上げる。
うっとりと、とび色の瞳がゆっくりと閉じられていき―――


「ちょ、てめっ、こんなところで何やってんだ!!」

ゾロはガシッとオレンジ色の頭を鷲掴み、思いっきり男から引き剥がした。
どう考えてもこの店はフツーの店じゃない。
間違っても、素人女が立ち入りするような場所ではないのだ。

「ここは、てめーの来るような店じゃねぇだろう!そんなことも分からねぇのか!」

自分自身がこれからしようとしていたことは棚に上げ、一方的にナミを責めたてる。
しかし、オレンジ色の頭からゾロが手を離した後も、ナミは虚ろな目でぼんやりとゾロを見上げるだけ。
目の前で叱りつけてくる男が、自分の仲間で、ゾロであると分かっているのかすら怪しい様子だ。

(これは・・・なんか性質の悪いクスリでも盛られたか?)

ナミの二の腕を掴み、無理やり立たせる。

「もういい、とにかく出るぞ!」

このままじゃ埒が明かない。
まったく胸糞悪い。仲間の色事を目の当たりにするのは。しかもこんな場末みたいなところで。
不意に、傍らにいた女がゾロの腕を強く引っ張る。女の方に顔を向けると、そんな、話が違います、と女の目が訴えかけている。

「悪い。その気が無くなった。」

にべもなく言い捨てると、途端に女の目が吊り上がる。やがて諦めのか、恨めし気にゾロの腕から離れたものの、燃えるような瞳で反対側にいるナミを睨み付ける。この女のせいでと言わんばかりに。
そんな女の態度にも、ナミは何の反応も示さない。目は伏せがちで、生気のない顔色をしている。ただ、あいまいな笑みだけを浮かべて。それがまさに人形のようだった。本格的におかしい。
ナミの腕を掴んだまま引きずるようにして、店の外へと出た。
途端に、外気の寒さに晒され、突風に身体を持っていかれそうになる。ナミの腕を握る手に力を込めた。

店を出て、5・6歩ほど歩いたところで、おっと支払いを忘れたと振り向いた時、

すでに店は、跡形もなく消えていた。

そして―――腕を掴んでいたはずのナミも。

狐につままれたような気持ちで辺りを見回すが、店も、ナミの姿もどこにもない。

あとはただ、
月明かりに包まれた、幻想的な森が目の前に広がるばかりだった。



その後、通りすがりの木こりに誘導されて、なんとか森の中から抜け出した。
木こりに先ほど体験した話をすると、

「それは、“森の鬼女”の仕業じゃな。」
「森の鬼女?」
「この森の中には美女に成りすます妖怪がおってな、若い男を食らう。我々はその妖怪のことを『森の鬼女』と呼んでおる。この土地のものはそのことを知っておるから、地元の若い男はこの森には近づかん。が、何も知らないよそ者は迂闊に入ってしまう。もうこの100年のほどの間に、何十人もの他所から来た若い男が犠牲になっておる。つまり、今宵はお前さんが、その妖怪に食われるとこだったのさ。」

なんとも、ぞっとする話だ。

「店も、酒も、客達も、ぜんぶ妖怪が見せる幻想だ。そもそも、森の中から抜け出せないのも、その妖怪の仕業だ。同じところをグルグルと巡らせて疲れさせ、そして店に誘い込む。その店の中で、美女となった妖怪が男を誘惑し、その誘いに乗った男達は食われてしまう。そうやって、みんな犠牲になった。」

それはまさしく、ゾロの身にも起こったことで。
しかし、自分は助かった。
食われずに済んだ。

「稀に、助かる男もおる。お前さんみたいに。そいつらは、いずれも知り合いの女と店の中で会い、気が逸れて正気に戻ったそうじゃ。」

なるほど。
それが、自分にとってはナミだったか。

「・・・・お前さんは幸せ者じゃのう。」

木こりは唐突にそうつぶやくと、上機嫌に笑ってゾロを見やる。

「一説によると、助かる男達は、その知り合いの女からたいそう想われているそうじゃ。女が男を愛する情念が、妖怪から男を守ると言われておる。」
「は?」

ゾロは一瞬考えて、沈黙した。

ということは、ナミはゾロのことを、たいそう愛しているということになるではないか。



***



「とまぁ。そういうワケだ。」
「・・・・・。」
「時間的に昨日の深夜のことだったし、お前は船にいて、しかも寝てる間のことだったとすると、」
「・・・・私が、ゾロを愛するあまり、生霊でも飛ばしたんじゃないかと言いたいの?」

ナミの声が怒りのためか、震えている。顔もいくぶん赤いようだ。
ゾロは肩をすくめて見せた。ナミの様子から、どうも木こりの言ったことは、ただのデタラメのたぐいだったらしい。単なる諸説の一つといったところか。そうとなったら、さっさと退散した方がいいだろう。

「いろいろ変なこと聞いて、悪かった。」

軽く手を振って踵を返し、潔くナミから離れていった。
考えてみたら、ナミが自分のことを好きとかあるわけがない。
いつも口ゲンカばかりしているし。意見もまるで合わない。
しかし、木こりの話を聞いた時は、わずかにひょっとしたらとも考えた。
結果、違ったわけだが・・・・。
ゾロはどこか落胆している自分を意識しないように努めた。


ゾロが去って、ひとり甲板に残されたナミは、内心パニックに陥っていた。
無意識ほど恐ろしいものはないと!



FIN




<あとがき或いは言い訳>
私の書くものは、なんだかいつも似たようなテイストの話なってしまうなぁ^^;。でも、久々に1個書き上げたーって気持ちです。 途中、怪しげな描写があるので、一応
R15で。

数日遅れとなりましたが、ナミ、お誕生日おめでとう!貴女の未来に幸い多からんことを!!





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