潮を読み風を従える。
先行く海路を見据え、空と海を支配するその姿は、陽を浴びてあでやかに咲く大輪の花。
海に咲く花
uuko 様
麦わら屋の船はおれの指示に従い、パンクハザードとドレスローザとの中間地点で停泊中だ。
真夜中をとうに過ぎ、中甲板うろついていた長鼻屋とタヌキを含め、船中が寝静まっていたところにひそやかな開閉音が聞こえ、身を休めていた甲板の隅で首を傾け視線を上にあげた。
敵襲を警戒し、船は極限まで明かりを落としてある。
朧月がうすい影を映す。
浴室に続くドアから出てきたのはオレンジの髪の女。
泥棒猫。懸賞金1600万ベリー。
能力者でもなく大した戦闘力もない若い女がいると知った時、当然のようにクルーの誰かの女だろうと思った。海賊船に乗りこむ女は数少なく、男の存在がその理由であるのは常。
妙な武器を駆使し、全くの足手まといではないようだが。
たぶん麦わら屋の、でなければ黒足屋か、長鼻屋。
女と最も親しげにしていたのは長鼻屋だが、麦わら屋ともやたらじゃれあっていたし、子供を救いたいなどという甘い要求を簡単に認めていた。黒足屋は女全てにもれなくまといついていたが、オレンジ女を一番気にかけていたような気がする。
陸上では特に思うこともなかったその女が、海上で航海の指揮をとり始めてから、その変わりように目を見張った。
常識はずれの新世界の天候と潮流の数々。海坂など当たり前のように教えてやったが、突然出現する巨大な波は、生半可な航海士の腕で渡れるものではない。
初めてのはずのこの予測のつかない海を、女は船頭に立ち恐れる気配は微塵もなく、的確な命令を発し、鮮やかに采配をふるっていた。傍若無人極まるこの船の船長にさえ、容赦ない鉄拳制裁を下しながら。
全てのクルーが、その言葉に絶対の信頼を寄せ、一糸乱れずその指示に従う。
航海時にはこの女に絶対服従というのが、船の掟のようだ。
タヌキに骸骨、サイボーグに悪魔の女。10人に満たない少数海賊団にありえないほどの変り種が集まったクルーの中で、この一見ただきれいなだけの女に最も驚かされるとは思わなかった。
確かにログポースを腕にはめていたのだが、経験がものをいう航海士と言う肩書と若く美しい女、というのがイコールで繋がらなかったのだ。
いまとなっては明らかだが、女は麦わら屋の一味の中でも最重要メンバーだ。
グランドライン、特にその後半の海、新世界において、優秀な航海士は船の最大の戦力。
一流、いや天才的なその技量は、単なる男の付属品ではありえない。
・・・引き抜きでもかけるか。
男がいようがいまいがかまいはしない。
おれが狙って落ちなかった女はいない。
完全に気配を消したおれには気付かず、女は階段を下りそのまま女部屋へ姿を消す。
見張りに立っているサイボーグ屋も、死角にいるおれの居場所は把握してはいないはず。
男部屋で寝ているとでも思っているだろう。
覇気持ちなら気づくだろうが、麦わら屋は散々騒いだ後さっさと眠りにつき、黒足屋はアクアリウムで侍と飲んだくれたあげく酔いつぶれていた。
同盟を組んだとはいえ、いつ敵にまわるともしれない余所の海賊船の船長、それも七武海の一人を載せているとは思えない無防備さ。
そして、もう一人の覇気持ちも確か男部屋に・・・。
海賊狩りロロノア・ゾロ。三刀流の剣士。血に飢えた魔獣。
船長でも能力者でもないくせに、2年前のスーパールーキーの一人に数えられている。
その懸賞金額1億2千万ベリーは、おれに比すべくもないが。
再び扉の開く音がして姿をあらわしたのは、念頭に浮かんだその男だった。
先ほど女が出てきたばかりのドアから。
・・・女の相手がこいつだという可能性は考えもしなかった。
この男とオレンジの女とが、必要最低限以外の接触をするところを見かけなかったからだ。
会話は業務事項の伝達のみ。視線が絡むことも、特別な仲を示すような雰囲気もなく。
いま思えば不自然なほどに。
男はこちらにチラと目を向けることもなく、そのままキッチンに入っていく。
気づいていないのか。
覇気は持ち主の特性が強く反映する能力だ。
攻撃型の剣士ならば、武装色は得意でも、見聞色が発達していないことはあり得る。
と、思う間もなく、男がおれのいる甲板に上がって来た。
腕には一升瓶とグラスが二つ。
・・・妥当な線だ。こいつがおれの目付け役と言うわけだ。
男はグラスを床に置くと、最初から飲む約束でもしていたかのように酒を注ぐ。
「いける口だろ。魚人島の酒だ。悪くねェ」
酔い潰すか、一晩中監視でもする気か。
しかし男は、さっさと自分のグラスをぐいと干して、満足そうに喉を鳴らす。
そして代わりをついだ後、微妙な距離をとって甲板にごろり寝そべった。
グラスに手を伸ばし、ゆっくりと酒を口に含んだ。
たしかに悪くない。
しばらくの沈黙の後、男が口を開いた。
「男部屋で寝ねェのか?」
「・・・いびきがうるさい」
「いつ裏切るかもしれねえ余所の海賊船に一人で乗り込んでくる、死の外科医とあろうものが・・・」
そんなに繊細だとはな。
つぶやくように皮肉を吐く。
「・・・生まれ育ちがいいんでね」
はは、そりゃ失礼。
片眉を上げ鼻で笑いやがった。
黙ったまま酒をすする。
おれのグラスが空くと同時に、男がまた酒を注いでよこした。
自分は手酌で三杯目だ。
疑問に思っていたことがふと口をつく。
「お前、同盟に反対しなかったのは何故だ。
船長の無謀をいさめるのが副船長の役回りだろうが」
男は眉を顰め、苦い顔をする。
「あァ?無謀な同盟とか自分で言うのかよ。船にまで乗り込みやがって。
あの時点でおれが反対して、どうにかなるもんでもねェだろうが」
それはまあそうなのだが。
「それにターゲットは四皇だろ。百獣のカイドウだっけか。相手に不足はねェしな」
好戦的なのは麦わら屋に勝らず劣らずというところらしい。
「それよりも、その剣。野太刀か」
野戦用の長刀。剣士だけあって興味はそちらか。
「・・・まあな」
「接近戦で長い刀は・・・不利だな」
なにを言ってやがる。武器が何であれ、リーチは長ければ長いほど有利。
刀同士ならば尚更。
目を細めたおれの視線には素知らぬ振りで、男は続ける。
「研究所を山ごと斬ったの、てめェだろうが。ありゃ、悪魔の実の能力か?」
最強クラスの武装色の覇気を纏うヴェルゴと、SAD製造装置を斬るための、ルームを発動した上での渾身の斬撃。
「・・・一定範囲内は、すべてがおれの支配下に置かれる。
斬ろうと、焼こうと、お好みのままだ」
だがこいつの聞きたいのはそんなことじゃない。
あれが純粋に、おれの剣の技量を反映しているのかが知りたいのだ。
もちろん教えてやるほど親切ではないが。
剣士としても己が一流であると自覚している。
だが能力者であることを何よりもの前提としている俺は、
剣の道のみを究める、超一流の剣豪となることはないだろう。
たとえば鷹の目や、・・・この男のように。
トンネルに落ちる巨大な岩石を、ハエでも払うかようにあっさり斬り割った男。
こいつには山も建物も、剣技のみで斬る力があるのだろうか。
「そりゃてめェ、詐欺じゃねぇか・・・」
男はぶつぶつ言いながら、自分のグラスを空けてまた継ぎ足す。
おれを酔いつぶす気はないようだ。明らかにこいつの飲むペースのほうが三倍は速い。
「あの、人格入れ替えのやつも能力かよ」
「・・・シャンブルズ」
答えを求めてるわけではないようで、ありゃ勘弁してほしいぜ、とつぶやいている。
こいつは入れ替わってはいないはずだが。
いや、そうか。
「確かに、自分の女が別の男と入れ替わるのは、面白くないだろうな」
ぶっ。
酒を吹き出してむせる男。
「てめェなんで・・・」
図星。
「さっきお前、女のすぐ後で風呂から・・・」
人を射殺しそうな目で睨みつけながら片手を挙げ、黙れというサイン。
そしてここには居ないクルーの名を呼ぶ。
「ロビン。・・・ここはもういいぞ」
と同時に、片鱗すらなかったひそやかな存在が、消えるのに気付いた。
ニコ・ロビン。世界政府から20年に渡り逃げ続けた暗殺者でスパイ。
ハナハナの実の能力者で、体のあらゆる部位を、どこにでも咲かすことが出来るというが。
・・・つまり、気配を完全に消していたつもりのおれには、最初からしっかり見張りがついていたということだ。
たった9人で懸賞金総額8億越えの海賊団。
あまりにものんきな麦わら屋とそのクルーの雰囲気に取り込まれ、油断していたのはおれの方か。
「・・・麦わら屋か黒足屋の女かとおもっていたのだがな」
「・・・おれじゃおかしいかよ」
少し不満気な声。
「いや、言われてみれば納得行く。あの女が本当に航海士だったことの方が驚きだ」
「あ?ログポース腕にはめてんだろうが」
「新世界には、熟練の航海士しかいないんでね」
「・・・あの女の操船見たろ」
「・・・ああ」
にやりと口の端をあげた隻眼の悪人面は、なにかを楽しんでいるかのようだ。
「さっきてめェ、おれを副船長と言ったが・・・。
そりゃ間違いだ。この船に副船長って肩書きは無ェ。
おれは確かに懸賞金額は二番手だが・・・ただの戦闘員だ」
謙遜は似合わない男なのだが。
「強いていうなら、あの女が裏船長ってとこだ。
航海中はあいつの命令が絶対。
それ以外でも、マジになったあの女に逆らえる奴はこの船にはいねェ。
ルフィーも含めてな。
・・・あいつはおれ達の進む道を指し示す、指針そのものなのさ」
惚気か自慢・・・というのでもないようだが。
「お前も尻に敷かれているわけか」
否定もせず、ふんと鼻を鳴らす。
自嘲か。その割には楽しそうではあるが。
「・・・あと、あれがおれの女っつうのも、ちょい違うな」
「なんだ、共有物だとでも?」
「アホか」
「女は女自身のものだとか、しゃらくさい綺麗事を並べる気か?」
考えるのも話すのも苦手そうな男は、言葉を探しあぐねている。
「そんなんじゃねぇ。ただ・・・今・・・
あいつがおれに惚れてて、おれがあいつに惚れてる。
・・・それだけのことだ」
「血に飢えた魔獣と呼ばれる男が・・・、そんなロマンティストだったとは知らなかった」
男は眉間に皺をよせたまま、瓶に残った最後の酒を乱暴に二つのグラスに注ぐ。
三分の二はこいつが一人で飲みやがった。
いい酒なのに。
男は最後の一杯を一気に飲み干すと、話は終わったとばかりに仰向けに寝転がり、目を閉じる。
オレンジの髪の女を思った。
天才的な航海士。その強い眼差し。艶やかな美貌。しなやかな肢体。
麦わら海賊団の指針。
海賊狩りの女。
・・・相手に不足はない。
引き抜いてやろうかという、先ほどの戯れの思いが、明確な意思へと形取ろうとしたとき。
「手ェ出すなよ」
おれの考えを読んだかのような一言。
「・・・自分のものではないと、言ったばかりだろうが。
今、惚れあっていようと、明日どうなるかはわからんのだろう」
いまさら警告かよ。
男の嫉妬は見苦しいぜ、と嘲笑ってやる。
「・・・警告じゃねえ。忠告だ」
やりたきゃ試せ。止める気はねェよ。
ただ、まァ、ミイラ取りがミイラになんなよ、ってだけの話。
「あいつの二つ名知ってんだろ。
・・・魂まで盗られるぜ」
泥棒猫。
既に囚われている男の、自嘲か。最大限の惚気か。
いや、忠告・・・。
「・・・肝に銘じておく」
麦わらの一味と同盟を組んでからわずか一日。
すでに何度目かになる不本意な言葉が、口からこぼれた。
男は既に寝入っている。
狸寝入りでもないようで、豪快な鼾がすぐにひびきだした。
おれを酔いつぶすとか、一晩見張るのがこいつの仕事ではないのだろうか。
おれとの間合いは、ちょうど二刀分。
例えば今、刀を抜き合い、一歩踏み込めば、すでに相手の喉元だ。
だが。
例えばルームを出現させる一瞬、
いや、ただ鞘から普通より少し長い刀身を引き抜く瞬間に、
この眠りこけた男の刀が、おれの首を刎ねていることを、
・・・確信していた。
FIN
|