スクイーズ・ミー!
ぞの 様
朝っぱらから、サニー号は浮き足立っている。
それもそのはず、今日はうちの航海士の誕生日だとかで、ずっとブルックのバイオリンが鳴り響いている。それもバースデーソングばかり。
クソコックはキッチンにこもりっぱなしで、オレが酒をもらおうと扉を開けたらものすごい剣幕で追い出された。
ロビンは花壇に咲いた花を惜しげもなく摘んでいる。花束にするのだとチョッパーが目をキラキラさせていた。
ウソップはというと、昨日の晩からずっと工場本部で天候を操る武器の改良にいそしんでいる。
フランキーは新しい家具を作ってやるんだとか。この船で一番衣装持ちの航海士は、人に貸す金はケチケチするくせに、てめェの買い物には随分と財布の紐が緩い。
「はらへったー! にくー!!」
サニーの先頭でゴロゴロしているルフィでさえ、野生のカンなのか、それともすでに一度地雷を踏んでしまったのか、キッチンには寄りついていないようだ。
「やれやれ……酒はねェし、これじゃゆっくりと昼寝もできやしねェ」
芝の上にあぐらをかき、腕組みをして目を閉じると、心地よい風が通りすぎていく。春島が近いのかもしれない。
波の音、バイオリンの音色と話し声。トンカチの音に肉の焼けるにおい……。
薄れていく意識の奥で、ぼんやりと考える。
あの女のことだ、ルフィはともかくオレにはきっと誕生日プレゼントだ何だと要求してくるだろう。
もちろん、そんなモンあるわけがねェし、もともと用意するつもりもなかった。
どうせ、「ないなら体で払え」とか言ってこき使われるのは目に見えている。まァ、逆らうのも面倒だし、適当にやってやりゃあいつも満足するだろう。いや、後々までネチネチ言われるのがオチか?
「……ったく、人使いの荒い……」
まだ何もされてねェのに、オレは思わずそうつぶやいた。
もはや、口癖のようになってしまったセリフだ。
「ハッピーバースデー!!」
クラッカーの音が鳴り響き、グラスを合わせると、ナミは満面の笑みで「ありがとう!」と言った。
三段のでっけェケーキにはろうそくが立てられている。
「これ、ひと吹きで消せるかしら?」
「ヨホホホ! ナミさん、こうやって肺にたっぷりと空気を入れて……」
そう言って、ナミよりも先にブルックがろうそくを吹き消してしまい、クソコックに強烈な一撃をお見舞いされていた。
「ヨホホ……! 骨身に染みますねえ。私、肺なかったんですけど!」
「ま、いいじゃねえか! ナミ、おめでとうな!!」
ルフィがそう言ってしししと笑うと、ナミもひとつうなずいて笑った。
「よっしゃ! にく、にくーっ!! サンジ、肉くれよ!」
まったく、おめでとうの一言だけで許されるのは、ルフィぐらいのもんだ。
そしてクルーたちが口々に祝いの言葉をナミに投げかける。一人ずつ順番に回ってくるもんだから、オレも言わねェわけにもいかねェ。
期待に満ちた視線を送ってきたナミが、最後にオレと目が合った時にだけ少し複雑な表情をしたのは、どうせこいつは大して祝ってくれねェとかそんなことを思っているからだろう。
「……めでてェな」
頭をがしがしとかきながら、目をそらしてつぶやくと、ナミはくすっと笑って「まあよしとするわ」と言った。
何だ、その上から目線は!
たかだか誕生日ぐれェで大騒ぎするんじゃねェってんだ。そう言ってやりたかったが、楽しい雰囲気に水を差すほどオレだってバカじゃねェ。
近くにあった酒瓶を取り、口をつける。手持ち無沙汰な時は酒を飲むに限る。
……別に、祝う気持ちがないわけじゃねェんだが。女ってのはどうして言葉とかモノがねェと満足しないのか。
まァ、とりあえずの面倒はこれで終わりだ。
後は、どうとでもオレをこき使いやがれ。
「ねえ、ゾロ?」
宴もたけなわ、料理は殆ど食い尽くされ、床の上にはルフィが風船のようになって転がっている。
三段ケーキもほぼ無くなろうとする頃、ナミがほおづえをついてオレの顔を覗き込んできた。
「あァ? 何だ? 祝いならさっき言っただろうが」
酒をあおりながら、横目で見ると、ナミも随分と酒が入っているようで、少し頬を赤くしてオレのことを上目遣いで見ていた。
「誕生日プレゼントは?」
「あるか、そんなモン」
「でしょうねー」
最初からそんなことはわかっている、とナミは嬉しそうに笑っている。
そして、ほおづえをついた姿勢のまま、じっとオレを見つめて言ったのはーー
「じゃあ、ぎゅーってして?」
「はァ!?」
ナミの表情は大真面目で、ふざけているとかそういう感じではなかった。
「ゾロにぎゅーってしてもらいたいの」
「ちょ……ちょっと待て!! お前、酔ってんのか?」
オレと飲み比べてもそうそう潰れないナミが、いくら誕生日で上機嫌だからってこんなに早く酔っ払っちまうとは!
「だってあんた、私へのプレゼント何もないんでしょ? だったらそれで許してあげるわ」
……何なんだこれは!? オレは、試されているのか?
ナミはオレから一切目をそらすことなく、楽しそうに笑っている。何か企んでいる時の魔女の顔ってわけでもねェ。
「それは……ここでやるのか?」
「あったり前じゃない! 他にどこでやるって言うのよ?」
「あ、後でいいだろうが……」
「あんたバカ? いつやるの? 今でしょ!」
「今でしょってお前……!」
ずいっと顔を近づけられ、オレは思わず逃げるように体を離す。
この有無を言わさねェ迫力……どうなってんだ!?
頭の中が真っ白になって、完全に固まってしまったオレに、ナミはどんどん詰め寄ってくる。
とはいえ、こんな全員が見ている前でそんなことができる訳がねェ!
「わりィがオレは……」
そんなのはまっぴらごめんだ。
……それこそ、誰もいねェってんならちょっとは……
そう心の中でつぶやいて勢いよく立ち上がったところで、目の前にドサリとオレンジ色の何かが飛び込んできた。
「ほら、さっさと絞りやがれ、この筋肉バカ!」
大きなカゴに入っているのは……ナミの、みかん。
「せっかくだから、みかんの生ジュースをみんなで飲もうと思って、昨日たくさん収穫したのよ」
そう言ってナミは、オレが抱えているカゴの中からみかんを一つ取り、満足そうにうなずいた。
「ほら、いい色してるでしょ?」
「このクソゴムの船長が、スクイザーを割っちまってな。それなら普段何の役にも立たねえマリモ君に頑張ってもらおうと思ったんだよ……ね〜ナミさん!」
「……は」
みかんを絞るだァ!?
「てめェ! それならぎゅーとかややこしい言い方すんじゃねェ!!」
「何よ、急に怒り出して! あんたが私へのプレゼントがないっていうから、特別にこれで勘弁してあげようと思ったのに!」
「オレはなァ、てっきり……」
「てっきり何よ!」
立ち上がって互いに睨み合いながら、大声で言い合いをしている横で、ロビンが急にくすくすと笑い出した。
「てっきり抱きしめて欲しいって意味かと思ったみたいよ、ゾロは」
しん、と一瞬の沈黙が流れる。
「ヨホホホ! ナミさん、でしたら私が! ぎゅーっと! ぎゅーっとします! だからパンツ見せてください」
「見せるかっ!!」
ブルックがくるくると回りながら近づき返り討ちに遭うと、怒りに燃えたクソコックの蹴りがオレに向かって来た。
「てめえこのエロマリモ! ナミさんにどんな下心発動してやがるんだあっ!」
「ぎゅーって何だ? うまいのか?」
「オレはナミにぎゅーってされたことはあるけどな!」
オレとコックがやり合っているそばで、チョッパーとウソップは我関せずとみかんを手でむいて食べていた。
「オレはみかんジュースが飲みてえ! ゾロ、早くぎゅーってやれ! 船長命令だ!」
「アウ! ジュース製造機なんざ、このスーパーなオレ様の手にかかればあっという間よ!」
フランキーの声でそこにいた全員が注目した先には、四角い箱の中に歯車のようなものが連なっている装置。
「ほら、チョッパー! ナミのみかんを上から入れてみろ」
そう言われてチョッパーがみかんをいくつか入れると、それは歯車に押しつぶされながら下へ下へと流れていき、箱の下からはオレンジ色の液体と、水分を抜かれたみかんの皮がそれぞれ分離されて落ちてきた。
「スゲーッ!! みかんジュースができたぞ!」
チョッパーが目をキラキラさせながら振り向くと、フランキーは得意気にいつもの決めポーズを見せた。
「うんめえええ!」
グラスに溜まったみかんジュースをルフィが飲み干し、飛び上がって喜んだ。
「ゾロの出番はなくなったみたいね」
ロビンはまだ笑っている。
「てめえは用済みだとよ! 出て行きやがれ、このエロマリモが!」
そしてオレはキッチンを追い出された。
「……一体何だってんだ……?」
大体、みかんを絞って欲しいなら、最初からそう言えばいいだろうが! それをナミのヤツ、「ぎゅー」とか訳わかんねェ言い方しやがって!
ごろりと芝に寝そべり、空を見上げると、午後の高い空に大きな白い雲が流れていくのが見えた。
「……ふん、ばかばかしい」
誕生日プレゼント代わりに少しぐらい使われてやってもいいかと思っていたが、そんな気もすっかり失せてしまった。
「ちょっと!」
空を背負って、ナミが視界に現れた。随分と不機嫌そうな顔をして。
「あァ? みかんジュースならもう解決しただろうが……ったく、てめェが紛らわしいせいでこんな騒ぎになったんだからな」
「そうじゃなくて、誕生日プレゼント!」
「だから何が……」
甲高い声が頭の上から降ってくるのが耐えられねェ。
のそのそと体を起こし、頭をがしがしとかきながらナミを見ると、口を尖らせて腕組みをしてオレを睨みつけている。
「……”後で”って言ったでしょ?」
ナミの頬は赤くなっていた。それは、酒のせいじゃねェってことはもうわかっている。
両手を開いて、だけど顔は背けて怒ったように。
「そ、その気があったんなら、ぎゅーってしなさいよ!」
そう言って、ナミは黙り込んだ。
「……”さっき”の”後で”はいつだ?」
オレも立ち上がり、視線はナミとは反対方向に向けて尋ねると、突然両手で顔を掴まれ、無理矢理ナミの方を向かされた。
「今! でしょ?」
少し涙目になったナミの顔がおかしくて、つい笑ってしまったが、腕を引くとナミは何の抵抗もなくオレの胸に飛び込んできた。
「ほら、ぎゅーってしてやったぞ。これで満足したか?」
ナミからの返事は何もなかったが、背中に回された手に力が入ったので、どうやら満足らしい。
やれやれ、と安堵のため息をつくと同時に、オレは来年のナミの誕生日にはアレをプレゼントしてやろうと思った。
ほら、コックが言っていたスクなんとかってヤツ……。
あァ、名前を忘れちまった。
アレだ、アレ。みかんをぎゅーってやる、アレのことだ。
スクイーズ・ミー!
−おわり−
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