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照り返しの強いアスファルトは、暑さに弱いチョッパーには灼熱地獄だった。しかし今はその暑さを感じる以上に体の奥底から冷えてくるようだった。
―――――どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
店を出たが、そこから動くことが出来ず、同じ言葉をぐるぐると小さな体の中を忙しく駆け巡らせていた。握りしめた財布の中に入った金額は何度見ても千円足りない。プレゼントのリクエストを聞き出せたのが間際すぎたのか、それとも我慢できずに先日買ってしまった本のせいか。それともその両方か。原因がなんであれ、足りないことは事実だ。小学生に出来ることなどたかが知れている。急いで家族に借りることくらいしか出来ない。しかし家族が帰ってくるまでには、まだ時間がある。それまであのスペシャル何とかが残っているだろうか。大丈夫だと思いたいが、あの混雑ぶりに楽観は出来ない。もしも買えなかったら…その想像にブルッと背筋に冷たいものが走った。
とにかく早く帰ろう。そう思い駆け出したとき、店から出てきた影にぶつかった。賑やかに響き渡る甲高い金属音の数々が乾ききった路上に広がる。
「ご、ごめんなさい」
足元には中身をばらまいてしまった小銭の数々。見上げた先には高校生が二人。そのうちの一人とぶつかってしまったのだろう。金色にも見える瞳をわずかに細め、静かにチョッパーを見下ろしていた。どう見ても非友好的な態度の高校生に退化して久しいはずの第六感が忙しく点滅した。
「…!」
殺される。真剣にそう思った。この地獄のフライパンのよう熱くなった路上に転がされて自分の人生が終わる瞬間が、目の前で再現されるのが見えるようだった。
視界が涙でボヤけていく。堪えていても止まらない涙を呆れながらも優しく拭いてくれるオレンジの髪の人はここにはいない。
「あの…ずみまぜんでじだ」
鼻水まじりの謝罪に眉を寄せたまま高校生はしゃがみこむと、黙ってばらまかれたままジリジリとした陽光を浴び続ける小銭たちを拾い集めた。
「え…」
その光景に目を丸くしながら意識の端で、高校生の翡翠色の髪が暑すぎる気候をどこか和らげてくれるようだと思った。身動きできずに固まったままのチョッパーの手に握られた財布を取り上げると、大きな掌からチャリチャリと小銭を戻した。目の前の出来事に驚きを張り付けたまま、先程までとは違う意味で動けないチョッパーの小さな手を取ると、財布をポンと乗せた。
「すっころぶんじゃねえぞ」
大きな手でチョッパーの栗毛をわしゃわしゃさせると、おかしな笑みを浮かべて二人を見ていた鼻の長い高校生と肩を並べた。背の高い後姿が視界から消えたころ、
「え…」
半ば呆然と猛暑の太陽が見せた幻のようなその一時は、長いようでもあり、瞬きするほどだったのかもしれない。
「あ、あの…」
人は見かけではないと頭では分かっていても、いま目の前で起きたことを上手く説明することは出来ないだろう。そう言えば自分はきちんとお礼を言わなかった。そんな大事なことが出来ないほど動転していたことに顔が赤らむ。
「…ダメだなあ、おれ」
恥ずかしさと安堵感がごちゃまぜになり、目の奥がじんわり熱くなる。それを誤魔化すように何度も瞬きをし、キョロキョロと丸い目で周囲を見渡した。拾ってもらえたが、それでもいくらか無くしたかもしれない。そう思って財布を開けると
「あれ?」
見覚えのない明治の文豪の紙幣。最初から入っていたのだろうか。そんなことはない。何とかして買えないかと、ショーケースの前で何度も確認したのだから。キツネにつままれたような事態に呆然とするチョッパーの耳に甲高い店員の声が届いた。
「本日のスペシャルオレンジケーキ、残り2台になりました!」
弾けるように飛び上がると、店内に駆け込んで声をあげた。
「買います!オレンジケーキ、下さい!」
***
学校へ戻るウソップと練習に行くゾロ。分かれ道に差し掛かり、じゃあと踵を返そうとするゾロに
「しっかしおまえ、悪いやつだなぁ」
目ざといウソップに、やはり見られていたのかとそっぽを向いた。
「いたいけな小学生を混乱させるなんて、ほんとーーーーにひどい奴だ。そんなおまえにはこのウソップ様が、インターハイ制覇してしまう呪いをかけてやろう」
ニヤニヤ笑うウソップに片方だけ口角をあげてニヤリと笑い返し、笑いをこらえるウソップのドレッドヘアを軽く押しやった。
その晩、髪と同じ色で彩られたケーキに歓声をあげて優しくヘイゼルの瞳を揺らして礼を言う人に「すっごいヒーローが現れたんだよ」と、エッエッエッと楽しげにチョッパーが笑ったと言うのは別の話。
…… attacca
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