間接キス


                                panchan 様


ちょっと頼みたいことあるんだけど、とナミに言われて、ウソップにそれを断る選択は許されていない。彼は元来頼られるのがキライじゃないタイプだし、むしろ人の頼みを聞いてやるのに嬉びを感じるタイプでもある。だがナミはたまにとんでもない無理難題を吹っかけてくるので、そこがいつも彼としては要注意なのだ。もし引き受けるのを渋れば、彼女が使う手は決まっている。借金減らしてあげるからとか、私とあんたの仲じゃないのとか。表面的には媚びるようなことを言いつつ、そこでわかったと言わなければ最終的に拳骨で有無を言わせず、というのが大体のパターンである。

そんな訳で、風呂から上がったウソップはナミに言われた通りにダイニングへと向かった。ドアを開けると、一人大きなダイニングテーブルに向かっていたナミが、来た来たと言わんばかりに振り返りニヤリとする。

「結構早かったわね」
「そうか?まあおれはまだ、しょっちゅう風呂に入ってる方だしな」

首に掛けたタオルで、まだ濡れてる髪を絞る。

「ねえ、あいつらって、入った時にはちゃんと体洗ってんの?」
「いや〜ゾロは普通に洗ってるけど、ルフィは遊んでるだけでほとんど洗ってねえ」
「やっぱりね〜」

話しながらウソップはキッチンに向かい、渇いた喉に何か流し込もうと冷蔵庫の扉に手を掛けた。しかし鍵がかかっていて開かない。サンジだ。仕方なく食器棚からグラスを取り、蛇口を捻って水を入れ、ゴクゴクと飲む。

「にしても、私なら一週間もお風呂に入らないなんて絶対耐えらんないわ」

ナミが顔を顰め、両腕をクロスして剥き出しの二の腕をさする。まあそうだろうなあ、とウソップは思う。自分だって一週間も風呂に入らないとさすがに頭は痒いし体もベタベタしてきて嫌になる。かと言ってナミみたいに、毎日入って髪も洗って、なんてことは面倒臭くてしたくない。

「んなことより、おれに頼みってなんだよ」

あ、それそれ、とばかりにナミが視線を上げた。

「イヤちょっとこれを直してもらいたくて」

テーブルの上に置かれているのは、開いた日誌と、氷の浮いた琥珀色の液体が入ったグラスと、分解して並べられたナミの武器、クリマタクト。

「クリマタクト、どっか調子悪いのか?」
「うん。こないだ変な音がして、それからどうも調子がおかしいのよ」
「へえ」

ウソップはナミの向かいに座り、分解されたクリマタクトの一本を手に取った。

「おお、結構筒が変形してんじゃねえか」
「そうなのよ」
「お前もなかなかの馬鹿力になったよな」
「誰が馬鹿力よ。馬鹿力ってのはあいつらみたいなのを言うんでしょ。こんな乙女に向かって失礼なのよあんた」

乙女というよりは魔女だろ、と思いながらウソップは立ち上がりソファの下から工具箱を取り出す。そして席に戻って一本一本筒を覗き、どう調子が悪いのかナミに聞きながら、不具合の原因を調べる。そしてある程度原因の目星がついたところで彼が本格的にクリマタクトの修理を始めると、彼女は向かいで静かに日誌の続きを書き始めた。遠くの方ではまだ風呂ではしゃいでいるチョッパーとルフィの声が響いている。

「あいつら、まだ騒いでんのね」
「ああ、泳げねェモン同士でどっちが長く潜れるか対決やって、すんげェ盛り上がってたからな〜」
「まったく、バカなことばっかりやってんだから」

いや最初に提案したのは自分なんだけど、と思ったが、そのことは言わない。そして他愛ない会話をしながら、ウソップはカチャカチャとクリマタクトをいじり、ナミは日誌にペンを走らせる。そこへガチャリとドアが開き、誰かがダイニングに入って来た。

「あ〜あっちィ……」

のそりと姿を現したのはゾロだった。風呂上がりで暑いのだろう、首に掛けたタオルで額を拭きながら、上半身は裸だ。彼もウソップと同じ様にキッチンへ向かうと冷蔵庫を開けようとしたが、開かなかったためチッと悔しそうに舌打ちを漏らした。それを聞いてプッとナミが吹き、つられてウソップも笑いを漏らす。

「オイ……お前らそれ、何飲んでんだよ?」
「おれは水」
「私はサンジ君が置いてってくれたお酒」

なるほど。サンジの奴、風呂行く前にナミには酒を出しといたのか。さすが女への対応は抜かりない奴。そして風呂に入る間は鍵まで掛けとくなんて。確かに、この船にはとんでもない食欲魔人やら底なし酒豪が生息しており、そいつらに自分のテリトリーを荒らされる心配をしてたら、ゆっくり風呂にも浸かってられないのだろう。この船で食料を預かるってのは大変だな、なんて同情してたら、いつの間にかその底なし酒豪がテーブルの方へとやって来て、フラリとナミの横に回った。そしてナミの体に被さるようにして手を伸ばしたと思うと、ごく自然に前にあったグラスを取って、口に運んだ。

「…ちょっと!」

ナミが真横に来た顔に非難の目を向けたが、ゾロは悪びれもせずに酒を飲み、口に入った氷をガリッと噛む。そしてゆっくりグラスをテーブルに戻し、その手をナミの肩にポンと置いた。ナミは体を捻って筋肉の割れた脇腹をバシッと叩いたが、その反撃に「いってェ」と言ってゾロは笑い、氷をガリガリ言わせながらそのままダイニングから出て行ってしまった。

「……まったくもうあいつは」

言いながら、半分怒って半分呆れたような溜息を零したナミを見て、急にウソップの胸がドキドキとざわつき始める。

「なあ」
「何よ?」
「なんか、お前らってさあ」
「なに?」
「いやなんっつーか……まさかとは思うけど、実はデキてたり〜なんてことは、ねェよな?」
「はあ?」

何を言ってんのこいつ?とばかりにナミがその形のよい眉を顰める。

「いやだってよ、あいつさっき、スゲェ自然にお前のやつ飲んで行かなかったか?」
「いや、あれは単にあいつが酒に目が無いだけでしょ」
「そうかなあ」

確かにゾロが無類の酒好きなのは間違いない。だけどなんかそれだけじゃない、さり気ない中に漂う親密さが、ウソップをドキッとさせたのだ。

「もしあんたのが水じゃなくてお酒だったら、そっち飲んでたかもよ?」
「……どうだか」
「え、ちょっと、本気で疑ってんのあんた?」
「だってよ……いやマジでどうなんだよ?」

絶対に誤魔化しは効かんとばかりにウソップは真っ直ぐナミの目を見る。そんなウソップの視線を受けて、ナミが急にフッと目を細めた。

「案外鋭いのね、あんた……」
「へっ?!……てことは、やっぱり!?」

うわっ!マジでこいつらデキてたのか!と驚きに飛び上がりそうになった瞬間、一言。

「なーんてね!」
「はあっ?」
「そんな訳ないでしょ。冗談冗談」
「冗談だとお?!」
「そうよ。私とゾロがデキてるなんて……そんなのあるわけないでしょうが」
「い、いやいやいや!さっきのお前らは、間違いなくただなら〜ぬ感じに見えたぞ!」
「ただならぬってなによ」
「ただならぬ関係、それはつまり、そういう関係ってことだ!」(ビシッ!)
「そういう関係って何?」
「そういう関係ってのはそういう関係だよお前……わかんだろ?みなまで言わせんな」
「なによ、それって私とゾロがヤッてんじゃないかって言いたいの?」
「いや、そ……そんなハッキリ言わないでもらえます?おれは別に、そこまでのつもりは…」
「じゃあ何?キス?」
「あーはい、そうですね、キスとか…」
「キスならしたことあるわよ」
「へっ?」

さらりと放たれた爆弾発言にウソップが大きく目を見張る。

「マジか……」
「うん、酔った勢いでね。でも別にそんなの大したことじゃないわよ」
「…………」

それって本当に大したことじゃないのだろうか。その事実を聞いてしまった、ウソップの方が妙に焦る。

「いやそれってよ、そっから意識しちまったりとか、ないのか?」
「ないわよ」
「お前はないと思ってても、ゾロは違うかもしれねェぞ?」
「あいつもなんとも思ってないわよ、そんなの」

うん、まあゾロもあんまり気にしそうなタイプではないが……。
それにしても、宴ではいつも自分はお気楽に飲んで騒いで酔っ払って、早くに意識を失って脱落しまうから、自分が潰れた後にそんな大人な時間がくり広がっていただなんて、この船にはまだまだ自分の知らない世界があったのかと、ウソップは不安を感じると共に怖いもの見たさみたいな興味が湧いて来た。

「なあ、それって何回もあんのか?」
「一回だけよ。何回もあったらさすがに意識しちゃいそうじゃない」
「なるほど……いつしたんだ?」
「いつか忘れたわよ。多分メリーの頃だったと思う」
「ふーん……じゃあゾロ以外の奴とは?」
「ゾロ以外って?」
「例えばサンジとか」
「うーん、サンジ君とはないわね」
「でもあいつ、いつもあんなにお前に好きだ好きだ言って尽くしてんじゃねェか。酔って迫ってきたりとかはねェのかよ?」
「サンジ君って、案外酔っても強引に迫ってきたりしないわよ。ナミさんチュ〜とか言って唇尖らせてきたりするけど、どうにもノリが冗談ぽいっていうか。だからサンジ君とはないわね」
「ふーん……あとはじゃあ、ルフィは?」
「あんたね……ルフィよ?」
「……ないか」
「あるわけないじゃない」
「だよなあ……じゃあフラ」
「フランキーとブルックも無いわよ、もちろん」
「てことは、やっぱゾロだけかよ」
「うーん……あ、チョッパーともあるわよ?」
「いやチョッパーは人間の男としてノーカウントだろ」
「えーそうなの?」

天井に視線を巡らせたナミが、ウソップの方に視線を向けた。

「あ」
「え?」
「もう一人いるじゃない」

肘をついて頬杖を付き、真っ直ぐ見つめながらそう言われて、思わずドキリとする。

「でもあんたとは無いわね。キス以前にその鼻が邪魔で絶対に笑っちゃう」
「うぉい!」

まあわかっていたけれども。人間の男ではあっても、男として見られていないのだということは。

「お前な、おれだってお前となんか出来るかよ!おれには心に決めた女がいるんだからな!」
「わかったわかった。カヤでしょ、はいはい」

笑いながら言うナミを見て、ウソップは不機嫌に唇を尖らせる。

「だからおれのことより、お前とゾロの話をしてんだよ。一体何がどうなってキスしたんだよお前ら」
「え〜、そんなのもう忘れたわよ」
「キス一回いくらとか、お前が金取るために無理矢理騙し討ちしたんだろ、どうせ」
「ちょっと、なんで私が無理矢理そんなことしなきゃなんないのよ、勝手に決めつけないでよね」
「じゃあどういう流れでキスしたんだよ?」
「えっと……確か二人で飲んでて、我慢比べをして」
「我慢比べ?」
「そう。お互い顔を近づけて行って、先に耐えられなくなってそらした方が負け、っていう」
「あ〜なるほど。それで負けず嫌いのお前らだから、二人とも最後までそらさずにキスしちまった、と」
「うーん……それがちょっと違うのよね」
「は?どう違うんだよ?」
「いや私がさ、最後の最後に顔をそらしちゃったんだけど」
「ほう…」
「そしたら、負けた罰に、キスされたのよ」
「は?…………それって……」
「あいつに負けるなんて最悪じゃない?」

いや、気にすべきポイントはそこじゃない、とウソップは心の中で思わずツッコむ。

「もう一回勝負してよって言ったんだけど、一度決まった勝負にもう一回はねェ、とか言ってさ〜あいつ。ムカつく」
「じゃあゾロの方からしたってことか……」
「でも私への罰としてよ?」
「……つーか、そもそもなんでそんな我慢比べしようっていう話になったんだよ?」
「そんなの覚えてないわ。その時は酔っ払ってたんだもん」
「酔っ払ってたねえ……」

ゾロの奴、酒に酔っての我慢比べとはいえ、一度はキスしておきながら特に意識することもなくあんなにも自然にナミと近づいていられるとは。そこはウソップとの経験値の差ってやつなのか、それともやっぱり単なる単細胞なのか。自分なんてさっきちょっとドキリとさせられただけで、テーブルに腕を付き身を乗り出しているナミの、白いキャミソールの胸元から溢れそうな胸とか、剥き出しの二の腕とか、乾き切ってない髪とかが妙に生々しく思えて目のやり場に困ってるってのに。

「……なあ」
「ん?」
「もし今後、ゾロとルフィとサンジ、その誰かと恋仲になるとしたら、お前は誰を選ぶ?」

ナミが驚いたように目をパチクリとする。

「私はあいつらの誰とも恋仲になんてならないわよ?そういう面倒なのより、今みたいな関係でずっと仲間でいる方がいいもの」

そう言うと、彼女は細い指でグラスを掴み、口を付けて残った酒を飲んだ。
ウソップはそれを見ながら、こんな間接キスみたいな関係がいつまでも続けばいいんだけどな、なんて漠然と思った。




end





<管理人のつぶやき>
ゾロとナミのさりげない行動を見て、ウソップが「こいつらデキてんな」と思うのは当然だと思いました(マル)。追及すると、なんとマジでキスしてたことが判明!しかもしかも、ゾロの方がヤル気な感じで。間接キスだけで済む間柄でいられるのはいつまでのことやら・・・^^。

【eternal pose】のpanchan様が投稿してくださいました。素敵なお話をどうもありがとうございました^^。




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