ココヤシ医院の事情4  −2−

                                四条



「ちょっと、ノジコ!」
「いいじゃない。ビビもここに来て半年なんだし。そりゃあの写真が誰なのか気になるでしょうよ。」

そんなやりとりを見ながら、ビビはそうか、やはりナミにもそういう人がいたんだ、と思った。
ビビが見るところ、ナミには恋人がいる様子が全然無い。
診察時間は午前が9時から12時。午後が5時から8時。
12時から5時までは自由時間だが、食事やら研究やらしているらしく、あまり外出してないようだ。
もっとも、ビビは午後だけのバイトだから、日中にナミがどうやって過ごしているのか詳しく知っているわけではないのだが。
診察時間外の時に女の子同士の会話みたいになって、恋人は?と尋ねたことがあったが、「仕事が恋人なのv」とサラリと交わされてしまった。
でも、一方でそれは当たっていて、婚約までした恋人を亡くしたナミの精一杯の虚勢なのかもしれない・・・・。
ビビは物思いに沈んだ。

「ところで、用向きは?名刺を出したってことは当然ビジネスですよね?」

気を取り直してナミがサンジに尋ねる。

「ああ、そうでした。本題を忘れるところだった。あのさ、ナミさん、フーシャ町の再開発ビルは知ってる?」
「知ってます。都市計画道路に引っかかった街区で建設中のビルですよね。」
「そうそう。今そこのビルのテナント探しを手掛けてるんだ。」
「・・・・まさか私にそこへ入れって言うんじゃないですよね。」
「それ!そのまさかだよ!そのビルの2階をさ、『メディカルモール』にするっていうのがそのビルの売りなんだ。」
「メディカルモール?」
「そうそう。」
「って、なに?」

ナミがきょとんとした表情でサンジに問い掛けた。
もちろん、ビビもノジコも同様の反応である。
ガクッとサンジの身体がかしいだ。

「そうか、やっぱりあまりも馴染みがないか。メディカルモールっていうのはさ・・・・」

サンジはいつも人にそうしているように、朗々と説明を始めた。
「メディカルモール」とは一言で言うと、お医者さんの商店街だ。
一本の通り沿いに、内科、外科、小児科、産婦人科、皮膚科、眼科、耳鼻科、歯科、精神科・・・・が並んでいると思えばいい。
それではたくさんの科がある総合病院や大学病院みたいなものかというと、そうではない。
総合病院と違い、メディカルモールのお医者さん達はみんな個人経営だ。それぞれが一国一城の主の開業医。
そんなお医者さん達が集まって意味があるのか、というと意味がある。
個人経営の医院にはスペースの悩みがある。
限られた小さな医院の中に、診察室や処置室、待合室、薬局を揃えなくてはならない。
それがメディカルモールになると、診察室や処置室はともかく、待合室、薬局を集約することができる。
待合室と薬局をみんなで共有するのだ。待合室で待ってる患者さんは呼び出されて各科の診察室に向かう。
科での治療が済むと薬の処方箋を貰い、今度は薬局へ行く、という仕組みだ。
場合によっては、レントゲンやCTスキャンなどの特殊で高額な大型の医療機器を共有することもできる。
患者さんにとっては大学病院に来たような何でも診てもらえるというメリットがあり、お医者さんにとっては一国一城の主の立場を守れ、スペースを有効活用できるというメリットがある。

「なるほど。」
「内科、整形外科、皮膚科、歯科・・・・と集めたんですがね、あとスペースがもう一室空いているので、そこを何とかオープンまでに埋めたいんですよ。」

ナミは、今や一緒にコタツに入っているビビと顔を見合わせた。

「つまり?あと残りは耳鼻科で埋めようってこと?」
「ま、有力候補の一つです。マーケティング調査をしたところ、このビルの周辺に一番近い耳鼻科がこのココヤシ医院でね、それ以外には無いらしい。でも耳鼻科を招ぶとなると、ココヤシ医院と競合するでしょう。だったら、いっそナミさんにどうかと思いまして。」
「競合すると、ウチが負けるってこと?」

これには無言で答えるサンジ。

「いや、正直言って色々コネを伝って探したんですが、後はもうナミさんしか思いつかなくて。」
「私にフーシャ町へ移れと・・・・。」
「移ると言っても隣町で、ここから10分くらいの距離だから、現在通ってきてる患者さん達も十分通えるし、悪い話ではないと思うんです。フーシャ町は新しい道路ができて以来、人の往来が増えて賑やかになってきましたよ。マンションが建って人口も増えてるし。地価が下がって郊外からの都心回帰現象が起こってて、高齢者世帯も子育て世帯も多い。それに何よりも『メディカルモール』には広い共同駐車場がある。ここは駐車場が無いでしょう。今の時代、駐車場が無いのはキツイと思いますよ。」

うーんと再度ナミはビビと顔を見合わせた。
以前、患者さんに「駐車場が無くて不便だ」と言われたのを思い出したのだ。
ナミ自身は今さら言っても仕方のないことだと考えているが、他の患者さん達も内心はそう感じているのかと思うと、正直心が痛む。

「それにこの辺の商店街の衰退は酷い。どんどん人口が減少してるし、それなのに出て行く人は小金持ちなせいか、土地を売りに出さない。だから、空家や空き店舗がそのまま塩漬けにされている。こんな状態ではこの町に未来は無い。」

そうまで言われると、なんだか自分達がとんでもない場所に取り残されたような気分になってくる。
その後、サンジは色鮮やかな『メディカルモール』のPRパンフを開いて、その施設の特色や特典を熱心に説明を始めた。

綺麗な新築のビル。
最新の設備。
落ち着いた内装。
暖かく柔らかな照明。
広々とした廊下。
ゆったりとした待合室。フカフカ(そうな)のソファ。
コーナーには季節の花々が飾られたりして。
賑やかな街の真ん中に建っていて、仕事帰りにもショッピングが楽しめるかもしれない。

翻って今は。
雨漏りする建物
老朽化した設備。
所狭しと散らかった院内(いや、これはナミが整理整頓ベタだからだが)。
すし詰めの待合室。
痴漢に遭いそうな寂れた通り。。

ビビは、サンジのこの事業に賭ける熱意に心打たれたし、また説明を聞いている内にこれほど素晴らしいところはないとまで思えるようになってきた。

「ナミ先生!すごくいいお話じゃないですか!」

すっかりサンジのシンパになってしまったビビが言う。
ナミは豹変したビビを少し呆れたように見ながら、冷めた声で口を開いた。

「ここまで説明してもらって悪いんですけど、私はここから離れる気なんてサラサラ無いんです。」
「でも、この家、借家なんでしょ?」
「借地よ。建物はうちのもの。」
「失礼しました。借地にしても、同じ賃料払うなら、実入りのいいところで払えばどうです?」
「ひいおじいちゃんの代からここに住んでるのよ。かけがえのない私達の家だわ。借地料も昔からのものだから、他所より破格に安いし。それに、この医院の歴史は半端じゃないのよ。それこそひいおじいちゃんの代からココヤシ町で耳鼻科をやってるんだから。4代目の私が『ココヤシ耳鼻咽喉科』の名前を捨てるわけにはいかない。それに・・・・。」

ナミは何かを言いかけて口を噤んだ。

「『ココヤシ』の名前はそのまま持っていけばいいじゃないですか。ココヤシは植物の名前だし、別に町名だってことを意識しなければいい。それに、そう早く結論を出すことは無いですよ。ただ、ちょっとでもいいから考えてみてほしいんです。」
「考えるまでもないわ。サンジさん、時間の無駄よ。他の知り合いの耳鼻科を紹介するから―――」

ナミの言葉をサンジは手で制した。

「断りたければ、遠慮なく断ってくださればいいですよ。でも、一度うちを見に来てくれませんか。そして率直な感想を聞かせてほしいんですが。」
「え・・・・。」
「ね?ぜひお願いします。実は外部の専門家の意見は喉から手が出るほど欲しいんですよ。でも、信用できない人には頼めないし。これは昔馴染みの友人として是非お願いします。」
「ずるい。そんな言い方されたら断れないじゃない・・・・。」
「ハハハハハ。本当に頼りにしてるんですよ。」
「分かったわ。見に行くだけだからね?」
「ありがとうございます!あ、もちろん、お姉様もビビちゃんも一緒にね。」
「え?いいんですか?」
「もちろん!可愛い子が二人も来てくれたら幸せだぁ。」

そんなことを言いながら、サンジは上機嫌に去っていった。

「なんだか、疾風(はやて)のように現れて、疾風のように去っていかれましたね・・・・。」

ビビの率直な感想に、ナミは苦笑いする。

「ナミ、どうする?」
「どうするって、とりあえず頼まれたから見には行くけど。」
「で、もし良かったら、移転を考えてみる?」
「まさか!どんなに良くったって、ここからは動かないわよ。」
「でも、ここもだいぶボロがきてるからねぇ。床板を踏み抜くとか、天井が落ちてこないか心配だよ。」
「直せばいいのよ、直せば。だってここはベルメールさんから受け継いだ病院だよ?」

―――移れるわけないじゃない

「それもそうだね。」
「さ、もう二人とも帰らないと。9時半過ぎてるよ。なんならタクシー呼ぶけど。」
「いいよいいよ。私とビビは家が同じ方向だからね。楽しくおしゃべりしながら帰るよ。」



***



暗い夜道を、ビビは自転車を押しながらノジコと一緒に歩いていた。
いつもはノジコの方が少し早めに上がるので、あまり帰り道で一緒になったりしないのだが、今日は思わぬ客人のために、一緒に帰ることになった。

「サンジさんは、いつ頃からのお知り合いなんですか?」
「うーんとね、2年前かな。ナミも言ってたけど、その時は大手ゼネコンの営業マンだったのさ。」
「そうなんですか。」
「2年前にベルメールさん・・・・母が亡くなって、ナミがこの医院を継ぐことになったんだけど、その際に外壁のペンキを塗り直したりしたんだ。その時、ゾロが彼を助っ人に呼んで来てね。」

また出てきた、ゾロという名。
気になりつつも、別の質問をする。

「サンジさんは、どうして前の会社は辞めてしまわれたんですか?」
「ノルマが相当厳しかったらしいよ。大手だし、彼は優秀だったから、その分ノルマも多く与えられて。それで体を壊しちゃってね。ああ見えて繊細な人なんだよ。それから、やっぱりあの事故がショックだったんだろうね・・・・。」
「事故?」
「うん、ゾロの、ね。」
「あの、ゾロ・・・・さんて、」

そこまで言って、ビビは少し逡巡した。
聞いてもいいのだろうか。立ち入り過ぎだろうか。

「ゾロのこと、知りたい?」

ノジコも察した様にビビの顔を覗き込んで訊く。
ビビは素直に頷いた。





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