3月 clescendo - PAGE - 1 2 3 4 |
2 夕闇迫る高速道路を、RV車が疾駆する。車線の両脇を取り巻く防護フェンスが、飛ぶように視界の後方へと流れていく。 ヘッドライトが走行車線脇に立つ標識を照らし出すと、下りるべきインターチェンジが近づいていることを示していた。 あと1km。 ようやく、長かった取材旅行の終わりが近づいてきた。 「はぁ〜〜、強行軍だったけど、最後行った梅の谷は、すげぇ綺麗だったなぁ・・・・。」 助手席に座るウソップが、どこかうっとりとした視線を彷徨わせて呟いた。 ハンドルを握るゾロも無言で同意する。 雪の多さのせいもあってか、今年は随分と梅が遅咲きであったらしい。 いつもならもう見頃は過ぎてるんですよ、という旅館の女将の声が耳に残っていた。 旅行記事を手掛けているのだから、もう何度となく様々な花の見頃を見てきたつもりだ。しかし、今日の梅の谷は最近見たことが無いほどの美しさだった。 山肌を一面覆う梅の木々。白、桃、紅の梅の樹は一斉にその花弁を開き、谷全体を桃色に染め上げている。その光景は見ているだけで、心が洗われるような気がした。 中でも、一本の紅梅に目が止まった。桃色とは違う、非常に濃い紅(べに)の色。 白梅が咲き乱れる中、気高く咲く一本の紅梅の樹は、まさしく「紅一点」といえた。 ウソップはその紅梅をいたく気に入ったようで、しきりにそれを捉え、様々なアングルでカメラのシャッターを切っていた。 ゾロが、カメラマンであるウソップとコンビを組んで取材旅行をするのはもう何度目だろう。下手すると、今の生活の中で一番時間を共に過ごしているのがウソップかもしれない。 取材中は常につかず離れず。宿の部屋も食事も一緒。外湯であれば、風呂も共に入る。 カランに並んで身体を洗っていると、美味いモンばっかり喰って腹が出てきた気がすると、ウソップが心配気に腹をさすり、次にはゾロの腹をジッと見据え、お前のはなんでそんなに引き締まってるんだ!と怒り出したりする。 普段の鍛え方が違うんだよと、心の中では呟くが、応えるのも面倒なので大抵は聞き流す。 一方で、取材とはいえ、分不相応に美味しいものを食べ、いい宿に泊まっているという自覚はある。しかも会社の経費で。 しかし、そういう贅沢と引き換えにするかのように、取材旅行の日程はハードを極めた。 今回の取材の日程を決めたのは担当編集者なのだが、「ちょっとお前、コレ自分で回ってみろ」と思わず言いたくなるような日程を平気で組んでくれた。しかも、不思議なことに奇跡的にもギリギリ回れてしまったから、文句を言おうにも言えないところが余計に腹立たしい。 もちろん、この編集者を背後で操っているのはあの、葉巻を咥えた編集長であることは明らかだ。最低限の経費で最大限の効果を狙っているのに他ならない。 そんな強行軍の取材旅行ではあったが、最後に見た梅の谷で、少し救われた気がする。 インターチェンジを下りて一般道に入ったところで、ゾロはウソップに尋ねた。 「出版社、寄っていくか?」 「いや、明日出直そうと思ってる。ゾロは?」 「俺は明後日、スモーカーに呼ばれてる。」 「じゃぁ、今日はゾロは直帰か。」 「いや、この車を返しに行かにゃならん。」 「ああ、サンジに借りてるんだったな。」 ゾロ達が今乗っている車は、濃紺のレクレーショナル・ビーグル。これの所有者は、ゾロでもウソップでもなく、サンジだった。 取材旅行を始めたばかりの頃はレンタカーで動いていたが、回を重ねるごとに手続きが面倒になって、一度サンジの車を借りてその楽さに味をしめてからは、もっぱらサンジの車を借りるようになってしまった。 借りる際に、ウソップもゾロと一緒によくサンジの店にまで顔を出すものだから、それでウソップとサンジも自然と馴染みの仲になった。 「サンジといえば、ゾロのコラムのおかげで、店の売上が伸びたんだって?」 今月号のゾロの持ちページであるコラム記事で、サンジの家業のレストランを扱った。 ネタに困っていたわけではない。サンジに書いてくれと頼まれたわけでもない(死んでもヤツはそんなことしない)。たまたま書く気になって書いてみた。 しかし実際書いてみると、まるで自分の持ち物を自慢しているようで、気恥ずかしいことこの上なかった。この原稿にスモーカーが目を通した時の、ゾロをからかうような目つきを思い出すと、もう二度と身内ネタは書くまいとゾロは思った。 それでも、あの記事で店にはそれなりの反響があったようで、サンジの父親であるオーナー・ゼフから、直接に謝礼の電話が掛かってきたほどだ。 「ウソップ、今夜これから空いてるか?」 「なんで?」 「いや実は、バラティエで奢ってくれるんだと。記事の礼をしたいんだとよ。いつでもいいから来いと言われてる。それなら、あの記事の写真撮影はウソップだから、お前も今夜ついでにどうかと思って。」 サンジの店――正確にはゼフの店だが――は、「リストランテ・バラティエ」という。 最近意図せず美食家になってきた、ゾロとウソップの舌をも唸らせるほどの料理を出すイタリア料理店だ。 「すげー魅力的な話だが、残念ながら、今夜はダメなんだ。」 そう言う割りに、ウソップの顔は少しも残念そうには見えない。 むしろ、ウキウキとしている。 「実は、この後・・・・・・へへへ。」 「なんだよ?」 「彼女と、待ち合わせしてるんだ。」 「彼女ーー!?」 さしものゾロも驚いて、運転中であるにもかかわらず、顔をウソップの方に向けた。 前、前を見ろ!とウソップにうながされたものの、驚きの表情は顔に張り付いたままだ。 「どうやって、」 出会ったんだ?と聞いた。さりげなくを装ったが、どうしても声が上擦る。そんな立ち入ったこと聞くのもどうかと思うものの、やはり好奇心がもたげて聞かずにいられない。 「前にも会ったことある娘だったんだけどさ、それ以降は音信不通で。でも忘れられなくて、2ヶ月前に思い切って会う約束したんだ。そしたら、向こうも俺のこと忘れられなかったって・・・・・。それからちょくちょく会うようになって、この前ようやく付き合おうって言えたんだ。」 鼻の下を人差し指でさすりながら、照れた表情でウソップはその一部始終を語った。 しかし、ゾロの目から見たウソップは、どこか誇らしげで、以前には無かった男らしさが備わったように見えてならない。 ウソップは、ゾロよりも2歳も若いのに、何をそんなに焦っているのか、早くから恋人を作ろうと躍起になっていた。 ゾロは数合わせでしか行ったことのない合コンにも積極的に参加していたし、折りに触れて「誰かイイ娘を紹介してくれ」と周囲にもアピールしていた。とにかく、常に恋人を作ろうと、前向きにコツコツと努力してきた。 それが、ようやく実を結んだのだ。 「お前、よくやったなぁ・・・・。」 ウソップのこれまでの努力を知っているだけに、自然と感嘆の声が漏れた。人間努力すれば必ず報われる、その見本を、目の前にしているような気持ちだった。 まぁな、と嬉しそうに笑って、ウソップは頭を掻く。 その後ウソップは、どうやって彼女を口説いたか、これからどんなデートをしていきたいかについて語り、「彼女見たいか?」と言って、見たいとも見たくないとも言わないうちに、ゾロは携帯の待ち受け画面になっているウソップの恋人と対面することになった。笑顔の優しい、プラチナブロンドの女性だった。 ウソップのあまりのはしゃぎように、頭の中に花が咲いたのかと思った。 それで思わずポツリと漏らしてしまった。 「・・・・誰にでも、春は来るんだな。」 「なんだゾロ、馬鹿にしてんのか?」 「いや、純粋に感心してんだって。」 「もしかして、ゾロには来ないと思ってるのか?心配すんなって!この俺様にも春が来たんだ。ゾロ君、キミにもいつか春が来るだろう〜!」 「・・・・・・・・。」 「わ、悪い!怒ったか?!」 ゾロが急に黙り込んだので、調子に乗り過ぎたかとウソップが慌てる。 「だいじょーぶ!ゾロにもすぐできる!ゾロなんて、ちょっと本気出せば、その辺の女の子だったらイチコロだぜ!!」 ウィンクして親指を立ててまで励ましてくれるウソップに、ゾロは苦笑いを浮かべた。 今は仕事が充実しているし、これからやりたいこともあるし、特に恋人を欲しいと思ったこともない。 しかし、ウソップがその話題に触れた時、脳裏でオレンジ色の影が揺らめいたのも、事実だった。 夜。アパートで原稿書きに疲れた時などに、明かりの灯った向かいの窓に目を向ける。 きっちりと閉じられたオレンジ色のカーテンの向こうで淡く動く人影は、幼い頃見た幻燈の影絵のよう。 それをぼんやりと眺める。 やがて明かりは、ゾロが寝る時間よりも早くに消える。 その生活は、ゾロと違ってずっと規則正しいようだ。 明かりが消えたら、ゾロは再びパソコンに向かってキーボードを打ち始める。 今夜帰ったら、向かいの窓の明かりは、灯っているだろうか。 ウソップを、恋人との待ち合わせ場所近くの場所で下ろした。 「悪いな。またそのうち。サンジとオーナー・ゼフには、よろしく伝えといてくれ!」 バタンと助手席のドアを閉め、大きく手を振りながら、爽やかな笑顔を残して、ウソップは去っていった。 それを見送って、ゾロはふぅと溜息をつく。 実は、ウソップにサンジの店までのナビゲーションを期待していたのだ。 しかし残念ながら、その夢も儚く潰えた。かくなる上は、自力で行くしかないのだが・・・・。 この車にはカーナビがついてはいるが、以前その指示音声のあまりのうるささに腹を立て、思わず機械をぶっ壊してしまいそうになったことがある。それ以来使ったことがない。 果たして、自分は無事バラティエまで、辿り着けるのだろうか? ♭ ♭ ♭
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