3月 clescendo - PAGE - 1 2 3 4 |
3 大きな茶色い瞳を目一杯開けて、こちらを見てやがる。 こりゃ相当驚いてるな。 そりゃそうだろう。俺だってそうだ。 まさか、こんなところで出会うとは。 「あ・・・・。」 驚きの混乱のあまり思わずという風に、女――ナミの口から声が漏れた。開く口元を隠すように、白くて細い指先が添えられていた。 「どうも。」 ゾロはそれだけ言うと、カウンター席に腰掛けたまま、軽く頭を下げた。 ナミも、つられたようにチョコンと頭を下げる。 そのぎこちないやりとりを見守っていたサンジが、ゾロとナミの顔を交互に見比べた後、ようやく口を開く。 「あれ?お二人さん、知り合い?」 「いや、」「いえ、」 「?」 「バスが同じっていうか。」 「あの、同じパン屋さんを使ってて。」 要領を得ない会話。 ゾロは歯がゆい気持ちになる。実は向かいの部屋に住んでいるだと言いたくなった。しかし、おそらくナミはそのことを知らないだろう。「同じバス停を使う人」ぐらいの認識のはずだ。だから、今ここで言うのは憚られた。なんだかそれを言ってしまうと、どこに住んでいるか突き止めたストーカーのように思われるのではないかと思ったのだ。 それに、もし向かいの部屋の住人だと言ったら、そもそも「向かいの部屋は女の部屋か?」などと興味津々だったサンジに、後で何を言われるか分からない。 「へぇ。じゃあ、ご近所さんてわけか。奇遇ですね。あ、こいつはロロノア・ゾロっていいます。この記事にも書いてありますけど。」 そう言って、サンジはナミが持つコラム記事のコピー上のゾロの名前を指で示した。 ナミがまた驚いたように目を見開かせて、慌てて記事に目を向ける。そして円らな瞳で、ゾロと記事を何回も見比べた。 それがどういう意味なのか、ゾロは気になって仕方がなかった。 それと同時に、スモーカーに記事を読ませた時の気恥ずかしさが込み上げてくる。 自分が書いたものを読んだ一般の読者に出会うという経験を、ゾロはあまりしたことがなかった。 「こいつがこの記事を書いてくれて、急に来客が増えまして。嬉しい悲鳴上げてます。」 「分かります・・・・とても素敵な記事だもの。この記事を読んで、ぜひここで歓送迎会をしたいと思ったんですから。」 情感のこもったナミの声が、ゾロの耳に届いた。ナミはこの言葉がゾロに届くようにと、サンジではなく、ゾロの方を見つめて話していた。 その時、ゾロの心臓がまたドクンと脈打つ。 誰に褒められるよりも、今までの中で一番照れた。 とてもじゃないがナミを正視していられなくて、目を伏せる。顔が赤くなったような気がしてならなかった。 サンジはすぐにナミとゾロの間に漂う微妙な空気を感じ取った。ご近所さん以上の何かが既に二人の間にはあると。さて、これは一体どうしたものかと思いつつも、ゾロが「どうも」と挨拶したきり押し黙ったままで、このままでは会話の接ぎ穂が途絶えてしまうので、すかさず別の話題に切り替えた。 「名刺見せてもらったんですが、『イーストブルー』って、あの雑貨店の『east blue』のことですか?」 ナミとロビンの名刺には「株式会社 イーストブルー」と書かれていた。インテリア雑貨店『east blue』を運営展開している会社だ。 感度の良いインテリア雑貨を扱っているので、サンジもその店の名前を知っていたし、よく利用もしていた。 「あ、そうです。ご存知ですか?」 「そりゃ知ってますよ。こういう店をやってますので、常にセンスのいい器なんかを求めていますから。」 「そういえば、コラム記事の中でも見事な陶器皿が写っていましたね。」 「あれは店用ですがね。プライベートでは、『どすこいパンダ』シリーズ!あのキャラクターがすごく好きでして。全部揃えたいと思ってるくらいですよ。」 『どすこいパンダ』シリーズは、イーストブルーのオリジナルブランドで、ゲンが陣頭指揮を取って企画開発し、現在までの人気商品に育て上げた。 ゲンが定年で会社を去っても、『どすこいパンダ』シリーズは残る。言わばこのブランドは、ゲンの子供みたいなものかもしれない。 「あのシリーズは、当店の中でも抜群のラインナップを誇っています。良ければ、シリーズのカタログをお持ちしましょうか?」 初めて、もう一人の女――ロビンが、口を開いた。 「え!いいんですか?」 「もちろん。大切なお客様ですもの。」 ね?とロビンとナミが顔を見合わせる。そして、ナミはにっこりとサンジに微笑みを向けた。 「生憎、今日は持ち合わせていませんので、明日にでも郵送させていただきますね。」 「いえいえ。ぜひまた当店にお越しいただいて、その際に直接手渡していただければ。」 そんなことを、サンジはナミにずいと顔を寄せて囁いた。 ひたと見つめられ、ナミは一瞬どぎまぎした様子を見せたが、すぐに可笑しそうに吹き出した。 「はい、じゃ郵送で。」 きっぱりとしたナミの返答に、サンジがそんな〜と追いすがる。 ナミがくすくすと笑っている。 そんなやりとりを見ていられなくなって、ゾロは顔を背けた。 いつものことだ。 サンジは、女の扱いがとても上手い。 気の利いた言葉を並べ、すぐに女の気持ちを掴む。 最初ゾロに声を掛けてきた女とも、サンジは気さくに言葉を交わし、次の時にはその女はもうゾロではなくサンジとの方が親しくなっている。 女だけではない。人が持つ心の壁を驚くほど簡単に取り払い、頑なな心を解きほぐし、一歩踏み込んだ関係を作っていく。そういうことが、昔から本当に上手い。それは、ゾロ自身が身をもって経験していた。サンジと今もつるんでいるのは、彼にほだされたからに他ならない。それを認めるのは癪に障るが。 けれどそれは、自分には無い部分なので、率直に尊敬もし、うらやましくも思っていた。 しかし、今日はそんなサンジが、実に面白くない。 そうこうするうちに、型どおりの別れを告げる挨拶が聞こえてきて、ドアに付いている鈴がカランコロンと鳴った。 バッと振り向いて、顔を出入口に向けると、まさにナミとロビンがドアを開けて店を出て行くところだった。 ドアが閉じる瞬間、ナミがほんの少しだけ、名残惜しそうな視線をゾロの方に向けた。 確かにこちらを見た。 目が合った。 カランコロンという音がまた響き、ドアが閉じられた。 途端に、思った以上に入っていた肩の力が抜けると同時に、拍子抜けした。 「いやぁー二人ともすごい美人だったなぁ。日頃の行いのよい俺に、神が救いの手を差し伸べてくださったのか?今日という日にこんな出会いがあるなんて。」 もう行ってしまった。なんと呆気ない再会だったのか。 こんなものなのか。 「名刺貰ってしまった。携帯番号まで書いてある!これは今日から俺の宝だ!」 サンジはゾロが座っている場所まで戻ってくると、今日の戦利品を目の前に掲げて眺めてはご満悦だ。 そんな彼をゾロは冷めた目で見つめる。一人春めいてやがると。 そういえば、春めいている奴がもう一人いたな―――ああ、ウソップだ。 "思い切って、会う約束をしたんだ" ウソップの言葉が耳に蘇ってきた。 (思い切って、か・・・・。) 「お、雨だ。」 ボタッボタッと窓ガラスに大粒の水滴がぶつかる音が響いてきた。 「彼女ら、だいじょうぶかなぁ。車で来てるならいいけど・・・・。」 ゾロはバラティエに到着した時と同じように頬杖をついて、暗い窓に目をやる。室内の方が明るいため、窓ガラスにはそうした自分の姿が映っていた。 そこへ、目の前にぬっとサンジの手が伸びてきた。その手にはカウンターの上に置きっぱなしになっていた車のキーが握られていた。 「おら。車は明日返してくれ。奢りもその時な。」 「あ?」 「全部言わねぇと分からねぇのか。送って差しあげろっつってんだよ。」 本当は俺が送って差し上げたいのだけれど、俺はこの店に囚われの身。 行きたくても行けぬが我が宿命。ああ、なんて・・・・ というサンジの戯言を半分まで聞いたところでゾロはその手からキーをもぎ取ると、カウンター席から立ち上がり、店を出て行った。 「おーい、俺の話を最後まで聞いてけー。」 ♪ ♪ ♪
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