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「あ・・・・ゾロ・・・・!」
「お願い、もうちょっとゆっくり・・・・・。」
苦悶の声が漏れても、ゾロの耳には届かない。
「ス、スピードを落としてくれ〜〜!」
助手席のウソップたまりかねて叫んだが、構うことなくゾロは親の敵でもいるのかのように前方を睨みつけ、これでもかとアクセルをふかしている。
ここのところずっとゾロは不機嫌だったが、今やそれはピークに達していると言ってよかった。
言動がぞんざいで、物やウソップにきつく当たる。
出版関係の仲間達も扱いかねて、どうにかしてくれとウソップに泣きついてくる始末だ。
どうしちまったんだゾロは。
こんなことは、かつて無かったのに。
♭ ♭ ♭
「れれれのれ〜♪」
バラティエの前の道を、サンジは機嫌よく鼻歌を歌いながら箒で掃いていた。
通りかかった近所に住む顔見知りの老婦人と、ゆったりとお辞儀を交わす。
サンジはその性格から、ご近所の方々(特に女性)にすこぶる評判がいい。
バラティエは郊外の閑静な住宅街の一角に立っているので、近所付き合いは大切だと常々思っているサンジだった。
そこへ、いきなり場違いな重低音が響いてきた。
やがてそれはエンジンの爆発音となり、すごい勢いで近づいてきている。
こんなところで暴走族か?
サンジはそう思っていたのだが。
猛スピードで現れた車が、自分の車だったから、サンジは仰天した。
そのままの勢いで車は急カーブしてバラティエの駐車場に突っ込み、キキーッという耳障りな音を轟かせて停まった。
サンジは箒を投げ捨て、慌てて駐車場へと回る。
見慣れた緑頭の男が、車のドアを開けて降りてきた。最近とみに剣呑な顔つきを、更に険しくさせている。しかしそれに恐れをなすようなサンジではない。
「てめぇ、なんて運転の仕方しやがる! ここはサーキットじゃねぇんだぞ! ご近所さんが俺の運転だと誤解したらどうしてくれる! 二度とこんなことすんな!」
サンジが近づくと、まだウソップが助手席に乗ったままで、シートにしがみついて小刻みに震えている。そのうえ目が虚ろで、歯の根も合ってないようだ。余程恐ろしい目に遭ったのか。
そしてよく見ると、なんと!車の前のバンパーが凹んでいるではないか。
これはサンジの怒髪天を突いた。
「なんてことしやがったーーーー!!」
「ぶつけた。」
いけしゃあしゃあとゾロは言ってのけた。
「ぶつけたで済むかぁぁぁ!! まだローンも残ってるってのに・・・!」
サンジは半ば涙目になりながら、バンパーの凹み具合を手で触って確認する。
しかしゾロはサンジには見向きもせずに、後部座席から自分の荷物をさっさと降ろし始めていて、面倒くさそうに呟いた。
「弁償すりゃいいんだろ。」
「なんだと?」
「だから弁償を。」
「そういう問題じゃねぇだろ。まずは謝れ。一体何様のつもりでいやがる。」
「謝って直るわけじゃなし。」
開き直りとしか言い様のない態度に、サンジはゾロを睨みつけるも、ゾロはうるさそうに顔をしかめて明後日の方を向いている。
「なんだその態度は! そんなことなら、もう二度と車貸さねぇぞ!」
「別にいい。自分で買う。」
「ふざけんな!! てめぇはそんな身分じゃねぇだろう!!」
ゾロがようやくサンジを見た。
「車も買わずにコツコツ金を貯めてんのは何のためだ!? 郊外のボロアパートに住んでんのは何のためだ!?」
「ミホークを追いたいからだろ? いつでも世界へ飛べるように! だから必死こいて金貯めてんだろうが!!」
「俺だって、そんなお前の心意気を買ってるからこそ、今まで協力してやってたんだ!」
「それがどうだ、最近のてめぇときたら。いつもいつも不機嫌そうな顔しやがって、なんでも投げやりで、俺にもウソップにも当り散らすし。いいかげんにしろ!」
「何をそんなに荒れてる?」
サンジがずいと顔を近づけて睨みつけたが、ゾロは顔を顰めて目を逸らす。
「どうにか言ったらどうなんだ!?」
胸倉を掴まん勢いだったが、それでもゾロは何も言わない。
「ああそうかい、わかったよ。そんな腐った根性のヤツに、俺の車は貸せねぇ!とっとと失せろ。もう二度と来んな!!」
そう言い放ちサンジが背を向ける。
しばらくゾロはその場で立ち尽くしていたが、やがて無言のまま踵を返してバラティエの敷地から出て行った。
いつの間にか車から降りていたウソップが、その場の気まずい雰囲気に恐れをなしたかのように慌ててゾロを追おうとするのを、サンジが鋭い声で制止した。
「ウソップ! 注文のモンできてんぞ! 店に入れ!」
「でも・・・・今、ゾロを一人にしたら・・・・。」
「ほっとけ! ちったぁ頭を冷やしゃいいんだ・・・・!」
♭ ♭ ♭
バラティエから最寄りのバス停に丁度バスが停車していたので、それに飛び乗った。
バスの中は乗客はまばらで、ゾロは一番後ろの4人掛け席の真ん中にどさっと腰を下ろした。
そして、頭を抱えて下を向いた。
ひたすら胸の奥にくすぶる怒りを押さえつける。
畜生。
一言も言い返せない。
ああ、わかってる。
こんなところで立ち止まってる場合じゃねぇ。
目標まで見失ってなにやってんだ。
しかし。
あの女が、別の男といた。
その姿が、目の奥に焼きついて離れない。
あれを目にした時、頭に血が上った。
強引に唇を奪って得たのは一瞬の陶酔感だ。あとは無限に続く焦燥感。
あの日から、身体中に毒素が充満し、俺を内側から腐らせている。
その上、こともあろうか女は、関係ないとまで言いやがった。
関係ないだと?
ならなんで抱かれた?
勢いか。遊びか。ゆきずりか。
そんなもん許さねぇ。
俺はそんなつもりで抱いたんじゃねぇ。
あの女だってそうだろう。そんな女じゃねぇだろう。
抱いた翌朝、甘い声音と熱く潤った瞳で俺を見上げていただろう。
どうしてこんなことになった。
なんであの女は怒ったのか。
女の考えてることが分からねぇ。
せめて何を考えてるのか分かれば・・・・。
いや、詭弁だな。
俺が一番知りたいのは、そんなことじゃねぇ。
知りたいのは、あいつの本心だ。
あいつにとって俺はなんなのか。
それさえ分かれば信じられるだろう。
ナミを。
♭ ♭ ♭
バスはゾロを出版社近くのバス停へと送り届けた。
ゾロはいつまでも終わらない思考を断ち切り、半ば機械的に編集室へと続く社内の廊下を歩いていた。
「ロロノア!」
唐突に掛けられた声に、ハッと我に返る。
聞き慣れた声だった。自分の苗字を呼び捨てにするのは、最近では2人しかいない。
スモーカーと、
「たしぎ・・・・。」
振り向くと、やはりたしぎが立っていた。いつもの黒縁眼鏡にラフなTシャツにGパンという出で立ち。肩にショルダーバックを下げている。
たしぎと会うのは半年ぶりぐらいだろうか。ゾロと同様フリーライターで、スモーカーに使われている立場というのも共通してる。しかし、彼女は海外での仕事が多いせいか、驚くほど社内では顔を合わさない。
4月にたしぎは入院し、その代役でゾロがヨーロッパへの取材旅行に赴いた。
しかし、今日の彼女は入院していたのが嘘のように、健康的で溌剌とした表情をしていた。しかも、以前ゾロに対して見せていた剥き出しの対抗心や敵愾心がすっかり削げ落ちて、穏やかにゾロの隣に並び立って歩いている。
「怒っているんですか?」
「あ?」
「眉間に皴が寄ってますよ。」
久しぶりに会ったヤツにまで言われるとは。
思わず自分の眉間を手で押さえた。
「あなたも今日、打ち合わせですか?」
「ああ。」
「スモーカーさんに呼ばれて?」
「そうだ。」
「私もです。じゃぁ、一緒にやる仕事かもしれませんね。」
一つの記事でも、特集や大きいものになると、編集者が何人ものライターで使うのはよくあることだ。
「実は、退院以来、ここでの仕事は今日が初めてなんです。」
「スマン。見舞いにも行かずに。」
「いえ。ロロノアには迷惑を掛けました。おかげで助かりました。一つ借りができましたね。」
編集室に入ると、いつものようにスモーカーが編集長のデスクの上に座って葉巻を咥えていた。
二人を視界にとらえると、遠目に見ても幾分瞳孔が開いたかのようにゾロには思えた。
そして珍しいことにデスクから降り、こちらへ歩み寄ってくる。
たしぎも一歩前に進み出た。
「スモーカーさん、お久しぶりです。今日は呼んでくださってありがとうございます。」
「身体は・・・・もういいのか。」
「はい、おかげさまで。」
「そうか・・・・。」
そのまま二人は何も言わずにしばらく見詰め合っていた。
皮肉と舌鋒の鋭さで知られるスモーカーが、言葉に詰まっているようだ。掛けるべき言葉を出しあぐねているかのように。
こんなスモーカーとはあまりお目にかかったことがない。
ゾロはたしぎのやや後ろから、そんな二人を見ていたのだが、なんというか、急にゾロは居心地が悪くなった。
会議ブースに移って打ち合わせが始まっても、気詰まりな空気が続いた。
打ち合わせの席では、以前のたしぎならやたらと戦闘的な物言いをしていたのだが、そういうところも影を潜めていた。ただ穏やかに、まっすぐにスモーカーを見ている。ゾロは最初、病気をして本調子じゃないのかと思っていたが。
しかし、それはスモーカーも同じで、物言いにいつもの覇気がない。
ゾロに対してはともかく、たしぎに対しては対処の仕方に困っている風でもある。
それどころか、3人での打ち合わせだというのに、例えようもなく疎外されているように感じる。
二人の眼中に自分が入ってないように思えるのだ。
どうもこれは。
気詰まりというよりもむしろ。
(甘い雰囲気)
それに思い当たって、ゾロはガタッと席を立った。
「どうした、ロロノア?」
スモーカーとたしぎが同時にゾロを見上げる。
「ちょっと。」
「なんだ、小便か。」
「そんなとこだ。」
もちろん嘘だったが、今、自分はこの場にいるべきではないと本能が察知していた。
邪魔だと。
知らなかった・・・・・いつの間にあの二人。
いや、まだデキてるわけではないかもしれないが。
まだ妙によそよそしいし。特にスモーカーが。
自分が離れた後の会議ブースの様子を覗き込みたい衝動にかられたが、辛うじて抑えた。そりゃ無粋というもんだろう。
本人達は気づいていないのだろうか。妙な雰囲気を撒き散らしていることを。
あれではすぐに周囲も感づくだろう。
編集長とライターがデキてるなんてのは、格好のネタだ。すぐに噂の餌食になるに違いない。
あの編集長がどう対処するのか見物だなと、人の悪い考えを浮かべた。
それにしても、好意を抱きあってる者同士がそばにいると、ただそれだけであんな空気を醸し出すものなのだ。
ならば、俺とあの女も?
(ありえねぇか・・・・・)
編集室から出ても、これといって行く宛てがあるというわけでもないので、とりあえず自販機コーナーへ行くことにした。
すると、ウソップがこちらに向かって歩いてきているのに気づいた。
「ゾロー!」
向こうは屈託無さそうに呼びかけているが、こっちとしては一方的にサンジに怒鳴りつけられていた場面の一部始終を見られていたワケで、たいそう決まりが悪かった。
「ゾロ、早かったな!俺も割りとすぐに後を追ったんだけど、もうバス停にはいなかった。」
「悪りぃ・・・・。」
思えば、ウソップを置き去りにしたようなものだ。
車をサンジに返した後は、二人とも会社に行くことは分かっていたのに。それなのに一人で行ってしまた。
けれどウソップはそんなことを気にしてないばかりか、ゾロが謝ったのが珍しいとでも言わんばかりに、しばらく目を瞬かせている。
そんなに怒ってばっかりだったか。
ゾロは苦笑いした。
ウソップは紙の手提げ袋を2つ下げていた。その一つを目の高さまで持ち上げる。
「おら、ゾロ!」
「なんだ?」
「バラティエの焼き菓子だ。」
「は?」
「サンジから。」
「言い過ぎたって。」
「だから・・・・ちゃんと礼を言いに行けよ!」
ウソップは何度も詰まりつつ、思いつめた表情で言った。
ゾロはもう一度苦笑いを浮かべる。
もう少しうまい嘘をつけよ。
俺があの野郎から、何度出入り禁止を食らってきたか知らねぇな。
「ああ、わかった。」
ゾロがそう言って紙袋を受け取ると、ようやくウソップも安心したかのように笑った。
「ところで、ゾロはこの焼き菓子知ってっか?」
「ああ、あれだろ。レアものの。」
「そうそう。もうすぐカヤの母ちゃんの誕生日だからさ。これを贈ろうと思ってな、サンジに無理言って特別に作ってもらったんだ。」
誕生日。
――― ね、ゾロ。ゾロの誕生日はいつなの? ―――
――― そう、じゃ私の方が先ね。私は7月3日 ―――
――― ナ、ミ、だな ―――
――― そうなの ―――
一瞬、過ぎ去った甘い記憶が脳裏に瞬いた。
「今日・・・・何日だっけ?」
「え?今日から7月だけど。」
そうか、7月か。
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