7月 ff      - PAGE - 1 2 3 4
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「おはよう、ナミさん。誕生日おめでとう。」

ロッカー室で荷物を置いていたところ、ロビンに声を掛けられた。

「え? あ! ありがとう!」
「なに?忘れていたの?」
「今朝起きた時は覚えてたんだけど。」
「今夜よかったら飲みに行かない?どこかナミさんの行きたい店で。」

奢るわよ、とロビンは機嫌よく微笑んだ。
もちろん、ナミは奢られるのが大好きなことを知ってのことだ。
しかし、ナミの返答はロビンにとっては意外なものだった。

「ううーん、すごく嬉しいんだけど・・・・ごめん、今夜はやめておく。」
「あら。」

途端にロビンは探るような目つきになる。好奇心と自制心が入り混じったような表情になる。
面と向かっては聞きはしなかったものの、ナミが彼とここ数ヶ月うまくいってないことに気づいていた。
だからこそ今夜誘ったのだ。そうでなければ、彼氏のいる女性を誕生日の夜に誘ったりはしない。
けれど、断られたということは?彼と仲直りしたのか?それとも?
いろいろと勘繰りたくなるというものだ。

「そうじゃないのよ。」

ロビンの思考を読んだかのようにナミが言う。

「ただ、今夜は一人で過ごしたいの。」

誕生日だからこそ、自分のホームグラウンドで、じっくり考えたい。
自分のこと、ゾロのこと、これからのこと。

もちろん、期待もしている。
もしかしたら、ゾロが来てくれるかもしれないと。
もしそうならば、私が部屋にいなくちゃ話にならないでしょ。

それに、ゾロにチャンスをあげたくなったの。
もしも今日のことを覚えてくれたなら、今までのことチャラにしてあげてもいい。

ううん、なんだかカッコつけてるわね。
本当は、ただゾロを待ちたいだけなの。


―――浮気なら俺の居ねェとこでしろよ


もう二度と、あんな言葉を聞きたくない。

浮気なんかしてないわ。
エースはそんなんじゃないのよ。
その証拠に今夜は、敬虔な信徒のように、清く正しく美しく、ゾロを待っててあげる。

たとえ虚しく終わったって構わない。
今日は特別な日だからこそ。そうしたいのよ。
見てなさい。これが私の覚悟なの。


「・・・・・・分かったわ。じゃあ私のお祝いは、日を改めてってことでどう?」
「うれしい。ありがとう、ロビン!」



♪          ♪          ♪




7/3  午後:グランドライン店臨店 → A社訪問 → B社工場視察 → 直帰


キュッキュッとホワイトボードに午後からの予定を書き込んだ。

7月から『どすこいパンダ』シリーズの夏の新商品が発売された。
風鈴やうちわなどの夏の涼を感じさせる商品のほかに、ビーチボールやビーチサンダルなど、このシリーズで今まであまり扱ってなかった夏のレジャー品目も投入した。

5月、6月はこの新商品の準備でかかりきりだった。
それがいよいよ店頭販売となり、その売り上げ動向が気になるところだった。
全店の売上日報を見る限りでは、好調な出だしのようだが、データ上ではなく、実際に現場でどのように売れているのか自分の目で確かめてみたい。
丁度今日の午後は、取引会社を回る予定になっているし。
それならその前にちょこっとだけでも。
ナミは店に出向くことにした。

社外へ出ると、眩しい日差しが照りつけている。思わずナミは手を目の上にかざして日の光を遮った。
日光の刺激は強くて、地肌に突き刺さるかのようだ。日傘がほしいぐらい。
会社の前の車道は輻射熱で空気が揺らいで見える。
まだ梅雨は明けていないというのに、今日はまるで真夏のよう。

意を決して通りを歩き出そうと思った時、ちょいちょいと肩を叩かれた。
見ると、いつの間にかエースが隣に立っていた。

「エース!」
「俺も行くよ。」
「行くって・・・・」

ん?店だろ?とエースは目顔で答えると、ナミを通りへと促した。

「俺も新商品のことが気になるし。それに俺、本社の人とはだいぶ顔見知りになったけど、店の人とはまだほとんど交流がないんだよな。だからこれを機会にお近づきになりたいなって。」
「へー、まるで課長みたいなこと言うのね。」
「って、俺ァ課長なんだが。」

フフフとナミは笑う。

「いや、実際本社と店の連携は大切だよ。以前これが上手くいってなくて、エライ目に遭ったこともあるしな。」
「以前・・・・? ね、エースって前は何やってたの?」

ナミはエースのこれまでの経歴をほとんど全く知らないことを、今更ながらに気づいた。
以前はどういう会社のどういう部門にいたのか、どうしてシャンクス社長に乞われて、イーストブルーに入社したのか。
出会ってからしばらくエースに反発を覚えていたこともあって、興味もなかったし、気にも留めなかった。

「気になるか?」
「え? ええ。」
「嬉しいナァ。俺に興味持ってくれるようになったんだ?」
「はぁ? どうしてそうなるのよ。」
「まぁまぁ、そう照れなさんなって。」
「照れてなんか、」
「うーん、何から話そうかナァ。話すには、ちょうど一晩かかるかな。付き合ってくれる?」
「もう、けっこう!!」

ちょっとでも気を許した自分がバカだった。
肩を怒らせてスタスタとナミは地下鉄への階段を下りていった。
笑いながらエースも後を追う。


「・・・で、どう?」
「どうってなにがよ?」

地下鉄でつり革につかまりながら、エースは列車の窓ガラスに映る隣のナミと目を合わせている。

「例の男だよ。仲直りしたのか?」
「・・・・・エースには関係ないでしょ。」
「関係ないねぇ。ふぅん。」

また出た。エースの『ふぅん』。気になるじゃない。

「酒に酔って管巻いて、しなだれかかって愚痴吐いて、それで関係ないと。」
「しなだれかかってなんていないでしょ!もう!・・・・変わりないわよ。」

エースはもう一度『ふぅん』と言いそうになるのを止めた。
変わりはないと言いつつも、ナミはこの前一緒に飲んだ時点のナミではないことに気づいた。
男に対するわだかまりが消えたのではないのかもしれないが、何かがナミの中で変わったのだと。


グランドライン店は、目抜き通りのグランドライン通りに位置する。周囲に高所得者層が多く住んでいるせいか、売り上げも一番だ。
3月―――ナミとゾロが初めてまともに会話した日、二人で一緒にここを訪れた。
それを思うと、少し胸の奥がキュッと締め付けられる。

店員の一人がナミ達の訪れに気づき、すぐに店長を呼びに行ってくれた。
グランドライン店の店長はマキノだ。マキノは取締役で、社長夫人でもある。
創業間もないイーストブルーの店員となり、ソフトな接客とセンスのよいコーディネイト力で抜群の売り上げ成績を収めた。
その才能とセンス、そして優しい人柄を、シャンクスに見初められた。
以来、シャンクスは経営、マキノは店舗と、二人三脚でイーストブルーを盛り立てている。

「ナミ!久しぶりね。」

マキノはナミを見るなりにっこりと笑みを浮かべた。そして、背後にピタリとついてるエースを見て、少し目を見張る。

「やぁ、マキノさん。」
「・・・エース! そうね、企画課長になったんですものね。」

マキノはナミとエースが連れ立っているのを納得したかのように頷いた。

「弟さんはお元気?」
「あいつの元気さは、スペシャルスーパーだよ。」

そうでしょうね、とマキノは訳知り顔で相槌を打つ。
ナミは、エースとマキノが旧知の間柄のようであることに驚いた。
いったいどういう関係なのか、聞いてみたいと思ったが、またエースに「気になる?」などとからかわれるかと思うとウンザリなので、やめておいた。

「新商品はなかなか好調よ。お客さんの反応はすごくいい。若い子が手にとって見てるわ。」

『どすこいパンダ』の新作は、店に入ってすぐの場所で、テーブルと棚を用いて夏らしくディスプレイされていた。
ナミとエースが店にいる間にも、何人かのお客さんが立ち止まり、手にとって見ていた。
それを見ているだけで、ナミは嬉しくて、はしゃぎだしたくなった。
ゲンが育んだこのブランドを、無事受け継ぐことができたような気がした。

マキノについて店の中を歩き回り、商品の売れ行きの説明を聞いた後、事務室に入っていくと、エースを中心として店員達の輪が出来上がっていた。

「まったく人気者ね。」

マキノがいつものことという風にため息まじりに言う。
確かに、エースには人を惹きつける何かがある。
それはナミも十分感じていた。

「じゃぁ、私はそろそろ失礼いたします。次の予定があるので。」

腕時計を見ながら、マキノに告げた。

「ご苦労様、ナミ。」
「あ、じゃぁ俺も。」
「エース、貴方はこれから店長会議でしょう?私と一緒に本社へ行かないと。」
「え? そうだっけ?」
「まったく。頼むわよ、エース。」

マキノが呆れ顔で言った。



♪          ♪          ♪




「お疲れ様ですー。」

コビーが帰る準備をしていたところで、会議を終えたエースがバタバタと企画課に戻ってきた。
エースに向かって、コビーは型通りの声を掛ける。

「あ、コビー! 新商品、好調だぞ。」
「知ってますよ。日報を見てますから。」
「お前さん、クールだなぁ。6月中、みんなで精魂込めた作品じゃねぇか。もっと熱くなれよ。ちょっとは現場に出た方がいいぞ。だからそんな青白い顔なんだ。」
「これは元々です! 関係ないですよ。・・・・お店に、行ってきたんですか?」
「ああ・・・・・・ゲンさんてさ、いい人だったんだナァ。」
「え?」

グランドライン店の店員達は皆、初対面のエースによくしてくれた。
エースの話に熱心に耳を傾け、礼儀正しく。
しかし、エースが今日すぐに店員達の暖かく囲まれ、信任を得られたのは、前任者の威光のおかげでもあるだろう。
店員達の前課長への信頼と期待が、そのまま後任であるエースにもぶつけられているのを、痛いほど感じた。

「ゲンさんは、本社の人にも店の人にも、人気ありましたから。」
「あー、俺も歓送迎会に行くんだった。」
「課長は4月の歓送迎会、来られませんでしたものね。」
「そ。前の会社の引き継ぎでてんてこ舞いだったから。」

だから出席できなかった。出席してたら、ゲンにも会えただろうに。

「ああっ!?」
「どうした?」

コビーがいきなり叫んだので、エースは驚いた。

「僕達、課長の歓迎会をまだやってない・・・・。」
「そう言われるとそうだな。ま、新商品の立ち上げでずっと忙しかったからな。」

仕方ねぇよとエースが笑う。

「でも、やっぱりスミマセン。宴会担当は僕なのに。」
「そんなのあるの?」
「はい、部課の一番下っ端の役目なんです。」
「なるほろ。」
「近いうちに手配しますから。」
「じゃあ、今夜はどうだ?」
「は?」
「新商品も無事発売になったことだし。打ち上げ兼ねて。」
「あー・・・・。」
「みんなの携帯に掛けて、召集してくれよ。」

今日はすこぶる暑いし、ビールにはもってこいだ。
ビアホールにでも繰り出して、浴びるほど飲みたい。
天気もよいし、屋外のビアホールがいいな。
そんなことまで考えていたら、コビーの浮かない顔が目に入った。

「どした?」
「今夜はダメですよ、きっと。」
「なんで?」
「誕生日ですから。」
「は? 誕生日って、誰の?」
「ナミさんの。」
「・・・・・ナミの?」
「そうです。だから、何か予定が入ってると思うんですよね。ロビンさんと飲みに行くとか。」

或いは・・・・そこから先のことは、コビーは考えないようにした。

「・・・・ナミは、今どこ?」
「え? ええっと、」

コビーはホワイトボードを見た。
そこに企画課の人々のその日の予定が書かれているのだ。

「今日は、出先から自宅に直帰ですね。」
「そうかぁ・・・・ハハハハ、そうだったのかぁ・・・・。」
「課長?」
「いやいや、いい情報をありがとう、コビーくん! キミはきっと出世するよ。」
「はぁ。」
「今日はお疲れ様! もう帰るといい。」

バンバンと背中を叩き、エースはコビーを帰るよう送り出した。
廊下に出されたコビーは少し複雑な表情になった。

(僕、別にマズイこと教えてないよね?)

自問したそばから、誕生日というプライベートなことを、気安く喋り過ぎただろうかと心配になった。
しかし、コビーにできることといえば、何事もありませんように、祈ることぐらいだ。


エースは誰もいなくなった課内を見回した後、携帯を取り出し、ナミの番号を呼び出す。
通話のボタンを寸でのところで押しかけて、止めた。

(いやいや。どうせやるなら、サプライズがいいよな)

ニヤリと笑う。そうと決まれば―――
パソコンの電源を落とし、ブラインドを下ろす。
課の電気も消して廊下に出て施錠した。
上着を肩に担ぎ直し、エースは腕時計を見る。6時過ぎ。
夏至を過ぎたばかりのこの季節、まだ外は明るい。

そうさ、夜はまだまだこれからだ。

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