夏色ファーストキス
CJ 様
もしゾロに幼馴染がもう一人いたら、あのシモツキ村にもう一つ甘い思い出があったなら…
「何見てんだ?」
そう言ってゾロが蚊帳をはたきながら布団に入ってきた。 うつ伏せになって立てた手にあごを乗っけて春香は何かの読み物をこの熱帯夜に読んでいる。 痺れを切らして、自分の話に全く興味を見せない春香に耐えられずにゾロは春香の横にごろんと寝転んだ。 春香の頭の上から覗き込めば、それは今朝の新聞だった。 新聞はもちろん取ってないので、図書館か、合気道の道場でもらってきた(盗んできた)んだろう。
「三岳滝で鮎が獲れるんだって。 きれいね。」
それはシモツキ村からそう遠くもない滝つぼで、夏はなかなかの避暑地としてゾロや春香の16,17歳頃の友達の間では有名だ。 記事は延々とその滝について書いてある。 今年の夏は二人とも畑仕事のいい口が見つかったので遊びに行くなんていうことは考える前にもう7月も終わりかけていた。
「へー」
ゾロはちらっと記事をみて興味のない返事をした。 その滝つぼにはわざとらしい若い男女が笑ってスイカを食べている様子が撮られている。 もともと観光やら遊びなんて、俗に言うものに興味のないゾロだから、それは春香が行きたそうな顔をしても、まだ近所の川辺に二人で遊びに行く方が、誰もいないし、楽しいと思うのだ。 でも、春香はまだ熱心に記事を見ている。
「お前の髪の毛、わかめみたいだな。」
そんな新聞を覗き込んだとき、半渇きの春香の髪の毛のにおいがした。軽くタオルで乾かしたままなのだろう。
「ん? シモツキ村中探しても、あんたに言われたくないわ。 苔。」
確かにそうだ。 お互いに拾われた子なのに、ここまで、外見が似ていると、 他人だと思っていても、不思議なもんだ。 ゾロが春香の髪の毛を触ってみる。春香はお構いなく新聞をめくる。 ゾロの指にいつも触りなれているさらさらした手触りが伝わる。 思えば6歳のときに偶然稽古中にあった春香ともう二人で田んぼの真ん中にある平屋に住み始めて10年になる。 もとはといえば春香に虐待をついていた養父母から春香を守るために思いついたへんてこな共同生活もなんとか10年続いたわけだ。
「春香、」
「なに?」
「俺達、どこかの同じ国の出身だと思うか?」
「緑色の髪の国?」
「ああ」
「気持ち悪い」
「おいおい」
春香が目をゾロに移して笑う。
「そうね。」
春香はゾロが忘れたのだと思って軽く流した。 実はこの会話、まだ5,6歳だったころ、したことがある。 あの、山に迷った日だ。
「ミチルって、...言ってたよな。」
春香ははっとしてゾロの覚えていたことにびっくりする。
「もういいよ。 もうしっかり覚えてないし。」
そう、それは春香が昔、作ったかもしれない名前。 なんとなく、その名前が記憶に充満して、 その名前のヒトが見つかれば、自分が生まれてた故郷に帰れると信じていた。 が、今思えばもう本当か、空想かも、わからない。 でもそんな春香を当時もまっすぐだったゾロは信じて方向音痴の癖に二人で山に入ったのだ。 結果、迷子になって3週間後になんとか猟師に救われたのだ。
「そか。」
春香が髪をいじるゾロをうざいと首をかしげる。
「どうしたの?」
「いや、別に。 もう寝ようぜ。」
そういってゾロがランプを消そうと這い上がる。 春香も新聞を蚊帳の外に置いて布団に転がる。 どうせ暑くて何もかぶっていられないので、掛け布団もない。 あえて寒くなればゾロにまとまりつく。 そんなやりとりが、もうかれこれ9,10年続いているのだから。
「おまえ、ふとんいらないのか? 俺はいいけど」
「いい。 ゾロにまとまりつくから。」
「...」
「なに? いや?」
「かまわねぇよ、俺は。 好きにしろよ」
そう言ってゾロは仰向けのまま目を閉じる。 春香もそんなゾロを見ながら目を閉じる。
***
「えー?! ゾロォも?」
「そうそう、春香から誘ってよ。」
道場で昼ごはんを食べていたら同じクラスの女友達に声を掛けられた。 仕事、道場、ときどき学校が基本の春香にとってそんなに仲のいい友達もいなかったが、押しかけてきた3人組みはよく知っていた。もう2,3年同じクラスにいるし、時々しか顔を出さない春香にノートを見せてくれたりする優しい子達だ。 春香の養父母は合気道の道場を経営していてその管理は以前どれよりも強い春香に任されていた。
そんな子達が夏休みなのにわざわざ春香を道場まで訪ねに来た。 理由はこうだ。 男女混合で三岳滝に行こうと計画しているので、春香もゾロと一緒に参加して欲しいと言ういのだ。 春香はまず自分が誘われて、いきたいなぁ、と一言言ってみたところで、この3人組がそんなことを考えてるまでは想像が浮かばなかった。 なるほど、そういえばなかでも優衣と言う子はゾロに気があるんだ。 むろんそんなことには全く興味のないゾロだから少し優衣にあってあげればと春香が助言しようがうぜぇうぜぇの連発だ。 が、ものは考えようだ。 女友達といけるなら腕をひっぱてでも連れて行けばいいんだ。
「わかった。 あいつが来ればいいのね。 了解。」
「おーさすが、春香。 じゃ、明日町の掲示板の前で7時ね。」
と、用件だけ言うと3人組は足早に学校へ向かって消えていった。
***
帰り際、いつ三岳滝の話を切り出そうかと家の戸を開けると珍しくゾロが先に帰って風呂から出たところだった。
「おう、おかえり。」
そう言ってパンツ一丁で春香の前を横切り沸騰している鍋の火を弱めている。平屋は1部屋しかない、いわゆる農家の人が休憩所代わりに使っていた小屋で玄関を開ければそこはすぐに簡易台所、その横は8畳間があるだけだ。
「ただいま」
「明日さ、道場のやつらがお前の見てた滝に行くんだと。 お前も行くか? 」
「ゾロは?」
と、おもわず確認してしまう。
「だから、道場のやつらと、」
とコケみたいに緑光するびしょびしょの頭がくるっと振り向く。
「はいはい、行くのね。」
「っだろ、そりゃ。」
腹が減っているのだろう、ゾロは構わず大量にそばを鍋に落とした。 せっかちに台所をトランクス一丁で右往左往している。
「ゾロ、シャツ!」
「あん? ああ、」
春香が投げるシャツを片手でキャッチして箸を探している。
「いいよ、優衣たちも行かないって聞いてたから。」
「なんだ、もう聞いてるのか。」
「もう、って?」
春香は部屋に上がってふすまの向こうで道場着を脱ぎながらそう言った。
「お前を誘うようにしつこく言われた。 まぁ、もともと行きたそうだったから行くと思ってたけど。」
ーそういうことか。 結局どっちもはめられてるのか。
「私も同じこと言われてるけど、どっちにしろ、ゾロは気にしないでしょ。」
性格上、他人の言うことが一番気にかからないタイプだから、ま、どうでもいいか。
「あ?」
春香はなんだか状況を説明するのがめんどくさくなって口を閉じた。
***
「あ、ゾロ、これ持って。」
「あ?」
そう言ったが早いか背後にいる春香のために振り返ったゾロはぽーんと春香に押されて滝つぼにまっさかさまだ。 みんなで長く力強い滝の中間部まで来てその滝を見上げていたのだ。 その位置でも、軽く3階建ての建物より高いだろうか。 滝の周りにはレストランや休憩所があるが、それらよりはるかに高い位置である。 が、普段これぐらいの飛込みなら慣れている春香とゾロである。
「くそぉぉぉぉ〜 はるかああぁぁぁ〜」
「にひひひひひ。」
春香は怒って歯を食いしばったまま落ちていくゾロに軽く手を振った。
「春香、手荒いわねぇ。 あんた達、普段どういう修行してるんだか。。。」
あきれて友達の一人が笑いこける春香に言う。
「大丈夫よ。 ゾロはこれぐらいじゃへたばんないから。」
「そういうってことは春香ちゃんも飛び込みたいんかい?」
と、ゾロの道場仲間のサガが言った。
「やだ、わたしはいやよ。 にひひひひ。」
と言ったかと思うと、春香の体が足ごと救われて宙にふわりと浮いた。
「え、うそ...」
と、あっという間に春香の体はサガに抱えられたまま滝つぼに落ちた。
「あははははは。 いいぞ、サガ。 春香もいいざまだ。 はははは」
と、ゾロが滝つぼで笑っている。 結果、春香が怪我をしないようにサガが滝つぼの中でも春香を抱えてくれているのだが。。。
「なによ、二人とも。 あんたたち、グルなのね。 これだから、剣道は嫌よ! あーもうっ」
結局その日、ゾロと春香は仕事を休んで村から8人で三岳滝まで日帰りできたのだ。 ほとんどのものが春香の道場かゾロのいる道場で稽古をつけているものなので、みんな顔見知りだが、これだけ16,7の男女が集まれば楽しくないわけがない。 まず春香とゾロはいつもどおりお互いにちょっかいを出すことをやめないし、 そんな横で片思いの優衣も楽しく笑っている。 春香の心遣いでゾロの隣に座ったりするのだが、ゾロはなにかに春香に物を頼んだり、話を振るので、春香に煙たがれていたのだ。 が、それと同時に春香もゾロの友達がなんで来ているのかをよく理解してない。 そして、これはゾロもあまり好んでの事ではないのだが...
ゾロはサガに抱えられる春香を見ていた。 春香にその気がなくても、おない年のサガに春香はゾロにまとわりつくかのように水着でその肩に手を回す。 けらけらわらってはじゃれてる様子は、なんとなく、知らなかった不思議な光景だった。
ゾロもそうだが、春香も村の同年代の子にしては背が高くて大人びた方だった。 なんとなく、そんなことは知っていたが、それはゾロが思っていた以上に同年代の男の子の間では有名で、そんな春香のことを突っ込まれるたびにゾロは知らん、気づかなかったを通してきた。 現に、春香が背中に寄り添う夜はなんとなく胸の辺りが熱を持ったような、そんな気もした。 が、今日友達の水着を借りたんだ、どう? と、着替え場から出てきた春香はゾロでも目の置き場がないぐらいだった。 みたこともないくっきりとした細いウエストとくびれが腰とそれから鍛えられた尻の辺りを分けていて、筋肉質の体なのに借り物のビキニはつんと出た胸の上に乗っている。
唯一、
「おまえに緑は似合わねぇな。 もう緑なんだから」
と、いまいちな水着に一瞬目をやって言った。 それ以上はどうといわれても見ていられない。 春香は借り物だから、しょうがない、とか、ゾロはいつものパンツが似合ってるとか、ぶつぶついってたが、それでも、隣でそんな文句を言う春香は滝つぼに集まった男どもの視線を一気に集めていた。 その、春香が、いま友達のサガと楽しそうに水から上がって髪の毛を絞っている。
「いや、いたーい、なにするのよ!」
後ろから春香の腹をつつく、
「さっきの仕返しだ。 おまえが待ってぇー、みたいな声出すから振り向いてやったんだぞ。」
「にひひひひ。 ごめんごめん。 もう絶えきれないでしょ。 ゾロが落ちるところ想像したら、もう」
そういってまたゾロの必死な顔を思い出したのか、春香が笑い出す。 つられてサガも笑う。
「まぁ、いい跳びこみスポットだな。 春香ちゃんもあれぐらいはだいじょうぶみたいだね。」
「ああ、そうね。 優衣たち、まだ上に向かってるみたい? どうする? また追いつく?」
「そうだな。」
そしてまたゾロとサガ、春香は滝の横につけられた簡易階段のようなものを上っていく。
三岳滝は新聞に載っていたとおりの大きな滝だった。 三岳とは、滝の真ん中あたりで山のような大きな岩が三つ突き出していて、そこにあたる水しぶきがあたり滝つぼ付近の温度を下げる。 実際村は猛暑で、外も歩けないぐらいなのに、滝つぼにあるレストランは長袖を着ている人もいるぐらいひんやりしている。
滝の頂上には橋がかかっていて、遥かに続く山脈地帯がうっすら浮かび上がっているのが見える。
これには乗る気でなかったゾロも少々興奮気味にどんな町があるのだろうと辺りの人に聞いていた。
一行はまた滝つぼに戻ってなんとなく魚料理や夏野菜を堪能して休憩所として設置されたござの上でゆっくりしていた。
なんとなく横になると冷気が時折吹いて、しばらく汗だくの平屋での生活を忘れさせてくれる。 うとうとと柱によっかかっていれば、春香は眠気がして、身震いをした。
「春香ちゃん、風引く前に着替えてくるといいよ。」
横にいた春香の友達が言った。 確かに調子に乗って泳ぎすぎたかも。 女の子でも、サガやゾロたちと混じって泳いでいたのは春香だけだ。 水も最初か気持ちよかったが、確かに冷たかった。
「そうね、ちょっと着替えてくる。 あ、ゾロ、カギちょうだい。」
ゾロのポケットに着換え室のロッカーを預けたままだった。
「おう、俺も行くからいいよ。」
そう言ってゾロが座布団を枕に寝そべっていた顔を上げる。
「あの二人って、本当に血が繋がってないのかしら。」
緑の頭が二つ、遠くに消えたあたりで、女友達の一人がそう言った。
「全く繋がってないらしいて、うちの爺さんが言ってたよ。 違う人が村に連れてきたとか。」
「でも、付き合ってるふうでもないよね。」
「確かに」
仲がいいゾロと春香はいつも同年代の噂の種だ。 まだあの二人は一緒に住んでいる、でも、付き合ってる風ではない。 でも、家族でもない。 それが、思春期の男女には不思議でしょうがない。
「でも、まぁ、俺達には好都合だ。」
「うわ、サガ、大胆! じゃぁ、やっぱし、春香を狙っているのはサガなのね。」
「まぁな。 でもいまいちゾロも読めないし、春香ちゃんも気がないわけじゃないみたいだから、まぁ、都合がいいよ。」
「きゃー。 いいなぁ。 私も春香みたいに求められてみたーい。 ね、優衣?」
「え? 私? ちょ、ちょっと、変なこといわないでよ。」
そう言ってあきらかに優衣は顔を赤くする。 もともと、口数少なくって、やさしい優衣はゾロの横にせっかく春香が話題を見つけてやっても、あまり会話が続かない静かな子だ。
「ははは。 じゃ、俺たちもそろそろあいつらの後追うか?」
「そうね。」
そう言って一行も村を目指して帰宅の準備をする。 なんせ歩いて村まで山道を1時間歩くのだ。 日が沈む前には帰らないと...
一方ゾロと春香が着換え室についたころ、日帰りの帰宅組みラッシュで中に入るのがやっとだ。そんな人ごみを覗きながら春香は身震いしてくしゃみをした。
「〜う。 すごい人ね。 これじゃぁ、外で着換えた方がよさそう。」
「外?」
ゾロは今日明らかになった春香の成長具合を思い出して、そんな春香がいつもの川辺でするように外で着換えるところを想像して、すぐに却下しそうになった。 が、みるみるうちに春香は体が冷えて唇が青ざめている。
「しょうがねぇな、ちょっと待ってろよ、服とって来てやるから。」
服はまとめてゾロのロッカーに入れたのだ。 ゾロはそれを人ごみ掻き分け取りに行くと中からタオルを出して春香にかけて肩から手でこすった。
「ありがとう。 で、どうする?」
「お、こっちどうだ?」
ゾロは人ごみがあまりいない森のほうを指して片手にリュック、片手で春香の肩をさすりながら歩いていく。
「お前先に着換えろよ、見ててやるから。」
「はぁ? 」
「ばーか。 おまえじゃねぇよ、見張りだよ。」
「ああ、」
そう言ってゾロの手からリュックをもらう。
「ほれ、」
と、ゾロが春香の下着とやらをリュックから乱暴に取り出そうとした。
「あーあーあー。 ちょちょっと、やめてよ。 自分でやる。」
いつもの癖でゾロがせかす。 春香の着換えはいつもとろいと、普段はさわらない下着でも、こんな調子で出そうとする。
「わーった、わーった。 早くしろよ。」
「はいはい」
そう言ってゾロは人が多い方に180度くるりと回る。
春香はそんなゾロの背中を見て冷たくなった水着をはずした。 なんとなく、いつも見ている背中だが、まじまじと昼間から見るのは初めてだ。 その背中はあっという間に春香より大きくなって、筋肉の線が分かるぐらい鍛え上げられている。 それは、今日会ったサガだって同じようなこと、年頃の剣士の背中かと思うが、昔はきぃきぃ言ってた自分よりも小さなゾロがこんなに逞しくなっているんだと、時間を感じずに入られない。
春香はふとそんなゾロの背中に触ってみた。 すると、ゾロも冷え切って背中は冷たくなっていた。
「ん? 終わったか?」
「いや、ま、まだ。」
なんだ、とゾロはまた振り向こうとした顔を元に戻す。
「おまえさ、もう子供じゃないんだから、身の振り方とか、考えろよ。」
「え?」
ゾロが背中越しに言った。
「だから、 気づかないのかよ? 周りの男が鼻たらしてお前のことみてんの。」
気づいてないわけではないが、だからどうしろというんだ、と春香はゾロの説教に内心笑っていた。 かわいい説教だ。
「だからゾロがいるんじゃない。 いっつも怖い顔してるから誰も近づいてこないわよ。」
「...」
めずらしくゾロは閉口した。
「大丈夫よ。 それぐらい心得てます。 ほら、ゾロの番よ。」
そう言ってゾロの背中にタオルをかけてやる。
「ごめんね、ゾロもだいぶ冷えちゃったでしょ。」
ゾロが振り向いて構わずリュックを持ち上げて自分の服を探している。 なんとなく、森の中で、立つ場所が限られてるせいでリュックを探るゾロと春香はお互いに周りのつるやら草に触らないように抱き合うような距離でお互いを見た。
「見張りしてあげようか?」
なんとなく気まずくなって春香がそうゾロをちゃかした。
ゾロもくすっと笑う。
「いらねぇよ。 俺は食う方だ。 女が食われる方だろうが。」
ーへー。 ゾロでもこんなこというんだ。
と春香は関心ぎみにそんなゾロを覗いてた。
「会いつらんところいってていいぞ。 すぐに追いつくから。」
「わかった。」
春香はそう言って少し人がいる場所まで戻ってゾロを待つことにした。
ー ゾロのやつ、なんか意味深。 食われるとか、身なり考えろとか。
春香は半渇きの髪をまとめてあげた。
「春香ちゃん、」
遠くからそう言ってサガが走ってきた。
「サガ。 待った? もうそろそろゾロも来ると思うけど。」
「いや、別に。 寒いかい?」
春香は無意識に両手を合わせて擦っていた。 確かに半そでしか持ってこなかったので、滝つぼから離れるまではしばらく寒いだろう。
「これ、よかったら使ってくれよ。」
そう言って、サガは自分のパーカーを春香に差し出した。
「え? でも、サガは?」
「俺は大丈夫だよ。 もうだいぶまえに着換えたし。 着てないからまだきれいだよ。 ほら、ほら、」
そう言ってパーカーを春香の肩にかけた。 確かにやっと心地よい温かみが春香の肌に伝わる。
「な?」
「そうね。 ありがとう。」
そう言われて、サガははにかんで笑う。 サガはゾロと同じぐらいの背丈でシモツキ村の百姓の長男だ。 とても大きな家なので、シモツキ村ならだれでも知ってる大百姓で、言葉使いなど、ゾロに比べると、その育ちのよさがすぐに分かる。
ゾロが着替えを終えて森から出てくると、春香はサガとにこやかに談笑していた。
ーほれ、いったこっちゃない。
ゾロは内心そう思った。 が、少なくとも、安心できる。 ゾロなんかよりも数倍女や子供に優しいし、いい家の生まれで、信頼できる。 それに、サガが春香を慕っているのをゾロは知っていた。 道場でも一番仲がいいサガだから、わざわざ口に出すこともなく、 仲間とゾロと春香のうわさ話にあえて参加することもなかった。 が、一回だけ、もし、とサガが聞いたことがある。
ー お前と春香ちゃんが、信頼してる関係として、おれが春香ちゃんと付き合っても、おまえはいいのか?
と。 そして、ゾロはああ、と答えた。 俺がずっといてやるって約束しただけだから、と。
でも、不思議なもんだ。 なんとなく、絶対に大人になったら春香を嫁にもらって幸せに暮らすんだと、 半場勝手に思ってた。 でも、そんな約束以上に家族のように育った春香に今必要なのは、この村で幸せを与えられるサガのような気がしてきた。 なんとなく、剣術が進むに連れて、このさきこの村にいないような気もする。 だとしたら、なおさらだ。
「ゾロ、サガの家って福田さんの隣の大きな家なんだって? 知ってた?」
「ああ、そりゃ知ってるさ。」
「へー。 今度ぬかどこもらいに行こうかと思って。ゾロも行く?」
「ぬかどこ!?」
「そ。 きっと長年続いてるおいしいぬかどこがあるよ。ね、サガ?」
「あ? ああ。たぶんね。 あるよ、今度遊びにおいでよ。」
「サガ、あんまり調子に乗せると、こいついろいろ厄介だぞ。いいのか?」
「いいっていいって。 春香ちゃんの好きにしなよ。 俺の母も大歓迎だよ。 うちは男兄弟ばっかりだからね。」
「ぬ、か、ど、こ。 ぬ、か、ど、こ〜。」
と漬物ではしゃぐ春香をサガとゾロがやれやれと追う。
***
三岳滝への旅行から帰った週、春香は頻繁にサガに会いに行くようになった。 サガはやさしいし、大家族で暮らしている彼の家もものめずらしかったが、普通の家なら知っているような行儀から些細なことまでサガは気長に春香に教えてくれる。 自然と春香がいると楽しいとサガも言うので、くいなが死んで以来、自分では足を運ぶことのなかったゾロ達が通う道場にも先生にあいさつに行った。
サガを家へ呼ぶこともあったが、ゾロに悪いとサガはゾロが稽古から帰るころには絶対に春香が家に帰るようにと送り返していた。 が、ある日、
「春香ちゃん、 俺とつあってくれないかい? ゾロと一緒に住んでいるのは知ってるけど、俺、本気だから。 な?」
そう言ってサガが道場からの帰り道で春香の手をぎゅっと握ったのだ。 普通に言えば、自然な成り行きだっただろう。 なんせ、何回も二人で出かけたし、あきらかにサガは春香を慕って家族にも紹介していた。 かえってそこまで言ってからあっけにとられた春香の方が、一歩ずれている。 結局あいまいに返事もできずに家に帰ると、ゾロはいつもの調子だ。 一言、「サガと一緒だったのか?」と聞いて、ああ、そうか、生返事をするだけ。 夕飯も普段どおり黙々と食べるばかり。 別にどうして欲しいわけでもないが、普段は悩むとゾロに相談するのに、こればかりはできない。 それにゾロだって、実際一緒に住んでる春香が他の男とつきあっているのはいいのだろうか。 もともと、一緒になるっていうゾロの断言の元にこの生活スタートしたんじゃなかったっけ?
「おい、」
ゾロがボーっとしておかずをもてあましている春香に声をかけた。
「...ん?」
「顔に書いてあるぜ、春香。」
と、いやみでもなく、あっけらかんとしたいつもの調子でゾロが言う。
「かお? は?」
何のこと? と箸をおいて頬を触ってみると、
「サガに告られたって。」
春香の顔が赤くなった。
「何で知ってるの? サガに聞いたの?」
「そんなことするかよ。 でも、」
そう言って、ゾロは春香が持てあましているおかずを横取りして続けた。
「ことの成り行きだろう。」
確かに、そうだ。 そんなことも考えずにサガに関係なく付きまとっていたのは春香だ。 ゾロのようにすんでいる家族のような仲じゃないんだ、勘違いは当然なのかもしれない。
「あいつのこと、好きなのか?」
ゾロが最後のご飯を口にかき入れながら言った。
「え?」
また春香は激しく動揺した。 ぬけぬけと、あいつは好きかと、ゾロは聞く。 そんなこと考えたこともなかった。 男として誰かを好きになるなんて、考えたこともない。 それにしても、ゾロもゾロで、二人の間にしてもずいぶん聞くもんだ。
「考えたこともない。 仲良くしてたら付き合わなきゃいけないの? そういうもの?」
「さあな。 でも、お前は仲良くしてるだけだと思ってても、あいつには違う考えがあるんじゃないのか? ほれ、」
そう言って、ゾロが箸で春香の胸の辺りを指した。 春香は一瞬はて、と考えて、その箸の先にあるものが自分の胸のふくらみを指しているのだとわかったとき、今度は怒りでゾロをにらみつけた。
「はははは、おまえ、どこまで鈍感なんだよ。」
「ち、ちがうわよ。 サガはそんな人じゃないもん。」
「そうか? 男ならみんな考えるもんなんて、同じだよ、春香。」
「なによ、何考えてんのよ、」
「そりゃ...」
今度は何を想像したのか、ゾロが急に赤くなりだした。
「って、それだよ」
「は? なに わかんない。」
ー困ったな、こりゃ。
ゾロは頭をかいた。 春香は知らない。 夜な夜な後ろから抱きつかれる度に気が散って眠れないゾロを。 小さいころの名残でいまだにゾロが座っていればお構いなく追いかぶさってじゃれる春香を。 そんな同い年の女はいないだろう。
「しらねー。 サガに聞いてみろ。 付き合うんだろ?」
そう言って、ゾロは食器を重ねて台所へ持っていってしまった。
ー ゾロはそれでいいの?
台所に立つゾロを見て春香は思った。 一緒にいるって約束したのはゾロじゃない。 一緒にいるってどういう意味なの? 付き合ってると一緒なの?
春香は畳に転がってゾロを見ていた。 すると、そんな視線に気づいてゾロがチラッと春香を見た。
「それから、そろそろ急に寒くなるかもしれないから、ちゃんとかけ布団ぐらい出しとけよ。 俺はお前の布団じゃない。」
「へーい」
春香は気のない返事をした。 ゾロの気持ちも知らず。
***
「そろそろ帰ろうか? ゾロもかえってくるだろ、春香ちゃん。」
「うーん。」
春香はだるい頭を少し起こして春香の横に胡坐をかいているサガを見上げた。 サガの赤い髪に少し落ち始めた日が当たってきれいな紅色を反射している。
二人は春香の仕事が終わった後、急ぎ足で、まだ来たことのない隣村のビーチに来ているのだ。 サガの家には小さな漁船があって、彼が船を春香のために出してくれたのだ。 午後も遅い時間に着いたので、もう人ごみも少なくなった。
「そうね」
春香はなんとなくサガからの申し出をまだ答えてない。 なんとなく、女友達に聞いたのだ。 なにを一体’つきあう’と言っているのか。 同年の友人の遠回りな説明によると、 今の春香はゾロと’つきあっている’ことになるらしい。 一緒にいることがながいし、一人がでかけると、もう一人も必ず一緒にいきたいし、連れて行きたいと思う。 ただ、あえて、じゃぁ、女と男としてセックスをすることかと聞くと、 友達はあたふたと、あいまいな表現をした。 でも、好きな人なら女として始めてのキスぐらいしたいかもと、そこまで、春香は搾り出したのだ。 そこまで聞くと、なんとなく、春香はゾロと付き合いたいと思った。 サガはとてもやさしくて、サガの家族も春香には初めての経験だった。 が、一緒にいたいかといわれれば、からかわれてもゾロといるほうが、ほっとする。 今はまだそれ以上に関係が発展するとは思えないけど、悪いが、サガにはゾロの役目は無理だ。 ゾロはいつもなんどきも春香の面倒を見てくれる。 そして一緒に苦労しただけ、一緒に笑ったこともあり、そんな経験を語り合えるのはゾロしかいないのだから。
「春香ちゃん、疲れてるんだね。 連日働きっぱなしでしょ。 ゆっくり家で休みなよ。」
「でも、わざわざここに連れてきてもらったんだもん。 村まで見に行きたいな。」
「また、連れてきてあげるよ。 船はいつでもあるんだし。」
「...」
春香はもう乾いた足や腹から砂を払いながら体育座りになった。
「な? また二人で来ようよ。 この村にはきれいな高台があって、風車が何台もあるんだ。 シモツキ村では見ないよな。」
「...ねぇ、サガ」
春香は言わなきゃいけないと少しサガの方を見て、やさしく春香をみているサガと目が合った。
ー...え?
その瞬間、春香の口に生暖かいものがあたった。 それは一瞬だけど、春香の言おうとしていた言葉を奪って春香を硬直させた。
「春香だけを、見てる。 好きだ。」
サガがそう言った。 瞬時にそんなサガの手をぱんっと音が出るぐらいいつも道場でそうするようにはねた。 手加減もしないで、そうすることによって、春香の返しはぱーんと音を立てた。
「帰して。 今。」
そう言って春香は自分を服を構わず水着の上からかぶった。 サガも状況を把握したのか静かに腰を上げた。
***
船がシモツキ村の小さな港に着くまで、春香は何も言わなかった。 唇をかんで、うつむいた表情は、もちろん何一つ言わなくても、春香がキスなど望んでないことをあらわしていたし、サガにももう春香が連絡してこないだろうこともわかった。
「ごねんね。 返事もしなかった私が悪い。 サガとは付き合えない。 今日はありがとう。」
そう言って船を下りると、春香は振り向かずに港を後にした。 それからまっすぐ家に帰る気にもなれず、家のある田んぼのあぜ道まで来ると家を通り越して田んぼの真ん中に座った。 そのとき、なんとなく女友達の言っていた意味がわかった。 最初のキスは自分が好きだと思えるヒトがいい、と。 なぜならそれは人生で一回きりだから。 それに、唇というものは正直だ。 別にどうにも思ってなかったサガが、いまでは憎いぐらい嫌だ。 自業自得だと、ゾロは笑うだろうけど、 春香は今になって涙が出てきた。
「春香、」
と、その時、ゾロが家から調子を見に来た。 感のいいゾロだ。 きっと春香が家を通り越したのをちゃんと気配で感じていたのだろう。
「くるな、バカゾロ。」
春香はそう叫ぶとゾロに見られたくなくて顔を腕でぬぐうと座り込んで丸くなった。
「どうした、春香? サガになんかされたのか?」
ゾロの草履が伏せた腕の間から見えた。 ゾロは春香の横に立って春香をどうやって家まで連れ戻そうか、考えている。 下手に手を出せばあっという間にゾロがひっくり返る。 春香の合気道はいくらゾロでも勝てない。
「...キスされた。」
と春香は顔を上げていった。
「おまえ...」
春香は久しぶりに真っ赤な目をしている。 あたりはもうダイブ暗くなっていたが、それでも、への字に曲がった口といい、ゾロは久しぶりにこんな春香を見た。 思うに意に反してそうなってしまったんだろう。 ゾロは春香の涙が大嫌いだ。 小さいころ境内でよく見かけた春香が初めて泣いていた日、いまでもまだ覚えてる。 あれほどやりきれない思いはそうめったにない。
こんなにおたがいに大きくなっても、春香は些細なことで泣く。 うれしくても、悲しくても。 でも、今日の春香の泣き方は尋常じゃなかった。
「私がはっきり言わなかったのが、いけない。 でも、」
春香はしゃっくりをしながらなんとかそう言いきった。 ゾロがサガのもとへ飛び出していくのではないかと心配して。
「春香のキスは戻ってこないー! えーーーーーん」
としゃっくりが嗚咽に変わった。 そんな春香をゾロは気長に上から覗いている。 それでも、何回も春香にあっち行けと手で足をたたかれながら。
「春香、知ってるか? 俺はおまえの泣いてる顔が大嫌いだ。 境内でおまえが泣いてたころ、絶対におまえが泣かないようにしてやろうと考えた。」
「え?」
春香は隣にしゃがんだゾロが意外な話題を振ってきたので、鼻をすすりながらゾロを見た。
「ま、そううまくいくもんじゃねぇけどよ、それなりにがんばってはいるんだ。」
いつも責任感の強いゾロだと思っていたが、そんなこともあったのかと春香は思った。 もうそんなことがあったことすら覚えてない。
「だから、なんで泣いてるかぐらい聞かせろよ。 一緒に考えてやる。 な?」
「...なつが、ファーストキスは一度しかないから、」
春香はぼそぼそとこみ上げるしゃっくりとともにしゃべりだした。
「本当に好きな人としたほうがいいって、」
「じゃぁ、おまえはサガが好きじゃなかったんだな。 そういうことか?」
春香は首を振った。
「ん? じゃ、どういうことだ?」
「...と、したかった。」
よく聞こえないので、え?とゾロが聞き返すと春香はまたサガとの一件を思い出したのか、ふるふると唇を震わせている。
「ゾロとしようとおもってたの! もうファーストキスなんて、もどってこないんだからぁぁぁ〜。 あーーーん」
と春香がまたうつ伏せになってしまった。
ーお、おれか?
ゾロは春香が泣く理由が分かった。 春香なりにサガの存在を友達に相談したところ、今のサガとの関係と自分との関係から春香はちゃんとゾロを思っていることを自覚していたのだ。 普段はふざけても、”本当に好きな人”というのが、ゾロだとわかったから、今春香が泣いている。
ゾロは胸の奥のほうがズキンと痛かった。 なんだ? と思うぐらい。でも、それは昔から抑えていた春香への愛情であることは分かっていた。 抑える必要もなかったけど、思春期を迎えた自分達は何か決まりが悪かった。 周りの人間はうるさく二人の関係を聞くし、春香ももうそんなゾロの気持ちがあってもいまどき反応してくれないような気がして、いままで高をくくっていた。
ゾロは春香の肩に手を置いた。 いつも触りなれてる小さな肩が、いつかのように震えてる。
「そんな、ひとのいうことなんざ、いつだってあてにならにってよく俺が言うだろ?」
「でも...」
本当だもん、と言おうとして俯いた。 初めての経験だった。 キスされるとは。 それも初めてとそれ以候じゃ、重さが違いすぎる。
「...大丈夫。 もう泣かない。 ...ようにがんばるから。」
そう言って春香は立ち上がった。 拭くものがないので着ていたTシャツをお構いなく胸までくくり上げて顔を拭く。
「帰るか?」
春香はコクンとうなずくと立ち上がったゾロに手を出した。
「おまえ、」
そう言ってゾロが笑う。 つられて春香も厚ぼったくなった目を細めて笑う。
その手をゾロが握ってあぜ道を馬が通る広い道に出る。 いつかも、境内から動かない春香をゾロが手を握って道場までよく送り届けた。 ゾロは送り届けてやる、と無理やり嫌がる春香の手を強引に引っ張るのだが、その手が春香の手を握っていてくれるのが好きだった。 離そうとしても離れなくて、暖かくて、道場まで着けば、握られていた手は真っ赤になるけど、そんな痛みがなんとなく目をつぶって眠りにつくまでゾロがそばにいてくれるのだと感じさせてくれるのだ。
「なぁ、」
そう言ってゾロが足を止めて振り向いた。
足元から顔を上げればゾロがややまじめな趣で春香を見ている。 ’なに?’と目を見ると、春香を抱き寄せた。
「嫌か?」
ゾロが春香の口びるにかかるような息でそう聞いた。 嫌なわけがない、本当ならもっとはやく気づくべきだったと言いたかった。 でも、いつものゾロが肩をつかんでいるだけで、息すらできない。
何か言おうとして口をあけようとしたとき、ゾロがやさしくその口をふさいでいた。 長く、とても長く、ゾロが唇を当てた。 静かにゾロが顔を離すころには足がふらふらして回りの夏虫の音が聞こえなくなった。 ゾロの息遣いだけがやさしく肌にかかって、 目を開ければいつもの翡翠色の目が春香を覗いてる。 長い、切りあがったゾロの目。 けっしてやさしくは見えないけど、これほど見つめられて意識が遠くなりそうな目がほかにあるんだろうか。
「俺のファーストキスだ。どうだ、違うか?」
「え?」
「何か違うのか? セカンドとファーストじゃ? 同じだろう?」
「そ、そりゃ、違うに決まってるでしょ。」
「へぇー。 どういう風に?」
ゾロはふざけてる。 最初から信じてないんだ、そんなもの。 でも、春香がうっとりとして、やっとのことゾロによりそっていることぐらい、気づいているくせに。
春香は無言でそんなゾロに抱きついた。もう頭一つもゾロの方が背が高い。 ゾロの胸が気持ちよく頬に当たる。 ほっと一息ついてそんな春香を受け止めているゾロの胸と、春香の腰に当てられた手の温かみを味わう。
「どうせ信じてないんでしょ。 教えてあげない。」
「本当に好きなやつとするのがいいんだろ?」
ーえ?
ゾロがその場に珍しく細い声でそう言った。 見上げてその表情を見れば、ゾロは目を細めて春香を見てる。 なんとなく、何かにおびえているみたいな、ゾロには珍しい顔。
「ゾロ...」
「俺は春香のこと、」
「おーい! 春香! ゾロ!」
と、暗闇の中で目を凝らせば家のほうから小さな男の子が走ってくる。 サガのところの一番幼い3男坊だ。
「サガから、これを渡すように言われたんだ。」
そう言って、3男坊は家の前においた包みを指差している。
「福田んちの鍵だってよー。 じゃぁな。」
どうやら船から出るときに預かっている福田という百姓の家の鍵を落としてしまったらしい。 二人は条件反射で三男が見えなくなるあたりまでぱっと体を離した。
「帰るか? 飯もさめちまったな。 まだ食べてないんだろ?」
そう言ってゾロが歩きだす。 つられて春香もその後を追う。
「さっき、」
ゾロに追いついて腕をとって春香がゾロを見た。
「なんて言おうとしたの?」
「なんでもない。」
「なくない。なんか言いたかったんでしょ?」
と、内心ゾロが告白してくれるのではと、春香は思った。 そういう雰囲気だったし、わかってても、それが聞きたい。 ゾロだって、私が好きだって、言って欲しい。
「ゾロォ〜」
「おいおい、引っ張るなよ。」
「春香、また泣きたくなってきた。」
「それにはのらねぇよ。」
ーいまさら、一目ぼれだったなんて言えるか。 またいつものお笑いコンビだ。 やれやれ
「おまえ先に風呂入れよ、飯あっためてやるから。」
ゾロがサガの風呂敷を持ち上げながら言った。 ふと春香の気配が止まった。 まだ駄々こねてるのか、と振り向くと春香はゾロの後ろに立っていた。
「ゾロ。」
「だからー」
もういわねぇーと家の戸に手をかけたところで春香に体を反転させられた。 もちろん腕の一部でも春香に触らせれば、春香には合気道で培った勘で人を思うがままに動かすことができる。
「いてぇ、おい」
ーは、なせ?
ゾロは春香に腕を絞られたまま春香のキスを受けた。 さっきは必死で考えもしなかったが、春香の唇は自分のよりのボリュームがあってやわらかい。 少しゾロのキスを招くようなキスに思わず目を閉じた。春香がするように自分も春香の唇を口先でつまむように動かすと、耐え切れないぐらい胸が痛い。 気持ちが正直に湧き出てくる。 いまでも、いまだに、おまえが好きで、好きでしょうがないんだ、と。 おまえがいなくなったら俺はどうやっていきていくんだよ、と。 バカは俺だ、サガとなんて、最初からやめさせればよかった。 最初から腰が引けてるのは、俺じゃねぇか、と。 ゾロの気持ちはもう収まるぐらいところなんてない。
いつしかゾロに腕を掴んでいた春香の腕はゾロのTシャツに捕まってゾロに身を任せている。 ゾロは風呂敷を置いてそんな春香をささえた。 床に落とされた風呂敷はどたん、と音を立てたが、それでも二人とも離れる気なんてなかった。
ふとゾロの唇が引いた。 春香がゆっくりと目を開けるとゾロが夢見がちな春香の目を交互に見た。 いつ見てもきれいな翡翠色の目。 泣きつかれてちょっと眠そうでもある。
「ゾロ...」
「春香、」
「好き。 ずっとゾロが好きだったよ。」
ゾロは春香を抱き上げた。 震える唇を見て欲しくなかった。 自分の目が潤む瞬間が嫌だった。 でも、自分の気持ちはもう溢れ出てた。
「俺も、春香が好きだ。 もう誰にもわたさない。」
「ゾロ...」
***
ゾロと春香の出会い。 それは10年前のあるシモツキ村の境内でのこと…
「オマエ、合気道のとこのハルカだろ。」
ゾロは前々から気になっていた不思議少女にとうとう声をかけた。 ゾロは毎日道場で稽古をつける前に村の丘にある寺まで走る。 だいたいのんびりした村なので、ゾロほど早起きしているのは近所の年寄りか犬の散歩をする人ぐらいだ。 が、いつも寺に行く途中の曲がり角で合流する女の子がいる。 その子は大体ゾロが走る時間に町の角の曲がり角から現れてあっという間に先に寺についてしまう。 いつもきっと近道を知っているのだ、と合点していたのだが、それにしても早い。 何回か追いつこうとしてみたが、結局先に行かれてしまう。
が、ライバル意識というよりもゾロの興味をそそった。 噂でよく知っている、自分と同じような風貌で、髪の毛が緑、しかも同じように拾われた子で、合気道の道場の養女だという。
そして、なにより、後から追いつくゾロをぼーっと境内で見ているのだ。 それから折り返して帰るわけでもなく、寺の賽銭箱の上に座ってゾロをみているだけ、である。
「あんた、誰?」
春香はぼそっと息が上がりきったゾロに言った。 よりによって賽銭箱の上で足をぱたぱたしている。 礼儀もないやつだ。
「おれか? 俺はゾロだ。 オマエ、早いな。 最近走りこんでるとこ見たぜ。」
「早く来ないと捕まっちゃうじゃない。」
「捕まる?」
「そう。 あんただって、拾われた子でしょ? 何させられてるの?」
「おまえ、誰かから逃げてるのか?」
「だから走ってるんじゃない。 あんたとろいわね。」
そう言って春香はつまんなそうに賽銭箱から降りた。 ゾロはさらに春香をまじまじと見た。 別に村の人間と違うからと言ってさほど気にかけたこともなかったが、春香は全くゾロと同じ風貌だった。 間近で見るその目は深い緑色で、髪の毛は銀に近い翡翠色。 当たり前だがそのまつげも色素が薄くて透けて見えるところまで、似ていた。
「あんた、これからどこいくの? いつも急いで帰っちゃうけど。」
春香はゾロが好きで走っていたことを知らないらしい。
「そりゃそうだよ。 稽古があるからな。」
「あ、そ。」
「一緒に来るか? おれ、剣道の道場に通ってるんだ。」
と、ゾロは自慢げに自分の着ているTシャツの胸についている道場のサインが春香に見えるように気持ち胸を張ってみた。
「興味ない。」
そう言って春香は表情ひとつ変えずにきびすを返して寺の裏へ走っていてしまった。
「おい、そこの君、」
振り向けば袴を着た中年の男だった。
「君ぐらいの女の子を見かけなかったかい? あ、ちょうど、君みたいな髪の毛の。」
その男は明らかに走ってどこかから来たのだろう、息が荒い。
ゾロは首を振った。
「あー。 またどこいったんだ、春香。 やれやれ」
そう言ってまた男は階段を下りていく。
「あれが家の義父よ。 あの人は悪くないけど、義母は鬼みたいな人。 」
と、春香がまた賽銭箱の上に立っていた。 どこから現れたのか、迅速に忍者のように動く。
それから毎日、ゾロと春香は挨拶するようになった。 ゾロは長居はしなかったが、徐々に春香と打ち解けて道場や村の話をした。 町で春香を見かけることもあったが、大体そんなときは遠めにお互いを見るだけだった。 そんなときの春香は申し訳ないほど不幸せそうな顔をしていた。 なんでも、何をしても義母にしかられ、稽古に行けば義父が厳しいらしい。 跡継ぎとして拾われたのだから、それなりの教育をと、朝から寝るまで一人の時間がないらしい。
境内にこれるのはたまたま走り込みをしていて義父が目を離した瞬間のみだそうだ。
そんなある朝、また先を行かれた、とゾロが笑いながら境内に着くと春香はいつものように賽銭箱の上に座っていた。
「おい、大丈夫か?」
春香は無言でうずくまっている。
「体でもおかしくしたのか? おぶってやろうか?」
春香は首を振る。
「私はごみなんかじゃない。」
そう言った春香の目からぽた、ぽた、っと大粒の涙が溢れ出てきた。 なるがままの涙はそのまま小さな春香の膝に落ちていく。
聞けば義母が世間話をするのを聞いてしまったらしい。 見かけがきれいだし、体が丈夫そうだから、拾ってみれば、とんだごみだと。 このまま育ててもどうなることやらと義母が近所の人間と世間話をしていたらしい。
ゾロにはばあやと呼んでいるやさしい一人暮らしの女性がいる。 道場の先生もやさしい。 べつに母親や父親がいないからといってさびしいと思ったことはなかった。 が、春香はおなじ拾われ子でも、全く別の家族に囲まれて生活している。
「おい、言いたいやつには言わせておけばいいだろう。 これだけ足が速くて、瞬間移動できるやつが何を恐れてるんだよ。」
ゾロは春香の隣に座ってそう言って肩をたたいてやった。
「俺は、朝ここまで走って、おまえがここにいないと、その次におまえが来るまで、心配なんだ。 ちゃんと飯食ってるかな、とかまたいじわるされてるのかな、とか。」
「え? わたしが?」
「ああ。」
ゾロは別に意味もなくともだちとしてそう言ったが、春香はとても意外そうにゾロを見た。
「ゾロは私が心配なの?」
「ああ。」
「うれしい。」
そう言って、春香はにこっと笑った。 その顔がまた、ゾロを照れさせる。 風格が似てるといっても、春香はかわいい。 くりんとした目はゾロと違って丸くてバランスがよく、目がビーズ玉のようだ。
「そ、そうか? ああ、そうだ、このままうちの道場来いよ。 今日は昼間にばあやが道場に来てみんなでトン汁作るんだ。」
「え? でも、私が行ってもいいの?」
「もちろん。 春香は俺の友達だ。」
「友達?」
「ああ。 ほれ、」
そう言って賽銭箱から立ち上がってゾロが手を差し出す。
春香がその手を使って賽銭箱の上に立つ。 立つと春香のほうが、少し背が高い。
「じゃ、こっから競争な。」
「え? 急いでるの?」
「違うよ、走ることが、稽古なんだよ。」
「ふーん。 いいよ。」
そう言ったかと思ったが春香が走り出し、階段に消えた。
「おい、道場の場所知ってるのか?」
そう言って200段ある階段を下りているはずの春香を見ると春香はすでに半分降りたところでゾロを見上げた。
「え? ああ、知らない。 早くおいでよー!」
「なんじゃあいつ?」
ゾロは春香がウサギのように階段を飛び降りていく様子を見た。 なるほど、この運動力を買われて拾われたのかとも、おもったが。
おしまい
(2011.10.28)
<管理人のつぶやき>
パラレルのような原作のような不思議な世界観。ゾロにはくいな以外の幼馴染『春香』がいる世界。そして、将来的には原作設定の世界へと繋がっていくそうです。
出会ったころからゾロが春香のことを大切にしていて、とても愛しく想っていることが、痛いぐらいに伝わってきました。サガもイイ男なんですが・・・(笑)。でも幼いころから共に生きてきたゾロと春香です。ここはゾロに軍配が上がるでしょう!こんな風にゾロに想われたら女の子は幸せですよね^^。
CJさんの初投稿作品でした。素晴らしいお話をありがとうございました!続編も期待してます!!