愛すべき友人
ありさか 様
満天の星空の下、昼間にはない静寂のひととき。
皆寝静まるとこうも無音なのかと少し怖くなるくらいだった。
船の先端で見張りをしつつ両手にダンベル。
海軍なし、海賊なし、波は穏やか、ログポーズの針どおりに船は進み、航海はまさに順調。
「見張りご苦労様」
深夜の訪問者は「美容の為」1番に寝室に戻ったはずのナミだった。
「あァ」
無愛想な返事。
全て理解しているナミは気分を害することはなく、黙ってゾロの隣に座った。
ダンベルを置き仮眠用に持ってきていた毛布を広げる。ゾロの腕にナミがすっぽりと収まると毛布と一緒に抱きしめた。
無用な言葉を交わす必要はない。そんなぶっきらぼうな優しさにナミは惚れていた。
隣にいるだけで幸せを感じる。このまま時間が止まればいいのにと夢見がちなことを何度も願いながら。
その気持ちに雑念が混じりだしたのはここ最近のことだった。
「ロビンちゃん、お茶のおかわりいかがですか?」
「ええ頂くわ、ありがとうコックさん。このケーキとっても美味しかったわ、また作ってくださる?」
「お安い御用で」
奪い合いの戦争が繰り広げられるキッチンと境界線が引いてあるのかというくらい優雅な空間。
ケーキを食べ終えるとまた読書の続きを始めた。アイスティーを注ぎ手渡すと、しっかりと視線を合わせてありがとうと受け取る。
目をハートマークにしたまま蜜柑の木に向かって声をかけた。
「ナミすわぁ〜ん! お茶のおかわりいかが〜?」
「ありがとう、でももういいわー」
蜜柑の手入れにいそしむナミは黙々と作業を続ける。
「そういう一生懸命なナミさんが大好きだぁ」
聞こえるはずなのに何も返答しないナミも好きだった。
「サンジー! もうケーキねぇのかぁ!?」
「お前はもう食うな! おいサンジー、ルフィが全部食っちまったんだよー、もうないのかー?」
「おでど、おでどげーぎぃ」
「おい何泣いてんだチョッパー。あははは変な顔だなー」
「お前がチョッパーの分まで食っちまったからだろうがっ!」
深い溜息が出てしまう。視界に入ったロビンは涼しげにページをめくり、ナミは蜜柑の木に薬を与えていた。額縁に当てはめて形に残しておきたいほど絵になる美女たちのワンシーンもGM号の上ならうるさい野郎共の声にぶち壊される。
「冷蔵庫に少し残ってるからチョッパーとウソップはそれを食っていいぞ。ルフィの分はもうねぇ」
「えー!」
「ありがとうサンジー!」
ばたばたと冷蔵庫に走っていく3人を見つめながら鼻で笑った。その中にゾロはいない。船尾でダンベルの上げ下げをバカの一つ覚えみたいにずっと繰り返しているんだろう。わざわざ声をかける気はなく、サンジとゾロの分をウソップとチョッパーにあげた。ケーキの一つで文句は言わないだろう。
しゅっとタバコに火をつける。
サンジがゾロに冷たいのは今に始まったことではないが、更に関係が悪化したのはここ最近。
ゾロとナミが恋仲になった頃からだ。
どれだけアプローチしても冗談にしかとってもらえず、それでも一緒にいられるだけ幸せだった。
──ナミの気持ちが無愛想な剣豪に向いていることや、つかみ所の無い航海士を目で追っているゾロに気づくまでは。
嫌な予感は的中した。その数日後に二人が一線を越えてしまったのだ。
その現場を見たわけでも聞いたわけでもない、だがサンジにはわかってしまった。それは誰にも言えない心の傷となってサンジの胸をずっともやもやさせている。
「フー」
そんな気持ちも煙と一緒に追い出せたら楽なのに。
ゾロとナミの関係にはクルー全員、感づいている。二人のことだからおおっぴらにはしないし、皆もあえて言わないが、身体の関係を持っていることはルフィやウソップ、ましてやチョッパーには絶対にわからないはずだ。まさか夜、GM号のどこかで身体を交えてることまでは想像していないだろう。
船を街に停泊させたときですら自由行動の時間は少ない。だがその短時間でも二人には充分だった。
わかっていながらも別行動する。手を振って二人と離れることが、どれだけ苦しいか。
「……オレの繊細な気持ちなんて、わかんねぇだろうなァ」
「わかるわよ、コックさんは皆に気を使える人だってこと」
独白に返事があり、サンジは心臓が止まりそうなほど驚いた。
本をぱたんと閉じたロビンはまるで全てを知っているかのように微笑んでいる。
サンジにはない大人の余裕。
「ロビンちゃん」
彼女も、二人の身体の関係に気づいていたのだ。
そしてなによりも自分をわかってくれている、サンジの沈んだ心が救われる一言だった。
「あなたの紳士的なところは大切にしたほうがいいわ。でも自分を押し殺すほど無理しなくていいのよ。コックさんの魅力をちゃんとわかってる人がいる、それを忘れないで」
腕の力が抜けてタバコから灰が落ちる。ゆるい潮風に流されていった。
トキメキではない、胸を締め付ける想い。
「ついこないだまで私にべったりだったのに」
自分にそんなこと言う権利はないんだけど。
頭では分かっていても感情が許さない。プライドが高いだけかもしれない。
ヒドイ女。
軍手をはずして額の汗をぬぐう。ちらっと視線を移したとき、サンジとロビンが親しげに会話をしていた。
付かず離れずの関係が気に入っていてサンジの恋とか愛とかそういう気持ちから目を背けていたのは自分。
そうしておきながら自分はしっかりと恋をして、愛されている。裏切ったのだ。もちろん恋人を作らない義務は無いし今とても幸せを感じている。
それでもサンジには自分を見ていてほしい。強欲だということはわかっている。
それでもサンジはそうしてくれると思った。傲慢だということはわかっている。
それでも──。
「おい、どうした?」
汗だくの剣豪が何十キロあるかわからないダンベルを涼しげな顔で両手に持っている。
足音に気づかないほど考え事をしていた自分に驚いた。それをバレないようにいつもの強気な顔で応える。
「なんでもないわよ。シャワーでも浴びてきたら?」
「おお、そうする」
この体力バカは今日もきっと私を抱く。そして私もそれを望んでる。
自分で選んだ人なのに今この気持ちが不安定になってた。
「おーっ! 島だぁ!」
船長の声にはっとした。慌ててログポーズを確認、指針は目の前の島に向かっている。
「うん、あの島に間違いないわ。でもまっすぐ行くと岩礁地帯だから舵を右にきって」
「オゥ! 任せろっ」
高めの声が人型になるにつれ低くなる。頼もしい船医は舵取りも慣れた手つきだ。
島に近づき桟橋を見つけてあとはそこへ一直線。碇の準備や帆をたたむ準備でばたつく船内に、石鹸の香りを漂わせた剣士がのんびりと出てきた。もう島かと間の抜けた声が耳に届く。
「なにチンタラしてんだ、早く手伝えマリモマン!」
「うるせぇクソコック!」
そんなやり取りが聞こえて頭を抱える。どっちでもいいから船を無事に着岸させてね。そんなナミの溜息はなかなか届かない。
ちらりとロビンを見ると帽子をかぶり日傘を用意していた。すっかり準備万端のようだ。
今日は誰と町を歩くのだろう。
「今日はウソップが船番だったわよね。食料調達はサンジくんに任せるわ。チョッパーも必要な薬を買ってね、お金足りる? ゾロとルフィは水を汲んできて頂戴。以上!」
「私は何したらいいかしら?」
名前を呼ばれなかったロビンが傘を開きながら聞いてくる。
「自由行動でいいわよ。明日の朝には出港するからあまり時間ないけど」
「ありがとう航海士さん。じゃあ船降りましょうか」
「島だー!!」
「おーっ」
「気をつけていってこいよー」
ウソップに見送られてルフィたちが船から飛び降りる。あくびをしながらゾロが追い、サンジも続く。
「留守番お願いねー!」
軽々と着地するナミに、ふわりと降りるロビン。
揺れない足場に一瞬ふらつくも、大きく“伸び”をして呼吸を整える。
さて、と歩き出そうとしたとき、女性二人が降りるのを待ってる人影に気づいた。
「コックさん」
「サンジくん」
二人の声が重なる。
その人がいつもなら抱きつく勢いで近づいてくるのに今日はポケットに手を入れピシっと立っていた。
改まった姿勢にドキッとするナミ。ロビンはどう受け止めているのか表情に出さない。
にっこりと微笑んだサンジがうやうやしくお辞儀した。
「よろしければ一緒にいきませんか? お姉さま」
ナミの胸がズキッと痛んだ。
手を差し出して返事を待つサンジに一瞬ロビンが驚きを顔にした。そしてフフッと微笑んで、自分の手を重ねる。
「お供しますわコックさん」
そう、これでいいのよ。
だって私には好きな人がいて、その人との永遠を願ってる。あなたにも幸せになってもらいたい。
ナミは自分にそう言い聞かせるように笑った。
「いってらっしゃい」
二人の背中にひらひらと手を振って見送る。
一緒に歩けなかったのは足が動かなかったから。
「……情けないなァ、私ってば」
ちゃんと笑えていたかしら。
姿が見えなくなってようやく歩き出す。
重石が入っているかのような心臓をぎゅっと抑える。
頭を振ってリセットしようと別のことを考える。あれもしたいこれもしたい、いろいろあるけど小さな島だからすぐ一周できそう。地図に起こせるようにたくさんメモを取ろう。それから新しい服が欲しいから──
ぴたりと足と思考回路が止まった。
桟橋の入り口でナミを待つ人がいたから。
「遅ぇぞ」
「……ルフィは?」
待っててくれたんだ。
一人になりたくてルフィとの水汲みを命じたのにゾロはそこで待っていた。
まるで感情に押しつぶされそうな心を知っているかのように、そこに。
ナミはきゅっと唇をむすんで溢れ出しそうな涙に耐えた。
「二人に水汲みをお願いしたのに船長が率先してサボってるなんて呆れちゃうわねー」
誤魔化すように大きな口で笑う。だがゾロの答えはルフィのフォローだった。
「先に行ってもらった。お前が遅いからだ」
ナミははっとした。
はっきりと口にしない恋人の言葉は『お前を待っていた』という意味で。
そんなゾロの不器用な愛し方が自分にすっかり馴染んでいることを再確認した。
もやがかっていた胸に太陽が射し込むように、今までの気持ちはなんだったんだろうかと思うくらい心が軽くなったのがわかる。
美味しい料理が作れなくても、愛の言葉を知らなくても、そんなゾロだから好きなんだ。
ゾロは水を入れる樽を抱えなおしナミに背中を向けて歩き出す。
「行くぞ」
好きすぎて涙が一筋頬を伝った。気づかれないようにすぐにぬぐってその背中を追いかける。
「うん」
──ごめんね、ありがとう。
──サンジくんのおかげで自分の気持ちが再確認できたよ。
口には出せないが心の底からそう感謝する。
胸につっかかっていた棘から解放されて、自然と頬が緩んだ。
「水汲み場はそっちじゃなくてこっち」
どんなに強くたって一人じゃなにもできないんだから。
この人のそばにいて、ずっと支えていきたい。
慌てふためく姿を見ながらそう誓った。
一生付き合いたい、友人に。
end
(2005.02.23)