スタン・スミスは何色が好きですか?

CAO 様

 

今日は、ゾロの姉の誕生日だった。

以前からプレゼントの発注を受けて、ゾロはこの靴屋にやってきた。そう、5軒目の靴屋だ。

発注という表現もおかしいが、姉のくいなのプレゼント要望は『おねだり』等といった可愛いらしいレベルでは無く、正に『請求』というに相応しかった。敢えて言うなら、ユスリ・タカリの類で。


「良い?ちゃんと分かってる?サイズはUS5ハーフ・甲の部分はマジックテープ、踵側のロゴは必ずグリーンよっ!グリーンだからねっ!秋物の限定が出てるから。そのグリーンが抹茶っぽくって素敵なのよ〜底のソールもグリーンのラインが入ってて、これがまた可愛いんだから…」

「憶えてらんねー。てか、何色でもいいじゃねぇか?」

「馬鹿っっ!色が大事なのよっ、色がっ!スタン・スミスといえば、グリーンなのっ!グリーン!緑色っ!アンタの頭と同じ色よっ!分かる?分かったわねっ!もし、違う色だったらどうなるか……ゾロ、分かってるんでしょうね〜」


どうなるかなんて、考えただけでも恐ろしい。
ゾロは幼い頃から4つ年上の姉くいなには、全くと言っていいくらい頭が上がらない。体力的に劣っていた子供時代は勿論、思春期になれば肉体的変化の弱点を衝かれたり、淡い想いに心踊れば一言で玉砕してくれたり…完全に腕力では勝る大学生になった今でも、口ではからっきし歯が立たない。
その姉に逆らったが最期どんな仕打ちが待っているか?拳のひとつふたつは当たり前、幼少の恥ずかしい写真をバラ撒くとか、ゾロの初体験の日の話など持ち出されたりする可能性は、決して0とはいえない。
なにしろ、早くに母を亡くした家庭で、中学生頃から母代わりに家計を取り仕切ってきた姉だ。名実共に女帝と言って、過言ではない。逆らったりすれば、家の敷居を跨ぐ処か、明日の日の目を見る事も叶わないかもしれない。

そんな恐怖に震えつつ、バイト給料日前で金欠の中、なけなしの5000円を握り締め、5軒目の靴屋に辿り着いたのは、夜8時を回っていた。
最近入荷したばかりの靴は、人気商品の為かどの店も品薄で、しかもサイズがあっても色が無いとか、色はあってもモデルが違うとか…要は夕方からあちこち歩き回っても未だ手に入っていなかった。

(このままじゃ、家に入れて貰えねぇかもしんねー。ヤバイぞっ。くいなのヤロウ9時には戻るってたな…あーどうするよ。マジ参った。)

普段は滅多に行く事が無い、最寄り駅の反対出口脇にある靴屋を思い出し、足を向けてみた。ここが5軒目。
すると店頭の中央に、女帝ご所望のスタン・スミスが鎮座あそばしていた。しかも玉座の背後に【ラスト一足:30%OFF】と、デカデカと手書きポップが付いている。
ゾロは近付き、抹茶色のラインが眩しいスタン・スミス様の左足を手にし、中を覘いてサイズを確認した。

『US 5 1/2』

思わず空いた手で拳を握った、その瞬間。


「すいませーん。これ、片方無いんですけど…」


声のする方を見れば、展示された靴を挟んで反対の通路に、ゾロに背を向け店員を探すオレンジの髪の女が立っていた。

しかも、手にはこれから女帝のお履物となる【スタン・スミス】が。

「ええーと、こちらは…」

近付いてきた店員が辺りを見回し、ゾロの手元にある【スタン・スミス】に目を止めた。瞬きを繰り返し、申し訳け無さそうな瞳で、ゾロの様子を窺っている。

「……あん?」

何か文句でもあるのか?そんな思いを込めて、ゾロは店員を見返した。
普段でも悪人面と評される顔付きに、この靴は渡せないという思いが加わって、更に凶悪な目付きになっていたのだろう。
店員は息を呑み、見る間に蒼白な顔色になって行く。ゾロにすれば大した気合いを込めているつもりも無く、逆に申し訳けない気持ちが頭をもたげてきた。


「ちょっと、アンタ!私の靴返してよっ!」


背を向けていたオレンジ色の髪がクルリと振り返り、ゾロの手元を見た途端声を張り上げた。

彼女は怒りの炎を、茶褐色の大きな瞳に燃やし、加えて、思わずムシャブリ付きたくなる程艶々した唇を、キッと持ち上げ威嚇している。そして、その細く白い指先を一本伸ばし、【スタン・スミス】に確り照準を合わせていた。

「これは、俺ンだっ!」

ゾロは手にしていた一足を守る様に小脇に抱え、眉間の皺を深くして切り返す。

「なんですってぇー!これは私が先に見付けたのよっ!」
「俺のが先に手に取ってた!」
「私は発売された日から買うって決めてたのよ。私が先よ!」
「それは、カタログか何かで、この靴じゃねぇだろ?俺は『この』靴じゃねぇと駄目なんだ!」

女の手元にある片割れに向かって、何度も何度も指差しを繰り返し言い募るゾロ。

「違うわっ!私は『この』スタン・スミスが欲しいの!30%引きになるのを待ってたのっ!」

負けじとオレンジ女も、ゾロが守るお履物を指差す。

「俺だって、これを探して一体店何軒回ったと思う?」
「お…お客様?」

二人の客のアマリなエキサイト振りに、おずおずと店員が声を掛けた。


「「煩いっ!黙ってろ(て)っ!」」


間髪入れず二人のお客様は声を重ね、鬼の形相で店員を見据える。

「ヒィ〜…」

恐れおののく店員を尻目に、二人の勝負はまだ続いていた。

「何軒回ったのよ?」
「5軒だっ!」
「だ・か・ら?」
「だからって、テメェ…」
「何軒回ろうとアンタの勝手でしょ?私は、ずうっ〜〜とこの店で買おうと狙ってたのよ。私の方が先だって事。お・わ・か・り?」
「その先とか後の問題じゃねぇだろ?買おうとしてる今、俺のが先に手に取ってただろうが!そう言う意味だっ!」
「何言ってんの、バカじゃない?」
「あん?今バカつったか?バカって…」
「だって、そうじゃない?アンタは見てただけ、私は買おうとしてたでしょ?店員さん呼んだのは私だもん。ねっ、店員さん?」

いきなり話を振られ、店員は口ごもった。

「あ、あっ、いや、その…」

返事を聞かぬ間に、オレンジ女が豊かな胸を反らし、自信満々に言葉を吐く。

「ほうら、そう言ってるじゃない?」
「言ってねーだろっっっ!」

二人の視線が交錯し、火花が散っている。互いに譲らぬ固い意思の下、この強敵を打ち負かす方法を必死に模索する。

(ヤベェぞっ。このまま手に入れられねぇと、くいなに殺される。時間がねぇんだ。何かいい方法はねぇか?……しっかし、この女、退かねぇヤツだな。普通俺の顔みたら退くだろ?いい根性してやがる。くいな並だな、こりゃ!敵ながら天晴れ…って、何考えてンだ俺?)

暫く二人は展示された靴の山を挟んで、無言の睨み合いを続けていた。まるでそれは獲物を狙う天性のハンターを思わせるもので、そこに同席を余儀なくされた店員は憐れな仔羊。いや、正しくは、仔羊は【スタン・スミス】なのだが。
しかし、仔羊と云えども店員。尻尾を切り落とし逃げるトカゲくらいのプロ意識を持っていたのであろう。
彼は深く深呼吸をし、恐ろし気な二人の客に提案を持ち出す。

「あ、あのう…何でしたら、別のお色をお出ししますが。」
「「この、色じゃないと駄目(だ)!」」
「でしたら、こちらが最後でして…」
「「そんなの見りゃ分かる(わよ)!」」
「ヒッ……で、で、では、どちらがご購入なさるか、決めて頂けると有り難いんですが…」
「「今、決めてんだろ(でしょ)!」」

店員の提案は悉く却下される。しかし、その度に同じ反応を見せる二人は、相手のリアクションが鏡に写る自分の姿を見ている気がして、段々と冷静さを取り戻してきた。

(コイツ…一筋縄じゃいかねぇな。よし、ここは冷静になった方が勝ちだ。何とか理詰めで納得させて諦めさせよう。女相手に感情に委せれば、こっちは分が悪りぃからよ。)

ゾロは、一旦彼女から目を伏せ、小さく深呼吸し、再び不退転の決意を緑の瞳に込め、茶褐色の目を見据えた。

「おい、アンタ…提案がある。」
「何よ、いきなり?」
「このままじゃ埒があかねぇ。」
「確に、そうね。」
「だからここは、俺とアンタどっちにこの靴が必要なのか、相手の意見を聞いてみる…つうのはどうだ?」

女はゾロの瞳を油断無く窺い、何処かひと安心といった表情を見せた。直ぐに誘う様な唇に不敵な笑みを浮かべ、蠱惑的な瞳の上の眉を上げる。

「いいわ…」

挑戦的な口調で告げられる言葉は、何処か妖しい魅力を備えていた。

「聞かせてあげる。私がどんなにこの【スタン・スミス】を愛しているか。」

店員は何処かで、第2ラウンドの鐘が響いたと、確に聞こえたと感じていた。






「………って訳。分かったでしょ?私がどんな愛情を感じているか。」

オレンジ髪の女の長い長い演説が終わった。10分近く話続けていた。その内容は………【スタン・スミス】との出会いから始まり、その歴史(ウンチク)、彼女の思いまで。様々な要素を並べ立て、聞く者の心に響くよう多少芝居じみた口調を交えた、一大叙情詩。さしものゾロでさえ、その話っ振りに頷きを覚えてしまったのだから、直ぐ脇に控える店員など瞳に涙を浮かべていた。

「ね、これは私が買うべきものでしょ?」
「ええ、おっしゃ…」
「ちょっと待て!」
「何か問題でも?」
「大アリだろーが。」
「でも、お客さん、こちらのお嬢さんは…」
「アンタの言い分は確に感動的だった…けどよ、まだ俺の事情を聞いちゃいねぇだろ?それで決めちまうってのは、オカシナ話じゃねぇか!」

ゾロは内心慌てふためいていた。彼女は語り上手の上、手元には30%引き分の現金しか持ち合わせていないという。財布の中身まで見せて、確認させる程だ。
これを購入する為、一人暮らしの食費も切り詰め、捻出した金だと。
確かに同情した。
だが、ゾロにもそれ相応の事情がある。命に関わる…とまでは言えないものの、少なくともそれに近い惨状を、覚悟しなければならない問題を抱えている。何より、時間が惜しい。こうしている間にも、女帝のおみ足は帰宅の途に着いていて、刻々と近付いて来ているのだ。
逸る気持ちを抑えつつ、ゾロは必死の抵抗を試みた。

「分かった、聞くわ…でも、手短にお願いね。この辺りは夜になると街灯も少ないし、若い女の一人歩きは危険なのよ。」

自分の長話を棚に上げて堂々と言い切る、その女の態度に呆れた。
しかし、それが怒りにまで達しなかったのは、オレンジ女の媚び無い潔さと、ゾロのくいなに対する恐怖心があったからに違いない。

「早く言ってよ。」

ミニスカートから覘く形の良い長い足を、トントン踏みながら大きな瞳で見つめられた。

「……た、頼まれたんだ。」

濁りない茶褐色に射すくめられ、ゾロは落ち着かない気持ちになる。別に悪事を働いている訳でも無いのに、焦る気持ちが沸き上がり、自分の頬が赤らんでくるのを抑えられない。口調もついたどたどしくなった。

「本当?」

女の瞳に猜疑の色を見咎めた瞬間、勢い込んで否定しようとする自分を止められない。

「本当だっ!嘘なんて俺はぜってー吐かねぇ!」

初見のしかもライバルである女にどう思われ様が構わない筈なのに、その時のゾロは何処をどうしたものか、彼女の信頼を勝ち得たいと感じていた。
懸命になる自分が無償に恥ずかしく、余計シドロモドロになって行く。その事により、更に疑心を煽るとは分かってはいたものの、全身が緊張に覆われていた。

「本当なんだ……時間もねぇし。か、帰って来ちまうから。これが無ぇと、入れて貰えねぇ…つか、そんな情けない事にはならねぇとは…」
「意味分かんないんだけど?」
「!…分かんねぇって?」
「ねぇ、店員さん分かる?」
「いやぁ…正直理解不能というか?」
「なんだとっ!」
「アヒィ〜〜」
「ちょっと、脅しは無しっ!強迫するなんて汚いわよっ!」
「誰もそんな事してねぇ〜言い掛りつけんな。」
「顔が既に威嚇してんのよ!」
「煩せぇ、生まれ付きだ!」
「同情するわ。そんな顔してたら、彼女の一人もいない……はっ!」

彼女は突然驚愕すると、次に憐れみを込めた表情を見せた。捨てられた子犬に向けるそんな瞳で。

「な、なんだ?」
「……そうなのね。そうだったの。はぁ〜それで。」
「お、おい!何、勝手に納得してんだよ。」
「アンタの事情ってのが読めたわ。おかしいと思ったのよ。男のクセに、こんなジュニアサイズのスニーカーを大事に抱えてるなんて。彼女へプレゼントするつもりでしょ?…でも、同情はしない。彼女がいるだけで幸せと思いなさい。私なんてこの美貌を持ってしても、彼氏なんていないんだから。って言うか、引く手数多で困ってるってのが本音ではあるんだけど。何ていうのかしら?胸がこう、キュンってなるみたいな出会いが無いって言うか…」

放って置けば閉店、いや、明朝まで喋りそうな勢いの女に、ゾロは本気で焦りを覚えた。

(彼女に男がいないと分かってホッとしたのは、この際二の次だ。どうにか主導権を取り戻さねぇとっ!それに、俺に女がいると誤解してやがる………ん?なんじゃ、そりゃ。俺は一体どうしちまったんだ?あー、もー、クソッ!)

「テメェ〜、俺にも喋らせろ〜!」
「だって分かっちゃったんだもん。もういいわよ〜」
「よ・く・ねぇ〜!」
「アンタみたいな女っ気なさそうな強面に、やっと春が来て、その人の為にプレゼントして、気持ちを繋ぎとめようとしてるんでしょ?努力は買うけど、ここは男らしく諦めて、他の事で尽してあげなさいよ。彼女だって分かって……はっ!まさか、片想いとか?」

表情が面白い程クルクル変わる女だった。目玉が飛び出すかというくらいの驚きを見せたかと思えば、可哀想とでも言いたげな憐憫を見せる。なのに直ぐ様、やり手ババァの仕草をし、今度は慌てた顔になる。しまいには、ご愁傷様と言わんばかりだ。

ただ、妙に明るく輝く店頭の光に照らされ、スポットライトでも浴びている様なオレンジ色の髪が酷く眩しかった。

そして何より、ゾロ相手に恐怖を覚えず堂々と渡り合う女に出会ったのも、彼にとっては新鮮で、腹が立ちもするが、ある種の心地良さをも感じていた。

「諦めた方が良いと…」
「どっちもちげーよっ!人の話は最後まで聞きやがれっ!」

彼女の眩しさに当てられながら、追い詰められたゾロは、最後の足掻きとばかり一気に畳み掛けた。

「誕生日なんだっ!今日!買って帰らねぇと、家に入れて貰えねぇんだっ!9時には帰って来るから、もう時間がねぇんだよっ!」

女も店員もパチパチ瞬きを繰り返す。それはそうだ、さっきまで威嚇と突っ込み以外は、口下手な説明しかできなかったゾロが、堰を切った様に話し始めたのだから。必死で、肩で息をする勢いで。しかも、少し情けない憂いを感じさせる表情で。


「譲ってくれ…頼む。」


一見不遜にさえ見えるイカツイ青年が、靴ひとつの為に緑の頭髪を下げている。
窮鼠猫を噛むとは良く言ったもので、イッパイイッパイになったゾロは恥も外聞もかなぐり捨てた。
その所為か、気の毒といった顔付きを、店員とオレンジの女は見合わせてしまった。

「お客様、頭を上げて…」

店員がその場を取り成そうと声を上げるや否や、オレンジ女の手元が動いた。


「……これ。」


頭を下げていたゾロの鼻先に、神々しく輝く【スタン・スミス】が差し出された。実際には、ただの合皮なので光っている筈は無いのだが、ゾロにとっては命綱とも呼べるそれは、正に眩暈を起こす程の輝ける逸品に外ならない。


「いいのか?」


顔を上げて、差し出した白い腕の持ち主を見る。
彼女は戸惑いつつも、諦観を茶褐色に称えていた。その姿は、童話に出てくる金の斤と銀の斤を手にした女神を彷彿とさせた。


「…私の気が変わらないうちに、取った方が身の為よ。」


スネた口振りが可愛いらしく思えたゾロは、ニヤリと笑いを溢し、彼女の【スタン・スミス】に手を伸ばした。


「恩に着るぜ。」


満面の笑みを見せながら、彼女から片方の靴を受け取った。
その際、指同士が軽く触れ、ゾロの胸がドキンと音を立てた。彼女の指もピクリと反応する。途端、彼女の頬がほんのり色づいた。

「さ、さんきゅ…」
「い…いのよ、別に。また、探すから……アンタと違って、急いでる訳でも無いし。」
「本当に、悪りぃな…」
「今回は、縁がなかったと思って、諦めるわ…」

ゾロは受け取った【スタン・スミス】を自分が抱えていた片足と共に一揃にし、改めて店員に差し出した。

「じゃ、包んで貰えるか?」
「はい、プレゼントですね?」
「ああ、そうして貰えると助かる…」
「だだいま、ご用意を。」

店員とゾロの遣り取りを黙って見詰める女の視線は、言葉と裏腹に【スタン・スミス】に注がれたままだった。
寂しそうな茶褐色に、ゾロの中で罪悪感が湧き上がる。
ついさっきまで七色に変化する瞳の色が、沈鬱な表情を魅せたまま凍り付いてしまったのだから。

「なぁ…」

ゾロは【スタン・スミス】を手に、いそいそと包装に向かおうとする店員を呼び止めた。

「それ、もう入荷しないのか?」

レジへ向いた店員の背を見ていたオレンジ色も、不審気にゾロを仰ぎ見た。

「明後日に再入荷予定ですが。」
「だ・と・よ!良かったじゃねぇか?」

店員から視線を彼女に戻し、ゾロは悪戯小僧の笑顔を作った。
オレンジはまた一瞬熟れたが、すぐ寂しい色に変わり呟いた。

「ありがと。でも…明後日入荷するのは定価でしょ?私、30%割引だから買えると思ってたから…」

悲しさを笑顔で隠し、懸命に取り繕う彼女は、儚い美しさを纏っていた。

「定価なのか?」
「ヒッ…そ、そ、そうです。これは、展示品なのでその分お安くしてまして。」

ゾロの問い詰める口調と、生来の怖い顔が災いして、店員はまた縮み上がってしまった。

「ねっ?そうでしょ?だから、気にしないで買って行きなさいよ。彼女の誕生日なんでしょ!待たせちゃ可哀想よ。年に一度の…」

ゾロは一度天井を仰ぎ見た。そして、大きく息を吸い込み、決心を固める。
再度、さっきまでの好敵手に、エールとも取れる笑みを贈った。

「よしっ、決めた。」
「な、何?」
「あれ、アンタが買えよ。」

ライバルは固まった。何を言い出すのか?という顔を見せると直ぐ、我に還ってゾロを鎮めようとして口を開いた。

「だ、駄目よ〜そんな事。」
「いいんだ…あの【スタン・スミス】とやらをアンタが買って、明後日の【スタン・スミス】を俺が買う。」
「だから、そうしたら間に合わないんでしょ?」
「人の話は最後まで聞けって言っただろ?」

不満そうに口をつぐむ彼女に、ゾロは眉を上げて悪い笑顔で応えた。


「アンタの買った【スタン・スミス】を俺が今日貰ってって、明後日俺が買う【スタン・スミス】をアンタが持って帰りゃいいんじゃねぇか?」


狐に抓まれた顔を向けられた。オレンジ色も店員も、頻りに首を捻っている。

「俺は今、定価分の金を持ってる。ここで30%引きで手に入れると、その分余る訳だろ?」
「う、うん。」
「その余った金とアンタの手持ちを合わせれば、明後日入荷するヤツを買えるだろ?」
「そうしたら、今度はアンタが損するじゃない?」
「それは違う。元々俺は、定価で買うつもりだったんだから…俺が欲しいのは、今日ってだけで、それ以外にこだわりはねぇんだ。」
「そうかもしれないけど…それじゃなんだか悪い気がする。」
「さっきまで散々吠えてたヤツが、今更何言ってんだよ。」
「なんですってぇ〜!」
「冗談も通じねぇのか?冗談だって…」

ゾロは殴り掛ろうとするオレンジに、両手を上げて制しながら続けた。

「アンタが納得出来ねぇんなら、こんなんどうだ?」

未だ動きが取れないでいる店員の手元を指差し、オレンジ女をジッと見る。


「アレを俺にプレゼントしてくれ。お礼に明後日ここで、俺がアンタに【スタン・スミス】をプレゼントしてやる。これでどーだ。」


オレンジ色の髪の女は、ニッコリ笑った。
それはもう、天使の様な笑顔。

正直な話、ゾロは一発でノされてしまった…ようだ。

「強引なんだ?」
「おう、狙った獲物を取り溢した事はねぇからよ。それから…」
「それから?」

ゾロは慌しなく居住まいを正し、ひとつ咳払いをしてから、緑の瞳に彼女を写し直す。

「アンタから貰う【スタン・スミス】は彼女へのプレゼントじゃねぇ。脅されて仕方なく、どうしても手に入れなきゃなんねぇ、『姉貴』への誕生日プレゼントだから……誤解すんなっ!」
「誤解って………うん。」
「…おい、会計してくれ。」

二人して頬を赤らめ、店頭に暫く立ち尽していた。







「……ナミ…か。」

玄関前に立ったのは、午後9時もかなり過ぎていた。
あの後、自分の手持ち金で支払いをしようとしたら、プレゼントだからとオレンジの女が金を出した。それは悪いからと多少すったもんだした挙句、彼女のするに任せた。明後日ゾロが約束を守らない場合も考えられるので(約束は守る男だが)、念の為互いの携帯番号とメールアドレスを交換し、彼女の名前を手に入れた。

『ナミ』

それが、オレンジ女の名前。
自分の携帯に登録されたその名前を見ながら、暗い自宅玄関にひとり佇んでほくそ笑むゾロの姿は、携帯画面の明かりが反射し凶悪さを増していた。彼を知らない人物が眼にすれば、恐怖で腰を抜かすか悲鳴を上げて逃げ出す事だろう。

ガラッと音がして、玄関の引き戸が開く。

「何、ニタニタしてるの?気色悪いわねぇ〜!頭でも打った?」
「く、くいな!」
「何慌てて隠してんのよ!見せなさいよっ。お姉様に隠し事するなんて、百年早いわよ。」
「隠してねぇ〜よっ!止めろー」

後ろ手に回した携帯に手を伸ばし、くいなが纏わり付いてくる。必死で携帯を折り畳み、中を覘かれない様にジーンズのポケットに押し込んだ。

「あー、これ!【スタン・スミス】じゃない?よく見つけたわね〜偉い偉い。流石、我が弟。」

お陰でくいなが手にしたのは、さっきの店でプレゼントして貰った【スタン・スミス】が入った紙袋。取り上げる様な勢いで、女帝の御手に収まった。

「ったく、苦労したぜっ!」
「何言ってんのこんなの苦労の内に入らないわよ…ま、一応ありがとね。さ、家入れて上げるわよ。」


(確かに、苦労の内に入ンねぇかもな?)


会計を済ませてナミと一緒に店を出た。街灯が少ないと言っていたのが気になって、ありったけの勇気を振り絞り「送る」と声を掛けた。一旦は驚いた顔を見せたナミだが、直ぐ愛らしい笑みで「お願いするわ」と言い、かなりゆっくりなペースで送って行った。
道すがら彼女と語った話は、大した内容ではなかったものの、足取りは妙に軽く宙に浮いた感じで、ゾロは何かに付け頬が弛んでいた。
送り狼になる…そんな衝動に駆られたのも、ゾロにとっては初めての体験で。勿論、そんな不始末をしでかしはしなかったが。


「へい、へい…ありがとうございます。姉上様…」


(女帝のお陰で、いい思いさせて頂きました。)


いや、これからだな…と思い直したゾロは、貢ぎ物を手にした女帝の後ろに付き従い、進入許可を得た家の中へ入って行った。




取り敢えず、勝負は明後日。




「なぁ、何でそんなに色にこだわってんだ?ウチの姉貴も、【スタン・スミス】といえば緑って、訳分かんねぇ事言ってたけど…んな、大事なのか?」

「確かに、それは無いとは言えないけど、私は違うわ。」

「じゃ、お前は何なんだ?」

「私……髪の色オレンジだから。」

「それと、何の関係があんだ?」

「だっから…オレンジと緑って…似合うでしょ?」

「?そうなのか…」

「いいのっ!わ、私がそう思うんだから…オレンジと緑は合うのっ……合うんだから。」

「合うのか?オレンジと緑………!」

「知らないわっ…」

「似合う……と、俺も思うぜ。」

「…………でしょ?」




全ては、ゾロからナミへ、初めてのプレゼントが贈られてからだ。





終り


(2006.09.28)

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<管理人のつぶやき>
靴の片方ずつを手に取り合ったゾロとナミ――これが出会いとなりました。
男女の出会いはいろいろあるとは思うのですけれど、このお話みたいな出会い方はいいな〜^^。
激しく言い合いをしながらも、段々とお互いのことが分かっていったしv
ゾロはこの買い物で、「試合に勝って、勝負にも勝った!」みたいな(笑)。あ、でもホントの勝負は明後日だネ。

CAOさんの10作目の投稿作品でした。
携帯クラッシュを乗り越えて書いてくださいました。ありがとうございましたーー!

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