手のひら
            

ヒカリ 様



「島があったぞーっ!!!」
甲板からサンジの声が聞こえた。どうやら島が見えたらしい。
「島かァ!!!?おいナミ!!よかったな!!島だってよ!!病気治るぞ!!!………………!!」
ナミのベッドの傍らのイスに座っていたルフィがぱっと目を輝かせた。
側の本棚に寄り掛かって立っていたゾロの目にも、ルフィが島を見たくてうずうずしているのが明らかだった。
今にも見に行きたいのにナミの為なのか、我慢しているルフィがなんだか可笑しかった。
「…みてこいよ。いいから」
腕組みをしたままゾロがそう声をかけると、ルフィは弾けるように立ち上がり、甲板へと飛び出していった。
島だーーとルフィが叫ぶ声は女部屋まで容易に響き渡った。
「…島が見えたのね…」
ナミが荒い息の中、目も開けずに呟いた。
「…らしいな」
ナミが起きていたことに半ば驚きながらゾロが答えた。
ナミは少しだけ安心したように息をついた。
それによって、今の状態がやはり相当辛いのだということが窺えた。
「お前、熱引いたか」
「たぶん。昨日よりはね」
「嘘つけ」
「…わかってるんだったら訊かないでよ」
自分が辛い時でもひたすらそれを隠そうとするのが性分だというのはわかっていたことだが、病気を患ってさえ強がろうとするナミに、ゾロは長い溜め息を吐いて、先ほどルフィが座っていたイスに腰掛けた。
「どうせあんたも一度も病気にかかったことないんでしょ」
ナミが呆れながら吐き捨てるように訊いた。
「…?ルフィ達がそうなのか?…いや。俺は一度だけある。」
そう言うと、ナミはそこで初めて目を開いた。
「嘘でしょ…!?…いや、それが普通なんだけど…、ルフィやウソップやサンジ君は一度もないっていうのに…。…なんか意外…」
ナミはところどころで呼吸を整えながら言った。
「ガキの頃に不覚にも風邪ひいちまってよ。…それはいいからお前は寝てろ」
ふぅん、とだけナミは声を漏らして再び目を閉じた。


***


「うぐぐぐ…っ」
「んぎぎぎぎぎっ」
雪の降り積もる2月のある日、ゾロは毎日欠かしたことのないトレーニングをしていた。
道場から少し離れた林で、一番太い木の枝にぶら下がりながらの、片手懸垂。
冬は寒さも手伝って慣れたトレーニングとはいえ、相当きつい。
ゾロは軽く汗をかいたあとで、積もった雪の上に飛び下りた。運動をやめると、かいた汗が急に冷えて思わず身震いをしてしまった。
「うぅ……。さすがに寒ぃな…」
ぶえっくしょいとくしゃみを一度したあと、道場に戻ろうと足を向けた。

自分を呼ぶ声がして目が覚めた。
「ゾロ」
目の前には、心配そうに自分の顔をのぞきこむくいながいた。
一瞬何がなんだかわからなくなり、がばっと上半身を起こして回りを見回した。
そこは道場の普段使われていない部屋で、どうやらそこで寝ていたらしい。
ゾロは尋ねるような目でくいなを見た。
するとくいなは、今までゾロに向けていた視線を逸らして口を開いた。
「もう。なんで私があんたの看病なんかしなくちゃならないのよ。だいたいあんたがこんな雪の降る中トレーニングして、こんな近くに道場があるってのに迷子になんかなるから悪いんじゃない。あんたがぶっ倒れてるところにたまたまお父さんが通り掛かったから良かったものの、あのままだったら死んでたかもしれないわよ」
さっきの表情とはうって変わって頭から蒸気が出るくらいぷりぷり怒ってくいなは早口でまくしたてた。
「…」
何か言い返してやろうと思ったが、頭がくらくらして思うように言葉が出てこなかった。
「ほら、寝てなさいよ。早く治してくれなきゃこっちが困るんだから」
ゾロはくいなに肩をぐいと押されて勢いよく布団に倒れこんだ。
寝てろというくらいならさっきなんで名前を呼んだんだ。
やっと言い返す言葉が見つかり、それを言ってやろうかとも思ったが、ゾロが目を覚ました瞬間のやけに心配そうなくいなの顔が思い出されて、ゾロは口を噤んでしまった。
ぴとっと思いがけずくいながゾロの額に手をやった。
その白い小さな手はゾロの額よりは明らかに温度が低いのに、なんだかとても暖かく感じられて、その気持ち良さでゾロは目を閉じた。
「まだ熱はひかないわね」
くいなはそう言って手を引こうとしたが、そうする前にゾロはくいなの細い手首を掴んでいた。
「…!?な、何よ」
「あったかくて気持ちいい」
ゾロはそう言ってもう一度しっかりと額に手を当てさせた。くいなは、まったく、と呟いた。
「熱がある時って普通冷たいのがいいんじゃないの?」
溜め息混じりに言ったが、くいなはそのままゾロの額から手を離そうとはしなかった。それがなんとなく嬉しくて、ゾロは危うく微笑みそうになった。
それがくいなにばれないように下唇を噛んで必死に耐えなければならなかった。


***


ゾロは幼い日の記憶を今鮮明に思い出したことに正直驚いた。
もう何年前のことかもわからない。しかし、あの時のくいなの手の平の体温や心配そうな表情なんかが、ついさっき見て感じたのかと思うくらいにはっきりとしていた。
目の前のナミは相変わらず荒い呼吸を続けていた。
額にはだいぶ前に水でしぼり直したタオルが置いてある。きっとそれもナミの異常な体温によりすでにぬるくなっているのだろう。
ゾロはそのタオルをとって、少し考えてからナミの額に手をあてた。
くいなが自分にしたことを自分が真似てやるのは少し悔しかったが、ナミの姿を見ていると何か役に立ちたくて、そうせざるを得なかった。
確かにものすごい熱だ。
自分はあの時人の体温が心地よく感じたものの、今のナミがそれを求めているかはわからず、内心不安だった。
「…ゾロ?」
ナミはゾロの行動にか細い声で不審そうに尋ねた。
「いいから寝てろ」
ゾロは迷いをふっきってぶっきらぼうに言い、額と瞼を一緒に手で覆った。
ゾロの手はそうするのに十分なほど大きく、ナミの額は小さかった。
そうしてからまもなく、手の平に生暖かいものを感じた。それがナミの目から流れた涙だということはすぐにわかった。
それが嬉し涙にしろ、何か別の涙にしろ、強がりのこの女にとって泣いているところを見られるのは多少なりとも嫌であるはずだから、自分の今している、つまり結果的にナミの泣き顔を隠すことになったのは必ずしも間違いではないということにゾロは満足した。
自分が泣かせたかもしれないということはひとまずおいておく。
ゾロはナミが泣いていることについて何も言わなかったが、しばらくしてナミが悔しそうに口を開いた。
「…別にあんたが優しいから泣いてるんじゃないからね」
涙さえ流れていなければ絶対に泣いていると思えない強気な口調だった。
「わかってるよ」
ゾロは苦笑した。
「別にあんたの手があったかいから泣いてるんじゃないからね」
「…。…わかったからしゃべるな」
ゾロがそう言っているのにナミは構わず次々としゃべる。
「悔しくて泣いてるのよ。ビビが早くアラバスタに行かなきゃならないのに体調を崩した自分がふがいなくて泣いてるの。だって私が万全だったら寄り道せずにアラバスタに行けたのよ…」
「…」

「だから、わた」
ナミがまだ何かを言おうとしたので、ゾロはナミの口を自分の唇で塞いだ。
頭では何も考えず、気付いたらそうしていた。
「!」
自分が何をしているのか、よくわからなかった。が、ナミを黙らせることには成功したようだ。
完全に唇を離さないまま、言い聞かせるようにもう一度言った。
「もう、しゃべるな」
そして再び深く口付けた。
柄にもなく心臓がばくばくしていた。それほど、ナミの唇の熱さと柔らかさは他の何にも代えがたい快感だった。
それに酔いしれてだんだん頭がぼうっとしきた。
ナミは抵抗しなかった。できなかったのかもしれないが。
それを良いことに、ゾロは顔の角度を変えてさらにナミの唇を堪能した。
思わず舌を入れたところでナミが病人だという単純な事実に気付いた。

一度吹っ飛んでいた理性が急に舞い戻って来て、ゾロはおもむろに顔を離した。
ナミの額と瞼を覆った手はずっとそのままだった。ゾロはそのことに少なからず安堵を覚えた。
おそらく今の自分の顔は真っ赤だろうと想像できるからだ。
そんな顔は死んでも見られたくない。
ナミの様子を伺うと、さっきより明らかに息が荒く、顔の温度も上がっていた。
一瞬で罪悪感に押しつぶされそうになった。
ナミの表情は読み取れない。それは自分がナミの顔の半分を覆っているからなのだが、その手を外すこともできない。
バツが悪くなった。
ゾロはダウンのポケットに突っ込んでおいた黒手ぬぐいを空いている右手で取り出し、自分の左手と交換してナミの目許にかけた。
羞恥と罪悪の入り交じった自分の顔は少しでも見られたくなかった。
そして何より、ナミの表情を見るのが怖かった。
「悪かった」
ゾロは気まずそうにそう言うと同時に踵を返して部屋の出口に向かった。

足早に出て行こうとした時、ナミの小さいけれど透き通った声が聞こえた。
「ゾロ」
振り向くとナミは上半身を起こし、せっかくかけた手ぬぐいを外し右手で握り締めていた。
「ありがとう」
ナミは微笑んだ。
雷に打たれたような衝撃が走ったことは、多分自分以外の誰にもわかるまい。
恥ずかしそうに微笑んで、熱のせいではない紅色を頬に添え、潤んだ瞳で見られたら墜ちない奴はいないだろう。
ゾロは言葉すら何も出て来ず、逃げるように女部屋を出た。

女部屋から出た砲列甲板で力が抜けた。ゾロはしゃがみ込んで頭をがしがしかいた。
情けない。ナミの笑顔を見ただけでこんなにも喜ぶなんてどうかしている。
顔の熱は引いたものの、心臓は未だに高鳴っている。
完全に参ってしまった。いや、もうずっと前から俺は墜ちていたんだ。
ゾロはナミとの口付けを思い出して、妙な満足感を感じていた。
何がなんだかよくわからなかったが、とりあえず頭を冷やそうとゾロは仲間達のいる甲板へと足を向けた。
いつものように騒がしい喧騒が聞こえてくるのが何よりの救いだった。

ふっとくいなが頭に浮かんだ。笑っていた。

情けないわね。

そんな声が聞こえてくるようで、馬鹿にされたような気持ちになった。
しかし、感謝もしていた。

世話になった。生きているときも。死んだ後までも。
ゾロは気持ちを切り替えて、ナミの病気を治すことを先決させようと心に決め、甲板に足を踏み出した。

冷たい風が頬を撫で、気持ちまでもぴりっとひきしまる思いがした。

死ぬなよ、ナミ。
仲間のためにも。
俺のためにも。




FIN


(2007.02.09)

Copyright(C)ヒカリ,All rights reserved.


<管理人のつぶやき>
ドラム島に着く直前、高熱に侵されてるナミと見守るゾロ。
くいなとの思い出に促され、ゾロは自らの手のひらをナミの額へ・・・・心温まる情景ですね。
ゾロの無骨な優しさがにじみ出ています^^。
ナミの涙とそれに続くキス。はぅーv 胸が高鳴ったのはゾロだけじゃないですよ(私も・笑)。

ヒカリさんの初投稿作品です。素敵なお話をどうもありがとうございましたーーー!

 

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