夢分け船
糸 様
麗らかな午後,天気も上々。海域は春島。
ぽかぽかと暖かくて,ウソップたちと甲板で昼寝をしていた俺は腹が減って目を覚ました。
まだぼんやりした目で辺りを見回すと,隣でウソップとチョッパーが寝息を立てている。
少し離れたところで,ゾロも高鼾をかいている。まぁゾロはいつだって寝てんだけど。
何か皆寝てんなぁ,と思った俺の目に,蜜柑の木が飛び込んできた。
うまそうだ。腹減ったな。
でも,取ったらナミにぶん殴られるよな。どうすっかなー。
そう思いつつ,俺の足は蜜柑畑に向かっていた。
腹の虫が鳴る。一個くらいならバレねぇかな,バレねぇよな。
一番でかい実はどれだろ,なんて思いながら木を見回していると,驚いた。
ナミが寝ている。蜜柑の木にもたれて。
開いた本のページが,風でペラペラとめくれている。
めずらしいな,と俺は思う。こいつがこんな無防備に昼寝するなんて。
疲れてんのかな。寝かしといてやろう,せっかくだし。
そう思って踵を返そうとした俺は,ナミの小さな寝言にまたもや驚かされた。
「・・・いか,ないで・・・」
慌てて振り向く。まさか起きてんのか,こいつ?
でも,ナミの目はしっかり閉じられている。
その代わり,頬に涙が伝っているのが分かって俺は焦ってしまった。
夢見てんのか?悪い夢か??
とりあえず俺は,ナミの隣に腰掛けてみた。
起こしてやった方がいいんだろうか,と悩んでいたら,ナミの顔が苦しそうにゆがんで新たな涙が流れ出した。
一体何の夢を見てるんだろう。
ナミのこんな表情を見るのは二回目だ。一回目は,アーロンのとこで自分の腕をめった刺しにしていた時。
・・・ああ,そうか。そういう夢か。
ナミはもう気にしていないように振舞っていた。ココヤシ村を出てから、そのことを口に出したこともなかったし。
でも,辛い記憶ってのはそう簡単に消えるもんじゃない。
大切な人を海賊に殺されたっつってたか。それにあんな部屋に閉じ込められていたんだ,色々あったんだろう。詳しくは知らねぇけど。
静かに涙を流すナミを,俺はただ見ていた。夢の中までは助けにいけない。これはナミが乗り越えないといけないことだ。
そう思っても,目の前でこんな風に泣かれると俺としては困っちまう。
泣くな,俺が風車のおっさんに殺されちまうだろ。
笑ってくれねぇかなぁ。どうしたらいいんだろう。
「・・・ルメール,さ・・・」
ナミの口からまた声が漏れる。人の名前みたいだったけど,俺にはよく聞き取れなかった。
けど,次に聞こえてきた言葉は分かった。
「おいて・・・いか,ない,でぇ・・・っ」
ぼろぼろっと零れ落ちる大粒の涙。腹の底から搾り出したような慟哭。
あの時に聞いた「助けて」と同じ,悲痛な響きが鼓膜を打った。
一瞬,膝を抱えて泣いている小さなナミが目の前に浮かんだ気がした。こいつはずっと,こんな風に泣いていたんだろうか。
失うことを恐れて,たった一人で。
俺は思わず身を乗り出して,ナミに話しかける。
「ナミ,俺たちはここにいるぞ。誰もお前を置いていったりしない。」
置いていくわけないだろ。
俺たちには,この船にはお前がいないとダメなんだから。
「みんな一緒だから,俺はずっとお前のそばにいるから・・・だから,泣くなよ。」
俺の言葉が届いたのか,ナミの表情が少しだけ緩む。
そうだ。お前は俺たちの航海士だろう?俺を,海の果てまで導いてくれるんだろう?
そっちの夢に囚われるなよ。こっちで,皆で一緒に笑いながら夢を見よう。
お前がいないと俺たちは夢を叶えられないんだ。
お前以上の航海士なんて,どこ探してもいるはずがねぇから。
だから俺は絶対にお前を離さないんだ。どこまでも連れてく,いや連れてってもらうんだけど。
ナミの顔は徐々に穏やかになっていく。
やがて,頬に涙の跡を残したまま,ふわりと微笑みを浮かべた。俺はそれを見て,何となくくすぐったいような気分になる。
だって,起きてる時にこんな柔らかい笑い方はあんまりしねぇからな,こいつ。
何と言うか,無邪気っつーか幼いっつーか・・・可愛いっつーか。この笑顔が見れたんなら,まぁいいか。
これでおっさんにも殺されなくてすむ,と安心した俺は,少し考えて麦藁帽子を取って,ナミの頭にそっと乗せた。うん,これで良し。
すっかり満足して立ち去ろうとした俺の耳に届いた,最後の一言。
「・・・だ,い,すき・・・」
「??!!!」
それは寝言で,俺のことを言っているんじゃないと分かっていても。
あんなにも優しい微笑みを浮かべたナミに,そんなことを言われたら。
・・・誰だって、同じことをしたくなると思うぞ、多分!!
「ルフィ,帽子・・・って,ちょっとー!!何落ちてんのよっ!!」
その後,目を覚まして帽子を返しに来たナミの声に動揺した俺は,船首から海に転落した。
のどかだった船内は一気に喧しくなる。
「ったく,何なんだよてめぇは・・・人騒がせな奴だな。」
「一体どうしたんだ?めずらしいな,ルフィがメリーから落ちるなんて。」
「全く・・・失礼ねぇ,何も私の声聞いて海に落ちることないでしょ?何かやましいことでもあるわけ?」
ぎくっ、とあからさまに体が固まる。
「ななな何言ってんだ!お、俺は何もしてねぇぞ?!別にナミに何かしたわけじゃねぇからな?!!」
「・・・露骨に怪しいわね・・・あ、分かった!あんた私が寝てる間に蜜柑食べたんでしょ?!」
「へ?蜜柑?いや違・・・」
「じゃあ何したってのよ!」
「だ、だから何もしてねぇって!!」
「ウソおっしゃい!あんたすぐ顔に出るんだから!!」
目を吊り上げて怒鳴るナミを見て、俺はこっそり安堵の息をつく。
夢から覚めたナミは、やっぱりいつものナミだったから。
この船に乗っている限り、お前にもう辛い夢なんか見させない。
楽しくて、でっかい夢を見続けるんだ。一緒に。
ずっとずっと、一緒に。
・・・そのためにも、とりあえず今はこの場をどうやって切り抜けようか。
多分、バレるのは、時間の問題だろうけど。
FIN
(2008.06.17)
<投稿者・糸様のあとがき>
夢分け船、とは、「夢路を分けて進む船」、つまり「船中のいねむり」を表す言葉だそうです。
ルフィが何をしたのかはご想像にお任せします。 |