頑なに「仲間」という言葉を拒む女は、ひどく明るい髪をしていた。海の色とは不釣合いなそのオレンジ色は、妙に目を惹いて仕方がなく。

そのたびに、頭をよぎる何かがあった。







桜の記憶 橘の君
            

糸 様




「蜜柑・・・ああ、なるほど」

「何一人で納得してやがるんだ、気持ち悪い奴だな」



ココヤシ村を出航する数時間前。

船に積まれたばかりの、青々と葉が光る蜜柑の木を見て思わず呟いてしまったらしい。新入りのコックが胡散臭げな視線をよこしてきた。

サンジというらしいその金髪のコックは、タバコをふかしながら俺の視線を辿り、蜜柑の木を見つめる。



「いい蜜柑だな、貴重なビタミン源になりそうだ」

「そうなのか?」

「ああ、きっちり世話しねぇと・・・で、何が『なるほど』なんだよ」

「いや・・・別に何でもねぇ」



そう言うと、コックはそれ以上追及してはこなかった。あっそ、と一言だけ告げて踵を返す。俺は改めて、目の前にある蜜柑の木に視線を戻した。



風にそよぐ、蜜柑の果実。瑞々しい、橙色。



あの鮮やかな橙色の髪から、連想されるものの正体は、コレだったのか。





・・・けれど、まだ何かがひっかかる。



ただ蜜柑というだけでは納得しきれないもの。





四季の豊かな故郷にも、これと似た木があったのだ。蜜柑なのだけれど、蜜柑とは違う、何か。



そうだ、名前は、確か。



「橘・・・」







――まだ四,五才かそこらのことだ。



いつも一緒に剣を振り回していた幼なじみの家に、鮮やかな緋色の布の雛飾りが出現した時。

もうすぐ雛祭りなんだよ、といつになく嬉しそうなくいなを前に、そう言えばお前女の子だったんだっけ、と正直に呟いて竹刀で頭をぶたれたのを覚えている。

いつしか女らしさというものを嫌うようになったくいなだが、あの時はまだ、純粋に雛祭りというものを楽しむほど幼かった。



ゾロ、あれがおひなさまだよ。で、あれがおだいりさま、さんにんかんじょ・・




次々に説明してくれるその人形には、正直全く興味はなかったが。

何段目かに飾られた造花には見覚えがあったので、つい指差してくいなに尋ねたのだ。




「あれ、さくらか?」



春になると、見事に絢爛豪華な花を咲かせる桜。

道場の傍にもあって、大人たちはその木の下に集って宴を開く。春風に吹かれて散る桜吹雪は、幼い自分から見ても幻想的で、強烈な印象があった。



くいながあっさり頷いたので、じゃあ、と指を動かして。

差した先は、その桜と対になっている花飾り。



「あれは、みかんだよな?」

「ううん、ちがうよ。」

「え?でも、みかんがなってるぞ?」



深い緑色の葉に小さな橙色の実がついたそれは、鮮やかな桜とは全く違った。近所の畑でよく見る蜜柑にそっくりだったから、てっきりそうだと思ったのだが。



くいなはえーっと、としばらく考え込んだ。



「なんだったっけなぁ・・・とうさんにおしえてもらったのに」

「やっぱりみかんじゃねぇのか?」

「ちがうの!えーっと、うーんと・・・」



「橘だよ、くいな」



二人して驚いて振り向くと、立っていたのは穏やかに笑う先生だった。



「そうそう、たちばなだよ、ゾロ!おもいだした!」

「たちばな?でも、みかんにそっくりなのに」

「蜜柑の仲間だけどね。これはもっと実が小さくて、食べられないんだ」

「ええっ?くえないのか?」



そう言われて改めてその花飾りを見ると、桜に比べてますます地味に見える。何で、そんな木がこんなきらびやかな飾りの中に混じっているのだろう。そう思った。

素直にそう尋ねると、先生はゆっくりと話してくれた。



「ゾロもくいなも、桜の方が好きかい?」

「うん。だって、さいたらすごくきれいだもん!ねぇ、ゾロ」

「そうだな、おれもさくらのほうがいい」

「そうだね。でも、桜はすぐに散ってしまうだろう?寒くなってきたら、葉っぱも全部落ちてしまう。今の時期、桜の木に葉っぱがあるかい?」

「え?あ、そういえば・・・ないね」

「橘はね、冬になっても緑の葉っぱをつけているんだよ。一年中、ずっとね。確かに、桜ほど綺麗な花は咲かせないけれど、それだってすごいことじゃないかな?」

「そうかなぁ・・・」



ちょっと難しいかもしれないね、と先生はもう一度笑う。



「ずーっと葉をつけているから、橘は『永遠』を表しているんだよ。子供が、いつまでも元気で健やかでいるように、と願いをかけてね」



「えいえん・・・ふうん、でも、とうさん」



首を傾げたくいなは、きっぱりと言った。



「あたしは、やっぱりさくらのほうがいいな。ぱぁってさいて、ぱぁってちるの」

「おれも。そのほうがきれいだとおもう」



二人で口を揃えると、先生はなぜか少しだけ寂しげな表情を浮かべたのだ。








――今なら、分かる。先生が何故、あんな顔をしたのか。



さくらのほうがいいな。ぱぁってさいて、ぱぁってちるの・・・





そう語ったくいなは、皮肉にも言葉通り、幼くして命を落としてしまった。

着飾るのを嫌って、華やかさとは程遠い少女だったのに、くいなは本当に桜のような女だったと思う。骨の髄まで剣士であり、潔く散りすぎてしまった魂。



そして、生き恥を晒すくらいなら死んだ方がまし、と考える俺もまた、くいなと同じだ。




多分、ルフィもあのコックもそうだろう。ウソップも、いざとなればいくらでも散る覚悟はあるはずだった。俺たちはそうやって生きてきたし、これから海賊として旗上げすれば尚更のこと。ずっとその考えは変わらない。





しかし、『橘色』の髪を持つあの女は、そうではなかった。





恥をかくことなど、潔く散ることの美学など、踏みにじってでも生きようとしていた。


どんなに罵られても、白い目を向けられようとも、目的だけを見据えて。





――生き延びること、耐え忍ぶこと、辛くても笑うこと。

――それこそが、大切なものを守るただ一つの方法。希望をつなぐ唯一の道。





ルフィが、最後までナミを疑わなかったのはその覚悟を感じたからだろう。



花もさほど目立たず、実も食べられないと言われながら、ひたすら葉を茂らせる橘の志を。

いつか来る解放の時まで、ただしなやかに長い冬を耐え抜いて。







・・・海風に吹かれながら葉をそよがせる蜜柑の木と、ナミが先日ようやく見せた朗らかな笑顔が重なった。



船の上で育つ蜜柑の木など、聞いたことがない。

けれど、枯れてしまう気は全くしなかった。この木は多分、したたかに育っていくだろう。過酷な環境の中を生き抜いた、あの女のように。

その美しさは、桜とは全く異なるものだけれど。



「・・・悪くねぇな」



呟いて、思わず蜜柑を一つかじった。もっともその後、ナミから嫌と言うほどぶん殴られたのは言うまでもないが。







照りつける日差しは暖かく、蜜柑の葉も風任せに揺れる。



冷たい冬はようやく、終わりを告げたのだ。





FIN


(2009.01.28)


<管理人のつぶやき>
お雛さまの飾りにつきものの桜と橘の木。これの意味するところは――・・・。
くいなはまさしく桜のような生涯でした;。でもナミは橘。強くしなやかに生き延びる。
ゾロはどちらかというと桜の生き方を尊ぶ方だけど、「・・・悪くねぇな」の言葉から、ナミの生き方を肯定してくれてると感じて嬉しくなりました^^。

糸さんの7作目の投稿作品でした。素晴らしいお話をどうもありがとうございました!!

 

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