料理人には誰にでも自分だけの天のしずくと呼ばれる命のスープがあると思う。

おれにとっての命のスープはクソジジイが作ったスープだった。救助された時、空腹の極限を100回くらい超えていたから食欲もくそもねえのに、無理やり飲まされたそのスープは泣きたいほど旨かった。あの味はあの状況だったからか、材料がよかったのか、それとも…作ったクソジジイの腕がよかったからか。あのスープはおれを生きることにこだわらせるようになった。

いつかあの味を越えてやるというのがオールブルーを見つけるのと同じくらい、おれの夢になっていた。






Only the pure in heart can make a good soup
            

りうりん 様




2年ぶりに麦わらのメンバーが集まり、ひと騒動が終わって最初にとりかかったことは掃除だった。デュバルやバーソロミュー・くまが海軍から守り、レイリ―がコーティングしてくれたサニーは2年も放置されていたとは思えないほど変わっていなかったことはありがたかったが、さすがに船内のことにまで手をつけるようなことはなく、離れ離れになったあの日、万全を期しての離船ではなかったため、何もかもがあの日のままだった。メンテナンスに船大工と狙撃手は走りまわり、考古学者は丹精込めていた花壇に落胆をしたのち資料の整理に音楽家を手伝わせ、船医は器具の手入れと薬のチェックに余念はなく、ただ一人ほとんど身一つで気楽な剣士は芝生に寝転んだところを航海士につかまっていた。

そして、コックと言えば


「うっわああ―――!なんっじゃあ、こりゃああ!」


自家発電でまかなっているサニー号の冷蔵庫に入っていたものは全滅していた。それはそれは世にも恐ろしい状態になっており、防毒マスクでもつけないと近寄れない有様だった。かつて食品と呼ばれていたものは得体のしれない液体状らしきものになり、図鑑にも載っていなさそうな新しい生命が誕生しており、清潔整然を旨としていた冷蔵庫は未知への世界に続く扉と成り果てていた。

正直なところ、出来ることなら冷蔵庫ごと捨てたかった。こんな凄まじい状態、どこからどう手をつけていいのやら。たとえ片付けてもこの状態を知っている者としては継続しての使用はかなり気が引ける。だが麗しの航海士がこの一味の財政状態が常に金欠であることを憂いており、その状態は2年たっても全く変わらない。この食堂の状態には覚悟をしていたが、温暖な気候であるシャボンディ諸島での進化の様はサンジの予想を大きく上回っており精神衛生上非常によろしくない状態を想像し、精神的逃亡先としてささやかにも傷が浅いのではないかと期待して先に食糧庫の方をチェックした。

酒類は大丈夫だろう。むしろ放置していたことによって、熟成が進んでいいかんじになっているかもしれない。保存食としておいたものは、一つ一つ確認して選り分けた。救いなのは、あの日は買い出しに行く前だったということだろう。それでも天を仰ぎ、手入れの行き届いた髪を掻き毟りたくなる状態だったが、いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。半端ない戦闘能力に比例する以上に食欲も旺盛なクルーたちだ。ここをフル稼働させないと彼らの食欲に追いつかない。誰であれ目の前で飢えることは許さない。それがこの男のポリシーだった。ルフィが女ヶ島で貰ってきた弁当は先ほど食いつぶしてしまっているから、今は見張りをやらせているあの食欲魔人が襲撃にやってくるのは時間の問題だ。

短くなったタバコを灰皿に放り込むと、新しい1本に火をつけ


「…ったく、しょうがねえなぁ」


惨憺たる状態を嘆いているはずなのに、その声は酷く楽しそうだった。

食堂は本来の用途ではなく、今は仕分けスペースになっている。野郎どもはどうでもいいが、レディたちをこんなところで食事させるわけにはいかない。弁当を食べたときのまま設置した簡易テーブルに焼くだけでいいバーベキューコンロ。ここは海中だから海上ほど天気を気にしなくてもいいはずだ。しばらくは甲板で食事を取るのもいいたろう。地獄でも生ぬるく思えるあの島での苦汁の日々で手に入れたレシピで久々に腕を振るいたかったが、今は掃除が先だ。バーベキューなら下味だけつけておけば、いつ食欲魔人の襲撃があっても大丈夫だ。そしてもう一品と、大きなスープ鍋を取り出した。


***


「おう。サンジ。どうだ、片付いたか?」


2年前より筋肉をつけたウソップがキッチンのドアから顔を出した。

再会したルフィは相変わらずの通常運転であまり変わった印象はなく、ゾロも左目に大きな傷をつけて凄みは増しているが、他のクルーに比べて二人とも大きく変わった印象はない。それは表向きだけでこの二年間を遊んで過ごしていたはずもなく、間違いなく能力的に大きくレベルを上げているだろう。それとは別にチョッパーと骨は問題外だが、戦闘能力とは関係ないところで、男をあげようと色気を出して生やした髭をウソップの顎にもみとめると、なんとも言えない気分だった。何気に顎をなでるサンジに


「フランキーとも言っていたんだが、おれらの方は、まあ一区切りついたって感じだ。ここも手間がかかるんじゃないかと思ってな」


丁寧に扱わなければいけないものが多いここで、船長や剣士にやらせることが出来ることは少ない。ウソップの申し出はありがたかった。


「おう、わりぃな。ま、こっちも見通しはついたってかんじだ」
「そうか。さっきルフィが腹減ったって吠えていたぞ。間に合うか?」


手近に置かれたタッパーの蓋をあける。もういいだろう。ウソップにコンロの準備を頼むとテイストを替えた何種類かの肉や野菜、ソースにディップ。そして、大きなスープ鍋。もちろんデザートも抜かりはない。

テーブルセッティングをした横で、コンロのよく熱した網に肉が焼ける香ばしい香りが広がる。サラダも等間隔に並べられ、チョッパーが危なげにスープカップを配っている。2年前まで当たり前で、2年ぶりに懐かしい光景だった。


「サンジ―――――――――――!飯だ、飯!飯食わせろ!」
「やかましい!クソ猿!ちょっとは待てねえのか!」


マストから重力を無視した動きで飛び降りたルフィが叫んだ。


「んなこと言ったってよー。2年も待っていたんだぜ。待ちきれねえよ!」


にししと笑うルフィのこめかみに拳をギリギリとあてると、大きな悲鳴を上げた。


「ロビンちゃんたちレディがご着座してねえんだ。2年待てたのなら、もうちょっと待っていろ!」


犬だって躾ければ大人しく待てるというのに、この船長は相変わらずだ。それが何となく嬉しくて拳にさらに力が入る。


「ナミ~!ロビン~!早く来てくれよ。でないとルフィがサンジにやられちまうよ!」


チョッパーの声に笑い声が応える。


「あら、美味しそう。さすがコックさんね」
「ホント。お掃除だってあって忙しかったのに」


光り輝く二人に最高の賛辞を受けて鼻血が滝のようにあふれてくる。


「そりゃあもう!女神たちのためであれば、何を置いてもご用意させていただきま~す!」


半分溶けかかりながら目を♥にしたサンジは、可笑しなダンスを踊りながら喜びを表した。


「アホのレベルはあがったようだな」


ボソリとつぶやかれた言葉に鋭く反応すると


「んだとおお!このクソ剣士!てめえこそ、ちっとはまともに歩けるようになったのかよ!」


黒い稲妻のように振り下ろされた踵を柄で受け止めると、その威力をものともせず大きく跳ね除けた。


「うるせえ!7番のくせに!」
「てめえ、いつまで順番で呼ぶんだ!」


瞬時に脇をねらってけり出された足を僅かに体を動かして避けると、鬼徹を大きく振りぬこうと体をひねるゾロ。が、


「いいかげんにしなさい!ごはん前に暴れないの!」


俊足に動き回る男たちを上回る速さで、華奢な手からは想像できない強烈な鉄槌が下された。


「本当にもう!懲りないんだから」


しかし怒るナミの頬も笑みが混ざっている。


「サンジー!旨いぞー!」
「このスープもスーパー旨えぞ!」
「サンジの飯を食って、やっとサニーに戻ってきた実感が出たな」
「そうね!」
「おい!それは俺の肉だぞ!」
「ありがとう、コックさん」
「このスープ、まだあるかー?」
「本当にほっぺたが落ちるとはこのことですねって私、ほっぺたの肉、ないんですけれど」


ヨホホホホと笑う骨に皿を取り合う手と手。サンジに向かって見せる笑顔に、お代わりをリクエストする手。手の込んだものは作れなかったが、料理が盛りだくさんに乗せられた皿は気持ちがいいくらいように消えていく。


――――― こんなクソマズイもん飲めねェよ!!!
――――― ブタのエサか。こりゃあ!!?


あの日と同じだ。

ゼフのスープを切磋琢磨して再現して作ったサンジのスープは彼の前で投げ捨てられ、罵倒し、彼を冒険と海と仲間の元へ後押しした。そしてまた今、あのスープは新世界へ飛び込んでいくサンジたちとともにある。


――――― おれァ世界の海で料理してきた男だぜ!!


あの日よりもおれはクソジジイにすこしは近づけたのだろうか。世界のどこにいても、おれはあんたの背中を追いつつける。


「あったりまえだろ!おれは海のコックさんだぞ」


紫煙とともに、ニヤリと笑った。


「てめえら、残しやがったら全員オロしてやっからな」




=== おわり ===


(2015.03.22)


<管理人のつぶやき>
2年経過した冷蔵庫の中身を想像するのは恐ろしいですね(半笑)。
集結した仲間たちに、2年ぶりにサンジくんが供する料理。その感慨はいかばかりであったでしょう^^。
2年前と少しも変わらぬ賑やかな様子に、みんなの喜びがじわじわと伝わってきました。

りうりん様の2作目の投稿作品です。3月といえばサンジくんの誕生日がある月^^。
サンジくんメインの、お誕生月にふさわしいお話でした!素敵なお話をありがとうございました♪

 

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