この悪夢のような船の上で、戦いは終わったばかりだというのに。
勝利を祝して騒ぐ人々の声は、瓦礫の山となった廃墟の中、唯一残っていた屋敷の大広間で、反響するほどに響き渡っていた。







Parallel Lines

            

高木樹里 様


「ゾロは酒が好きだから元気になるだろ!!!」
重症の怪我人に対してさえも、邪気のない笑顔で無茶苦茶を言う船長がテーブルに戻るのを見て。
ナミは、付きっきりで看病していた船医にも、「あんたもちょっと行ってきたら?」と麦わら帽子の方向を指し示した。

「私が看てるから。目を覚ましたら呼ぶわ」
そう言うと、船医は「そうか?それなら・・・」と、小さく嬉しそうな表情をすると、ぴょこんと立ち上がって踵を返した。
チョッパーが完全にテーブルに収まったのを見計らったように、傍らに横たわっている男がゆっくりと瞼を持ち上げる。

「・・・やっぱり起きてんじゃないの」
航海士の嫌味っぽい言葉に、「おぅ」とかすれ声が返事をした。

「起きる気に・・・なれなかった」
「・・・まぁ、分からないでもないけど」
声からして明らかに弱々しい。
これだけ衰弱したこの男を見るのは、ナミは間違いなく初めてだった。


目を覚ましたとは言え、今のゾロはかろうじて意識があるといったレベルだった。
開いた瞼は半分で止まっており、僅かに動いているのは眼球と唇のみ。その他は微動だにしない。
眼にはいつもの射るような光はなく、どこか虚ろで。
声にも覇気があるとは言い難い。どちらかと言うと呟くといった具合だった。

それでも、生きているだけマシだと言うべきか。
この傷で生きているとは、ゾンビが一体寝返っていたらしい。


「なァ」
「何?」
「それ・・・」
緑色の髪の下の両眼が、先ほど届いた大きな樽の方へ流れていた。
枕元に置かれた木の樽からは、隠しきれないアルコールの芳醇な香りが漂っている。

「絶対ダメ」
「味見だけ・・・」
「バカなこと言わないで」
ナミは厳しい視線を枕の上の顔に刺した。

「あんた、肝臓破裂してたのよ。アルコールなんて消化できるわけないでしょ」
最も、内臓の半分以上が同様な事態だったらしいが。


ゾロは、チッと空気漏れの音のような舌打ちをして、唇を閉じてしまった。
暫し沈黙が流れる。



再び男が口を開いたとき、その目線は枕元ではなく、己の真上を見ていた。
自分を覗き込むその女の瞳を捕らえて。


「ナミ」

名前を呼ばれる。
コトリと男の右腕が動いたが、数センチ持ち上がったところでカタカタと震え、また元の位置に力なく落ちてしまった。
けれど、その手が何を求めていたのか、彼女なら分かる。




ナミは身をかがめて、横たわるゾロをそっと抱き締めた。



成る程、普段は鬱陶しいほど体温が高いこの男の身体が、妙に冷たい。
全身の負傷が熱を持っている筈なのに、身体を巡る血が少ない所為か。
キスしようと首をもたげたが、ゾロが顔をナミの肩口に埋めたのを感じて、止めた。





傷だらけの男が、安堵したような息を漏らす。













「生き返る・・・」








珍しく本心を吐露した剣豪の言葉に、ナミはクスリと笑った。




直にゾロの温もりを感じて、壁も隔てていない喧騒が遠くなる。
その輪の中心に誰がいるか、2人はわざわざ見るまでもなかった。
ガイコツと、サイボーグと、トナカイと、伸び縮みする猿。こんなところだろう。


いくらか、視線を背中に感じた。見られていると思った。
だか今日だけは、ナミは腕を放すことはなかった。
放してはいけない気がした。




互いの鼻が触れ合いそうなほどの至近距離で、視線が絡み合う。

そっと、その唇に、自分のそれを重ねて。




互いの顔が再度離れたとき、ナミは静かに告げた。







「何も・・・教えてくれなくていいわ」

少なからず、剣豪は驚いた表情をする。



「でも1つだけ、確認させて」

ナミは、自分を見上げる男の、痛いほどに真っ直ぐな眼を見据えた。





「――あんたは・・・」



その瞳の色は、かつて満月の夜半に船の上で対峙したそれと重なった。










「私の言うことを聞く気も・・・後悔もないのね」








言葉の真意を測りかね、ゾロは眉根に僅かに皺を寄せた。

























あの晩は、ゾロが不寝番だった。
決まってそういう夜、ナミは酒瓶を片手に甲板に出てくる。
2人で夜の海を眺めながら飲む時間が、どちらも何となく気に入っていて。
この時間がなければ、2人が今の関係になることもなかっただろう。

ゾロはちょうど夜の鍛錬を終えたばかりで、上半身の鍛えぬかれた体躯を夜風に晒していた。
その姿の、中央を斜めに横切る太刀傷を見て、ナミはふと言ったのだ。


「簡単なことで、また・・・バックリ開きそうね」

あぁ、一度お前が見ている目の前で、バックリ開いたことがあったな。それも、お前の仇と戦っている最中に。

口に出さずにそう答えた剣豪に、ナミは更に続ける。

「ねぇ、男の人にとっちゃ、傷って、勲章なの?」

戦ってできた傷ならそうなんじゃないかと返すと。
オレンジ色の女は、少し複雑な表情をして、一番深く長い刀傷を見つめて、問うた。




「あんたには、この傷も・・・誇りなのね?」






それは違う。
すぐに思った。



「この傷は」





誇り?

――まさか。





「恥以外の、何物でもねぇよ」




月明かりの乏しい光が、驚くナミの、満月のように丸く見開かれた両目を照らした。













嘘ではない。
誇りなんて綺麗なものじゃない。
あの戦いを刻み付けた。
己の無力を、刻み付けられた。



剣の腕を磨く為の日々だった。
おれの強さは、確実に一つ一つの階段を上っていった。
最早あの小さな村にいて吸収できるものは残っておらず。
機は熟した。そう思ったから海へ出た。

無論、村を離れてすぐに、あの男に出会えるとは思っていなかった。
だが、情報収集は怠らなかった。進んでも進んでもまだまだ広がる世界で、たった一人の人間を探し続けた。
もちろん、実力を磨くことも忘れなどしなくて。
勝機は十分にある。その自信はあった。
食う金を稼ぐだけの“海賊狩り”も、その自信を確固たるものにしていった。


やっと見つけた。そう思ったんだ。
だから迷わずぶつかった。
ぶつかって――自分がどんなにか浅はかだったか、身を持って思い知ることになる。



見知らぬ町を歩いているとき。メシを食っているとき。眠りにつくとき。
何度となく、想像した。
あの男と対峙するのは、どんな気分だろうと――


いつも胸に広がるのは、高揚感だった。
頂点を極めたその強さに触れる興奮。
息をつく間もないほどの、刀と刀の応酬。その切っ先に、互いの命がかかっている。



そんな生易しいものではなかった。



短刀1本で抑えられたとき、眼前に広がったのは絶望感だった。
目の前の男との、遠すぎる距離への真っ暗な絶望だった。
手を伸ばせば触れられる距離にある筈の剣は、見えないほど遥か彼方に存在した。
こんな筈じゃない。焦りが刀にまで響いた。
数本の刀身にチラつくおれの顔は、冷や汗にまみれていた。


勝てない。
磨き上げた輝きのまま真っ二つに折れた剣の本能が、己に向かって最後通告を告げる。
それは死を意味していた。


ならばせめてと、前を向いたまま散ってやろうと思った。
一歩も退くことなく、突き進んで砕けてやろうと。
結果的に、その覚悟は認められるのだが。



おれは負けた。けれど死ななかった。
殺されなかった。散る覚悟までしたのに生きていた。
それが何より許せなかった。





おれは、生かされたのだ。
他でもない、鷹の目の手によって。
おれの命が、初めて、おれ以外の掌の上にあった。
おれは生きていた。あの男の意思で、生きていた。


堪えきれないほど悔しかったのは、ただ敗北したからだけじゃない、その理由があったからだ。




「もう二度と、あんな屈辱は御免だ」



心臓の真上を縦断した傷跡に誓った。


























――嗚呼、確かに、そんな思いの丈を語った。

普段口数の少ない彼が、いつになく饒舌に。



「話し終えたあんたに、私、言ったわよね」
ナミは、ゾロの視線を真正面に受け続けながら、言葉を紡いだ。
吸い込まれそうな澄みきった鋭い瞳に、己の顔が反転して映っている。



「『なら死なないでよ』・・・って」

















悔しいんでしょう?
次は勝ちたいんでしょう?
ならどうして、命を大事にしないの?
死んだら何もかも終わっちゃうじゃない。
生き抜かなきゃ、“次”も何もなくなっちゃうじゃない。
どうしてそれが分かんないの?
なんで生き急ぐの?



私の心の掟になった、ベルメールさんの言葉。
私だけの大聖堂の天井に刻まれた文字。

“生き抜けば必ず楽しいことが たくさん起こるから”

だから私は『生き抜』いてきた。
何があっても、どれほど苦しんでも。
生き地獄も終わりがあるならあの世よりマシだと信じて。

その掟を、あんたは根底から悉く覆してくれるの。




ねぇ、そんなに簡単に命を捨てないでよ。




















一生の願いというものがあったとしたら、ここで使っていたのに。
気付かなかったのか、はたまた歯牙にもかけなかったのか、ゾロがその望みを守ることはなかった。



「――まぁ、いいわ」

聡明な航海士が少し微笑む。


「・・・生きて帰ってきたから」













ナミが、剣豪の身に何が起きたのか知らないように、この男もまた、知らなかった。
死にかけの自分を見た瞬間、彼女がどれほど取り乱したかを。

コックが声をかけた時点で、ゾロはかろうじて立っていられたものの、それ以上動くことは出来ず。
医者のもとへ連れて行こうと手を伸ばされた瞬間、グラリとよろめいて意識を失った。
なんとかサンジが引きずって帰ったときには、とっくに呼吸も心臓も止まっていたという。

サンジが担ぐようにして連れ帰ったゾロを見た瞬間――ナミは身を凍らせた。
頭から血の雨を浴びたような風袋は、どう見てもただの骨肉の塊にしか思えなかったのだ。
蒼白になった顔で、彼女は自分の男に駆け寄りその表情を覗き込んだ。


「ねぇ・・・ゾロ?嘘でしょ・・・?」

ぬるりと血塗れた頬を撫でる手は、小刻みに震えていて。

「ちょっと・・・ゾロ・・・ゾロ・・・?!」

女の頬には涙が伝う。

「・・・・・・どうして・・・?」

落ちる雫が、血痕をわずかに薄めた。



――最後の言葉は、誰に聞かれることもなく、地に染み込む。








「お願い・・・もう誰も・・・死なないで・・・」
























「生きて帰ってきたから・・・許してあげる」
「・・・生きて帰ってこれるとは、思ってなかったがな」
「あら、そしたらあんた、困るわよ」


ナミは気丈にも、顔いっぱいに笑みを浮かべて断言した。






「あんたくらいの方向音痴だったら、死んでも魂があの世まで辿り着けないから。だから、勝手に死んだらあんたが困るの」
















その笑顔はきらきらと美しかったが、大きな瞳が薄っすらと潤んでいることに、ゾロは気付いていた。




気付いていて、何も言わなかった。




FIN

(2008.06.22)


<投稿者・高木樹里様の後書き兼言い訳>
「Parallel Lines」・・・平行線
決して交じり合わず、妥協点の見えないものの事をいいます。
目的の前には己の命だろうと捨てられるゾロと、まず何より生きることが第一だと考えるナミの、対蹠的な生き方をテーマに書きました。
交じることはないけれど、真っ直ぐで、2本の距離が離れることもなく、しかもどこまでも続く、という意味を込めてあります。

史上稀に見るぐっだぐだ具合になってしまいました。orz
苦手な第三者視点中心ということもあり、バランスが取れなかったのが敗因かと・・・。(汗)
入れたいものをじゃんじゃん入れすぎちゃったみたいです。
「生き返る・・・」は、ゾロに(ナミに向かって)言ってほしい言葉No.1です。
あとゾロの怪我の描写が若干生々しくてすいません・・・。(_ _;)

一応、自分では満足いくものに仕上がったつもりです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。



<管理人のつぶやき>
WJ本誌で眠るゾロの傍らに付き添うナミを見た時、色めきたったゾロナミストは多いはずだ(笑)。
スリラーバークでバーソロミュー・くまと対峙して生死を彷徨うような重傷を負ったゾロ。ナミはその理由を問わないけれど、ゾロの死生観は理解していて、そして自分の考えとは違うことも知っている。
見事なまでに対照的なのにでも寄り添っている、思えば二人は不思議な関係ですね。

高木樹里さんの4作目の投稿作品でした。素晴らしいお話をありがとうございました!!

 

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