誰(た)が為に剣を振るう
            

十飛 様



どうして追ったのかと訊かれれば、“船長命令”だと素直に言える。
どうして試したのかと問われれば、自らを偽って欺いて、心のひそかな叫びすら覆ってしまっている仮面が剥がれかけたからだと答えられる。


ではどうして戦ったのかと言われれば。









診療所を抜け出して騒がしい宴へと足を進める。あの口煩い医者に見付からない様にして騒ぐ村人達の間を歩く。転がっていた二本のラム酒の栓が開いてない事を確認してかっくらった。
騒いで飲むのもいいかと考えたが、やっぱり一人で静かに飲もうと決めて、再び村人達の間を縫うように歩く。もちろんあの医者に見付からないように。
宴を抜け出す時に船長に大声で声をかけられたが無視をした。
この一本道を進めば海の見える場所に着くだろう。迷うはずがない。
騒がしい後ろに立ち止まって左手に持った瓶で肩を叩いて少し微笑みながら、悪くねェなこんな夜も、と宴の場を振り返って呟いた。
そしてゆっくりとまた歩き出す。
包帯が邪魔だぜまったく、と文句を言ったことは誰の耳にも留まらかった。









今は喜ぶ事しか出来ない。誰もが待ち望んだ自由なのだ。この八年間どんな事にも耐えてきた事がやっと報われた。
そして本当の仲間に会えた事が何より嬉しかった。利用され裏切られたと知って。だけどこんな力じゃどうしようも出来なくて。
最初から信じるものを間違えて、愚かで惨めで悔しくて、一度は突き放した信じたいものに助けを求めて縋り付いた。
命を賭けて戦ってくれたこいつらに改めて感謝をしたいと思う。
その意味も込めて手に持ったジョッキにビールを一杯まで注ぎ、高々と挙げて乾杯をした。
それを一気に飲み干そうとした時に宴の真ん中から船長が剣士の名を呼んだのが聞こえた。
辺りを探せば宴から抜け出そうとしている包帯まみれの男の姿を見付けた。
しかもその両手にはラム酒が握られていた。
「あっきれた…」
はぁ、と溜息を吐いて立ち上がる。
腰に手を当ててビールを一気に喉に流し込んだ。
あの男に訊かなくてはならない事がある。
答えなんかとうにわかり切っているというのに。
何故あの男なのかわからない。
わからないまま足はあの男の元へと向かう。









辿り着いた場所は岬だった。
漆黒の海に黄金に映える月。その周囲を散りばめられた星が彩っている。
ふと十字に立てられた木に気付いた。
近付いてみるとそれは墓らしきものだと理解した。
「…墓…」
誰の墓なのかは知らない。もしかしたら魚人の手にかけられた者の墓かもしれない。
哀悼の意を込めて右手に持ったラム酒の栓を抜いて墓に流しかけてやった。









確かにこの道を歩いて行った。ここを行けば母親の墓に辿り着く。迷わなければの場合だが。
さすがに迷う訳が無いだろうと思って歩いて行けば、男の後ろ姿が見えた。
墓は男に隠れて見えない。近付いて行くと男は手に持った瓶の栓を抜いて、恐らく墓にかけているのだろうと思った。
「ありがとう」
男の背中に聞こえるように礼を言った。







ゾロは墓にラム酒をかけ終わるとしばらく墓を見つめ続けていた。いや、そこにある墓じゃない。もう随分前に離れた故郷の親友の墓をその十字の木の墓に重ねていた。
これよりももっと立派な石の墓だ。
だが、墓の形などには意味は無いだろうとゾロは思う。
どんな形の墓でもそこにはたくさんの想いが巡っている。
強くて脆い、まるで孤高の月、一度も勝てなかったあいつへ感じたのはたった一つ、悔しさだけが募った。
唯一残ったものは、最初で最期の“約束”だけだった。


こんな感傷的な気分になってしまった事にゾロは目を閉じて苦笑した。
その時背後から聞こえた言葉に驚いた。
そしてその声で誰なのかを理解した。
「知っている人間だったのか」
ゾロは墓を見つめたまま後ろのナミに問うた。
「うん。私の母親」
義理、だけどね。
ナミはそう付け足して少し笑った。
ゾロはそうか、とだけ言って左手に持ったラム酒を掲げて
「久々にどうだ」
そう訊いた。
「いいわね」
そう答えてゆっくりと墓の前で立ち尽くしているゾロの左側に並んだ。
そのまま母親の墓を見つめる。
「ベルメールさんって呼んでたの」
ナミが静かに言葉を吐き出す。
それは悲しみを抑えるかのように。
いつまでも三人で一緒に暮らしていけると思っていた。
貧しくても姉と母親と三人で一緒に暮らせればそれだけでよかった。
“血”なんか関係なかった。
本当に家族だったのに。
平穏な幸せを奪われ八年もの間利用され続けた。もう誰も傷付けたくなかった。
もう誰にも死んでほしくなかった。
魚人達の犠牲になんてならないで。そう必死に願い続けた。
決して洗い落とせやしない過去だけど、決して幸せとは程遠い深い過去だけど、それすら糧にして生きていこうと思う。
あの人と“約束”したから。
いつも笑っていようと“約束”したから。
だからこれからは笑って夢を追いかけよう。
「ずっと笑っていて欲しかった」淡々とした口調でナミは言う。
「あの笑顔をもう一度見たかった」
ナミは海を見ていた。遠く遠く。
あの漆黒の水平線をずっと。
あの人の笑顔は絶対に忘れないけどやっぱりもう一度見たかった。
もう誰かの為に誰かが犠牲になって死んでいく姿なんてもう二度と見たくない。
なのに救ってくれた仲間達はそれを平気でする。
特にこの男は。
「あんたは・・・どうして戦ったの」
そんな身体で。
助けてくれた事にはとても感謝している。
だけど。
平気で命を捨てるような真似をして。
水に飛び込んだ時も、戦っていた時も。
そんなこいつに少し苛立っていたのも事実だった。
ナミは海から同じように海を見ているゾロの横顔を見た。その表情からは何も読み取れない。
ただ海を見ているだけ。
戦っている血に塗れた男とはまるで別人の様に思えた。
「理由が必要か?」
静かに、だがはっきりと海を見つめたままゾロは言葉を出した。
「仲間が傷付いた。だから俺はこの剣を振るった」
そんな事は理由にすらならない、そういう意味で。
仲間の為に剣を振るって何が悪い。
ゾロはゆっくりと身体をナミの方に向けた。
確かにお前を追ったのは俺の意思じゃない。
紛れも無く“船長命令”に従っただけの事だと言える。
だが戦ったのは俺の意思だ。
お前が戦うから俺は戦った。
無力に嘆いた女を俺はもう一人知っている。
以前の俺なら振るわなかったかもしれない。
ずっと一人で生きてきた俺には仲間なんて要らないものだと思っていたのに。いつでも刀以外は捨てられるように生きてきたのに。
命さえも。
しかし今はそう簡単に捨てられないものが出来た。
だから。
共に旅して来た仲間をあっさり見捨てるような剣は俺にはない。
傷付いた仲間の為に振っちゃならねえ剣が何処にある。
「不満か」
ゾロはナミの瞳から目を逸らさない。ナミもゾロの瞳から目を逸らさない。
不満?不満なんて無いわ。あんたがその剣を振るってくれた。それだけで充分過ぎるくらいに。
それでも少しだけ不満があるとしたらそれは。
「あるわ」
強く言った。ゾロは表情を変えずにナミを見る。夜の潮風が二人をなぶっていく。ナミの鮮やかな橙色の髪が揺れる。
ゾロに一歩近付いた。その距離は人一人分。
「私の為にその剣を振るってくれないの?」
これは告白かもしれない。そう思った。それでもいい。ただ言いたかった。
今はまだこの感情に名前をつける事には躊躇われるけど。
ゾロは表情を崩さない。黙ったままナミを見詰めている。
そしてゾロはゆっくりと訊いた。
「それはお前を守れって事か」
「私をあんたの隣に置いてって言ってるの」
「何故だ」
「仲間…だから」

ゾロの表情には動揺の破片さえ見当たらなくて、自分の動揺を悟られたくなくて、この感情を名付ける前に都合のいい言葉に縋り付く。
「俺の側に居ればお前が危ない」
ゾロは少し目を細めた。自分の側にいれば必ず危害が及ぶ。命すら危うい。
それをわからないこいつじゃない。
「そんな事わかってる」
わかってなきゃこんな事言う筈ないじゃない。

「死に急いでるように見えるあんたには誰かが隣でその腕を掴んでいなきゃいけないの」
そうしないと本当に居なくなってしまいそうでナミはラムが握られているゾロの左腕を右腕でそっと掴んだ。
ゾロは掴まれた左腕をそのままにナミの声には幾分儚さが漂っていたような感覚がした。
少し俯いたナミの表情は、前髪が影になって伺えない。
「死に急いでいるつもりは無いんだがな」
さっきまでの冷静な声とは違い随分穏やかな声になったゾロに気付いてナミは顔を上げた。
「勝たなきゃならねえ男がいるんだ」
あの男に生かされた。二度と敗けないと誓った。
だから必ず倒す。
「この傷を付けた奴…?」
ナミは左手で白い包帯に僅かに血が滲む胸にそっと触れた。
アーロンに包帯を破られた時の傷に戦慄が走った。大量の血が流れ出ていたにも関わらず戦い続け、更にはあのアーロンに恐怖と殺意さえ覚えさせたあの眼。
「そうだ」
ゾロはナミの左手に自分の右手を置いた。
「約束を果たさなきゃいけねえんだ」
二人だけの約束を。
いつか自分の名があいつに届くまで死ぬわけにはいかない。
「その為には命を捨てる覚悟が必要なんだ」
お前には命を粗末にしていると思うだろう。
“死”なんかに恐れてちゃ決して辿り着けない頂だと知っているからこそ。
「いつか…いつかその前に死んでしまうかもしれないのよ…」
ナミは俯いて唇を噛んだ。掴んだゾロの左腕にナミは気付かぬ内に力が入っていた。胸に置いた左手をゆっくり離した。
死んだらそこでなにもかもが終わってしまう事を誰よりも知っているからこそ。
「だったら、そうなる前に俺の腕を掴めばいい」
その言葉にナミは顔を上げた。
ゾロが微笑っていた。
ゾロの右腕が未だゾロの左腕を掴み続けているナミの左腕を優しく掴む。
「…いいの…?」
ナミは自分の声が掠れていた事に気付いた。
「ああ」
仲間だからな、ゾロはそう笑った。
その答えにナミも笑った。
「掴んでくれるんだろ?」
今度はシニカルな笑みを浮かべた。
ナミはその笑みに安堵を覚えたが素直に答えるのも癪だったので、掴んであげてもいいわよ、と自分の右腕を掴んでいたゾロの右腕を左手で払って、ついでにゾロの左の掌に握られたラムを奪ってゾロから離れた。
「てめェが言ったんじゃねえか!ていうか俺のラムを返せっ!」
ゾロが怒鳴り散らしている姿にナミは弾けるように笑い、来た道を戻っていく。
「あの女っ…!!!」
額に血管を浮き上がらせ、寂しくなった左の掌で拳を握った。
そして何となく上機嫌でラムの栓を開けようとしているナミを追った。


追ってくるゾロを振り返ってひらひらとナミはからかうように笑って手を振った。








あいつの隣に居ればきっと危険は避けられないだろう


だけど急ぎすぎるあいつの腕を掴んで引っ張る事ぐらいは出来るから



今はこの感情に名前を付ける事はしないと決めた





FIN


(2006.11.08)


<管理人のつぶやき>
アーロンとの戦い直後、ベルメールさんの墓の前で語り合うゾロとナミ。
ナミは真意を胸の奥に秘めたまま「仲間として」ゾロと傍らに立ちたいと望み、ゾロはそれを受け入れる。生き急ぐゾロを止める役目は、ベルメールさんに生の素晴らしさを教えられたナミに相応しいと思います^^。さて、秘めた感情に名前を付ける日は来るのか、来ないのか。

ラプトルさん改め、十飛さんによる通算で14作目の投稿作品でした。
ご投稿どうもありがとうございました!アップが遅くなってホントにホントにごめんなさい><。

 

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