天(そら)と海の狭間で
山と 様
「航海士さん。船を留めてもらってもいいかしら」
ロビンがそう言いだしたのは、補給に立ち寄った島を出港して、1時間程経過したときだった。
「いいけど・・・どうかしたの?ロビン」
「ええ。この海域で、あと30分ほどで面白いことが起きるのよ」
「面白いこと?」
「そう、面白いこと」
意味深に微笑むロビンに、訝し気にしながらもナミは、船を停めるために指示を出した。
急なことに対しての疑問がクルーの間からでてきたが、ロビンの「面白いこと」発言を受け、船長は早くも期待に胸を躍らせた。
「面白いこと」までの待ち時間を利用して、ロビンはこれから起こることを説明する。
「これから、この海域で起こるのは、皆既日食と呼ばれる現象で、この辺りでは400年ぶりに起こるそうよ。今回の皆既継続時間は6分44秒。今世紀に起きる皆既日食でも最長と言われているわ」
ロビンの説明に首を傾げるクルーが数名、「博識なロビンちゃんも素敵だ〜」と、身をくねらす者一名。おそらく、日食なるものを理解しているのは、航海士であるナミと、得意のほら吹きのためにわりと雑学の知識があるウソップ、客商売をしていたサンジくらいだろう。
おそらく、戦闘以外は興味がなさそうなゾロ、冬島育ちで医学以外は勉強していないと思われるチョッパーは、理解しているかは怪しいところで、ルフィにいたっては問題外だ。
ふと、チョッパーが何かを感じたかのように、空を仰いだ。ロビンがそれにつられたように空を見上げ、太陽を見遣ると時間を確認する。
「そろそろ、始まるわ」
「なに〜!本当か!」
ルフィが勢い良く、太陽を見つめた。が−、
「ぐわっ!!まぶしいっ!」
慌てて目を手で覆い隠し、甲板上を転げ回る。
「長鼻くん」
ロビンの呼びかけに、用件を察したウソップは、鞄からある物を取り出すと、いまだに転げ回るルフィの顔へと被せる。
「なんだ、これ?」
「太陽の光と紫外線を遮るための遮光板を加工したもんだよ。直接、太陽を見ると目が潰れるからな」
そう説明され、手渡されたものは、厚めの紙を眼鏡型に切り取り、レンズの替わりに黒い板を嵌め込んだ、即席観測眼鏡だった。
「あいかわらず、器用だな」
感心したように呟くと、ゾロは眼鏡をかけ、躊躇うクルーたちを余所に、躊躇なく太陽を仰いだ。
「へぇ。本当に欠けてんな」
どこか楽しげなゾロの声に、残りの面々は、我先にと眼鏡をかけ太陽を眺めた。
「本当だ!」
「右上のところ、欠けてきてる!」
「この分だと、あと1時間弱で皆既日食かしらね」
ロビンが冷静に時間を告げる。それを聞いているのかいないのか、ゾロ以外の全員が、太陽を飽きることなく見つめていた。ゾロは早々に眼鏡を外すと、メインマストへと背を預け、甲板に座り込む。
「不思議太陽だな!」
ルフィが楽しげに笑う。チョッパーにいたっては、あまりにも太陽を見つめ過ぎて、バランスを崩して後ろ向きに倒れそうになり、背後にいたゾロに支えられていた。
「寝そべったほうが、体勢的に、首も痛まないんじゃないか」
ゾロの一言で、全員が−普段カッコつけているサンジも、いそいそとその場に仰向けに寝そべった。
太陽が欠けてくるにつれ、徐々に海面からの照り返しが弱まり、体感温度もわずかに下がってきた。
先程までよりも、空に浮かぶ雲が増えたような気がしたナミは、そのことをロビンに伝えると、日食が近づくにつれて雲が増える現象があると説明される。日食雲というらしい。
そして、太陽が大きく欠けると、海面に反射していた光が消え、冷たい風が吹き込んでくる。空は夕暮れのようにオレンジ色に染まり、薄暗くなると、ざわめきが起きる。徐々に、徐々に細くなる太陽と、暗さを増す空を固唾を呑んで見守る。
いよいよ隠れる、という段階になり、空が一気に暗くなり、 そして、辺りは闇に包まれた。
「わあっ!!」
太陽が隠れる瞬間、一際強い光が左下から放たれる。月の影から漏れる鋭い光と相まって、それはまるで、空に浮かぶ指輪のようだった。
「ダイアモンドリング、と呼ばれる現象よ。一瞬のものだけど、6分後に太陽が現れるときに、今度は右上で見られわ」
「へぇ〜」
感嘆したような声が、あちこちで上がった。
「なんだか、夜がきたみたいね」
「白く見える部分は太陽を取り巻く大気で、コロナというのよ」
ロビンの説明を放心したように聞きながら、白い光を放つ黒い太陽を見つめているクルーたちへと、ゾロが声をかける。と同時に、船医を肩に乗せ、シュラウドを登る。
「おい。起きて、周りを見てみろ」
あっという間に見張り台へとたどり着いた剣士は、船医を肩に乗せたまま、ゆっくりと回ってみせた。
寝そべっていたクルーたちも起き上がると、周りを見回して、感嘆の声を上げた。
そこに広がっていた光景は、なんとも言い難い不思議なものだった。
雲が浮かぶ360度の水平線は夕焼けのように赤く染まり、そこから濃紺へとグラデーションがかかって、夜空へと続いている。
空は真っ暗なのに、水平線は明るく、ほぼ天頂付近には黒い太陽があり、幾つかの星が瞬き、波の音は聞こえているのに、静寂に包まれているような、そんな不可思議な光景が展開されていて、普段は喧しい船長でさへも、その景色に魅入っている。
くすんくすんと、ゾロの頭の上から鼻を啜る音が聞こえてきた。感激屋のチョッパーは、感極まって泣き出してしまった。ゾロは何も言わずに、左腕のバンダナをチョッパーに差し出した。それをおとなしく受け取り、涙を拭くチョッパー。
「そろそろ、皆既状態が終わるわよ」
ロビンの声が響き、再びクルーたちの視線は太陽へと向けられた。
ゆっくりと白い光が形を変え、再びダイアモンドリングが姿を現した。最初に見たものよりも輝きを増しているそれに、そこでまた、歓声が上がる。
そして太陽は、ゆっくりと元の姿へと戻っていく。それにつれて、辺りは明るさを取り戻し、熱量すらも戻ってきた。
再び眼鏡をかけ、太陽の欠けた姿が元に戻るのを、眺め続けた。
不可思議な空間は約10分、全体で約2時間半くらいで終了したが、滅多に遭遇することのない天体ショーに、全員が興奮していた。
気がつけばお昼時を過ぎていて、一流のコックは短時間で昼食を作りあげ、興奮冷めやらないままのクルーたちによって、昼食は宴へと発展した。
「もう一回、見てえなぁ〜。またやんねえかな」
肉を頬張りながら、ルフィが空を見上げる。それにウソップとチョッパーが頷く。
「そりゃ、無理だろ。最初にロビンちゃんが言ってただろ。この辺りでは400年ぶりだって」
美女二人に給仕しながら、サンジが冷静に年少組に言い聞かせる。「ええ〜!」と、残念そうな声を上げる年少組。
そんな年少組に、ナミが声をかけるより早く、
「航海続けてりゃ、またどっかで見れんだろ」
と、慰めるような台詞が聞こえてくる。
「ゾロ・・・?」
意外な人物からの慰めに、全員がゾロを見る。見られた本人は軽く肩を竦めると、
「偶然だが、海に出たばかりん時に一度、見たからな」
と、飄々と告げる。
「だから、あんた一人だけ、冷静だったのね」
「ゾロは二回も見てんのか〜。ずりぃぞ!!」
年少組に詰め寄られ、ゾロはなんとかしろ言わんばかりの目線をロビンへと向けた。それを請けてロビンはフォローを入れる。
「皆既日食は1年から2年に一回くらいの割合で、世界のどこかで観測することができるわ。自分からその場所に行かない限り、ほとんどの人は一生体験することはないわね。だから、今回は運が良かったのね」
「んんっ、そっか!」
ロビンの言葉に、ルフィが破顔する。
「すぐはダメでも、世界のどっかでまた見れんだな。だったら、このまま進みゃいいんだ」
「そうだな。どのみち、グランドラインを何周もするんだしな」
「お、俺も!また見たい!」
いつかまた日食が見られるとわかり、年少組は盛り上がった。それを見て、年長組も微笑んでいる。
「優しいのね」
「・・・べつに、事実を言ったまでだ」
「な〜に照れてんのよ」
ロビンにそう囁かれ、ナミにからかわれ、ゾロは微かに赤くなってそっぽを向いた。
聡い考古学者と航海士は、無骨な剣士のその姿に微笑みあう。
強面ながらもさりげなく優しい剣士は、年少組の落ち込みようをなんとかしたくて、話を切り出したのだろう。
ならば私は、とナミは声を張り上げる。
「どこであろうと、必ず私が連れていってあげるわ」
「それなら私は、今度どこで起こるのか、調べてみるわね」
「頼りにしてるわ、ロビン」
ナミに続いてロビンまでも、宣言するように言った。
頼もしい航海士と考古学者に、船長は笑顔をみせて、高らかに宣言した。
「今度どこかで不思議太陽見る時までに」
ルフィは遥か先を見据え、その姿を見たクルーたちも、自分の夢へと思いを馳せる。
この船の進む先は、走り出した瞬間にすでに決まっている。
「海賊王に俺はなる!!」
FIN
(2009.07.25)