朝靄がゆったりと渦を巻いている。
乳白色の景色の中で、がさりと木の枝が揺れた。
しなやかな手でもがれたのは、成って間もない小さな実だ。
葉と同じ色で緑が濃く、ころんと丸いが、硬い。
ナミはあくびをひとつ漏らして、キッチンに降りた。

かたん、さくっ、という控えめな音を響かせて、実を半分に切る。
断面に鼻を近づけて、凝縮された青い匂いを嗅いだ。
思い出すのは幼いころの自分だ。
早くもぎすぎて、きつい酸味に顔をくしゃくしゃにした。
匂いは思い出と直結している。笑い声もあたたかな手もすぐここにある。

天井を見上げて大きく口を開け、ぎゅっと小さな実を絞った。
この時期だけの、毎朝の日課のようなものだ。
自分専用の果物ナイフが欲しいと、ナミはぼんやり思った。




せっかく生まれた恋だから

ayumi 様


蒸し暑い海域だった。
男連中は風が吹くだけましだと云って、夜毎甲板に転がっていた。
汗が引いたら船室に戻ったり、そのまま朝まで寝こけたり、それぞれだ。
大きないびきは誰だろう。
ナミは部屋にいて、濡れタオルで体を拭いていた。
本当ならシャワーがいちばんなのだが、既に今日の分は浴びている。
誰も咎めたりはしないだろうが、船に乗る者として、自分でそう決めている。
着替えた綿のTシャツは肌触りが気持ちいい。
男物の下着のような短パンを取り出して、足を通しかけてやめた。
パジャマのズボンを履いて、外に出た。

大きないびきはやはりゾロだった。
後甲板の端で、大の字になっている。
サンダルの音をぺたぺたと鳴らして、すとんと隣に腰を下ろした。
どんよりと重い夜空を見上げて、ペディキュアのラメを爪で引っ掻いて、時間が過ぎる。
退屈だとは思わない。
厚い胸板が規則正しく上下している。その隣でならいつまでもじっとしていられる。
ふといびきが止まった。

「いたのか…」

たったひとことの、穏やかな低い声だ。
ナミも短く、「うん」と応えた。
静かな甲板に、旗が翻る音が降ってくる。
ばたばた。少し休んで、ばたばた。
ゾロが体を横にして、ゆっくりと手を伸ばした。
膝を抱えていたナミの手もそろりと下りて、互いの指先が触れる。

「なかなか涼しくならねぇな…」

細い指のひとつひとつを確かめるように、ゾロの指が絡んだ。
膝に顎を埋めて、顔半分を隠して、ナミは見つめていた。
大きな手を。
緩やかな曲線を描く口元を。
守る意思に満ちた、ゾロの優しい眼差しを。

「…あんたはそうなるのね」

思ったまま口にした。
家族のような存在のまま、ずっと続くと思っていたからだ。

きっかけはなんだっけ。
とても些細なことだった。

「変わらねぇ男がどこにいる」

からかうような声音から、不意に真剣な声になった。

「オレは違うとでも思っていたか」
「…わかんないじゃないそんなの」

ナミの指に、そっと力がこもった。
手の甲を握られているが、ゾロにすれば這い回っているような感触だ。
くすぐったかったが、好きにさせた。
ナミの伏せた目は美しく、震える睫毛を見ていたかった。

「あんたがどうやって女を相手にするかなんて…知らないに決まってんでしょ」

憂いを含んだしっとりした声に、ゾロは心の中で呟いた。

お前だってそうだ。
オレの前でそんな顔を見せたことなどなかった。

なぜこうなったんだ。
きっとあの日を境にしてだ。

「まあ、オレもただの男ってことだ」
ゾロは体を起こして、大きく伸びをした。
並んで座ると、どこもかしこもサイズが違うと改めてわかる。抱き締めたらもっとわかる。
ゾロの腕が、ナミの肩に回った。
行動に移すまでたっぷり時間がかかったことを、ナミは知らない。

「うん…本当に、おかしなものだと思…」

近づく唇に、ナミの言葉が途切れた。
ゾロ、と小さく呟いたのは、心臓が跳ねて仕方なかったからだ。
逃げたいと思った。
こんな動悸を知られたくない。
どうしよう。息ってどうするんだっけ。

唇が触れた。
息を止めて表面だけ掠める、ぎこちない口付けだった。
ゾロは自覚していた。
唇が震えてやがる。
気づいてくれるな。どうすりゃ止まるんだ。

押し付けただけの口付けのあと、抱き合って密かに空気を貪った。
照れ隠しでゾロが「暑ぃな」と云った。
耳のすぐそばの錆びた声にどきっとなって、ナミが応える。
「そりゃ暑いわよ、くっついてんだもの」
肩の骨に響く、柔らかな風のような声だった。
ゾロは下腹のさらに下がずきんとなったが、修行と思うことにした。

短い会話で、辺りはすぐにしんとなった。
風が止まっていた。
さすがに海賊旗も邪魔はできず、おとなしい。

震えることはなかった。
息が苦しいこともなかった。
二度目の口付けはさっきより少し長く、少し水の音がした。






―――きっかけはなんだっけ

―――なぜこうなったんだ


自分専用の果物ナイフが欲しいと、毎朝ナミは思うのだ。

だが青い実の時期は短くて、いつもつい忘れてしまう。
キッチンに降りていくのも、それほど手間じゃない。
所詮、寝起きの頭でぼんやりと思う程度のことだ。

その朝も同じように、靄が立ち込めていた。
土を踏み締めて畑の中に入り、ひとつの枝に成りすぎた小玉果を探す。
いつもと違ったのはゾロがいたことだ。
健やかな深い寝息だったので、気がつかなかった。
足につまづき、脇に置いてあった刀をがしゃがしゃと蹴飛ばし、激しくたたらを踏んだ。

「ちょっと!びっくりさせないでよ!」
「なんだァッ!?…ってああ、お前か…おい、刀!」
「あら失礼。ていうか邪魔」

ゾロを膝で押し退け、選んだひとつを丁寧にもいだ。
「ちょうどいいわ。ね、これ切って」
しゃがみ込んだナミのホットパンツは際どく、下着の端が見えている。
ゾロは舌打ちして「朝っぱらからンなもん見せんな」とぼやく。

「見なきゃいいのよ。ほら、これ切ってってば」
「あ?こんなちっこいもんのために抜けるか」
「じゃ私がやるから貸して」

体にのしかかるように伸びた手を、ペンと叩いてたしなめた。
「痛い!」
「そら失礼」
片頬を歪めて、胡坐の上に刀を渡す。
鍔口から少しだけ刃を覗かせて、ゾロが手の平を突き出した。

「おら貸せ。しかしお前これ、どうすんだ」
「きゅッと飲むのよ。この時期だけの特別」
「特別な…」

厚い鋭利な刀の根元で、器用に二分割する。
ゾロはそのまま何気なく、「ほれ」と小さな断面をかざした。
真正面から向き合い、ナミに口を開けろと仕草で促している。

「…ん」

青い実は硬く、中身が詰まっている。
飛沫が顔に飛ばないよう、ゾロは手の縁をナミの唇に近づけた。

白い咽喉が、こくりと上下した。




―――とても些細なことだった

―――きっとあの日を境にしてだ


生まれたのは奇跡かもしれない。
だがどうせならできるだけ長く、育んでいきたいと願う。
幸い付き合いだけは古く、行動も考えも、手に取るようにわかっている。
相手の強さだって、互いによく知っている。

だから。
未来になにがあっても揺るがない。
どちらも奇跡を手放すほど、柔じゃない。
図太く、がめつく、一度掴んだら離しはしない。
大切にしていけるはずだ。

「…キリねぇな」

最後に強く抱き締めて、ゾロがぽんと背中を叩いた。

「っし、寝てこい」
「ん」

立ち上がったナミは、日が射すような笑顔だった。
サンダルの音が倉庫の扉の向こうに消えてから、ゾロは再び横になる。
もぞもぞと腰の辺りを辛そうにしていたが、体勢を二、三度変えているうちにいびきになった。

部屋に戻ったナミは、体がべたついていたが、着替えなかった。
自分ひとりの汗ではなかったからだ。
肩や背中を意識した。
がっしりしたあの体は、見るのとああされるのとではまた違う。
あっついわねと独り言を漏らして、手足を伸ばして寝た。




終わり



<管理人のつぶやき>
ささいなきっかけで恋は生まれる。それこそ奇跡のよう。
そうやって生まれたものを、大切にしていこうと思ってくれたことがまた嬉しい。
この二人なら、がっちり掴んでたくましく愛を育んでいくことでしょう。
硬派なゾロが「震えてやがる」だって!きゃーv ずきんとなったって!ぎゃーv(笑)
ナミもゾロの汗ならいいんだ・・・恋心がそうさせるんだねv

推奨カプ違いにもかかわらず、ayumiさんにむりくりねだりました。
そしたら、こんなステキなゾロナミを書いてくださいました!
構成も文章もさすがとしか言いようがありません。強請った甲斐がありましたよ〜。
ご投稿、本当にありがとうございました!

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