渡海講
カメイ様
「さみぃ...なんかすっごくさみぃ」
テーブルにはゾロの誕生日のためにこしらえられたたくさんの料理が皿だけになっている。
宴会の最中からルフィはずっと云い続けていた。
船医を始めとする他のクルーは突然のルフィの変化に首を捻る。
「飯はたいらげたし熱もない、ただ寒いだけってか。ほれもいっこ」
「すまねえウソップ...」
ウソップ手製の発熱小袋をいくつも身につけルフィは語尾を震わせる。
「チョッパー、これ病気じゃねえんだな?」
「違う。絶対。...多分」
毛布でぐるぐるに巻かれたルフィがテーブルに突っ伏した。
皿をガシャンと傾かせ力なくさみぃさみぃと繰り返す。
外ならまだしもキッチンは食事の名残と人いきれで暖かい。
「これが他の人間ならなあ、『まあこのヒト寒さに敏感ねッ』で済んじまうんだがなあ」
「サンジ、その女声やめてくれ気色悪ぃから」
「いかんせんルフィだからなあ、このルフィがなあ...」
全員の杞憂はまずそこだった。
寒さに鈍感なのを知っているだけに今の状態が解せない。
ウソップとサンジがそれぞれ額に手を当てて確認した。自分の額と比べなくともそれが異様に冷たいことが分かる。
サンジが毛布の塊を揺すり「おい、部屋行くかルフィ」と声をかける。
「あー...うー...」
「ほれ」
毛布の塊を背中に乗せようと膝をついたとき、今まで無言だったゾロが口を開いた。
「あのよ」
壁にもたれたまま自分の刀のうちの一本を指差した。
「こいつがさっきからキンキンうるせえんだよ」
三代鬼徹、稀代の妖刀。
一同の上に沈黙が降りしきる。
「耳鳴りみてえにやかましい...」
テーブルの上を片付けていたナミが手を止めた。
「だから?」
「いや...」
ゾロもそう口にしたものの明確に説明できずに言葉を濁す。
我に返り動きを再開したサンジがルフィを背負ってドアに向かった。
「おい、こいつ置いてくるぞ。チョッパー来い」
「う、うん」
「ナミさん、ごめん片付け。置いといて」
「平気よ、ルフィお願い」
医療キットを携えチョッパーがサンジの後に続く。
背負われたルフィが「ゾローおめでとなー」と云いながらドアの向こうに消えた。
「まあお茶でも飲みましょうか...いかが?」
ロビンが手際良く残ったクルーの前にカップを置いていく。
「なんか中途半端に終わっちまったな。改めてゾロおめでとう」
ウソップの音頭でカップを掲げ乾杯した。
「何度もしつけえ」
ゾロはガッと一口で飲み干した。女性クルーが顔を見合わせ苦笑する。
「見張りはどうする?今夜の当番はルフィよね」
「オレ構わないぜ」
「...ウソップ、いい。俺が行く」
ゾロが立ち上がりカップをシンクに戻した。
「どうせこいつが寝かせてくれん。だったらついでだ」
「鬼徹か」
「ああ。あー...今日はありがとよ」
どういたしましてーと見送るクルーの顔は穏やかだ。
ぶっきらぼうな男だが気持ちはちゃんと伝わっている。
顔赤かったなとウソップが笑う。
残った三人で洗い物を済ませた頃サンジが戻ってきた。
「わっ片付いてる!すまねえ!」
オレも手伝ったぜと云うウソップは無視し、きっちり整理されたシンクを見ながら席につく。
「いやー参ったな...あ、ロビンちゃんオレするから」
あなたは座っててと腰を浮かせる前にロビンがサンジの前にカップを置く。
片手で拝んで一口飲み、上手いと云ってから煙草に火をつける。
「ルフィな、なにやったって寒いとさ。チョッパーも困ってる。おかしな症状とか全くないから」
「ただ寒い、と」
「ああ...そんなに寒いか?今日」
一同は互いの服装で確認し合い、
「いや...むちゃくちゃ寒いってわけでも...」
「だよなあ」
うんうんと頷き、結局見守るしかないという結論に落ちついた。
サンジが淹れた二杯目のハーブティーを飲み終え、クルーたちはそれぞれの部屋に戻った。
痩せた月が中空に浮かんでいる。
見張り台のゾロは半眼で深淵を伺う一体の像のようだ。
結跏趺座の姿勢で鳩尾に精神を集中させ眉間へと気を流す。
鬼徹、落ちつけ。
てめえどうしちまった。
耳鳴りは鼓膜を突き刺し通り抜ける。
深い海の底にいるような圧力がゾロを押さえにかかる。
斬りたい。
圧力はそう云う。
なにを斬りたいのか。
斬らなければ収まらないのか。
耳鳴りは今や轟音となりゾロの頭蓋を打ち鳴らす。
そのときGM号が僅かに揺れた。
小波すら見えない海面で、GM号は縦に揺れた。
膝を立て鬼徹の柄に手をかける。
手が吸い寄せられたようだった。
見えない何かを見据えゾロは姿勢を崩さない。
もう一度船が縦に揺れる。今度は明らかに突き上げられたような衝撃だ。
「なんだ!」
再びゾロが顔を上げたとき、水平線とGM号の中間に暗い影が漂っていた。
月明かりがそこだけ吸い込まれているような、虚無に続く黒い塊だった。
「さみぃーむちゃくちゃさみぃー」
「ウソップ、レディたちを起こしてありったけの上着借りてくれ」
「お、おう」
ウソップが慌てて緊急用の小さな扉を叩く。少しの間を置いてナミが顔を出した。
「なに?ルフィがどうかした?」
「すまんコートとか貸してくれ。酷くなってきてんだよ」
ナミが顔を引っ込めた後事情をロビンに説明する声が続いた。
クローゼットの開閉の音がして緊急扉からコートが押し出される。
「これくらいでいい?」
「おうすまねえ」
ウソップが受け取りルフィの上に乗せていく。
乱雑な男部屋に花が咲いたような光景だった。
女性クルーが緊急扉から入りルフィの青褪めた顔色に言葉を失う。
「チョッパー、こうなったらいっそ熱い風呂にでも漬けるか?」
ずっとさすり続けていたサンジが云う。
「それも考えてた」
「ナミ、行きましょう」
「うん」
サンジが止める間もなく二人が女部屋へ戻った。
そこから階段を昇り風呂場へ移動する。
ナミがシャワーのコックを捻る。湯気がやっと浴室を満たそうとしたとき水流が止まった。
浴槽の半分以下だった。
「こんなときに...」
「ゾロにささっと汲んでもらおっか」
「それがいいわね。キッチンでも沸かしましょう」
「分かった、云ってくる!」
甲板に下りたゾロは船首に向かった。僅かな月明かりだけで黙視する。
突如現れたとしか云いようがない黒い影は、GM号とほぼ同じ大きさだ。
形はぼんやりしているのに明かな存在感を感じる。
船なのかもしれない。しかも客船のような。
ひとがいる気配でもしたのか、なぜか客船だと。
そこまで考えゾロは自分で否定する。
グランドラインを周遊する客船?
海賊船にわざわざ寄ってくる客船?
...ばかな。
柄を握る手の血管が浮かび上がる。
気を抜けば膝を突いてしまいそうな耳鳴りが頭蓋を襲う。
黒い霧の塊は船のようにゆっくり近づいてくる。
―――来い。
結跏趺座で得た精神集中は途切れることはない。
身体の内側から炎が吹き出す。
チキ、と鍔口が鳴った。
突如耳鳴りが止んだのと背後から声が掛けられたのは同時だった。
「いっちまえいっちまえ」
最大限に張り詰めた糸が弾けた。半回転したゾロの目の前にルフィが立っていた。
腕を頭の後ろで組み、呑気に笑っている。
「ルフィ!お前...」
「いけってば」
「は?お前なに云って...つかあれ見ろ、お前あれなんだと思うよ」
再び海面に視線を戻したゾロは黒い塊を探した。
水平線のどこを見渡しても、なにも浮かんでいない。柄から手がだらりと離れた。
首を捻りルフィに
「...あのよ、さっき」
と云いかけ口を噤む。
そこには誰もいなかった。
ルフィのいた場所に木片が落ちていた。
見張り台にゾロがいない。
ナミは階段を駆け登り船首に佇むゾロを発見した。
「ここでさぼってたの?」
と云って急いで事情を説明する。
ゾロの顔からは表情が抜け落ちていたがナミは気づかない。手中にある小さななにかを弄んで無言のままだ。ナミは更に云い募る。
「途中で止まっちゃったのよ。熱いお風呂にしたいの。半分しか溜まって」
「おい」
「なによ」
ゾロに遮られナミの言葉はたたらを踏む。
「お前はナミか?」
「―――はああ?!あんた頭大丈夫!?ひとの話聞いてんの!?」
「...ナミか...なあ、さっき揺れただろ」
「え、ウソどこが?慌ててたからわかんない。それよりほら早く」
腕を掴まれ階段の下に連れていかれた。
「はいガーッとやっちゃって!」
「へえへえ...そうだ」
背を向けたナミを呼び止め木片を手渡した。
「なにこれ」
「あの女にでも渡しといてくれ」
手の平より少しはみ出す大きさの、じっとり濡れた木片を受け取る。
―――なんかイヤな感じ。
ううんそれよりも。
「どらいっちょ漕ぎますかね。こんな夜中に人遣い荒過ぎる話だ」
ナミの瞳が手中とゾロの間で揺れる。
"あの女"
ゾロはロビンをまだ警戒している。
でもそれって。
「ねえ」
「あー?」
ゾロの足が回転を早め、ペダルの音でナミの声が聴こえない。
「なんでちゃんと名前で云わないの。あんたかえって意識しすぎじゃないの」
「―――?」
「あんまり気にしすぎると好きになるわよ」
「なんだって?」
「―――あんまり、気にすると!...ホラ漕いだ漕いだ!じゃあ頼んだわよ!」
「お、おう」
パーンと肩を叩いてナミが去った。
ゾロが一仕事終えたことを告げ、全員が倉庫に集合した。
開け放たれた風呂場の扉から浴槽に身を浸すルフィが見える。
倉庫の壁にもたれ腕組をしたゾロに、ロビンが近寄り何事か告げていた。
「はいどいたどいた」
キッチンから沸かしたての湯を運んだサンジは、信じられない思いでいた。
「チョッパー、これ注ぎ湯すんのか?そのまま?」
「うん」
ルフィの頭を支えるナミにちょっと下がってと声をかけ、寸胴鍋を傾けた。
その湯気だけで顔が熱くなる。
「どうだルフィ」
「あー全然だめだぁ...さみぃよ」
「もう!あんたって全く人騒がせね!どうすんのよ!」
逆ギレだとチョッパーが後ずさる。
「さみぃもんはさみぃんだしょーがねえだろ、ナミ入ったらよくなるかも」
「サンジくんみたいなこと云わないで!」
「そうだオレみてえなこと云ってんじゃねえ!」
このクソゴムめと頭を小突いて浴室を後にする。ゾロが顎で促した。空の鍋をぶら下げサンジはゾロに続いた。
キッチンでは既にロビンが着席して待っていた。
再び水を満たした寸胴鍋を火にかけサンジも腰掛ける。
ゾロが口火を切ってロビンに尋ねた。
「で?それがなにか分かったそうだが」
木片をテーブルに戻し、ロビンが一言一言確認しつつ口を開く。
「これがなにか、は分かるの。でもなぜここにあるか、は分からないわ」
「なに、沈没船の欠片?」
サンジが咥え煙草に火を点ける。
「確かに沈んだから欠片になったんでしょうけど...目指す世界には辿り着けたのかしら」
「へ?沈んだらだめじゃん」
「目指すってどこを」
「海の彼方にあるここじゃない世界。信じて目指して海を渡るの」
男たちはしかめた眉で黙る。ロビンが木片の一部分を指して云う。
「見て、なんとなく文字が残っているでしょう。まじない...経文と云ったほうがしっくりくるかしら」
「そんなの聞いたことねえなあ」
「昔、ごく狭い地域で爆発的に流行った概念なの。箱のような船の全面に書き、外から板で出口を塞ぐ。そして別の船が外海まで拘引して綱を切る。これはそんな船の残骸の、一部。...実際に目にすることができるなんてね」
紫煙がテーブルの上を漂う。僅かな沈黙の後ロビンが続けた。
「潮の流れにまかせてひたすら漂うだけ。船の中はもちろん真っ暗。少しの水だけ積んで、鉦を鳴らし続ける。命が続く限りずっと」
頬杖をついて訊いていたサンジが突っ伏す。
「...それってさ、もしかして手の込んだただの自殺...」
「そうね、私たちから見れば」
ゾロがテーブルに足を乗せ身体を揺する。サンジが払い落としても懲りずにまた乗せる。
「箱のような船って云うよかさ、そんなのもうただの箱じゃん。それでどこへ辿り着けるってんだよ」
「極楽とやらだろ。納得してやってんだからそれでいいだろうが」
「それなら問題はないわ。けど、一度志願すれば翻すことは出来ないの。後になって本人が拒否しても、出航の日が来れば縛ってでも乗せられる」
「―――その箱舟はどのくらいでかい」
「でかい?小さいわ。一回につき一人だから。まあ使い捨てね」
「...なら違うのか...?あのよ」
ゾロは自分が見張りのときに遭遇した出来事を告白した。
サンジが「ちょっと待て!」と堪え切れずに口を挟む。
「じゃあなにか、ルフィが部屋でひいひい云ってるときお前が見たルフィってのは」
「これだ」
再び三人の目が木片に集中した。
「...斬っちまうか」
「どうしてあなたはすぐに斬りたがるの」
「俺が斬りてぇつうか...こいつを押さえ切れん」
チキと鬼徹の鍔口が鳴る。
それが合図のように声がした。
「なあ、いかねえの?」
三人が同時に椅子を蹴って立ち上がった。
振り向きながら無意識にそれぞれが身構える。
ルフィが―――ルフィの姿を借りたなにかがキッチンの隅に立っていた。中に砂が詰まっているような質感だ。
「折角来たんだから斬るなよ。これ、鳴らしてやるから」
錆びて元の色が分からない小さな鉦と黒ずんだ撞木を手に持っている。
サンジの軸足がじりっと踏み出された。
ロビンの両手が交差する。
ゾロの鬼徹は既に抜き身を晒している。
「だから逝っちまえって」
撞木がすっと動き、鉦の高い音が三人の鼓膜を打った。
GM号は黒い霧に包まれた。
注ぎ湯を頼まれたナミは倉庫を一歩出て叫んだ。
「―――なによこれ!」
開けっ放しの浴室からもウソップとチョッパーの叫び声が聞こえた。
「っぎゃああああルフィーーー!!」
「私たちは現実の世界で信じるものを目指すの。あなたとは違うわ」
「ふらーっと山とか旅してたほうが健全だぜ!ってもう遅ぇか!」
ルフィの形の異様なものが滑るように移動し、壁から生えた白い繊手が虚空を掴んだ。
サンジの旋回する両脚の巻き起こした風が、調味棚の小瓶を落としていく。
「てめっ...危ねえ!狭いところでそれすんな!」
サンジの脚を避けゾロが鬼徹を構え直した。鍛冶屋が鎬を削る音に似た耳鳴りが逆にゾロを極限の状態に持っていく。
僅かに開いた口元から風の吹き荒ぶ音がする。ゾロの居合の呼吸だ。
ふっと一瞬息を止め、裂帛の気合いが空気を引き裂いた。
白刃の煌きが木片を二つに割った。
ルフィに似たものは輪郭を崩して消え―――
どおん、という衝撃が床から伝わった。
GM号が海面から浮かび上がるほど突き上げられる。
手を突き凌いだ三人がキッチンから飛び出した。同時にわあわあ騒ぎながら残りのクルーが駆け寄る。
「おいルフィが突然溶けた!つかいなくなったぞ!」
「ねえなんなのこれ!霧!?煙!?異常気象!?黒いってなに!?」
「こけて角が折れそうになったぞ、さっきの地震はなんなんだよー」
ゾロは船を見渡した。
すっぽりと禍禍しい霧に覆われている。
この暗さは異質だ。
日々繰り返し訪れる夜は、無限の夜空に満点の星をちりばめGM号を導く。
月がなくとも大気の流れは感じるし、世界は命は満ち溢れている。
しかし今GM号を覆う闇は、こんなにも空虚でうそ寒い。
これは誰の闇なのか?
「船首だ!メリーの上!」
とサンジが叫び階段を駆け上る。いつもの定位置にルフィが立っている。直立不動で黒い霧に覆われ、なにかに掴まれているように動かない。
サンジの口から煙草が落ちた。
―――なんでうちのキャプテンは毎度毎度お騒がせなんだ!
「ルフィ!このクソザル!今は遊んでる場合じゃねえ!」
「お前いつそんなとこに!?っとにビビらせんじゃねえよぉぉ」
「あんた危ないでしょって何回云わせんのよ!」
ゾロとロビンが素早く視線を交わし手すりに駆け寄る。
「うーんなんかよぉ」
のんびりとルフィが応えた。
「オレ連れていかれるかもしんねえ」
ルフィの内部にひたひたとなにかが浸入してくる。お前誰なんだ、寒過ぎるぞ、と問い掛ける。
応えるのはただの空虚な独り言だ。
書物のように、閉じても開けばまた始まる。
―――海の彼方に永遠の世界があるというから目指した
なのに
―――真っ暗な狭い闇の中で、辿り着くその瞬間をひたすら待った
なのに
ルフィの目に慌てるクルーの姿が見える。わあわあ叫んでいるようだが聞こえない。
冷えた手足の感覚は既になく、指一本で簡単に落ちそうだ。
―――とうとう鉦が持てなくなったとき
つい考えてしまった
―――もしかして自分は間違ってしまったのか
もう戻ることもできないのに
―――あとに残るのは恐怖だけ
ただ死んでいく恐怖だけ
クルー全員の耳元で、低い憎悪の声がはっきりと聞こえた。
『この男連れて逝く』
間近で呟かれたようだった。
ぎぃやあああああと叫び腰を抜かしたのはチョッパーとウソップだ。サンジが手探りでナミを背にかばい、更にその後ろに這いつくばった二人が縋りつく。
手すりに足を掛けてゾロが叫ぶ。
「おい!」
「承知」
ロビンの繊手がメリーとルフィを繋ぎとめた。黒い霧の中の白い花を確認してゾロがメリーに移動した。
「ルフィ来い!」
じりじりと距離を近づけながら手を伸ばすがルフィはぴくとも動かない。
『海を渡り違う世界を目指している』
『この男連れて逝く』
「るっさいるっさい!ひとの耳元で勝手なことほざくんじゃないわよ!」
後ろ手に廻したサンジの腕の中で、ナミが負けじと叫んだ。
「いっとくけどそれ、好き勝手でやりたい放題で大変よ!?」
そうだそうだーとナミの後ろから二人が拳を上げる。
ルフィの耳に聴覚が戻り、ナミの云い草に「はは...えらい云われようだな」と笑う。
「てめぇなにを呑気な...」
ゾロの手が、ルフィを奪い返す間合いを計っている。見透かしたようにルフィの身体が少しずつ離されてゆく。
メリーに咲く白い繊手が一本、また一本と剥がされ始めた。追いかけ増えた花が同じように剥がされる。
ゾロの足がバネのように力を溜めた。
『この男なら共に辿り着ける』
『連れて逝く』
「おいこのクソ勘違い野郎!」
サンジがどことも知れない声の主に叫んだ。
「そいつがどこ目指してるか知ってて云ってんのか!?」
「お門違いってもんよ、それあんたの人選ミス!」
『この男なら辿り』
ルフィがぽつりと遮った。
「おめえよー、もう信じてねえだろ」
ルフィの一言でGM号がぶるっと震える。
ロビンの繊手が伝えたのは手応えのない抵抗だった。
「止められないわ、ゾロ!」
「一度疑ったんなら!」
ルフィの身体が気迫で一回り膨れ上がった。
「もうそこで仕舞いだ!信じるってことはなあ、そんくれえ気合いいるんだ!」
がくんと身体が傾いた。意に介さずルフィが叫ぶ。
「海賊をなめんじゃねえ!!」
おおっとクルーが応える。
「特にそのクソゴムは食えねえぜー!」
「こんなトラブルなんか日常茶飯事だざまあみろ!」
ロビンがついあははと笑い口元を押さえる。
『連れて...連れて...』
ルフィの言葉に逆らうように黒い霧が濃度が増し、渦を巻いて一気に船首に押し寄せた。硬直したままルフィが滑り落る。ゾロの足がメリーを蹴り宙に飛んだ。
二人の目が合い、ルフィがにっと笑った。
船首では既にサンジがジャケットをナミに手渡していた。
「サンジくん気をつけて!」
「ナミさーんまた後でなー」
サンジは手すりを一足飛びに越えた。
ウソップが浮き輪を投げ入れる準備を済ませる。
チョッパーが蹄を振り上げ叫んだ。
「ゾロー、いけーっ!」
―――覆すことは誰にも出来ない信念ってやつを、この男ほど持っている人間はいねえんだ。残念だったな。
落下するルフィに向かって鬼徹を鞘から抜き放つ。歓喜に打ち震えているのがよく分かる。やっと斬れると喜んでいるのだ。
海面に箱舟の形の暗い陽炎が立ち昇っていた。ルフィが飲み込まれる瞬間に呼吸を合わせた。
―――最強の剣は触れずに斬る
「ぃぇやあああああ!」
水中に没する直前、月光を背にしたゾロが黒い霧を絶ったのが見えた。
お疲れ!と云いかけ海に飲み込まれる。
ルフィは沈みながら箱舟を視た。
大海原をさ迷い漂っている箱舟の幻だった。鉦の音が遠くなり、箱舟もぼやけ小さくなる。
まあな、腹が減ってたまんねえのはよく分かる。辛かっただろうなあ。
そこから見てろよ、オレが仲間と海を渡っていくのを。
海賊王になる人間を攫おうとしたって自慢してもいいんだぜ。
あばよ、と薄れる意識で別れを告げた。
「ルフィ!」
投げ入れられた浮き輪にルフィを掴ませて、サンジはGM号へ引っ張っていく。
やれやれ、意識が戻ればまず腹減ったーって云うに決まってる。とりあえずスープでも作って、もう一度宴会の仕切り直しだ。
チョッパーは思う。
やっぱ病気じゃなかったんだ、オレの思った通りだ。船医として役に立てなかったけど。
いいんだ、オレはまだまだこれからいっぱい経験するんだ。
「おいチョッパー、風呂沸かすぞ!」
「おう!」
ウソップは風呂場に向かいながらチョッパーにぼやく。
「ったくよぉ、まださぶいぼ収まんねえぜぇ。海王類のほうがまだましだな、百匹こようがかるーくやっつけてやんのによぉ。まあまたオレ様の武勇伝が一つ増えたってことだからよしとしてやるか」
ナミとロビンは男たちが泳ぎ着くのを待っている。
「ナミ、コックさんが手を振ってるわよ」
「はいはい、おーいガンバレー」
預けられたサンジのジャケットを振り廻す。
「いつもあなたに預けるのね」
「まあね。...ね、ゾロがメリーに登るときさ、あんたの名前呼ばなかったのになんで自分って分かったの?」
「あら、そうだったかしら」
ナミの溜息はサンジのジャケットに吸い込まれる。
息苦しいほどの黒い霧は完全に晴れた。
ゾロは船に戻る前にもう一度海面を振り返る。
穏やかな水平線の向こうに夜明けの気配が漂う。
きっとあと少ししたら朝日が海面を照らし、彼方に続く光の道になるだろう。
自分たちは進んでいく。
負ける気はこれっぽっちもしない。
最強の剣は触れずに斬る。
自分の斬ったものはなんだったのか、答えは鬼徹が知っている。
やはり礼を云わずにはいられない。
また一つ強くなった。
先にサンジとルフィが甲板に上がった。ナミがまだ手すりから身を乗り出しゾロを見ている。
心配そうな顔をしているのでなにかの間違いかと一瞬思う。
しかしからかったりしたら真っ赤になって怖い顔になるだろうから。
―――ヘタすりゃ鬼徹よか手がかかるか?
へっと笑ってゾロは縄梯子に手をかけた。
終わり
<管理人のつぶやき>
ルフィが寒がるなんて、一体何事なのか。そして、鬼徹の異様な様子。
ゾロが振り向いた先にルフィがいなかったときは、ゾクリとしました。
異様な存在も、ルフィの鉄の意志の前には敵うはずもなく。クルー達もそんな彼のことを十二分に理解していて、ここで仲間が一丸となった感じ。
そして、鬼徹を振るうゾロには完全に魅せられました。
そうか、また一つ強くなったか!それでいい!
なんとなくサンジ→ナミ→ゾロ→←ロビンという人間模様も垣間見れて、こちらも気になりますが、それはひとまず置いておきましょう(笑)。
心の中で密かに「師匠」と呼ばせてもらってるかめちゃんこと、カメイさんが投稿してくださったんです。拝読した時は感動とものすごい衝撃を受けました。かめちゃん、こんな素晴らしい作品をどうもありがとうございました!