Salty Moon
のお 様
空には、丸い月が浮かんでいた。
砂浜は、ほの白く光っている。
ちゃぷちゃぷと波が砂を洗う音が、まるで単調な歌のようだ。それはどことなく荘厳な響きで、子どもの頃聞いた神さまをたたえる歌と、なぜだか似ている気がした。
ひとり、野外宴会の残骸を離れて、耳に懐かしいそのしらべをただ聞いていた。
逆光を受けたメリー号が、少し離れた沖合で、綺麗なシルエットを描いて揺れている。
ほてった頬を、ひんやりした潮風がなぶる。ひと足ごとに、サンダルが砂浜に沈み込むのがうっとおしくて、いっそすっきり脱いでしまった。
指のすきまを埋める砂粒は、まだほんのりと暖かい。さらさらの砂にくるぶしまでうずもれ、その場にしゃがみこんで目を閉じた。
夜と、砂と、月の光と、潮風と…ひとつになって、融ける。
この満ち足りた想いが空気に溶けて、遠く漂っていけばいいと願う。
私が幸せでいることが、遠い空まで伝わりますように。
めずらしく敬虔な気持ちになっていると、誰かの気配がした。
無粋な足が、砂をまき散らしながら近づいてきて、止まる。
「どうした、腹でも痛てえか?」
気分をぶちこわす台詞にも、もう慣れた。
「あいにくだけど、そんなヤワな胃袋は持ち合わせてないわ」
「だろうな、むしろ飲み足りねえんじゃないかと思ってよ」
握った酒瓶を振り回しながら、にこにこして隣に腰をおろす男の、その悪意のなさが憎らしくてたまらない…たまらなくて、愛おしい。
「お酒、まだ残ってたの…」
「上陸する時に、コックの荷物からかっぱらったんだ」
「あきれた…」
「おまえとサシで、飲もうと思ったからよ」
ニカッと微笑む顔がイヤになるほど得意げで、思わず泣きたくなる。
「何それ、ご機嫌取っても何も出ないわよ」
「お、可愛くねえな…素直にありがとうと、どうして言えねえかなぁ」
わざとらしく顔をしかめ、いよっ、と酒の栓を抜く。
「いらねえんなら、無理には勧めねえけどよ…おまえが酒を断った試しもねえし」
そして、瓶に直接口をつけると、自分が先にごくりと飲んだ。
「ああ、美味いな…こりゃ、イイ酒だ」
そのままこっちに、ホラ、と差し出した。
瓶を受け取って、ラッパ飲みできゅっと飲み下す。
強い酒が、熱く喉を焼きながら降りていく…内臓にしみとおり、そこにぽっと火をともす。
ほっかりと暖かい熱が、体の芯からゆっくりと広がって、私の中を満たす。
黙って瓶を返すと、礼ぐらい言えよとつぶやきながら受け取った。
「みんなは?」
「そのへんで転がってるだろ」
「カゼひきやしないかしら」
「そんな上等なヤツらじゃねえよ」
答えながら一気に、コキュコキュと瓶を傾けていく。こんなに強い酒なのに。こいつの胃の腑は、つらの皮同様、よっぽどぶあついらしい。
幸せそうな飲みっぷりが、腹立たしくて見とれた。
「お、悪り…ついオレばっか飲っちまった」
あんまりうめえからうっかりよ、と口をぬぐう仕草が、ガキっぽくて可笑しい。
「悪いと思うなら、早く寄越しなさいよ」
「まあ待てよ…うんとキクのをやるから」
可笑しくて可笑しくて、泣けてくる。
「ホントにキクの?」
「ああ」
大きくひとくち含むと、がばっと肩を掴み、のしかかるように唇を寄せてきた。
「ゾロ…」
触れるやいなや、とろりとした液体が、大量に口に流し込まれる。なま暖かい液体は、口の端にあふれ、飲みくだす間もなくあごを伝い流れた。
「ンンン…」
頭を振って逃れようとして、馬鹿力に阻まれる。濃いアルコールが喉を逆流し、鼻の粘膜を刺激する。目頭がヒリヒリする。
「ンーンー!」
じたばたもがいて暴れると、ぎゅうぎゅう押しつけられる唇がやっとのことで離れた…行きがけの駄賃とでもいうように、舌がれろっと差し込まれたが、こっちはそれどころではない。ゲホゲホとむせ、空気をひゅうと吸いこみ、呼吸を整えると、思いきり叱りとばした。
「もったいないことしないでよ!イイお酒なのに!」
せいいっぱい怖い顔をして見せたのに、このバカにはぜんぜん堪えてない…こっちを向いて、ヘラヘラ笑った。
「でも、キいたろ」
勝ち誇ったような笑顔が悔しい。自信過剰で、鈍感で、うっとおしい…そばにいると、イライラしてくる。こいつのこういうトコが大嫌いな筈のに…なのに、鼻の奥が痛い。ツンとしみるのは、さっきのお酒。絶対このバカのセイじゃない。
「…ま、ね」
「美味かったか」
「クラクラするわ…」
なのに、ああ、どうしよう…今夜の私は、どこかおかしい。堪えきれずにうつむいて、さりげなく目頭を押さえた…じわりと視界がぼやける。
「どうした、酔ってんのかよ」
「ンー…たぶん」
そう、きっと酔ってる…だって今日は、日が高いウチからずっと飲み続けだったのだから。
誰にも言わなかったけれど、今日は私にとって特別な日だったから。
「そうか、おまえにゃ珍しいな…」
本気でいたわるような目で、見ないで。ただ、飲み過ぎただけ。
「ま、そんな時もあらあ…今日は特別だしな」
「なにがよ」
じゃなきゃ。
「なにがって…誕生日ってのは、ふつう特別なもんだろ」
「…バカ」
じゃなきゃ、なんでこんなに涙が出るの。
ほろほろとこぼれる水の玉が、頬を流れて落ちた。
手の甲でごしごしこすると、かすかに塩の味がした。
「なんだ、ナミ。泣いてんのか」
「…うっさいわね…放っといて」
濡れた指先を、後ろに回してスカートで拭った。
「あんたが知ってるなんて思わなかったから、びっくりしただけよ」
「ひでえな…オレだって、自分の女の誕生日ぐらい覚えてるさ」
「聞き捨てならないコト言わないでよ。誰が、なんだって?」
拭き残った涙もお構いなしに軽くにらみつけると、目線を逸らして、ちょっと怒ったように言った。
「ンなコト、二回も言えっか」
ああもう、こいつ、どうしてくれよう…可笑しくて可笑しくて、涙が止まらないじゃない。
「あたしを泣かせると、ルフィにシメられるんだから…オレの航海士を泣かせんなって」
やけくそで笑ってみせると、まったく歯牙にもかけぬ顔で答えた。
「ああ、かまわねえよ…まあ、そんときゃ、ルフィとやり合うのも面白れえけど」
言葉を切って少し考えると、すらりと立ち上がる。
「こうすりゃ、手っ取り早ええかも、な」
あれ、と思う間もなく身体が浮き上がる。
私を小脇に抱えたまま、ゾロは靴を脱ぎ捨てると、ばしゃばしゃと海に踏み込んだ。
「きゃ、なにすんの」
「なにって」
服が濡れるのもかまわず歩いていって、下ろされたあたりは、膝より深い波のあいまだった。
「ここなら、ルフィも来られねえだろ」
名案じゃねえ?と笑う天然ぶりには、ほとほと呆れる。
「あんた、バカ?…びしょぬれじゃない!」
「すぐ乾くって。気にするな」
「あんたはいいわよ…でもあたしは」
「気になるなら、脱いで来いよ」
「な、何言ってんのよ!」
「オレは、どっちでも構わないぜ」
これっぽっちも堪えない相手に、いつまでも怒ってみせるのも疲れるので、仕方ないヤツねと肩をすくめた。
怒ったついでに、涙も乾いてしまった。
やわらいだ空気を察知して、すぐに身体を寄せてくる。こういうところだけ、いやにカンがいいのにも、ちょっとイヤケがさすけれど。
しっかり腕に抱えられて、ふたり寄り添って、波間に揺れる月を眺めた。手で触れそうなぐらい、ほど近くで揺れている。
波が寄せるたびに、月影が崩れては、またキリもなく現れる。
ゾロが軽く腰に回した腕を、ときおり波が洗う。
「いい夜だな」
「ん、まあね」
「ナミ…」
こっちを向いて、何か言いかけて、そのまま口を止めた。
閉じた唇のやり場に困ったような顔するから。
私から、黙って目を閉じた。
「…」
口に出さない言葉とともに重ねられた唇は、涙と同じで、少ししょっぱかった。
せっかく乾いた目頭が、また熱くうるむ。流れ落ちる前に、指で拭った。
「言っとくけどね、ルフィの腕は伸びるのよ。ここじゃ届いちゃうわよ」
「そうか、それじゃいっそのこと、海の底でヤルか」
「…バカね」
バカでバカで、もひとつおまけに大バカなこいつが、私の男だなんて実際泣けてくるけれど、今はこのまま、こうして月を眺めていよう。
涙は、流さない。
私の涙は海と同じぐらい強力だから、ここぞという時まで、大事にとっておくんだもの
FIN
<管理人のつぶやき>
仲間達から一人離れて海辺にやってきたナミさん。少し感傷的な様子。
実は、今日はナミにとっての特別な日――誕生日でありました。
誰も気づいてないと思いきや、ナミを追うようにやってきたゾロが知っていた!
驚きとともに、ナミの心の中に満ちていく感動が伝わってきます。
そう、嬉しい時も涙は出てしまうものなのよね^^。
ゾロはぶっきらぼうだけど愛がいっぱい。こんな恋人を持つナミは幸せだ!
時間の澱様のナミ誕企画『ナとミのsoup!』では、味覚にちなんだゾロナミ小話を出されています。そのうちのひとつ「塩味な小話」を投稿してくださったのです!
「涙」と「海」のしょっぱくて、それでいて甘い味を感じさせていただきましたヨv
のおさん、素敵なお話をどうもありがとうございました〜♪