その日、ナミは記録簿を両手で抱えるようにして甲板に出てきた。
ぬけるような青空に、のんきな白い雲がはりついている。
海も波も静かで、風もあまりなくゆるりゆるりとゴーイングメリー号の進路を進めている。

(今日で3日目・・・。当分続きそうねこの天気・・・)
ナミは軽くため息をつくと、風向きや天候を記録しようと胸ポケットからペンを取り出した。





『 Life 』
            

ててこ 様






(・・・アレ・・・?)
その時になって、甲板がいつもよりずっと静かなことにナミは気づく。
コックはこの時間は夕食の仕込みでキッチンだろう。これはいつものことだ。
(・・・ウソップは?)
いつも怪しげな実験を甲板で繰り返している狙撃手の姿が今日は見えない。
(そう言えば・・・)
ナミはそこで、朝食後ウソップが誰に言うでもいなく「今日は男部屋を
掃除するか〜。ひでぇからな〜」と言っていたのをハタと思い出した。
「そんなにひどいの」
ナミが尋ねると
「・・・およそ人類が住んでいるとは思えない・・・」
ウソップは低い声で答えた。
この船の中でかなり常識的な一般人類である彼は、今頃凄惨を極める男部屋を、汗だくになって掃除しているのだろう・・・。

ナミは思わず熱くなった目頭を押さえた。

(そういえばルフィもいないわね〜。ウソップに無理やり手伝わされているのかしら・・・?)

船長にお気に入りの例の場所は、今主をなくしている。どことなく羊が寂しそうに見えるのは気のせいだろうか・・・。
大掃除には、必要以上によく伸びる船長の腕はきっと役立つだろう。

ロビンはいつも通り女部屋で読書だろうか
(私も記録をつけ終わったら、たまっている本を読もう・・・)
ナミは休めていた手を再び動かし始めた。
(チョッパーは薬をまとめて調合するって言ってたし、ゾロは今頃は夢の中ね・・・)

キラッ・・・。

その時ナミは目の端で何か小さく光るものを捕らえた。
(・・・何かしら・・・)
そう思いながらもペンを止めることはせず、記録をつけていく。

キラッ・・・。また光る。
(・・・)
ナミは仕方ないという風に小さくため息をつくと、光が見えたほうに歩み寄った。
(確かここら辺で・・・)
甲板の上を覗き込むようにして光源を探す。
(あっ・・・これ・・・)
光の主がすぐに見つかった。ゴールドのピアス。この船の中でピアスをしている人間は一人だ。
(・・・ゾロのね・・・)
ナミは跪いて、ピアスをそっとつまみ上げた。
(ストッパーもあるはずだけど・・・)
ピアス本体よりはるかに小さいそれを見つけるのには少し時間がかかった。案外近くに落ちていたストッパーをピアスに通し、落とさないようにそっと握りしめる。
そして持ち主の名前を呼んだ。
「ゾロー!」
その声は誰もいない甲板にはよく響いたが、返事はない。

しばらくしてからまた呼ぶ。
「ゾ〜ロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ、ゾロ・・・」
「人を犬みたいに呼ぶな・・・。」

いきなり頭上から低い声が振ってきた。
ナミは少しびっくりして振り返り、そして声の主を見上げた。
みかん畑の一角の欄干に身を預けて、不機嫌な顔をしている
翡翠色の髪をした剣士がそこにいた。
「・・・人を犬みたいに呼ぶな・・・」
もう一度言う。
「これ落ちてたわよ」
ゾロの発言は無視して、ナミはピアスを持っていた手をゾロのほうに
向かって差し出し、手を広げた。金色の見慣れたピアスがそこに乗っかっていた。

「・・・・・。」
ゾロはそれをみると、器用に左眉だけをはねあげてみせて、指で自分の耳を触った。あるはずのピアスが一つない・・・。

「あっ・・悪りぃ・・・」
そういって欄干から身を乗り出して、ナミの手のほうに自分の手を伸ばした。もうちょっとでナミの手の中にあるピアスをとれるというところで、ナミはさっと手を引き、自分の背中に腕を隠した。

「・・・何の真似だ・・・」
ゾロはまた左眉だけを跳ね上げ、いつもより低い声で唸った。
「・・・それ・・・」
ナミは動じずゾロの顔を無遠慮に指差して言った。
「・・・・・・?」
「・・・それ・・・」
「・・・それって・・・?」
「・・眉毛・・・」
「・・・・・?」
「よく片方だけ動かせるわね・・・」
「・・・・・・・・・・。」
ゾロはまた片方の眉だけ動かしてみせた。
しばらくして・・・
「・・・練習したんだ」
つぶやくように言う。
「・・・練習?」
「そう」
「片眉だけ動かす?」
「そう・・・」
「・・・練習したの・・・?」
「おう・・・毎日」
「毎日?」
「鏡の前で・・・」
「鏡の前で?」
「朝から晩まで・・・」
「一日中?」
「・・・血ヘド吐くまで・・・」
「・・・血ヘド・・・吐くまで・・・?」
「その結果がこれ」
ゾロはしごく真面目な顔をして、また片眉だけを跳ね上げてみせた。

ゾロとナミはしばらく無言のまま見つめあった。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

ややあって、ナミは可愛らしく小首を傾げて毒を吐いた。

「・・・・・バカ・・・・?」

ゾロはナミから視線を外し、欄干に肘をつき手のひらに顎をのせて海のほうを見ながら呟くように言った。

「・・・恥の多い人生だからな・・・・」

その時風が吹いて、ナミのオレンジ色の髪を揺らした。
「・・・はいピアス・・・」
ナミは背中に隠していた手を上に上げて、手を広げた。
「おぅ」
ゾロは手を伸ばし、ピアスをとった。ほんの少しナミの小さな手のひらにゾロの指が触れる。

「普通落としたら気づかない?」
「ピアスははずれてもわかんねぇぞ・・・しかも3つもしてるから1つぐらい外れてもなぁ・・・」
ゾロは慣れた手つきで耳にピアスをつけながら答えた。
いつもは豪快で、大雑把なこの剣士がピアスをつけるという繊細な作業をしている姿に、ナミはなぜかドキッとした。それをごまかすように
「私もピアス・・・あけようかなぁ・・・」
と自分の耳たぶをさすりながら、呟く。
「おう!まかせとけ」
頼まれもしないのにゾロが自信ありげに胸をたたいた。
その姿をナミは半眼になってじっーと見つめた。
「・・・それ・・・自分であけたの?」
恐る恐る聞く。
「おう!畳針でブスッ、ビリッ、ベリッ、ピューってな」
「何よその不可思議な擬音は・・・。大体なんで4音なのよ。しかも最後の『ピュー』ってのは何?」
「心意気だ!」
「わけわかんない・・・。」

「・・・あけてやろうか・・・?」
ゾロはにやりと笑う。勿論片眉だけをあげて・・・・。
「結構よ・・・。もしあけるとしてもチョッパーの指導の下、ウソップにあけてもらうわ」
ナミは手を左右に振りながら断った。
「それが無難だな。俺なんかろくに消毒しねぇでいきなりあけちまったもんだから、そのあと膿んじまって・・・。耳がもげるかと思ったぜ」
ナミは平気でそう言うゾロの顔を、信じられないという風にじっーと見つめた。

(ここにもまた私の目頭を熱くさせる男がいるわ・・・)

そしてまたさっきと同じように可愛らしく小首を傾げると、更なる毒を吐いた。

「・・・どあほ・・・」

ゾロはまたあらぬほうを向きながら呟く。

「・・・恥の多い人生だからな・・・」

ナミは前から聞いてみたかったことをこの機会に聞いてみようと思った。
ちょっと背伸びをしてゾロを見上げるようにして、口を開く。
「ねぇ、何でピアス空けたの?」
「・・・・・・・。」
ゾロは何も答えない。
「何で3つなの?」
「・・・・・。」
不機嫌な顔。
「そのピアスしかつけないのは何で?」
「・・・・・・・。」
ゾロは肘をついて手のひらに顎を乗せたまま、何も答えずナミを見下ろしている。
「何で?・・・教えられない?」
ナミは少し上目遣いに、拗ねたように聞いた。
「・・・あぁ・・・」
やっと答えた。ナミはあからさまに不満げにたずねる。
「・・・どうして?」

するとゾロはまた片眉だけを上げて、今日3度目になる台詞で答えた。

「・・・・恥の多い人生だからな・・・」

「ふぅん・・・」
ナミはおもしろくなさそうに鼻をならした。そしてちょっと考え直すと話題を変えた。

「ねぇ・・・その片眉をピッて上に動かすの・・・」
「おぉ」
「私にもできる?」
「人生経験が豊富な奴でないと、似合わねぇんだよなぁ・・・」
ゾロは訳知り顔でわざと困ったように答えた。
「あら。私も人生経験豊富よ〜。ぬくぬくと育ってきたわけじゃないから」
ナミの澄んだバーガンディの色をした瞳がまっすぐにゾロの瞳を捉える。
ゾロは口の端を上げて笑いながら言った。
「血の滲むような努力が必要だぞ」
「ご指導いただけるのかしら?」
ナミも笑って聞く。
「本当なら指導料1000ベリー払ってもらうところだが、お前なら1ベリーで指導してやるぜ」
「お金取るの?」
「ったりめぇだ!俺は才能を安売りしない」
「・・・十分安いわよ・・・」
「ナミ。手鏡もってこい」
ナミはクスクス笑いながら、ゾロに向かって背筋を伸ばし踵をならしてから敬礼し
「サーイエッサッー!」
と答えると自分の部屋に鏡を取りに歩き出した。
(記録は・・・あとでいいわ・・・!)

チョッパーは部屋から甲板に出てくると、ファ〜と短い手足を思いっきり伸ばした。やっと予定していた分の薬の調合が終わったのだ。さて夕食までの間、何をしようか?ルフィと鬼ごっこ?それともウソップの冒険話?
(どうしようかな・・・)
そう思いながら甲板の上を、てとてと歩く。
(誰もいないのかな・・・)
いつもはにぎやかな甲板の上に人影はなく、しんと静まり返っている。
いや・・。人の話し声がする。みかん畑のほうだ。
チョッパーはみかん畑に通じる階段を上り始めた。
2段登ったところで、声の主が誰かわかった。
(ゾロとナミだ)
チョッパーは少し驚いた。2人はみかん畑のこの船唯一の土があるところに並んで座っている。
ナミはどういうわけか手鏡をじっとにらみつけ、怖い顔や驚いた顔をしていた。まるで百面相だ。
その隣でゾロは「だからそうじゃない」とか「右も動いてるぞ」とかナミにチャチャを入れている。その度にナミも「うるさい!」とか「黙ってて!」とかいちいち反論していた。
チョッパーの大好きな翡翠色の瞳もバーガンディの瞳も、各々の口から出されるきつい言葉とは裏腹に、とても優しい色をたたえているように見えた。何だか二人はとっても楽しそうだ!
(邪魔しちゃ悪いかな・・・。)
気のいいトナカイは何となくそう思って音を立てないように気をつけながら階段を下りた。

(でも・・・。何してるんだろう?・・・気になるなぁ)
チョッパーの胸に好奇心の雲がモクモクと湧き上がる。どうやらこの雲を抑えることはできそうになかった。

いつも通りの夕食が始まった。一日仕事で男部屋の掃除を終えたルフィとウソップの食欲はいつもに増して凄まじい。特にルフィは殺気だってさえいる。
「サンジ!!肉!肉!肉ぅ〜!!!」
「うっせぇー!!肉肉ってお前は肉星からやってきた肉星人かっ!油性ペンで額に『肉』って書くぞ!もう一枚も残ってねぇんだ!」
サンジはルフィの嘘みたいに丸くでかくなった腹にけりをいれて叫んだ。
チョッパーはルフィに肉を横取りされないように、自分の皿を抱え込みながら、テーブルをはさんで真向かいに並んで座っているゾロとナミをじっと見つめた。
いつも通りのいつもの二人・・・。何も変わったところはない。
自分の皿から肉を奪おうと、文字通り手を伸ばしてきたルフィの右手に、ナミは何のためらいもなく持っていたフォークを突き刺している。ルフィの左手はゾロの皿にも同時に伸びていたが、ゾロは無言のままその手首をガシッと掴み、曲がってはいけない方向にそれを曲げて肉を死守していた。
「ぐあっ・・・!!」
ルフィの悲鳴がキッチンに響く。
いつもの光景。
チョッパーは何度も口を開けて、言い出そうとしたが上手く言葉にならない・・・。
4度目の開きかけた口を、また閉じようとした時、ロビンの落ち着いた声が頭のほうから聞こえてきた。
「どうしたの船医さん?何か言いたいことがあるのかしら?」
ロビンの声に一同の視線がチョッパーに注がれる。
「えっ!?えっ!?・・・あっ・・・あの・・・」
チョッパーは皆の注目を集めてうろたえた。
ルフィがあらぬ方向に曲がっていた手首を元に戻しつつ言う。
「チョッパー!言いたいことがあるんなら、ちゃんと言えよ。『肉が欲しい』って!」
「「「お前と一緒にするな」」」
お約束の突込みがルフィに浴びせられる。

勢いに任せてチョッパーは尋ねることにした。
「ゾロ、ナミ?昼間二人で何してたんだ?」
「・・・・・?」
チョッパーの問いかけに、当の二人は同時に怪訝な顔をした。
「ぬぁにぃ〜!!おい!クソマリモ!!ナミさんと二人っきりになってたのかっ!!」
サンジがチョッパーの問いかけにお約束通り反応して、ゾロにくってかかった。「オ〜マイッガッ!!」とかいって両手で顔を覆っている。

「・・・?・・・・」
ゾロもナミも相変わらずよくわからないという顔をしてチョッパーを見つめている。
「ホラ!みかん畑で!ナミが鏡持ってて・・!」
チョッパーは急かすように言った。
その台詞でゾロとナミは同時にハッとなった。

「「あぁ〜!あれ・・・」」
二人の声が重なる。

「あれって何だっ!何ってどれだっ!俺は誰だっ!!」
混乱したサンジが訳のわからないことを口走る。
「・・・・落ち着けよ・・・19歳・・・」
ウソップが小さい声でつっこむ。

「いや・・・あれは別に・・・なぁ?」
「うん・・・あれは別に・・・ねぇ?」
そう言って困ったように二人は顔を見合わせる。

(片方の眉毛だけを動かす練習をしてましたって言いにくいなぁ・・・)

二人は同時に考え込む。そして昼間の『眉毛エクササイズ』を思い出す。あの時は結構真剣に練習をしていた・・・が、今となっては・・・おもしろすぎる・・・。おかしすぎる・・・。大の大人が片方の眉毛だけを動かす練習を40分もしていたなんて・・・。

「あ〜できない!!」「だから言ったろ!?難しいって」「コツ教えなさよ!1ベリーも払ってるんだから」「『も』ってのはそこで使う言葉か?」

思い出す・・・。思い出す・・・。思い出す・・・。


「・・・・・・・・・・。」

しばらく沈黙。いつのまにか俯いていた二人の肩が微妙に震えだす。

初めに我慢できなくなったのは、以外にもゾロのほうだった。
「・・・ぷっ・・・くっくっくっ・・あははははっっ!!」
もう耐え切れないという風に吹き出して盛大に笑いだした。こうなったらナミも堪えられない。ゾロの笑いをきっかけにゲラゲラ笑い出した。
「・・あっはははははっ!!」

腹に手を当てて身体を折るようにして馬鹿みたいに笑い転げているゾロとナミを見つめて、残りのクルーはただただ唖然とするばかりだ。
「・・・・・??・・・・・」

「あはははは!!!」
ナミはテーブルをバンバン叩きながら。大口を開けて笑い、もうだめ!
苦しい〜とか言いながら、思い出してはまた笑い狂っている。
「あははっ!ウッゲホホッ」
ゾロもむせながら、珍しく目の端にうっすら涙さえ浮かべて笑っている。

二人が落ち着くまできっかり5分はかかった。

「・・・で・・・何をしてたんだ・・・?」
やっと落ち着いた二人が水を飲んでホッと息を吐いた後、チョッパーは
改めて尋ねた。

「これだよ。これ!・・・これの練習!」
そう言って二人は同時に自分の左眉を指差すと、ピッと眉尻を上げて見せた。

「「「・・・・??・・・・」」」
些細な表情の変化にルフィやサンジ達は全く訳がわからない。
人間の表情に敏感なトナカイだけが、ゾロとナミの左眉だけが同時に上がったことに気づいた。

「・・・眉毛を片方だけ上げる練習してたのか・・・・?」
チョッパーは不思議そうに尋ねる。

「「そう」」
ゾロとナミは同時に頷く。

「・・・・なんで・・・?」
しごくもっともな質問がトナカイの口から漏れた。
「・・・・・・・。」
ゾロとナミは顔を見合わせてからチョッパーのほうに向き直ると声をそろえて笑って答えた。

「「・・・恥の多い人生だから・・・」」






FIN




 

<管理人のつぶやき>
落ちてたピアスを拾って、ナミはゾロのもとへ。その時ゾロが見せた片眉を上げる仕草にナミは興味津々です。この片眉とピアスについてのナミの追求に対するゾロの受け答えが可笑しい〜!!(机ばんばん)
真剣に『眉毛エクササイズ』に打ち込む二人を想像するのも面白い。チョパは不思議な光景に出会ったね。でも、さぞや楽しそうだったのでしょう。
後半、肉を狙うルフィを軽くいなすゾロナミがいと頼もし。サンジにはルフィの額に『肉』と書いてほしかったな、ぜひ油性ペンで!(笑)

打ち解けて楽しそうにしているゾロとナミを見ることができて、本当に幸せいっぱいな気持ちになりましたv
ててこさん、素敵なお話をどうもありがとうございましたvvv

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