扉の向こう

            

ゆう 様





渇いた砂が風に舞う鄙びた港町、男は店の扉を開けた。
時は夕刻を過ぎたばかり、そういった店が客を取るのはまだ早い時間だ。

「いらっしゃい・・・おや剣士様だね。」

店には中年のふくよかな女が一人、編み物をしながら店をしきっていた。

「・・・・。」
「こういう店に来るにゃまだ宵の口だよ。お急ぎかい?剣士様。」

男は口を開かない。口をきくことが何よりも鬱陶しい様子だ。

「ま、ここはお客の都合には合わせない店だ。急ぎだろうが、料金は変わらないよ。ロト、お客様だ。」

店の女主は年端のいかない少年を呼びつけると、客の世話を指示する。
すぐさま少年は男の傍に走り寄り、体格のいいその男を見上げるように眺めた。

「うわあ、剣士様とーっても大きい人だね。うちの姉さん達もびっくりするよ。」
「・・・・・。」

相手が子供であっても男の無口は変わらなかった。
この店に来ることが不愉快でもあるかのように、仏頂面を下げたままだ。
店の店主は商売がら男の表情を読むことなど朝飯前だったが、この無口な客が何を考えているのか皆目わからない。
早く女の所に案内しろというでもなく、女達のことを聞くようなこともしない。

「ま、何でもいいやな、ロトご案内しな。」
「あい、おっかさん。」

少年は娼館の主がどこでもそう呼ばれる呼称で女店主に返事をする。
男に向かって両手を差し出した。

「ご案内します、剣士様。ここは刃傷沙汰はご法度の店なんだ。お腰の物をお預かりします。」

男は二本の刀を引き抜いた。少年の手を避けて女店主のいるテーブルの上に得物を置いた。
少年の力では刀の重みに耐え切れないとふんだからだ。

「剣士様、困るよ、3本とも置いてってくんなくちゃ・・・」
「悪い、ご法度の流儀は判るが、この刀は手元から離せねえ。」

男が初めて口を開いた。腰に残した1本の白い刀を掴んでいる。

「剣士様、ナメテもらっちゃ困るぜ。遊びにゃルールってもんがあるんだ。」

少年はむっとして、思わぬ抗議の声を上げた。男はそんな子供に冷ややかな視線をおくる。
少年はその眼光の鋭さに縮み上がった。すぐさま女店主の後ろに回りこみ、怯えた表情で男を見た。

「剣士様、どうしてもってんなら仕方ない。その白い刀はお持ちになるといい。だがね、何か事を起こしたら、こっちにはそれなりの用意があるからね。」
「すまねーな。面倒は起こさねーと約束する。この刀にかけて誓うぜ。」
「頼むよ、お客さん、うちの娘達に余計な真似されると命は保障はできないからね。」

男は返答代わりに口元を歪ませた。

「んで、どんな女がお好みだい?うちの娘達はどれも器量よしだよ。」
「別にどんな女でもかまわねーが・・・」
「なんだい、そりゃ。」

みてくれの割りに主体性の答えだ。店主は少々怪訝な顔をする。

「金払って女抱くなら多少の注文はあるだろ、何でもいいなら、うちの店なんてお呼びじゃない。外で夜鷹でもひっかけてきちゃどうだい?」

女店主は男を挑発した。

「なんでもいいが、そうだな、しいて言うなら・・・」
「いうなら?」
「オレンジの髪の女はいるか?」

「フン、いるよ。ちょっとブラウンっぽいがね。いいかい?」
「ああ。」
「ロト!ご案内だ。アイシャんとこだよ。」
「あーい。剣士様こちらへどうぞ。」

男は白い刀を腰にさしたまま、少年に先導され長い廊下を歩いた。
小さな部屋に案内され、扉の前で少年に金を握らせる。
扉の向こうに少年を一人残し、男は女の部屋に吸い込まれていった。


ゾロが船に戻ったのは既に夜半を過ぎていた。
月明かりに照らされて、登り慣れたはしごを上る。
上がるほどに、キッチンの灯りが目に入る。
窓越しに背の高い料理人の姿が見えないことを確かめると、そっと扉を開けた。
おそらく皆寝静まっているのだろう。こんなときは誰にも会わず、何も無かったかのように、寝床に入るのが一番だ。

「おかえり・・・。」

部屋に入るなり、声をかけられゾロは瞬間身を堅くした。誰もいないとふんでいたからだ。
声の主はテーブルに羊皮紙を広げて、頬杖をついていた。
憮然とした様子を見ると、今日の航海日誌も海図もはかどってはいないらしい。

「なんだ、いたのか。」
「いちゃ悪いっての?私の仕事は夜が勝負なんだもの。」
「の割りにゃ、仕事は進んでねーみてーだがな。」
「人に借金がある身で、遊び歩く男に言われたかないわ・・・」

ナミは見るからに不機嫌と言った様子で、ゾロとは目を合わさず、手元の紙の端を玩んでいた。
それこそ、お前の知ったことじゃないという言葉をゾロは飲み込んだ。
悪い事をしてきたわけじゃない。だがこの女の前ではひどく後ろめたく、やましい行為に思われた。
なぜ、自分がこんな思いをしなければいけないのか、それは全てこの女のせいだ。
オレンジ色の髪をしたこの女。この女に自分はいつも翻弄され、乱される。いい迷惑だ。

「借金なんぞ今に倍額で返してやらあ、そのつもりで金貸したんだろうが、お前は。」
「お金ならね、いくらでも返してもらうわよ。いくらでもね。ただ、迷惑だって言ってんのよ。」
「何がだ?」

ナミはキっとゾロを睨みつけた。
普段クルーに凄む表情とは違う、何かをこらえたような、それでいて捨て鉢なような険のあるまなざし。
恨みがましい目に憤りが光っていた。

「安っぽい香水の匂い撒き散らして、戻ってくんじゃないわよ。あんた、神経無いの?」
「そいつは気付かなかった。」
「サンジくんなら、そんなみっともない真似はしないわ。」
「悪かったな、あのエロコックほど遊び慣れてねーもんでな。」

ナミは拳を握って身体を小刻みに震わせた。ゾロの目に嫌でもナミの苦悩が映る。

心外だ。

「ここにいると空気が悪くて窒息するわ。私寝る。」

ナミは勢いよく立ち上がった。テーブルの上に日誌や海図を投げ出したまま、自室へ続く扉へ向かった。
その扉の前にゾロは立ちふさがり、ナミの進路を塞いだ。

「何すんのよ!どきなさいよ。」
「えらく手前勝手な言い草だな。俺が遊んできたからって何が気にいらねーんだ、お前は!」

激しい口調で迫った。このままこの女を帰すと自分の苛立ちが収まらない。
自分は何をいらついているのか、この女は何を怒っているのか。
ろくに手も握らせない女に遊びをなじられる謂れは無い。大体なぜ、自分が外で娼婦など買わねばならないのか。
全てはこの女のせいなのだ。
怒りが腕に力をみなぎらせ、ゾロはナミの両手首を掴んで、扉に押し付けた。
苦痛に歪んだ顔でナミがゾロを見上げる。

「痛い!離してよ!」
「お前のせいだ・・・お前のせいで俺は・・・」
「私が何したっていうのよ!」
「俺はな、野望を遂げるまではつまんねえ事に構ってる暇はねーんだよ。お前なんかに迷ってたまるか。」
「それは私の台詞よ!私にだって夢があんのよ、あんたみたいなつまんない男に引っかかってたまるもんですか!」

二人は鋭い視線を絡み合わせた。
気がつけば、それぞれの胸の内で他のクルーとは違う存在になっていた。
たまたま乗り合わせた小さな船の中。
自分達がこの手を優しく取り合えば、きっと元には戻れない。
身を焦がすまで焼くつくし、夢さえ意味の無いものになってしまう。
自分一人の夢ならまだいい。亡き親友と亡き母、故郷の姉の思いも共に背負っている夢だから挫折は許されない。
つまづいてはいけない、迷ってもいけない。野望を果たすその日までは。
自分に科したその約束は果たしていつまでもつものなのか。
この女を見ていると、これまで築き上げてきたものが全て一瞬で砕け散っていくような気がする。

ふいにナミの手首を握っていた、力が抜けた。

「どうして、お前はそうなんだ。もちっと素直になっても減るもんじゃねえ、女なんだから。」
「・・・普通の女と一緒にしないでよね。」

今ならふりほどいてでもナミはこの場から逃れることができる。
だがナミはそれをしなかった。
俯いたゾロの吐く息が耳元にかかる。ゾロが何をいらついているのか、ナミにはよく判っていた。
二人同じ思いに囚われていた。
二人の間に立ちふさがる物が憎い。
二人の間で埋められない距離が悔しい。
ナミの心の中で人目に触れない涙が一筋伝う。
このままこの男のものになってしまえば、自分はどれほど楽になれるだろう。
夢も仲間も何もかも捨てて、ただの一人の女になって・・・

「ナミ・・・」

ふいにゾロの両手がナミの身体を優しく抱きすくめた。
ぎこちない腕がその力のやり場に迷っているのが判る。
ナミの頭を胸に押し付けた手が小刻みに震えていた。

ゾロの頭の奥で何かが崩れていく音がする。
このままこの女をこの腕に抱いたら・・・
何か大事な今までの誓いとか約束とかいろんなもんがへし折れてもう二度とこのこの場所に戻ってこれねえような気がする。

・・・・けどいいじゃねーか!

ゾロは力をこめ、折れるほどにナミの身体を抱きしめた。
愛しさが胸の内からこみ上げる。

これでいい、もう・・・これでいいんだ。

ナミは抵抗なくゾロに身体を預けた。
細くしなやかな身体が隙もなく、ゾロに包み込まれる。
愛しい女が腕の中で自分のものになってく様を、ゾロは全身で感じていた。

だがそれは一瞬の夢だった。

「放してよ・・・。」
「ナミ・・・お前。」

布越しに熱くなっていた体温が急激に冷えて我に返る。
ナミはまるで用意されていたかのような堅い表情を浮かべると、同志の瞳でゾロを見上げた。

「他の女の魂、腰にぶら下げてるような男に抱かれたくないわ。」

掴みかけたものが再び腕をすり抜けていった。

ゾロはナミの身体を放すと夜闇に輝く白刀を鞘ごと抜き出し、二人の足元に放り投げた。
ゴトンと重い音が響き、床が僅かに振動した。
命とも言える和道一文字をロロノア・ゾロは投げ捨てた。

「・・・これで満足か?」

清らかな光を放つ白刀を前に二人は黙り込んだ。
沈黙が辺りを完全に支配する。

ナミは静かにしゃがみ込むと投げ出された刀を拾い上げた。

「こんなこと、してほしいわけじゃないわ。」

刀を優しくゾロに手渡す。
ゾロは無言で受け取る以外になく、刀を手にしたまま動くことができなかった。

「私・・・もう、寝るから・・・。」

ナミはゾロの顔を見ないまま、扉の向こうへ消えた。


一人残されたゾロは扉に背を預けると、そのままズルズルと崩れるように腰を落とした。


このままなのか、俺たちは。
この長い旅が終わるまで、俺たちは手を取り合うことはないのか。
そんなことを誰が決めたのだ。
・・・・俺か?
・・・・あの女か?

だがいつか、野望を果たしたその日には俺はあの女を自分のものにする。
その時俺たちが袂を別っていたとしても俺は地の果てまでもあの女を探し続けるだろう。

・・・・他にすることもねーだろうしな。



ナミは閉じられた扉の向こうで膝を折り、床に座り込んでいた。
自分で自分の肩を抱くとあの男の体温と体臭が意識の中で蘇る。
固く抱かれた愛しい記憶。それだけで自分はこれからも歩いていける。
今はこの記憶と自分の前で愛刀を投げ捨てたゾロの行為、それだけで充分幸せに思えた。

扉にもたれかかり、ほうと溜め息を一息ついた。

このままなの?私達は。
違うわ、そんなことない。
いつかきっと二人手を取り合える日がきっとくる。
剣士と航海士なんかじゃなくって、ただの男と女になって抱き合える日が。

その時こそ私は旅に出よう。愛という荷物を一つだけ持って。

他には何もいらない。

・・・・何も。



男と女の間には堅く閉ざされた扉が在った。
扉越しに知らずに伝わる体温は微かな温もりを感じさせていた。






FIN

 

<管理人のつぶやき>
ゾロはナミを得られない遣る瀬無さから娼館へ女を求めます。しかし、そんなゾロに憤るナミ。互いに求め合っているのに、夢の妨げになると思い、手を取り合えない。二人の苦しい葛藤。一瞬流されそうになりながらも、踏みとどまる姿が切ないっす(>_<)。
でも、夢が、野望が果されたその時は、きっと扉が開かれることでしょう。

幸運にも
しあわせぱんち!様で5555をゲット!リクエストは「アマアマでメロメロでデロデロどドロドロなゾロナミ」でした(^_^;)。
エライもんリクしてしまったなーと思いつつも月日が過ぎ、ついにこんなすごい作品をゆうさんは書いてくださいました!ああ、リクを撤回しなくて良かった!ゆうさん、本当にありがとうございました。
ゆうさんの了承も得まして、ナミ誕会場にアップさせていただきましたv

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