Twin Citrus

            

ゆう 様





その日あたしは今年一番出来のいいみかんを二つ収穫した。

どんなに苦しい毎日でもみかんの木は色濃く育ち、今日も豊かな実をつける。
あたしはその日の収穫で籠を一杯にした。
中でもとびっきりの、これ以上は無いほどの傑作を二つ手に取るとエプロンでそっと拭いた。
うん、色合いも良し、香りも充分だね。
これならきっとあの人も文句の言い様が無いはずだ。
二つのみかんをエプロンに包み、抱えたまま空を見上げる。
自分の命さえ自由にはならないこの村で今日も空は蒼く晴れ渡って、潮風は優しく吹きぬけていく。


ガシャーン!
家の方角でガラスの割れる音がした。
一階の窓からガラスが飛び散っていく。
やれやれ、又やられたか。
そろそろ帰ってくる頃だとは思ってたけどね。
今日の被害はガラス何枚かしら?まあ元気で帰ってくれればそれでいいんけど。
あたしはみかん籠を背中に背負い、エプロンに包んだ傑作を二つ手に持って、妹の待つ家へと向かった。

「お帰り。」

扉を開けて旅から帰った妹に声をかける。
室内でテーブルに突っ伏したままの妹は何の返事もしなかった。

「今日の被害はガラス1枚に、・・・どれどれ・・・えーと、お皿が2枚か、まずまずだね。」
「・・・・。」

妹は又しても身体中、傷だらけ。身体だけでなく心も傷ついているのが一目見ただけで判る。
あたしはナミが言いたくないことは聞かないことにしているので、黙って救急箱を取りに行った。

「いつまでもテーブルとキスしてて楽しいかい?」
「・・・別に楽しくないわ。顔を上げたからって楽しい事なんか無いじゃない。」

俯いたままナミは答えた。
覚悟を決めている筈の妹でも、時に仕事が自分の思う通りに行かなかったときこんな風に自分を責めてしまう。

「そお?だったら試しに上げてみな。」

あたしの言葉に妹は素直に顔を上げた。
その目の前には今年一番の傑作、オレンジ色に光るみかんが二つ置いてあった。

「ノジコ・・・これ、・・・すごい、いい出来じゃない。」
「ふふーん、でしょ。この芳醇な香りに気づかないなんてねえ。鼻でも打った?」
「鼻は打ってないけど、・・・・忘れてた。」
「忙しかったんだね。」

あたしはナミの傷口に消毒薬を塗り始めた。
傷口はとっくに渇いていて古い血が固まっている。
それでもあたしはナミの治療をせずにはいられなかった。

「ベルメールさんもびっくりだよ、ノジコももうプロの農婦だね。」
「農婦ぅ?もっとかっこいい言い方無いの?フルーツクリエーターとかさ。」
「横文字にすりゃいいってもんじゃないでしょ。」

寂しげにほんの少しナミは笑った。そのほんの少しの笑顔でいい。
それさえ取り戻せばやがてあんたは元気になる。あんたは強い子だから。
小さなみかんがあんたに笑顔を取り戻させるなら、あたしはいくらでもいいみかんを作ろう。

「さってと。今日はゆっくりしていけるの?」

治療を終えてあたしは立ち上がった。

「港からまっすぐにここに来たから、夕方にはアーロンパークに戻らないと。」
「そっか。」

限られた時間にあたしがこの子にしてあげられることは何だろう。
考えをめぐらせているとナミはそんなあたしの気持ちを察したように口を開いた。

「ノジコ、私お腹すいちゃった。何かある?」
「任せなさい。とびきりのご馳走があるよ。しっかり食ってきな。」
「ご馳走なんていいよ、ちょっとつまむだけで・・・」

ナミはこの家の、この村の窮乏を知っているから、とたんに慌てた。

「何言ってんの、今日は特別な日でしょ。心配しなくていいから。」
「特別な日って?」
「7月3日、あんたの誕生日でしょうが。」
「え?・・・ああそうか。忘れてたわ。」

感情を置いてきたような空虚な表情をする。
ベルメールさんが生きていた頃、あたし達は誕生日は欠かさずにお祝いしていた。
幸福な思い出を忘れることがこの娘の処世術なのだろうか。
それとも誕生日を忘れるほどにこの子は地獄を見ているのだろうか。

「とにかく、支度するからお風呂にでも入っといで。どうせあっちに戻れば魚臭いバスルームなんだろ。」
「うん、っていうかあいつらお風呂入んないから。」
「何それー不潔〜」
「ねー、やでしょう。」

口々にあたし達は魚人たちの不潔ぶりをまくし立てた。
二人で魚人の悪口を言い合っているととても気分がいい。たとえ一瞬でも胸がスッとする。


ナミがバスルームに向かうとあたしは台所のシンクに立った。
ほとんど何も入っていない冷蔵庫から卵と牛乳を取り出す。
卵はゲンさんの家のニワトリが産んだものだ。
牛乳はドクターがナミに栄養を取らせろと今朝持ってきてくれた。
「ナっちゃんに食べさせてやってくれ。」と言って、山で採った蜂蜜をくれた村の青年。
あたしはみんなの顔を思い浮かべながら、粉箱を削るようにして粉をかき集めふるいにかけた。

ナミ、あんたはみんなに大切に思われてる。
みんながあんたを心配してる。
そしてあんたに負担をかけない為に口をきくことすら、自分達に禁じてるんだよ。
知らないだろうけど、判ってほしい。
あんたは一人で闘っているんじゃないんだ。
口に出せない思いをボールのメレンゲにぶつける。
卵は見る間に白く汚れのない、綿のようになった。



ケーキの生地をオーブンに放り込むと、ナミが頭を拭きながらバスルームから出てきた。
あたしは煮込んであったシチューを火にかけて、トマトをスライスする。
出てきたナミには背を向けたままだ。

「ノジコ。」
「ん〜?何?今できるからね〜」

ナミはそっとテーブルに座り遠慮がちに聞いてきた。

「ねえ、ノジコ、ここに男の人いた?」

ギクっとした。あたしは慌ててナミを振り返る。

「え?どうして?ナミ」
「だって、バスルームに歯ブラシ二つあったし、剃刀も普段私達使わないようなごついのあったし。」
「・・・あんたに隠し事はできないね。確かにいたよ、ほんの数日だけどね。」

ナミはとたんに表情を変えた。

「ごめんね、あたし達の家に他人を入れちゃって。」
「そんなこと気にしなくていいよ、それよりその人は?」
「村の端でね、お腹空かして倒れてたの。
旅行者でね。しばらく一緒に暮らしたけどアーロンに見つかる前に島を出ていったわ。」

あたしはナミの前にトマトサラダを置いた。ナミの好きなフルーツドレッシングも添えて。
シチューを二人分、お皿によそうと、テーブルに運びナミの正面に座った。

「一緒に行かなかったの?その人と。」
「あたしが?行くわけないじゃん、頭数が減ればアーロンが黙ってないわ。」
「でも、好きだったんでしょ。」
「・・・まあね、好きだったよ。あんたほどじゃないけど。」
「ノジコ!」

茶化さないで!とアーモンドの瞳があたしに迫った。
きちんと話さなくちゃだめか。

「ノジコ、私の事を気遣ってその人と別れたんじゃないの?今からでも遅くないよ。
この村を出てその人を追いかければ・・・」
「無理だわ。」
「諦めないで!夜に島の反対側に船をつけて、・・・一艘くらい私都合つけられるから。」
「ううん・・・夜目のきく魚人もいるもん。あたし一人逃げたら村がどうなるか。」
「平気、ノジコ。私、アーロンに姉さんは男に振られて海に飛び込んだって言うから。」
「アハハー、あんたって本当にとんでもない事思いつくね〜。」

悪知恵、それがこの子のこれまで生き延びてきた手段だと思うと、小気味良くて逆に面白くなってくる。
でもあたしはナミの優しい提案を受け入れるつもりは毛頭無かった。
その男のことはもう終わったことだから。

「だって、私ノジコだけでも幸せになってほしいよ。」
「あー、それ無理。」
「私や村の事なんか気にしないでよ。ノジコが幸せなら私、何されても平気だから。」
「それでみんながひどい目に合わされて、あたしが幸せになれるっての?違うな。
あんたが苦しんでるときにどんないい男と暮らしたって、幸せになんかなれないよ。」

あたしはウィンクしてナミにスプーンを握らせた。
ナミはおとなしくシチューを口に入れ始める。
諦めきれずにブツブツ文句を言う。まだ14歳なんだもんね
あたし達は二人で一人。ナミは島の外で盗み続け、あたしは島でみかんを守り続ける。
これまで二人で苦労してきたんだ。
私一人だけ幸せになることなんかあり得ない。

「それにね、あの男ついていきたくなるような男じゃなかったんだよね。」
「どうして?」
「同じ年だったけど、なーんか怪しげだし、ソバカス顔で大喰らいだし。迷惑もいいとこさ。
ありゃ、ろくなもんじゃないね。今に海賊にでもなっちゃいそう。」
「海賊〜?それって最低ー。」
「あんた、海賊嫌いだもんね〜」

それからあたし達はまるで普通の村の姉妹のように、結婚相手はこんな男がいいとか、お金は持ってて当然とか
今のこの村の現状からはかけ離れた話をした。
ナミはようやく笑い始め、シチューもサラダも綺麗にたいらげた。
今のあたしにとってこれだけは絶対に守りたいもの、それはこの子の元気な笑顔。それ以外にない。

オーブンからほんわりしたスポンジの焼ける匂いが漂ってきた。
取り出すと見事な膨らみと焼き具合にナミが目を輝かせた。
あたしはスポンジを半分に切り、蜂蜜を含ませる。

「うわあ、蜂蜜たっぷり!おいしそう。」

まるであの頃みたいな子供に戻ってナミははしゃいでいた。
あたしはスライスしたみかんを粗熱のとれたスポンジの上に並べた。
その上からも蜂蜜をしたたる程かけた。
すぐさま切り分けてナミのお皿にのせてやる。
ナミはふわふわのケーキにフォークを入れた。

「んーんまい!さすがノジコ。」
「ふふーん、あたしがこの村を出ていったらこのケーキは食べられないよ。」

村人の気持ちがたっぷりつまったオレンジケーキは次々にナミのお腹に消えていった。


「いっけない、もうこんな時間だ。」

ささやかなパーティーを開いていたあたし達に終わりの時間がやってきた。
ナミはアーロンの元に戻らなければいけない。

「今夜も徹夜?」
「うん、書かなきゃならない海図がたまってるから。」

ナミは慌てて帰り支度を始めた。
ばたばたと支度をすませると手荷物を持って扉に駆けていく。

「じゃあ、ノジコ、また来るね。しばらくは島にいるから。」
「ああ。」

ナミは夕闇の中、悪魔の根城に戻っていった。

あたしはふと思い立って、窓から顔を出し、妹を呼び止めた。

「ナミ!」
「何?ノジコ。」
「これ!持っていきな。」

あたしは外を歩くナミに向かって、昼間採れた今年一番のみかんを力いっぱい投げた。
ナミは驚いてみかんを受け止めた。

「徹夜しながら、食べるといいよ。お肌のために。」
「いいのー?ノジコ。」

あたしはいいよという返事の代わりにウィンクして、もう一つ自分の手に持っていたみかんを見せた。
今年一番のみかんをナミに一つ、あたしに一つ。
ナミはにっこりと笑ってみかんを抱き、また駆け出していった。
オレンジ色の空がゆっくりと闇に変わっていく。
その闇の只中にあたしの妹は戻っていく。この優しい家を離れて。
せめて一個の小さなみかんがあの子の心の光になりますように。

ナミの背中がどんどん小さくなっていく。
その背中を見送りながら、あたしは自分に誓った。

負けるものか。
あんたががんばっている限りあたしもがんばる。
あたしたちは二人で一人、あんたの苦しみはあたしの苦しみ。
あんたの幸せがあたしの幸せ。

あんたを支えることがあたしの生きる意味。


だからナミ、

生まれてきてくれて、ありがとう。







FIN

 

<管理人のつぶやき>
まだ開放される前、一人矢面に立って戦うナミとそれを支えるノジコ。荒れるナミを二つの見事なみかんが癒してくれました。
そして!二人の家に男の影。どうもエースのようです(笑)。そうか、そうだな、この二人って同い年なんだもんな〜。でも、迷わずに男よりもナミを、村のことを選んだノジコ。その心はやさしくて嬉しいものだけど、そうせざるを得ないのが悲しいです。こんな状況でなければ別の選択もあったかもしれないものね(T_T)。

しあわせぱんち!様でフリーとして出されたお話です。
サンズィーに身も心も捧げるゆうさんですが、このほど「みかんのお部屋」を開設してくださいました。うひょー!ここでも恐るべしみかんパワーが!(笑)
ゆうさん、どうもありがとうございましたーー!

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