深夜、ナミが潜入していた海賊船が、突然敵船による襲来を受けた。
火矢が放たれ、船のあちこちから火の手が上がる。
船の中は大混乱。しかし、それは、ナミにとっては願っても無いチャンス。
お宝の在り処はもう押さえてある。

あとは隙を狙って、それを奪って逃げるだけだったのだから。






母の祈り





財宝の入った箱を抱え、甲板へ出る。もう火の手はそばまで迫っていた。
火事場を離れるべく、逃走用ボートに縄梯子を下ろしたところで、矢が飛んできた。
身を捩って難を逃れたが、運悪く宝箱には命中。
抱えた腕の中で、箱は木っ端微塵になり、中から宝石類がバラバラと海の中に落ちていった。
慌ててナミは夢中で船の欄干から手を出したが、虚しく空を掴むだけだった。

(こんなに危ない目をしてまで、やっと手に入れたお宝だったのに!)

内心毒づきながら、海に落ちた宝石は諦め、辛うじて甲板の上に散らばったものを拾い集める。

その時、船全体に衝撃が走った。
何かが爆発したような。
その反動でナミは転倒し、掴んでいた宝石類を再び手離してしまった。
掌からこぼれ落ちた大きな宝石がゴロゴロと転がって、火中に入ってしまった。

(このままでは、炭化しちゃう!)

咄嗟にナミは、火のそばまで駆け寄ると、赤々と燃える炎の中に右手を伸ばし、その石を握った。


ジュッという不気味な音とともに、肉の焼ける匂いがした。





***





ノジコがみかん畑の世話をしていると、人の気配を感じて振り返る。
ナミだった。
ノジコがナミの全身を見回すのはもう習慣になっていた。

ナミが泥棒を初めて3年。最初は失敗ばかりで身体中を痣だらけにして帰ってきた。
切り傷、擦り傷、打撲…。その傷を手当てするのがノジコの役目だった。
だから自然と帰ってくる度に、傷はどの程度だろうかと目で推し量るようになっていた。
今回もあちこちに擦過傷がある。それと服に黒い…これは煤だろうか…がついている。
それでも、もっとひどいケガの時もかつてはあった。今日はまだマシかもしれない、とノジコは思った。

「収穫はどうだった?」

「さっぱり。抱えるほどの財宝があったのに、ドジって、結局これだけ。」

あっけらかんと言いながら、ナミは一つの大きな宝石を、ノジコの目の前に差し出した。
ノジコの目は、その宝石よりも差し出されたナミの右手に留まった。
真っ黒になった布でぐるぐる巻きにされた手。
先ほどは後ろ手にしていたため、見えなかったのだ。

「その手どうしたの?」

その途端、ナミはしまった、という顔をしたが、もう遅い。

「ちょっと、ヤケドしちゃって…。」

「火傷〜?冷やしたんでしょうね?それにこんな不潔な布で巻いちゃダメだよ。早く家へ帰ろう。ちゃんと手当てしてあげるから。」



家の中に入り、絨毯の上に腰を下ろしたナミのそばに、救急箱を抱えたノジコが近づき、

「今巻いてる布、外して。」

と言ったが、ナミはなかなか布を外そうしない。
業を煮やしたノジコが、ナミのそばにしゃがみこむと、その手を奪って布を解き始めた。
あと一巻きで全部解き終わるところで、ナミが顔をしかめた。
ノジコもさっと解こうと思ったのに、抵抗にあって解けないことに気づいた。
よく見ると――――

「あんた、これ、何?」

思わず、ノジコは怒鳴った。声を尖らさずにはいられなかった。
包帯が解けないわけだ。ナミの右手の掌は、焼けただれて、布と癒着していた。

「だから、ヤケドして…。」

「これがヤケドなんていう可愛らしいものか!一体何してこんなになったの!」

ナミはかいつまんで説明した。
火の中に手を突っ込んで、宝石を拾ったと。

「この大バカ娘!そんなもん放っときゃいいのよ!」

これには、ナミが反駁した。

「だって、1週間も時間をかけたのよ?それなのに、手ぶらで帰るなんてできないわ。何も収穫がないなんて、自分で自分が許せない!」

一日も早く、一秒でも早く、1億ベリーを貯めなくてはならない。そして、村を開放して、私も解放されて…。

「だからってなんでそんな危ないことするの?右手は利き手でしょ?もしものことがあったらどうするの。地図も描けなくなるのよ?」

あんたの夢なんでしょ?

「もう、描けなくてもいい。」

「な…。」

「村のことが大事なの。地図を二度と描けない代わりに村が戻ってくるのなら、その方がいい。」

「バカなこと言わないで。もっと身体を大事にすると約束して。村の人はいつまでも待ってくれるわ。私はもう、これ以上無茶するナミを見たくない。」

「そんな約束できないわ。私にできることなんて、たかが知れてる。危ない目にでも遭わなきゃ、一生1億ベリーなんて貯められない!」

「あんた、いつか本当に手足無くすわよ?」

「かまわない。」

「そんなことまでされて、私達が嬉しいと思うの?どんな気持ちになると思う?」

「人の気持ちなんて考えてたら、こんなことやってられないわ!」

「あんた!一体何様のつもり?わかった。あんたのことなんかもう知らない!勝手にすればいいのよ!」

そう叫んで、ノジコは立ち上がり、戸口に向かうと、大きな音を立てながらドアを開き、出て行った。

「ノジコ!」

戸口に向かって名を呼んだが、もちろん返事はない。

今までもケガをして帰ってきて、よく怒られた。でも、今日の怒りとは違う。
ついにノジコにも見捨てられた、と思った。
村の人達からは、アーロン一味に入ったときから、見捨てられている。
唯一の味方がノジコだったのに。

でも、間違ったことを言ったとは思っていない。
今まで海賊憎しの気持ちで、湧き上がる罪悪感を押し殺して、盗みを働いてきた。
卑劣な行為は言うに及ばず、必死にならなくては、お金は貯まらない。
それが、泥棒稼業3年目のナミに突きつけられた現実であった。
けれど、ノジコにはそれは理解できないことなのだ。
そう思った。

ナミは、いまだに掌に張り付いている布に手を掛け、引っぱった。

「ひっ!」

布に付いた肉が引っ張られ、引き裂かれるような痛みが全身を穿つ。

「う、うっ、ひっく。」


その痛みのためか、ノジコに見放された悲しみのためか、
ナミは右手を胸に抱え込んで、暗くなり始めた家の中で一人、泣いた。





次に気が付くと、ベッドの上だった。
泣き疲れて眠ってしまっていたのだと気づく。
部屋の中にはほの暗いランプが灯されていた。
同時に、ノジコがナミの右手を取って、真っ白の包帯巻いていることに気づいた。

「ノジコ…。」

「ナミ、ごめん。私、この手を見て、頭に血が昇って、ついカッとなっちゃった。あんたが一番辛い思いをしてるのに。」

「・・・・ううん。私も・・・・ごめん。」

「でも、もう無理しないとは言わないんだね?」

「・・・・。」

「さ、できた。布を取るのに苦労したよ。ちょっとずつ、ちょっとずつ、剥がして…。」

ナミは痛みで目を覚ますことはなかった。つまり、それくらいやさしく扱ってくれたということ。

「ありがとう、ノジコ。」

「村へ行って、ドクターから塗り薬を貰ってきたの。よく効くってさ。」

ナミはうんうんと何度も肯き、ノジコは軽く笑みをこぼした。
やがて、ノジコは包帯を巻かれた右手に軽く自分の手を添える。

「ナミ…。あんたは覚えてるかな。ナミは2歳の時、右手の骨を折ったの。」

ナミは瞬きを何度もして、答えた。

「ううん、初耳。」

「あの日…私達はベルメールさんに連れられて、村へ行ったんだ。ベルメールさんが役所に用があって入っている間、近くの空き地で待ってるように言われて、そこで遊んでた。」

まるで覚えがないことだった。2歳では無理もない。
ノジコが話し続ける。

「そしたら、突然、近くに積み上げられていた丸太が崩れ落ちてきて…。」

「どうなったの?」

ナミは思わず身体を起こした。

「私は逃げたけど、あんたが…。」

ノジコはその光景を思い出したのか、辛そうに表情を歪めて俯く。

「あんたは、大きな丸太の下敷きになって、全身打撲で意識不明の重態に・・・・。でもそれだけじゃない。手が、あんたの右手がひどい複雑骨折で、ドクターが切断することになるかもしれないって。」

その言葉に、ナミはびっくりして、自分の右手を見た。
今は包帯に包まれている右手を。

「私は、すぐそばにいたのに、自分だけ逃げだして、あんたを置き去りにした。」

そう呟いて、ノジコは涙ぐむ。

「そんな、ノジコだって4つの頃でしょ?私なんて、今同じことが起こっても、きっと自分だけ逃げちゃうわ。」

ナミは左手を伸ばしてノジコの頭を撫でながら、おどけて言う。
ノジコはその手をとって、両手で握り締めた。

「私のことはいいの。子供だったからって思える。でも、ベルメールさんは違った。ベルメールさんはひどく自分のことを責めていたわ。どうして空き地に私達2人だけを置き去りにしたのか、どうして役所の中に一緒に連れて行かなかったのか。どうして身を挺してナミを庇わなかったのか・・・・。」

「・・・・。」

ノジコはベッドのそばのテーブルに置いてあった一冊のノートを取り上げた。

「これは、その時の、ベルメールさんの日記なの。私もついこの間、見つけたの。」

ナミはそのノートを手にとって、パラパラとページを繰る。
10年前の、古ぼけたノートの上に懐かしい字が踊っている。
まるでたった今、その人の書いたペンが離れたばかりのような。

―――そんなはずはないのに。


その中で、ナミは2歳の頃の自分と対面した。
ベルメールさんが見た2歳のナミが、笑ったり、怒ったり、飛び跳ねたりしていた。
日記は、毎日は綴られていなかった。日付が連続したかと思うと、いきなり1ヶ月も空いたり。
ベルメールさんらしい、とナミはクスリと笑う。
ベルメールさんは、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったことなど、感情が激しく揺さぶられた時にだけ日記を書く人だった。
嬉しかった出来事は長々と饒舌に。怒りは短文できっぱりと。

そして。
栞が挟んであるページを捲る。
ナミが事故に遭った日。
簡潔な文がしたためてあった。







神様、私の命と引きかえに、ナミの命をお守りください。
神様、私の手はもういりません。
私の手を、ナミにお与えください。






豪気な人で、決して神を頼るような人ではなかった。
そんな彼女がこんな心情を吐露しているなんて。
ナミは息が詰まり、何かが胸にせりあがってくるのを感じた。

「ベルメールさんは、3年前、本当に自分の命を引きかえにして、私達の命を救ってくれたよね。
だから、私達は自分の命を大切にしなくちゃいけない。
ベルメールさんの分も生きなくちゃいけない。
でも、命だけじゃないと思うんだ。
この身体も大切にしなくちゃいけないんだよ。
私達の命と身体まるごとを、ベルメールさんは守ってくれたんだから。」

ノジコのその言葉に、ナミの瞳に涙が溢れた。

「だから、もうこんな無茶しないで。
ナミの身体を傷つけることは、ベルメールさんを傷つけるのと同じなんだ。
ましてやこの右手は、ベルメールさんが祈りを捧げて守った手なんだよ。
この手を台無しにして、ナミの夢だった世界地図も描けなくなったら、ベルメールさんがどんなに悲しむか。」

そう言って、ノジコは自分の両手をナミの両手に重ねて握り、その上に額をつけた。
そして、私も悲しいよ、と呟いた。

その姿勢は、まるで祈りの姿のよう。


「ごめん、ごめんね、ノジコ。もう無茶しないから。」


だから、泣かないで。



そして、ごめんなさい、ベルメールさん。


たった今、
あなたに守ってもらったこの命と身体を、
大切にすることを誓います。





***





月日が過ぎ、夏の気配が漂う日、ノジコがナミの右手を取り、最後の包帯を解き終えた。
その手を、ナミとノジコが顔を並べてマジマジと見つめる。

「あんたの右手って、すっごい強運。」

ノジコが感心したような、あきれたような声を発した。

2歳のナミの右手は、ひどい骨折だったにもかかわらず、どうにか切断の危機を免れた。
それでも、もう普通には動かせないだろうと告げられていたのに、なんの後遺症もなく回復した。
今回の火傷も、奇跡的にほとんど跡が残らなかった。

「おほほ。やはり世界は私に地図を描いてもらいたがっているのよ♪」

「ホントに何様なんだか。」

姉妹は声を立てて笑いあう。

「さて、そろそろ、行くわ。」

「あんた、それ何よ?」

ノジコが、ナミが手にしているものを指摘した。
それは、3本に分かれた棍棒だった。

「これ?私の武器。」

その言葉に、ノジコが怪訝そうにナミを見る。
ナミはそれには意を介さず、3本の棒をホルダーに入れ、ベルトを太ももに装着する。

「だって、自分の身体は自分で守らなくちゃね。」

パンとスカートの上から太ももを叩きながら、ナミが片目をつぶってノジコを見た。
ノジコは大きな溜息をついた。

「もしもし?なんだか、また余計なケガが増えそうなんですけど。」

「その時は、また手当て頼むわよ、お姉ちゃん!」

「まったくあんたって奴は!」

再び、明るい笑い声が、辺りに響き渡る。


すぐそばに夏が迫る、7月3日のことだった。







FIN


 

<あとがき或いは言い訳>
ナミの利き手はどっちなのか・・・。ちょっと迷いました。
コミックを見返して、右手かなぁと。

ナミ誕生日記念小説です。捏造はなはだしい内容ですが、DLフリーとさせていただきます。
私の大好きなナミへ。誕生日おめでとう!

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