一番星が出た。
今日も夜が更けていく。
ココヤシ村はまだお祭り騒ぎ。終わる気配も見えない。
もう3日目だというのに。





一番星が出た  





おかしい。街中を歩いていたはずなのに、いつの間にか岬へ出てしまった。
ゾロは苦笑いするが、別にそう困ってもいない。どうせ寝場所を探していただけだ。
そこに1本の見事に生い茂った木が生えていた。どっしりとした幹。大きな枝。
それを見て、ゾロは今日のねぐらを見つけた、と思った。
木によじ登り、大きな枝の一つに身を横たえる。自分の身体の横幅を余裕で覆う太い枝。
眺めも最高だ。ポケットからくすねてきた酒のボトルを取り出し、ラッパ飲みする。

さぁ、寝ようと思った矢先に木の根元に人の気配を感じた。
枝の上からゾロが眼下を見下ろすと、一人の青年が立っていた。
村の若者なのだろか。もちろん、ゾロの知らない人物だ。
その青年はどこかしら人を待っている様子だ。
しかし、やがて、

「あ」

と青年は一声漏らした。それだけだったが嬉しそうな声だと分かった。お目当ての人物がやって来たらしい。
ゾロも、青年が目を向けた方向へ目をやる。
瞬間、息を呑んだ。


(ナミ・・・・)


つい3日前、自分達が、いやルフィがその身を解放した女。
名実ともに、自分達の仲間になった女

(どうしてここへ―――)

その疑問は、次の瞬間には掻き消された。
ナミが駆け寄って、木の根元に立つ青年に抱きついたからだ。

2人はしばし再会の余韻に浸って抱き合った。
やがてナミは青年から身体を少し離し、見上げて青年の顔をよく見ようと覗き込む。
いくつか言葉を交わすと、ナミは再び青年の胸に顔を埋めた。青年はそんなナミをやさしく抱きしめる。


(参ったな・・・。)

ゾロの眼下で、2人は再び抱擁を始めた。
まさか、こんな睦事を見るはめになるとは思ってもいなかった。
彼はここを寝床に選んだことを、心底後悔した。

ナミには、こんな男がいたのだ。そのことはもちろん初めて知ったし、驚きもした。
しかし、考えてみればそんなに不思議なことでもない。ナミはかなりの器量良しだ。
恋人がいるとしても、それは当然といえば当然だ。

今、男が、自分の仲間にキスしている。
それをこんな風に眺めるのは不思議な気持ちだった。

(まさか、このままここで、おっぱじめたりしないよな?)

そんな下世話なことを考えていたら、その思いが通じたのか、2人は身を寄せ合いながら木の傍から離れて去っていく。

(続きは、場所を変えてってことか。)

また奇妙な気持ちになる。
この気持ちを何と形容していいのか分からない。
一番近い言葉が「面白くない」だった。


歓びの宴がようやく済んだ。
出発の朝、ナミ以外のクルーはゴーイングメリー号に乗り込んでいて、ナミの到着を待つ。
ウソップが「ナミの奴、遅いな」と呟いたので、
ゾロは咄嗟に「来ねぇんじゃねぇのか」と答えた。
彼にはそう思うだけの理由があった。
愛する男がこの島にいるんだ。しかも相思相愛。何も離れ離れになることもあるまい。ナミの夢は今出発しなくても、海賊にならなくても、いつか叶えることができるのだから。

しかし、ナミは来た。

(一体、何しに来やがった。)

正直そう思った。

ルフィはとても嬉しそうだ。

「良かったなー。これでナミは本当に俺達の仲間だ。もうずっと一緒にいられるんだー。あとはグランドライン目指して一直線だな〜。」

分かってない。
ルフィは全然分かってない。
というよりも、ナミを信じているのだ。自分の仲間だと。
ゾロは言ってやりたくなった。
この女が今船出するのは、俺たち仲間のためじゃない。いつかあの男と一緒になるためなんだ。
ナミが思い描く未来には、俺たちは入っていない。あの男との人生が描かれているだけだ。
しかし、ルフィはもちろんのことサンジもウソップも、ココヤシ村で果たした自分の活躍とその成果として得たナミに、満足していた。
満面の笑みを浮かべている。

自分だけが違う。自分だけが取り残されたようにこの幸せな場面から切り離されてしまっている。
昨日、あんなシーンを見たばかりに。
こんなことなら、事実など知らなければよかった。何も見なければよかった。
そうすれば自分も、少なくとも今だけは、ナミを完全に信じることができて、この場に馴染めただろうに。
言いようの無い疎外感だけが、ゾロの心を暗く覆った。



***



自分ではよく分からないが、ココヤシ村を出てからの船旅は順調に進んでいるようだ。
ゾロは甲板の上でマストを背にしばしまどろむ。
昼下がり。この時間は船上でのルーティン作業も一段落し、一番暇な時間となる。

不意にキッチンの扉が開いて、ナミが現れた。
伺うように空を見つめている。
今日はもう何度目かの動作。
普通に見れば、天候を読んでいると思うのだろうが、ゾロにはそうではないことが分かっていた。
彼女は、新聞屋を待っているのだ。
鳥の新聞屋はこの海上で唯一の情報手段。そして、通信手段でもあった。
新聞屋は新聞の他にも、陸からの様々な通信文、手紙も届けてくれる。また、船上の手紙を陸へ届けてもくれる。
ウソップもこれを利用して、残してきたカヤやウソップ海賊団の面々と手紙のやりとりをしている。
そして、ナミも。
ナミはココヤシ村で離れた恋人と文通をしているのだ。
村を出てからというもの、いつも新聞屋の飛来は今か今かと首を長くして待つナミの姿を、よく見かけるようになった。
その事実は微笑ましいことには違いないが、航海士の仕事を留守にして、手紙にうつつを抜かすのはいただけない。

今日はなかなか新聞屋が来ない。
ナミは悲しそうな顔をして、再びキッチンに戻ろうとした。
その時、
クーッと新聞屋の鳥の一声が聞こえた。
ナミは振り返って空を仰ぐ。
その顔はうれしさに満ち溢れていてる。輝くような笑顔。
新聞鳥から新聞と手紙を受け取り、それを大事そうに胸に押しあてて、キッチンではなく自室へと消えていく。
自分の部屋で誰にも邪魔されずに手紙を読むためだろう。
ナミの頭の中は今、恋人のことで一杯のはず。
仲間や船の行く末などは、頭の片隅に追いやられているのだろう。
そのことがたまらないほど、ゾロをイラつかせる。

もっと真面目にやれ、と言いたい。
俺たちは遊びで船を進めているわけじゃないんだ。
そんなことは微塵も見せないしおくびにも出さないが、みんな本当はそれぞれの夢を目指して航海している。
真剣に。
ルフィは海賊王を、サンジはオールブルーを、ウソップは勇敢な海の戦士を。
そして自分は世界一の剣豪を。
ナミだって、自分で見た世界地図を描くという壮大な夢があるはずだ。
それを何だ、チャラチャラと恋人のことに、うちょろけになりやがって。
みんなが心を一つにして、グランドラインを目指しているというのに。
一人だけ余所見をしている奴がいる。
その事実がたまらなく不愉快だ。

ゾロは立ち上がり、傍らにあった和道一文字を鞘から抜くと、自分の苛立ちや悋気を振りほどくかのように、やおら剣の素振りを始めた。
何も考えない無の境地へと自分を導きたい。
自分は仲間一人のことだけに囚われている場合ではないはずなのだ。
そもそも、何故自分はナミのことをこんなにも気にしなくてはならないのか。
全てはあの夜の立ち聞き(いや、あの場合は寝聞きか)のせいだ。
そして、一連の抱擁シーンが脳裏に蘇る。
あれから何度、この光景が頭の中でリフレインされたか。
ナミの白い顔に、あの男の顔が覆い被さっていく。
仲間の女に、他の男が。

―――くそっ!

それこそが、この苛つきの原因に違いなかった。
鮫男からナミを開放して、ナミは自分達仲間のものになったはずだった。
それなのに、あの男は横から突然現れて、ナミを掻っ攫っていった。

今のナミはナミの姿をしてはいるが、自分達と命を賭けて魚人と戦っていたナミではない。
まるで抜け殻だ。
かつて、船の上で底抜けに明るい声を上げていたナミでもない。
ナミは、今や一人の男のことだけを想い続けているだけの、ただの女でしかないのだ。



***



「最近、嬉しそうだね?」
「え?そう?」
「うん。それに、考え事が増えた。」

サンジのそんな言葉にナミはハッとしたような表情になった。
そんなつもりはなかったのに。
でも、いつのまにか"彼"のことばかりを考えている自分がいた。

「そう?そんなことないわ。」
「いいや、考えてる。誰のこと?」
「いやぁね、サンジくんたら。本当にそんな人いないわよ。」
「そんな人って、どんな人のこと?」

うっと言葉に詰まる。
サンジは「誰?」と訊いたのであって「恋人?」と訊いたわけではない。
しかし自分の返答は恋人を想定して答えたような形になっていたからだ。
サンジはビンゴを仕留めたように片目をつぶってナミを見ている。完全にからかわれている。

「人が悪いわよ?サンジくん」

そう言ってごまかして、ナミは席を立つと、食堂から出て行った。

そんな会話を、ゾロも食堂の片隅で聞いていた。床に直接腰を着けて、刀の手入れをしていた。

「恋する女は美しくなるってのは、本当なんだな。」

ナミを見送った後、サンジがボソッと呟いた。
ということは、サンジも気づいていたということだ。
ナミに恋人がいることを。

「お前も気づいてたのか・・・。」
「気づかいでか・・・っていうか、俺はてめぇが気づいてたってことの方が意外だぜ。」

サンジがテーブルの椅子を引き、足を組んで座る。いつものようにポケットからタバコを一本取り出し、火を点けた。

「まったく何とかならねぇのか、あの女。」

ゾロは吐き棄てるように言った。

「なんで?別にいいだろ?」
「いいわけあるか。すっかり腑抜けになりやがって。こんなんじゃ、これから先が思いやられる。」
「そんなこと言ったら、俺だってナミさんに恋してるぜ?でも別に夢を諦めたわけじゃない。俺が恋に溺れて、料理が手抜きになったように見えるか?」
「・・・・・。」
「だろ?ならナミさんだって、」
「お前とナミは違う。」
「どう違うんだよ。言ってみろよ。」

ゾロは何も言えなかった。
確かに、ナミがあの男のことを想っているからといって、航海を脅かされるような事態になったことは一度もない。いつも的確に天候を読み、海図を読み、常に正しく安全にゴーイングメリー号を航行させている。

「あーそうだな、確かにナミさんのことは別問題だ。」

無言のままのゾロをしばらく見つめた後、おもむろにサンジは何か得心顔で話し始めた。

「夢以外のことを考えてるのは許せないよな。なんで余所向いてんだ?って思うし。俺達がそばにいるのに、俺達のこと見てないような、別のことに心を奪われてるのナミさんを見るのは、はっきり言って不愉快だ。」

それは、ゾロが今まで感じてきた気持ちを、そっくりそのまま代弁したものだった。
なんでサンジに分かったのかと思うほどに。

「しかも他の男のこと考えてるってのが、更にムカツク。そうだろ?」

同意を求めるように、サンジはゾロを見た。ゾロも無言で見返す。その通りだった。

「いやーまさかお前も俺と同じだとは。」

サンジがニヤついた顔でゾロを見る。

「朴念仁の振りして、割とやるねぇ。」

ざわりと不快な感触が背筋を走った。
サンジの言わんとすることが、見えてきたからだ。

「違う―――」
「違わねぇ。」


「お前も、ナミさんに惚れてるんだよ。」



***



違う、違う、断じて違う。

あの場にいるのが耐え切れず、息を荒げて、ゾロは甲板に出てきた。
しかし、サンジの言葉が頭から離れない。
もう一度、先ほどの発言を反芻する。

―――お前も、ナミさんに惚れてるんだよ

(違う!)

ゾロはもう一度心の中で叫んだ。
もしそうならば、自分もナミと同列に落ちることになる。
言わば、同じ穴のムジナだ。
夢を追うのを半ばにして、一人の人間のことだけを想う―――
そんなことは、そんな自分は、断じて許し難かった。

その時、クーッと声が聞こえた。新聞鳥の声だ。陸から新聞と手紙を運んできたのだ。
今日はまた随分遅い。もう夕刻といっていい時刻だ。
そういえば今日は一日、ナミは落ち着かない様子だった。
鳥が到達すれば、ナミはまたあの輝くような笑顔で迎えるのだろう。
手紙―――ナミと男を結ぶ細い糸。
新聞鳥は、それを繋ぐ象徴だ。
もうたくさんだ。
そんなもの、届けてくれるな。

新聞鳥の存在すらも無償に許せなくなり、ゾロは魚人達との死闘で一本だけ残った和道一文字を鞘から引き抜いた。
ゆらりと弧を描いてそれを構え、上空を旋回する鳥に向かって、大きく薙ぎ払う。

ビシッと空気を震わす音とともに、目に見えぬ剣圧が空を切り裂いた。
それに驚いた新聞鳥は数回鳴いて、身を翻してゴーイングメリー号から遠ざかっていった。

少し気が済んだ。
しかし、それも束の間のことだった。

「ちょっと!」

血相を変えたナミが、前列甲板から降りてきた。

「あんた、今何したのよ!新聞屋、泣いて逃げ帰っちゃったじゃない!!」

ナミは人差し指を突きつけながら、ゾロに近づいてきた。
眉も目も釣り上がっている。頬は赤くには上気し、顔には生気が漲っている。
それは、久しく感じなかった、ナミの生々しい反応、確かな手応えだった。
そのまま、激しい怒りをゾロにぶつけてくる。
しかし、この怒りは、男からの手紙を阻まれたことに対するもの。
怒りですら、あの男のためか。

ゾロは、突きつけられた手を掴んだ。
そのことに怯んだナミが、ゾロをひたと見つめた。
ゾロがずいっとナミに顔を近づけて、殊更錆びを含んだ声で告げた。

「また男からの手紙待ちか。」
「えっ!?」

ゾロの言葉に、うろたえた表情でナミは見返す。

「なんでそれを・・・。」
「うるせぇ!お前は目障りなんだ!俺に近づくな!」

それだけ言い放つと、ゾロはナミの手を突き飛ばすように放し、踵を返して立ち去る。
掴まれて痕が残った手首を押さえ、ナミは訳が分からないままゾロの後姿を見送った。

ゾロのはるか頭上で、
今夜の一番星が出ていた。




FIN




<あとがき或いは言い訳>
jumble shop様の片想い企画『→祭(苦笑)』への投稿作品デス。
これを書いてる間、必ず何か結果を書こうとしてしまう自分に気がついた。片想いが実るようにしようとか、振られることにしようとか。常に結果を出そうと考えてしまう。でも、→祭の主旨はそうではなく、現在進行形の片想い状態を書くべきで・・・。そこに考えが至って、ようやく書けたという感じです^^;。
そして、投稿受付期間を過ぎていたのもかかわらず、受け取ってくれたみづきちゃん、本当にありがとうございました!これからもよろしく〜(笑)。

 

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