2月14日。
その日、ルフィ一行は比較的大きな島に到着。
いつものように街まで買出しに繰り出すことになった。
役割分担のため、これまたいつものようにジャンケンで2人組に分かれる。
ルフィとサンジ、ウソップとチョッパー、そしてゾロとナミ。
心が動いた
ゾロとナミのコンビはよくあることだ。
2人とも恐ろしく勝負事に強く、それはジャンケンでも例外ではなかった。
勝ち抜けなので、勝った者から好きな役割を選んでいく。
物資調達と食料調達と部材調達。
物資調達は生活必需品の購入のことで、これが一番楽な仕事なのである(他の2つはどちらも荷物が重くなるという欠点がある)。だからこの仕事から先に売れていく。
当然、1番、2番で勝ったゾロとナミがこの役割を取っていった。
「これで全部買い終わったわね。」
「けっこうな荷物になったな、今回は。」
サンタのプレゼント袋と見まごうような大きく膨らんだリュック2つを軽々と両肩にかけたゾロが言った。
「ここに着くまでの航海が長かったからね。」
「じゃあ、待ち合わせ場所に行くとするか。」
ゾロはそう言うものの、本人は既にその場所が分からなくなっているので、ナミの後をついていく腹づもりだ。
待ち合わせ場所―――今回はルフィが街に着いた途端に目を付けた喫茶店が選ばれた。
その時は遠目に見ただけだったが、近づいてみるとそれはお菓子の家のような外観だった。
白い生クリームのような塗り壁にチョコレートを模した焦茶色の屋根。扉はビスケット色。窓枠は田の字型のクッキーのようだ。
その店の前に立ち、ゾロとナミはしばし絶句する。
「ずいぶんと…美味しそうなお店ね。」
「…そうだな。」
「ルフィが一目で気に入るわけだわ…。さてと、入りましょうか。」
「入るのか?」
「ええ。」
「別に入らなくても、店の前で待ってりゃいいんじゃねぇの。」
「それはそうだけど、私、お茶飲みたい。それに外で待つの寒いし。」
「じゃ、お前だけ入れ。俺は外で荷物番してっから。」
殊勝と言えば殊勝なその言葉にナミはジッと探るようにゾロを見返した
ゾロの言うことに間違いは無いが、何か意図したものが隠されていると勘のいいナミは感じ取ったのだ。
「ゾロ、この店に入りたくないのね?」
ゾロは答えない。沈黙は肯定ということ。
彼はこんなメルヘンチックな店と自分という取り合わせが大変嫌なようだ。
しかし、そこでナミのいたずら心が騒いだ。
「よし、ゾロ!入ろう!」
アタフタする剣豪が見たい―――そんな気持ちだった。
「何でそうなる!」
「いいじゃない?たまには。奢ってあげるから。」
奢る。ついぞナミの口からは出てこない言葉にゾロは少し驚いた。
「この私が奢るなんて本当にめったに無いことなのよ!」
(自分で言ってやがる。)
しかもナミは少し小首を傾げて甘えた仕草までする。これがラブコックなら効果テキメンなのだろうが、
「遠慮する。一人で入れ。」
ゾロには通じない。
「ダメよ。読みたい本がこの大荷物の奥の奥の方〜にあるの。だから、荷物と一緒に入ってよ。」
「断る。」
「お願い。」
「却下。」
「・・・・。」
「・・・・。」
エンドレスに続くかと思われた問答は案外早く、10分後に終了した。
勝利の女神はナミに微笑んだ。ゾロが根負けしたのだ。
店の前でのナミとの言い争いは傍から見れば痴話喧嘩に等しく、通り行く人々が二人を好奇の目で見ていく。チラホラと立ち止まって見る人も現れ出す始末。
そんな事態は自分がこの店に入るのが嫌なのと同等の嫌さ加減だった。
店に入ってみて、やはり止めればよかったかとゾロは思った。
ピンク色の花柄の壁紙。ネコ足の白いテーブルと椅子。薄い上品なブルーのレースのテーブルクロス。各テーブルにはミニバラが生けてある小さな花瓶が置かれて。漂うバニラエッセンスの香り。女性客の小鳥のさえずりのようなおしゃべりの声。
それに対して自分は―――言うのも憚られる。
この店は手作りのお菓子を振舞う喫茶店であるようだ。
店内は込んでいたが、辛うじてナミ達の席はあり、表通りを見渡せる窓側の席に案内された。たまたま前客がこの席だったのだろうが、この店の中では一等席といっていいだろう。2人ともホットコーヒーを頼んだ。
ナミは自分の要求が通り、口をへの字に曲げながらも店に入ってきた剣豪を見ることができて、しかもこんないい席につけてご満悦だ。
「人気のあるお店なのね。それにカップルが多いわ。」
確かに、比率としては少ないが、この手の店にしては男性客が多い気がする。
そして、カップル達は完全に2人だけの世界に浸っている。互いが互いしか目に入ってないかのように見詰め合っている。ある席では手を取り合って…。
「そうか、今日は2月14日。バレンタインデーなんだわ。」
どうりで、甘そうなカップルが多いわけだ。
そう言えば街の中も男女二人連れが多かった。しかし、薬屋や荒物屋ばかり巡っていたので、こういう甘い雰囲気はこの店で初めて感じたものだった。
「バレン…。なんだそれは?」
「知らないの?女の子が好きな男の子にチョコレートを送る日とされてるの。場所によって微妙に風習が違うけど。私の村では男女関係なく、好きな人にチョコレートを送る日だった。まあ、日頃の付け届けって意味合いで義理チョコってのもあるんだけど。ゾロの故郷にはこういう風習無かった?」
「2月の行事っつったら、豆撒きくらいしか知らんな。」
「豆撒き・・・・。」
ナミはなぜか豆撒きをしているゾロではなく、豆を撒かれる鬼役をしているゾロを想像してしまった。
「じゃあ、チョコレートをあげたりもらったりする習慣って無かったのね。」
「知らん。だいたい、あんなもん欲しがる奴の気が知れん。」
この言葉はナミの心のスイッチをまた押してしまった。
―――嫌がる奴に嫌がる物を送る。
「ゾロ、私ちょっと買い物に行ってくる。」
「ああ?何を?」
「義理チョコ買ってくる。私も日頃お世話になってるみんなに、感謝の気持ちを込めて贈りたいのよ。」
スラスラと魔女が唱える魔法の呪文のごとくナミの口から流れてくる言葉。
今、義理チョコの意味を聞いたので、ナミの言っていることは理解できた。
しかし、こういうもっともらしいことを言うナミは要注意だ。ゾロの勘がそう囁く。
それに、問題が一つ。
「そんなもん、この店で買えばいいだろ。」
このお店は洋菓子の喫茶店。自前の工房で洋菓子を作っている。もちろん今日という日にチョコレートを用意してないわけがない。
そう言われて、ナミは戸口の側のガラスケースに並ぶ商品に目をやる。
しかし、すぐに顔をゾロに向け、
「高すぎる。」
値段が。
至極ごもっともなナミらしい意見だった。義理チョコなのだから、安いもので良いのだ。
「分かった。じゃあ、俺も行く。」
「はあ?」
まさかのゾロの反応にナミはひどく驚いた。普段は買出しの途中でナミが自分の服を買おうとするのにも顔をしかめて文句を言う奴が、なぜ義理チョコの買物について行くなどと言うのか。
「ゾロ?ただ、チョコレートを買いにいくだけなのよ?それにこの大荷物持って大移動するわけ?」
「・・・・。」
「一人で行ってくる。あんたはここでみんなを待ってて。」
ナミはそう言うと、ついと席を立ち、戸口へと向かおうとした。その時、腕を引っ張られ、言われた。
「俺を置いていくのか?」
くらっ
ナミは一瞬眩暈がした。
「私達、もう別れましょ。」
「俺を置いていくのか?」
そんなシチュエーションがナミの頭の中を過ぎったからだ。
「こんなこっ恥ずかしい店に一人でいられるか!」
ゾロは掴んでいたナミの腕をパッと離すと、振り返ったナミを睨みつけながら叫んだ。
(ああ、そういうこと)
ナミは合点がいった。そして、腰に手をあて、ゾロを人差し指で指差しながら言う。
「ゾロ、こんなことで弱音を吐くなんて、海賊狩りの名が泣くわよ?いい?この店に一人でいることに耐えられないくらいなら、大剣豪なんて夢のまた夢よ!ここにいることを耐えるのは修行なのよ!」
わけの分からない修行だが、確かにナミの言う通り、自分がこの店にいることにうろたえ過ぎているという自覚はあった。これぐらい耐えられなくてどうする、とも。
そのまま、ゾロは押し黙って目を閉じてしまったので、ナミはそれを承知の意味ととった。
そして、ナミはゾロを置いて、店を出た。
通りから窓越しにゾロが見える。
ゾロの身体には小さい椅子に、腕組をして、眼を閉じ、眉間に皺を入れながら座っている。
まるで修行僧のようだ。
もう彼の耳には周りの甘い恋人達のささやきも聞こえていないにちがいない。
その姿は完全に店の中で浮いているが、傍目で見るのは面白い。
くくく、と笑いが零れる口元を押さえながら、ナミは義理チョコを買うべく、通りを歩き始めた。
一方、店に取り残されたゾロは沈思黙考の構えであった。
目を閉じてさえいれば、ゴーングメリー号の中で自分が寝ているのと変わりはしない。
時折、店のドアが開くたびに、扉についた鈴がリリンと涼しい音を立てる。
その音が聞こえた時だけ、目を開き、戸口を見やる。仲間が来たかもしれないからだ。
しかし、その行為は店にとっては迷惑でしかなかった。
新しい客が来る度に、ナリも人相も悪い男が鋭い眼光を来客に向けるのだからたまったものではない。
けれど、それをゾロに告げる勇気のある者はこの店にはいなかった。
なかなか他の仲間はやって来ない。一体、買出しにどれだけ時間をかけているのか。
この店に来てから、30分は経過しているはず。みんな同時に買出しをスタートさせたのだから、終わるのも同じ頃だろうに。
とゾロは考えるが、この時、自分達の役割が他の者のそれより楽で、なおかつナミのおかげで非常に効率良く街を歩き回って買物ができたのだということには気づいていなかった。
(ルフィ・サンジ組でもウソップ・チョッパー組でも、どっちでもいい。早く来い、来い、来い。)
ゾロが心の中で念仏のように唱えた。
しかし、そこでハタ、と思ってしまった。
(いや、待てよ。先にルフィ組が来たら…。)
――――ルフィ、サンジ、ゾロ、メルヘンチックな店で茶をしばく。
(頼むからチョッパー組が先に来てくれますように。)
願い文を変えて、ゾロは再び念じる。チョッパーならこの店と似合うだろう、などと考えながら。
やがて、コンコン、とゾロが座る席の窓ガラスを打つ音が聞こえ、ゾロは目を開いた。
窓の方を見ると、待望のチョッパーがその蹄でガラスを小突いていた。
ゾロはバンと窓を開いた。
「待った?」
円らな瞳のチョッパーがゾロに問い掛ける。
その側では、地面にへたり込んだウソップが調達してきた大量の材木とともにいた。
「おお、入ってこい。」
「いや、ちょっと、荷物が大きすぎて入れない。俺たちは外で待つよ。」
「そうか。じゃ、俺も外で待つとするか。」
そもそも、ナミがわがままを言わなければ、入る必要も無い店だったのだ。
荷物が多いのは食料調達組のルフィ達も同じこと。もうこれ以上、店にいることはない。
大リュックを2つ掴み、いざ立ち上がろうとした時に、テーブルの上の伝票に気づいた。
―――支払い。店を出るには当然、支払いを済ませなくてはならない。しかし、自分は金を持っていない。財布はいつもナミが握っている―――
「おい、チョッパー、金持っているか。」
ゾロの声にやや堅い響きが混じっている。まるで棒読みのような調子だ。
「え?うん、持ってるよ。何?ここの支払いなの?」
「ああ、そうだ。悪いが貸してくれるか。」
(くそ、あの女、奢るとかぬかしやがったくせに、なんで俺が他人から金を借りるハメになるんだ!!)
ナミが戻るまで自分だけ店の中で待つというのも、もう我慢がならなかった。
その時、通りの向こう、視力2.0のゾロにだけ見えるようなところをナミが歩いているのが見えた。
義理チョコが入っていると思われる手提げカバンを下げて。
しかし、ナミは一人ではなかった。
優男を一人連れて歩いていたのだ。
ナミは完全に男を無視して歩いているようだが、男はめげずに食い下がっているといったところか。
それどころか、ナミの行く手を遮って、何か言い合いが始まった。
(あのバカ女、何をのん気に油売ってやがる!)
ゾロは頭にきて、窓枠を飛び越えた。
義理チョコを買ったお店を出てからずっとこの男に付きまとわれている。
でも、こういう大きな街でならナミにとってはいつものことだ。
こんなもの何百とあしらってきた。適当にはぐらかせてバイバイする。
しかし、この男は結構しつこかった。今日がバレンタインデーだから必死なのだろうか。
ついに、男はナミの前に立ちふさがった。
「ちょっと、どいてよ。私あの店に連れがいるんだから。」
まだまだ先にあるお店を指差して言った。
「連れって恋人?」
「そうよ。野獣って呼ばれるくらいのすっごい剣士なんだから。」
恋人の部分はウソであるが、すっごい剣士であることは事実。
「あんたなんか見たら、即、斬りつけてくるわよ。分かったらさっさと行きなさいよ。」
男がいると分かれば、たいていのナンパ野郎は諦めるものだ。しかし、
「その手提げに入ってるの、義理チョコでしょ?さっきのお店で300ベリーのチョコを5つ買ってたよね?」
「えっ…。」
「5つも同じ安物チョコ買ってて、本命チョコがその中にあるってことはないよね?」
どうやら、店の中にいる時から目を付けられていたようだ。自分の買物の個数まで言い当てられて、ナミは少し動揺した。この男に何か粘着質なものを感じて。
「恋人なんていないんでしょ?」
ずいっと男はナミに近づく。ナミは動揺のため、後ずさることができなかった。
「こんな日に恋人もいなくて、ホントは寂しいんじゃないの?」
ナミの目の前で男が不敵な笑みを浮かべる。
しかし、ナミがひるんだのは一瞬のことで、すぐさま強気な眼差しを相手に向けて叫んだ。
「確かに今はいないけどね、私がちょっとその気になったら、剣士の1人や2人、10人や20人、イチコロなんだから!」
「誰がイチコロだって?」
その声とともに、ナミの目の前で、ナンパ男の首筋に黒光りする鋼の切っ先が添えられているのが見えた。
「ひ…。」
ナンパ男が声にならないような声を口から漏らしている。
「おっと動くなよ。おら、ここが頚動脈だ。」
ツツ、とゾロは男の背後から剣の先を動かし、男の首筋の上を滑らせる。
低い声。敵を怯え上がらせるには効果抜群の声。
けれど、ナミにとっては慣れ親しんだいつもよく聞く声。ナミは安心感とともに、心が震えるのを感じた。
「ここ掻き切ってやろうか?面白いぜ。喉笛が鳴る。多分、死ぬ間際までお前さんにも聞こえるだろうよ。」
「ゆ、許してくだ…もう、しませ…。」
男は顔面蒼白となり、完全に震え上がっている。
ゾロが剣を離すと、男はその場で崩れるように座り込み、そのまま這いつくばってその場を去って行った。
ナミは先ほどから自分の胸が早鐘のごとく打たれるのが分かった。
ドキドキが止まらない。
ゾロが自分の窮地を救ってくれたのは分かる。でもこの胸の鼓動の意味するものは。
まさかあれぐらいのことで。
でも、確かに心は動いたから。
「あ、ありがと。」
ナミはようやく、それだけをゾロに告げた。
それを聞いたゾロはナミを睨みつける。
「てめぇなあ!奢るとか言いながら、俺に金借りさせやがって!」
「え?え?」
ナミはゾロとチョッパーの金の貸し借りを知らないので、この言葉の後半は意味不明だった。
「てめぇが戻らねぇと俺はあの店から出られねぇだろ!さっさと戻って来やがれ、バカ女!」
「でも、もう出てきてるじゃない。」
「う。」
ゾロは一瞬、言葉に詰まった。
確かに、ナミが絡まれているのを見て、咄嗟に身体が動いて窓から飛び出していた。チョッパーに後は頼むと叫び、ここまで猛ダッシュで来たのだ。
その場面を見たわけではないが、多分そうなのだろうと思い、ナミは微笑んだ。
「ほんとにありがとね。ゾロ。」
そう素直に言われて、ゾロは逆に面食らってしまった。
「…いや、別に。あんな奴相手にしてたら、時間の無駄だからな。それより、戻るぞ。チョッパー達が待ってる。」
「そうね…。」
ナミの声がどことなく弱弱しい。
「どうした?」
さっきの自分の行動がナミまで怖がらせたのか?
「あの、あのね、ゾロ。」
「ああ?」
「これ…。」
口篭もってナミが差し出してきたのは手提げカバンに入っていたチョコレート。
「お前な、俺がこういう甘いものは苦手だと知ってるだろう。」
ゾロは溜息混じりに言った。欲しがる奴の気が知れん、とまで言ったのに。
「うん、でも、今日はバレンタインデーだから。気持ちよ、気持ち。」
そう言われると受け取るしかない。ナミが言っていた日頃の感謝の気持ちを込めたものらしいから。
顔を顰めながらも、ゾロは受け取った。
ナミはまた微笑む。今度は照れくさそうに。
(ゾロは気づいてないだろうけど、これはもう義理チョコじゃないのよ。)
待ち合わせのあの店に戻る道中、ナミはゾロの後ろをついて歩きながら、ゾロの右手に握られているチョコレートを見つめた。
「ふふ。」
自然と笑みが零れる。
不思議なものだ。嫌な顔して受け取られたのに、それでも嬉しいなんて。
そのチョコレートに込められた気持ちの意味は、
―――ナミだけが知っている。
FIN
<あとがき或いは言い訳>
「魔女と剣豪」さまのバレンタインプロジェクトへの投稿作品。
全然甘くないので、企画の趣旨に反するのではと投稿を止めようか迷いましたが、
思い切って投稿してみました。
掲載していただけたことに深く感謝しています。