その1分前まで、チョッパーは大そうご満悦だった。
目の前にはランブルボール。いつもより少し大きめの。
研究に研究を重ね、ついに通常3分の効果を5分まで延長させることができたのだ―――理論的には。
あとは試すだけ。
チョッパーはピーナツよろしく、その少し大きめのランブルボールを空に向って投げ上げて、縦長の放物線を描いて落ちてきたボールをパクッと口でキャッチした。
「ふんがっふっふ」
呼吸困難
ゴーイングメリー号は現在ある春島に停泊していた。
今日はチョッパーの誕生日なので、クルー達は今夜の誕生パーティに備えて食べ物や飲み物、そしてチョッパーへのプレゼントを調達するために、陸へと上がっていた。
ただ一人、今夜の主役のチョッパーだけは船番をおおせつかって船に残った。
いつものようにジャンケンでペアになったゾロとナミは、一通りの調達を済ませて港まで戻ってきた。
「あんた、他に陸での用事ないの?」
「無い。お前こそ無いのか?」
「特になし。じゃこのまま素直に船に戻りますか。どうせ今夜は遅くまで起きることになるから、ちょっと仮眠しておきたいし。」
早めに戻ってきて正解だわ、とナミは呟いた。
やがて、GM号の傍まで来て、ナミは持っている荷物を全部ゾロに明渡した。ゾロも何も言わずに受け取る。
そして、垂れ下がる縄梯子に手をかけて、片足もかけたところでクルリとゾロの方を振り向いた。
「覗かないでねv」
ゾロは一瞬目を丸くする。しかしすぐに気がついた。
ナミはいつものようにマイクロミニのスカート。縄梯子を上るナミの後に続けば当然・・・・。
「アホ。誰が覗くか。」
「私が上に辿り着くまで、見上げちゃダメだからね!」
「言われんでも分かってる!ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと上れ!」
ゾロが噛み付くように言うと、ナミはそれでよろしいとばかりにニンマリ笑い、今度こそ縄梯子を上っていった。
その間、ゾロは言われた通り、港と船の間に揺れる波間を見たり、街の方を見やったりして時間を潰す。
不意に小さな叫び声が聞こえた気がして、ゾロが見上げてみると、丁度ナミが船の欄干を跨ぎ終えたところだった。
声が聞こえたのは気のせいだったかと思いながら、次は自分の番とゾロは荷物を抱え直し、片手を縄梯子にかけた。
しかしその時、頭上から絹を切り裂くような悲鳴が聞こえた。
荷物を投げ捨て、飛ぶように梯子を上り切る。和道一文字の鯉口は既に切られていた。
辿り着いた船上で目にしたものに、ゾロは驚きを隠せなかった。
チョッパーが、
人型になったチョッパーが、口から泡を吹きながら、仰向けに大の字になって倒れていた。
そのすぐそばでナミが腰を抜かしている。
ゾロは慌ててナミに駆け寄り、その頭をバシッとはたいた。
「腰抜かしてる場合じゃねぇだろ!」
「痛ッ!もう!」
我に返ったナミの話によると、縄梯子を上ってきた時にはチョッパーは喉を掻きむしってもがきながら、甲板の上をのた打ち回っていた。
ナミが駆け寄って、なんとか押さえ込もうとした時、コト切れたように脱力したのだという。
「おい、呼吸が止まってるぞ。」
ゾロがチョッパーの口元に手をあてがいながら言った。
あまりの事態に、ナミは息を飲み込む。
「じ、人工呼吸よ!すぐに!」
ナミが叫ぶように言ったが、ゾロは固まっていた。
「なによ、どうしたのよ、さっさとしないさいよ。」
「あのな、ナミ。人工呼吸は知ってはいるんだが、実際にはやったことが無いんだ。お前はやったことあるか?」
白状するようにゾロが言うと、ナミは溜息をついた。
「役に立たないわね〜〜〜。いいわ、私がする。よく見ててよ、交代してもらうかもしれないから。」
そう言うと、ナミはチョッパーの左側に座り、手をチョッパーの鼻と口に当てて、呼気が止まっていることを確認する。続いて左胸に手を当てた―――心臓は動いている。つまり、心臓マッサージの必要は無い。
今度はチョッパーの鼻を摘み、もう片方の手は顎に当て、上向かせるようにして反らす。首がスッと伸びた―――気道の確保だ。
ナミはそのまま顔を近づけ、チョッパーの唇をくまなく覆うようにして、自分のそれを重ねた。
その瞬間、ナミの身体が震え、驚いたようにチョッパーから顔を離し、少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「どうした?」
「なんでもない。」
なんでもないという顔ではなかったが、ナミは気を取り直したようにして、再びチョッパーに顔を近づけて唇を塞ぐ。
フーーッと大きな音がするほどの空気を口の中に送り込む。そうしながらもナミはチョッパーの胸の動きを注視していた。少し怪訝そうな顔をしながら、もう一度フーーッと吹き込む。
そこで、ナミは一旦チョッパーから顔を離した。
「空気を送っても胸が膨らまない。気道が何かで塞がってるんだわ。」
「もしかして、コレじゃねぇ?」
ゾロが甲板の片隅に転がっていたランブルボール―――やや大きめ―――を摘み上げ、ナミに見せた。
「それだわ。それが喉に詰まってるのよ!早く取り除かなくちゃ。」
ゾロがチョッパーの口をこじ開け、思いっきり開いて中を覗き込む。
「ダメだ。上からじゃ見えねぇ!」
「人型になって返って奥に詰まっちゃったのね。」
最初はいつものように人獣型だったのだろう。
それが喉に詰まったランブルボールを取り出そうと、身体を大きくして人型になった。と同時に喉も大きくなり、余計にボールが喉の奥に落ち込んだのかもしれない。
「そんなに冷静に分析してる場合か!」
「そうじゃないわ。思い出してるのよ。喉に詰まった物を吐き出させる方法を。」
(えーっと、何だっけ?確かハイムリック法とかいうんだけど....)
ハイムリック法は喉の異物を除去する応急処置法の一つだったが、ナミもそれは一度も実践でやったことが無かった。だから、かつて本で救急処置の手順を描いた図を見た記憶を、必死で手繰り寄せる。
(そう、確かこんな風に....)
「ゾロ!チョッパーの身体を起こして!」
ゾロが言われたようにチョッパーの上体を起こすと、ナミはその背後に回り、チョッパーの両腕の下に自らの腕を回してお腹を抱きかかえ、お腹を両腕で締めつつ、前で握った手をお腹から胸に向かって勢い良く押し上げた。それを繰り返す。
「俺が代わる。」
人型のチョッパーは体格的にナミには大きすぎる。自分がした方がいいとゾロは判断した。
数回繰り返したところで、ゴロンとチョッパーの口からランブルボールが飛び出した。
「やったーー!」
思わず、ナミは歓声を上げた。
しかし、喜んだのも束の間、
「ダメだ。まだ息してねぇ。」
「もう一回人工呼吸よ。代わって。私がする。」
チョッパーを横たえて、ナミが顔を近づけた。
でも、すぐには始めない。チョッパーの顔を見つめ、少し逡巡しているようだった。
先ほどもナミはこんな表情をした。
「一体どうしたんだ。」
「あ、ううん、大丈夫・・・・。」
問い掛けても、答えもやはり同じ。
言葉とは裏腹に、ナミの顔には明らかに戸惑い―――羞恥の表情が浮かんでいた。
人工呼吸―――マウス・ツウ・マウス―――は、まさしく口移し。
しかし、これはれっきとした医療行為だ。しかも現に対象者は意識不明の状態で、呼吸も停止している。そんな恥ずかしいとか、照れるとか言ってる場合ではない。それはナミも十分承知しているはずなのに、この反応はなんなんだ、とゾロは訝しく思った。
意を決したようにして、ナミは人工呼吸を施し始めた。今度はちゃんとチョッパーの胸が上下する。きちんと気道が確保されているのだ。
どれくらいしただろうか。やがてナミは溜息漏らしながら唇を離した。
すっかり息が上がっている。それを、ゾロは疲れのせいだと思った。
けれど、ナミと顔を合わせた時、ドキリとした。
ナミの顔は上気して、薄っすらと赤く頬を染めていた。チョッパーと合わせていた唇は濡れて光っている。瞳は潤んでいて・・・・
そんな初めて見るような艶やかな表情で、明らかに熱を持ってゾロを見つめてくる。
ゾロは我知らずゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、ナミの艶かしい唇が開かれた。
「代わってくれる?」
そう言うナミの声は、驚くほどか細かった。
声とともに湿った吐息がゾロの顔にかかり、思わず顔を逸らす。
「あ、ああ。」
辛うじてそれだけ答え、内心の動揺を気づかれないようにして、ナミと場所を交代する。
ゾロもナミに倣って、チョッパーの鼻を摘んだ。
口を合わせる位置を確認するため、チョッパーの唇を見つめた。
さっきまで、ここにナミの唇が重ねられていたのだ。
自分もそこに合わせるのだと思うと、急に息苦しくなった。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
懸命に自分を叱咤して、ゾロは勢いよくチョッパーの口に自らのそれを重ね合わせた。
(!!)
驚いて、ゾロは顔を離した。マジマジとチョッパーの顔を見つめる。正確には唇を。
そして、次にナミの方を見た。
ナミはどこか困り果てたように苦笑いをして、ゾロを見つめ返す。
(そういうことか)
ナミの今までの表情の変化にようやく納得がいった。
もう一度ジッとチョッパーの顔を見つめる。
そして、観念したような溜息を一つつくと、大きく深呼吸して人工呼吸を再開した。
(こいつの唇)
(気持ち良過ぎる)
***
「チョッパーの誕生日を祝してーーー!カンパーーイ!」
掛け声とともに、みんなでグラスをガチャンと合わせた。
サンジが焼いた大きなケーキに灯った新しい年齢の数のロウソクを、チョッパーが元気よく吹き消した。
嵐のような、貪欲にすきっ腹に食料を詰め込むひとときが過ぎると、先頭を切ってウソップが歌い始めた。
それに合わせてルフィとチョッパーが踊りだす。
サンジがロビンとナミに一緒に踊ろうと懸命に口説いているようだった。
ゾロは船のマストに持たれて座り、酒を飲みながらそんなクルー達の様子を見ていた。
とても先ほどまで生死の境にいたとは思えないほどのチョッパーの回復ぶりに、ゾロは呆れつつもホッとしていた。
処置が早かったのが幸いしたのだろう。
どこかに寄り道したりせず、早めに船に戻ってきて正解だったとゾロは思う。
もし、発見が遅れていれば、チョッパーは助かっていなかったかもしれない。
(ま、結果良ければ全て良し、だ)
ぐい、とを飲み干した。
踊りの輪を抜けて、チョッパーがトコトコと近寄ってきた。
「ゾロ、今日はありがとな!ゾロは俺の命の恩人だ!この恩は一生忘れないからな!」
「あんま気にすんな。いつもいっぱい世話になってんだ。これで相子だ。」
「そんなのとは比べものにならないよ。俺は命を救ってもらったんだから。」
「それはいつもやってることだろ。そして、これからもお前はたくさんの命を救っていくんだ。」
俺とは違って、とこれは内心でだけ呟いた。
それに対して、チョッパーは感極まったとように目に涙をいっぱい溜めて、ゾロを見上げている。
ゾロはすごいよな!とひとしきりチョッパーは言う。ゾロにしてみればいったい何がすごいんだかよく分からなかったが。
ナミにも礼を言っとけよ、と言うと、もう言ったよ!という返事が返ってきた。
「はぁ〜」
チョッパーが立ち去った後、ゾロは盛大にちょっと情けない溜息をつく。
実は・・・・あれ以来、チョッパーの顔を、特に口元をまともに見られなくなっていた。
見ていると、あの、なんともいえない感触が蘇ってくる。
野郎の唇の感触なんか冗談じゃねぇと思うのだが、いかんせん、印象が強すぎた。
ゾロが人工呼吸を施して間もなく、チョッパーの呼吸と意識が戻った。
ナミは感激のあまり涙をこぼした。
ゾロも心底安堵の息を漏らした。
とにかく少し様子を見た方がいいだろうと、チョッパーを女部屋のベッドに寝かしつけた。
そこまではいい。
問題はそこからで、眠るチョッパーがいる以外は女部屋に二人きりという状況で、なんとなくナミとおかしな雰囲気になってしまった。それに耐えるのが一苦労だった。
どう考えても、あの人工呼吸の影響だ。
チョッパーの唇はただ触れるだけで、官能的な何かを身体に植え付けていった。
ヤバかった。
もう少し他の仲間達の帰りが遅かったら、ナミに妙なマネをしでかしてたかもしれない。
「命の恩人さん。今日はお疲れ様でしたv」
ナミが新しい酒瓶を揺らしながら歩いてきて、ゾロの隣に腰を下ろした。
「ああ、お前もな。」
もう大丈夫だ。
二人を取り巻いていた、あのおかしな雰囲気は今はもう無い。
ナミはお酒をゾロに注ぐと、自分のコップをゾロの持つコップにカチンとぶつけた。
「大変な一日だったわねー。」
「まったくだ。」
ゾロは再び大きな溜息をついた。
チョッパーが窒息しかけたり、
チョッパーの唇の感触が忘れられなくなったり、
二人の雰囲気がおかしくなったり、
散々だ。
「チョッパーってさ、将来恋人ができたら、キスだけで彼女をメロメロにできると思わない?」
「かもな。」
ただ触れるだけで、あんな気持ちになるなんて
では、もし想いを込めて唇を重ねられたりしたら
それこそ、呼吸も止まるほどの・・・・
FIN
<あとがき或いは言い訳>
『難』シリーズ第6弾、チョッパー編です♪
チョッパーは、「キスしたらスゴイんです」というコンセプトで書きました(笑)。
チョッパー、誕生日おめでとう!いつかテクニックを駆使して恋人をメロメロにしてあげてねv
CARRY ON様のチョッパー誕生企画『RUMBLE BOMB!3』に投稿させていただきました。