発端はナミさんが大量に買い込んだ木綿の布。
その布の色は、モスグリーンだった。

グリーンより渋めの、ちょっと大人の色。





モスグリーン





「随分とたくさん買ったんだね。」

「うん、ペンを入れる袋を作ろうと思ったんだけどね、ちょっと買いすぎちゃった。」

ちょっと?

俺の頭の中で激しく疑問符が飛び交う。
それもそのはず。ナミさんが買った布の量は半端な量ではなかった。ペン入れの袋ならいくら何でも、30cm四方で事足りるはず。それをナミさんはもう一枚帆を作るつもりなのかと思うほどの大きさの布を買い込んだのだから。

「それで、その目的の袋はもうできたの?」

と問うと、

「うん、ほら。」

ナミさんが俺の目の前に差し出してくれたそれは、手作りでありながら、まるでミシンで縫った既製品のような出来上がり。

「すごいね、ナミさん。とても手縫いとは思えない。」

「えへへ。裁縫はね、得意分野なの。」

誉められて、ナミさんは相好を崩した。



それからというもの、食堂兼会議室では連日のようにナミさんの『大量布の消費大作戦』が展開されるようになった。

まずは、手っ取り早く大判の布が必要なテーブルクロスから。
続いて、シーツ、布団カバー、枕カバー、クッションカバー、カーテン。
実用的なものしか作らないのがナミさんの特徴と言えよう。
ナミさんの手作りの品々は次から次へと飾られ、船内が段々とモスグリーンで彩られていく。


今は、テーブルクロスと同色であるため、目立たないことを覚悟の上でテーブルセンターを作っている。

俺はこのところ上機嫌だった。なぜなら、ナミさんは裁縫を食堂で行うからだ。これが地図作成であれば、自室に引きこもってしまうところなのであるが。
だから、毎日、一番長い時間を彼女と過ごしているのは誰あろう、この自分だと自負している。

昼食後、作業を続けるナミさんに紅茶を給仕した後、俺は彼女の隣りに腰掛けて、ずっと横の彼女を見ていた。
ナミさんはテーブルの上に布を広げ、断ち切りバサミで布を裁断した後、その縁をまつっていく。よどみの無い運針でこの船内の人数分を。

これまでも見ていて思ったが、ナミさんは本当に裁縫が上手かった。

「話し掛けてもいい?」

「んー?」

「ナミさんさ、何でそんなに上手なわけ?」

「裁縫の話?」

俺はうなづく。

「お母さんがね、すごく上手だったの。それで自然とね。」

ナミさんは針を動かす手を止めずに俺の問いに答える。

「へえ。」

「子供の頃の私の服はほとんどがベルメールさんの手作り。まず、ノジコのために作られて、それがお下がりの時にリニューアルされて。」

その頃のことを思い出しているのか、ナミは微笑みを浮かべた。

「でも、私、簡単なものしか作れないし、作らないのよ。今まで作ってきたのだって、ほとんど四角く切って、縫い合わせるだけっていうのばっかでしょ?」

「だけど、全くできない俺から見るとやっぱり神業だよ。」

「それを言うなら、サンジくんもでしょ?料理。私にしてみれば神業だわ。」

ああ、そうか。そうかもな。

「さて、問題はこれを作り終わったら、次は何を作るかなのよね。そろそろネタ切れ。何か布系のもので不足してるものって無かったかなぁ。あと、もうちょっとで使いきれるんだけどなぁ。」

そう言いながら、ナミさんは手を休めることなく、顔だけ食堂内を見渡した。そして、一点を凝視した後、

「そうだ―――あ、痛っ!」

一瞬手元から注意がそがれて、彼女は自分の指に針を突き刺してしまった。
ナミさんは慌てて、布から手を離し、右手の人差し指を見る。
ぷくっと血が盛り上がっていた。
それを見た途端、俺は咄嗟に行動に出ていた。

「貸して。」

一言つぶやき、同意も得ないままに彼女の右手を取ると、その人差し指の先端を口に含んだ。
ナミさんの息を呑む音が聞こえた。


俺は舌先を使って丁寧にナミさんの指先を絡めるようにして、血を舐め取る。
繰り返し、繰り返し。何度も、何度も―――





と、その時。


オーレはウソップ!キャープテン、ウソップ!そう呼んでくれ〜♪やんーごーとなきーキャープテンウソップ〜♪

食堂の扉がバタンと突然開き、ウソップがドラ声で歌を歌いながら入ってきた。
また、お前か!

ナミさんは俺に不快感を与えない程度の素早さで手を俺から引き戻した。

「おい、サンジー!今日のおやつはーなんだー!」

てめぇはルフィかよ。
すこぶる機嫌の良さそうなその声が更に俺の神経を逆撫でる。
俺はマッハの勢いで席を立つと、ウソップの胸倉を掴み、壁に押し付けた。

「てめぇは、いつもいつもいつも素敵なタイミングで来やがって!何か俺に恨みでもあるのか!」

「な、何言ってんだ。お、俺はただの善良な通りすがりの一市民だ。」

「お前のその鼻のどこが善良なんだ?」

「鼻は関係ねーだろ!」

「その鼻の存在自体が公序良俗に反してるんだよ。覚えとけ!」

その時、背後で更に声が響いた。

「おい、ナミ。」

この声は…。

「何?ゾロ。」

「なんか、沖の方で島みたいなもんが見えるんだが。」

「ほんと?ログポースには影響を与えない島なのかしら。今行くわ。」

そう言うと、ナミさんは布も針も全部置いて、いつの間にか姿を現していたゾロと一緒に外に出て行ってしまった。

俺はそんな二人を、ウソップを壁に張り付かせながら、黙って見送るしかなかった。

「振られてやんの。」



これがウソップの最後の言葉となった。





ウソップに関節固めをお見舞いした後、俺は急いで外に出た。

そして、目にした光景に俺は愕然となった。
船首の辺りで二人は抱き合っていた。

いや、抱き合っているように見えただけで、実際はナミさんが、ゾロの身体を採寸しているのだとすぐに分かったが。
ナミさんが、布消費大作戦が始まって以来、いつも愛用していたメジャーをゾロの身体に巻きつけて、そのサイズを測っている。
ゾロはまるで不動明王のように直立不動の態勢だ。

それで察しがついた。

残り少しのモスグリーンの布で、ゾロのシャツでも作るのだろうと。
今まで凝ったものを縫わなかったナミさんが、最後に奴のために縫うのか。



モスグリーン。
どうして、気づかなかったのだろう。
グリーンといえば、奴しかいねぇじゃねぇか。
もしかしたら、ナミさんは始めからそのつもりで…。



そう思った途端に俺の周りは色あせて、見るもの全てが灰色になっていった。




モスグリーンなんざ、


―――葬式の色だ。





***





翌朝の3月2日。俺はいつものように誰よりも早く起きだし、キッチンへと向かった。
今日は俺の誕生日だが、そんなことはもう、どうでも良かった。
夕べも今日の俺の誕生パーティの打ち合わせなるものがあったが、俺は半分も聞いちゃいなかった。

披露宴だろうが、精進落としだろうが、俺が料理を作る側であることには違いはないんだ。
そんな風にヤサグレながら、椅子に座ってタバコを吸っていると、つい、と食堂の扉が開いた。

「おはよう、サンジくん。」

その声に俺は息もつけずに扉の方を見た。
いつもはもう少し後に起きてくるナミさんが、戸口のところに佇んでいた。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに俺は昨日の光景を思い出し、ヤサグレ気分が戻ってくる。

「今朝は随分早いね。」

「うん、て言うか、実は徹夜。」

徹夜?まさか奴と一晩中ともに過ごしたわけじゃないだろうね。
俺がそんな邪推をしたのも束の間、

「サンジくん、これ。」

そう言ってナミさんは後ろに回していた手を差し出してきた。
その手の上には簡単にラッピングした包み。

「誕生日プレゼントのつもりなんだけど、受け取ってくれる?」

え・・・・。

「あ、ありがとう」

俺はそれだけやっと言って受け取った。
ナミさんがそのまま佇んで待っているのを見て、どうやらすぐに開けた方がいいのだと気づく。

包みを開けて出てきたのは、


モスグリーンのワイシャツだった。


「やっぱり思いつきで凝ったものは作るもんじゃないわね。」

ナミさんは照れくさそうに笑っている。

「ナミさん。」

「何?」

「これ、俺の?」

ゾロのじゃなくて?
ナミさんは俺のその問いにキョトンとした表情になった。

「当たり前じゃない。他に誰がいるっていうの?」

「ゾロとか…。」

話題にも出したくもない奴の名前が口を突いて出てくるとは、俺もとことん自虐的な性質らしい。
その一言で察しのいいナミさんは、すぐにこう返してきた。

「もしかして、昨日のこと見てたのね?あれは見ての通り採寸してただけ。サンジくんて、ゾロと背丈がほとんど変わらないじゃない?だから測らせてもらったの。一応、ビックリさせようと思ってたから、まさか本人のサイズを測れないし。あいつ、クジラを見て、島を見たなんて言って私を呼びつけたんだもん。あれくらい当然よね。」

「・・・・。」

「昨日、あれを見て、今日がサンジくんの誕生日だって気づいて、これを作ろうと思いついたのよね。何とか間に合って良かった。」

ナミさんは食堂の壁に掛かっているカレンダーを指差し、言った。
その指先には真新しいバンソウコウが巻かれている。昨日俺が口に含んだその指先に。





ナミさんは少し仮眠をとってから、また来ると言って、部屋に戻って行った。

俺はおもむろに着ているシャツを脱ぎ、貰ったばかりのシャツを着た。
ナミさんの手縫いのシャツ。モスグリーンのシャツ。ナミさんが俺のために―――


俺の渇いた心が見せていた灰色の世界は、次の瞬間には鮮やかに色を取り戻した。
ああ、この世はなんて美しい色で満たされているのか。




中でも、モスグリーンは、



―――この世で最高の色だ。






FIN






<あとがき或いは言い訳>
サンズィ誕生日記念小説。創作所要時間約4時間。『キスの嵐』に次ぐ早さでした。ゾロナミでないとこういうこともできるんだ…。
ウソップはどうしてあんなにご機嫌だったんだろう?歌っているのは「ワンピースソングコレクション」に入っている『ウソップ☆ドロップ』の出だし部分です。

というわけで(どういうわけだ)、このお話は
ダウンロードフリーといたします。サイトを持ったときには、一度やってみたかったダウンロードフリー。憧れのダウンロードフリー。(←しつこい)
それはともかく、サンジくん、誕生日おめでとうー。キミの未来に幸い多かれ。

FEINT−21』の森アキラさんが、このお話のカットを描いてくださいました。
宝物庫で見ることができますが、ここからも飛べます→

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