カウンタ4000を踏んでくださったMOMOさんへ捧げます。
「ウソップ、ウソップ!」
ルフィ、ゾロと連れ立って街へ行こうとするウソップに、ナミが船上から声を掛ける。
呼ばれたのはウソップだけだったが、ウソップを含めて全員が見上げるようにして振り返る。
「おぅ、なんだ」
ウソップが船に残るナミに向かって返事する。
「約束忘れないでね。アンタは街で泊まっちゃダメだからね。ちゃんと今夜7時には帰ってきてよ?」
「わかってるって。俺が今までウソついたことあったか?」
この返答に、その場にいたルフィ、ゾロ、ナミが沈黙した。
締め切り前夜
「あら、航海士さん、あなたは残ってるの?」
おそらくは自分が一番最後に船を後にするとばかり思っていたニコ・ロビンが、甲板のデッキチェアに身をまかせ、一枚のカードを顔の上にかざしてニヤニヤと笑っているナミに気づいて、声をかけた。
完全に自己陶酔に浸っていたのか、少しビクリと肩を震わせて、ナミがロビンの方に目をやった。
「びっくりした、ロビン。あんたまだいたの」
「なにをそんなに熱心に見てるの?」
「あ、これ?エヘヘヘヘ。実はね・・・・」
ロビンがデッキチェアのそばまで来ると、ナミがカードを差し出した。
予備選考通過通知書貴殿の原稿は予備選考を通過しました。
つきましては、本選考に進んでいただきたいと思います。
本選の詳細内容は下記の通りです。−記−
<提出原稿>
論文:航行した海域についての報告と分析。A4版30枚。1枚35行。1行ダブルスペースで
60文字(手書きの場合はそれに準じる文字数)
海図:上記論文の海域。A2版白黒3枚。縮尺250分の1。
<締め切り>
○月×日の消印有効
<当選者発表日>
△月※日。Maityo新聞紙上で発表
<賞金>
50万ベリー
<副賞>
Maityo新聞にて月1回のコラム連載執筆。執筆料は1コラムにつき、5万ベリー。
「これは何の予選?」
「Maityo新聞のね、コラム執筆者の選考コンペなの。これに当選すると、連載枠を貰えるってわけ」
「どれだけの応募があって、何人がパスしたの?」
「173人中、7人」
「それは大したものね。でもこれ、締め切りって明日じゃない!」
「そうなのよー」
慌てたロビンに対し、ナミはゆったりとした調子で答える。
「この島までの航海、けっこう天候が荒れて大変だったでしょ。全然原稿にかかる時間がなくて・・・。今日が勝負なのよねー」
「その割りに優雅にしてるわね」
「うん、論文の方はほぼ下書きが済んでるし、あとは清書と海図を作成するだけ。」
「それでもけっこうな作業量じゃない?明朝には出発の予定でしょ。明日の朝までに間に合うの?手伝いましょうか?」
「ありがとう。でも、だーいじょうぶ。人員は確保してあるの。ウソップが夜に戻ってきてくれて、手伝ってくれることになってるの。」
「あら、そうなの。」
「予選のときも手伝ってくれたのよ」
「それなら慣れたものね」
「うん、だから心配せずに久しぶりの陸を満喫してきて」
そう言って、ナミはロビンを見送った。
***
女部屋で、フンフンフーン♪と鼻歌を歌いながら、ナミは海図を書いていた。
A2サイズの真っ白の紙の上に、薄い線を書き、次に濃い目に線を引く。余分な線は消しゴムで消していき、段々と完成品に近づけていく。
まだ1枚目の鉛筆書きの段階だが、文章を書く作業よりかは10万倍楽しい。
まさかこんな締切直前までもつれ込むとは思ってなかったが、なんとか原稿完成のメドはついている。
ウソップと今夜ラストスパートをかけて、一気に清書すれば、日付が変わる前に完成するだろう。
それに原稿の中身には自信がある。論文も時間をかけて書いたし、海図の完成度の高さは誰にも負けないものにするつもりだ。
これで50万ベリーが懐に転がり込んで、さらにコラム連載で月に5万ベリーの小遣いが手に入る。
こんなに美味しい話はない。ただでさえ、現金収入が見込めない今の生活なら尚更だ。
思わず鼻歌も出るというもの。
ナミの頭の中で、50万ベリーを何に使うかの算段がもう始まっていた。
と、その時、甲板が急に騒がしくなった。どうやら出かけていた男達が帰ってきたらしい。
ふと、おかしいな、とナミは思う。戻ってくるのはウソップだけのはずで、ルフィとゾロは陸で泊まってくる予定だったのだが・・・。
時計を見るとまだ5時だ。帰ってくるにしても早すぎる。夕食をとって帰るとウソップは言ってたのに。
気になって、ナミは甲板へと登っていった。
確かに、甲板には3人の男達が戻ってきていた。
しかし、ナミは彼らを見るなり大声を張り上げた。
「どうしたの!?一体何があったの!」
ナミが大声を出すのも道理。
ルフィは服が破れ綻び、ゾロは返り血を浴びて白いシャツがところどころ赤くに染まっていた。
ウソップにいたっては、全身が包帯姿で床に横たわっており、ルフィとゾロはそんなウソップに寄り添うようにひざまづいていた。
「街で賞金稼ぎに因縁つけられてな」
ゾロが3人を代表して、ナミを見上げて返答する。
「因縁?」
「『お前ら賞金首だから討つ』とか言いやがるから」
それは賞金稼ぎの正規の仕事なんでは?因縁とは言わないのでは?
「受けてたったのね」
「ああ!面白かったぞ」
ご機嫌そうなルフィ。
「それにしちゃ、いい様じゃない。あんた達ともあろう者が」
「ああ。人数も多かったし、思ったよりも腕の立つ奴らで、手こずったのは認める。それで・・・」
「ウソップを庇いきれなかったのね」
ゾロが肩をすくめて肯定の意を示した。
ナミもウソップのそばまで来て、同じように腰を下ろす。
ウソップ、なんて変わり果てた姿に。
「チョッパーは?」
「ヤツはサンジと別行動だ。どこへ行ったかわからねぇ。だから、街の医者に診せてきた。全治一週間。特に今夜は絶対安静だそうだ」
「―――そ、そんな!」
ナミは一瞬絶句した。表情はかなり青ざめている。
それに気づいたのか、ウソップがゆっくりと上体だけ起き上がらせ、息も絶え絶えにナミを励ますように言った。
「・・・・ナミ、心配すんな。俺様は勇敢なる海の戦士・・・・こんなケガくらい3日で直してやるさ・・・・」
「そんな!それじゃあ、今夜の私の原稿はどうなるのよ!!」
「「てめぇの心配かよ!」」
ゾロとウソップがナミに噛み付くように言った。
しかし、ナミはケロッとした顔に戻り、言ってのける。
「何よ?そんなの当たり前でしょう?」
鬼だ・・・。ここに一人本物の鬼がいる・・・というウソップの小さな呟きは幸いにもナミの耳には届かなかった。
「そんなもん、ウソップの状態を見りゃ無理に決まってんだろうが」
「・・・・」
ナミはもう一度ウソップを見た。顔以外は包帯でグルグル巻きにされている。アラバスタで戦った後の姿のようだ。
ナミもそうと判断すると、今度はルフィに向き直った。
「ねぇ、ルフィ?明日、朝の出航の予定だけどさ・・・・もう一日延ばさない?」
ナミの考えはこうだ。
一人では、おそらく原稿は今夜中には間に合わない。
明日一日かければ完成できる。
締め切りは明日の消印有効。つまり明日中にポストに投函できればいい。
それには明朝出航を取りやめる必要がある。島にいないと、ポストに投函できないからだ。
しかし、ルフィの答えはそんなナミの期待をあっさり裏切るものだった。
「いやだ。明日朝一番で出航したい」
「そんなに急がなくったって、冒険は逃げたりしないわよ?」
「明日の分の冒険は確実に逃げる」
「でもね、ルフィ、」
「いいかげんにしろ」
まだ言い募ろうとするナミの言葉を遮ったのはゾロだった。
「聞いてりゃ自分の都合ばっかり言いやがって。てめぇはこの船の航海士なんだろ!それなら船長の命令に従え。この船の船長が船を出すって言ってるんだから船を出せ。それが航海士ってもんだろう」
「・・・・!!」
ナミは言葉に詰まる。
(こいつ、ゾロのくせになんで今日に限ってこんな正論を吐くのかしら)
「ふん!もういい!」
ほとんど負け犬の捨て台詞のようなものを吐いて、ナミはその場から走り去った。
「なんだありゃ?」
ルフィは不思議そうな顔をして、そんなナミを見送った。
「ほっとけ。ちっとは頭を冷やしゃいいんだ。それよりウソップを男部屋に運ぼうぜ」
***
みかん畑に逃げ込んで、しばらくしたら冷静さが戻ってきた。
と同時に後悔の念が押し寄せてくる。
いくらなんでもケガ人に対してあの態度はなかったんではないかと。
ゾロの言ったことは至極もっともで、悔しいことに反論の余地がなかった。
このままではマズイ。航海士としてのプライドに賭けても、このままにしておけない。
意を決して男部屋へ行く。見舞いの品のみかん3個を持って。
幸い、男部屋にいるのは、ソファをベッドにして横たわるウソップだけだった。
どうやらウソップをここに安置した後、二人ともまた街へ出かけてしまったようだ。
ナミは内心ほっとした。ゾロに会うのだけはバツが悪くて嫌だと思っていたから。
眠っているウソップのそばに膝立ちになり、額に手を当てた。
少し熱がある。
ますます申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「あ・・・・?ナミ・・・・?」
「ごめん、起こしちゃったね」
「いや、お前の手が冷たくて気持ちいいから」
「ふふ。しばらくこうしててあげる。」
ナミが右手が温まると、今度は左手をウソップの額の上に置く。
「ナミ・・・・悪かったな、約束守れなくて・・・・」
「ううん。私の方こそ、ヒドイこと言ってごめん」
「・・・・お前に素直に謝られると・・・・返って不気味だなぁ」
「何よそれ」
「はははははは・・・・。でも原稿、大丈夫なのか?」
原稿。ウソップがいることを想定して、間に合うように計画していた原稿。
今夜はナミとウソップ以外はみんな陸で泊まりの予定で、他に人手はない。
自分一人だと徹夜になりそうだ。
でも、ケガ人をこれ以上心配させてどうなる?
「大丈夫に決まってんでしょ?私を誰だと思ってんの?」
***
夜は、ナミが作った二人分の夕食を男部屋へ持って行き、ウソップと一緒に食べた。
その後、ナミは食堂兼会議室に原稿作成道具一式を持ち込んだ。
ここの机は女部屋のそれよりもずっと大きい。これなら、海図作成のための参考資料を広げたまま作業ができる。作業効率を少しでも上げるため、今は広い机が欲しかった。
ポットにコーヒーを作り置きした。
自分にとっての今夜の最大の敵は眠気。
ここまでの航海が難航だったため、ここのところ睡眠不足だった。
眠気が来ると、作業効率はガタンと落ちる。ミスを連発してしまう。
今夜はミスはできない。やり直す時間の余裕がないからだ。
「よし!準備万端!いざスタート!!」
ナミはパシッと両頬を打って宣言した。
時計の針が11時を差す頃、第一陣の眠気が襲ってきた。
コーヒーに手を伸ばし、コップ1杯を一気飲み。
それでも足りず、ストレッチ体操なんかもしてみる。
作業はここまで比較的順調だった。2枚目の海図の下書きが済んだ段階だ。あともう1枚の海図の下書きが済めば、あとは論文と海図の清書をして終わり。
一通り体操を終えて、これぐらいでいいかなと思い、机に向かう。
しかし、
思った以上に強い眠気で、またもや目蓋がくっつきそうになる。
手元がおろそかになる。勝手な線を引いてしまい、慌てて消しゴムで消す、の繰り返し。
これは非常にまずい傾向だ。
隣にベッドを用意され、やさしい声で「眠ればいいんだよ」とか言われたら、そのままベッドに潜り込んで眠ってしまいそうだ。
いや、別にベッドなんかなくても、今このまま机に突っ伏して眠ることができたら―――
バン!!!
強い衝撃とともに、食堂の扉が開け放たれた。
びっくりして、ナミがそちらの方に目をやる。
ゾロだった。
「まだやってんのか」
「大きなお世話よ。なんであんたがここにいるのよ」
ゾロは街に泊まってくるはず。一体どうしてここに戻ってきたのか。
「俺がどこにいようと勝手だろうが」
「ええ、その通り、勝手よね!だから!私がここでまだやってるのも勝手でしょう!」
「焦ってるからって、俺に対してキレるんじゃねぇ。」
図星を差され、またもや言葉に詰まる。
ナミは思考を作業に戻した。
先ほどのバツの悪さも手伝って、どうもゾロを目の前にするといつも以上にケンカ腰になってしまう。
きりがない。こいつと口論すると永遠に言い合いが続いてしまう。
どちらも意地っ張りだから。
ゾロは無口に見えるが、自分の思うことはとことん主張する時がある。特にナミを相手にする時はその傾向が顕著になる。
今はこいつにかまってるヒマはない。悔しいが、今は自分が矛先を収めることにした。
そうすれば戦闘相手をなくしたゾロは、自ずと去っていくだろう。
無視するにこしたことはない。
しかし、いつまでたってもゾロは出て行こうとはしなかった。
食堂に来ておいて、水を飲むでもない、酒を飲むでもない。
それどころか、ナミの向かいの席の椅子を引き、腰を下ろすではないか!
「何してんの?」
さすがに驚いたナミが、動かす手を止め、顔だけ上げて訊く。
「人手がいるんだろ?」
「―――」
「明日の朝が締め切りで、間に合わないとまずいんだろ?ソレ」
そう言いながら、机の上に広げられた海図をあごでしゃくる。
(もしかして、手伝ってくれるつもりなの?)
目の前のゾロは、両腕を背もたれにだらりと掛け、少し不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。さも自分がイイ人だと言わんばかりに。
ナミは黙って立ち上がり、右手を真っ直ぐに伸ばし、ゾロの額に宛がった。
ナミがゾロの熱を測る格好。
「何してやがる」
特にその手を退けることもなく、ゾロが憮然とした顔をする。
「いや、熱でもあるのかなと思って」
ナミがそう言うと、ゾロは不機嫌そうに顔を逸らし、ナミの手を払い退けた。
しかし、ナミは少し茫然としたまま、またストンと椅子に腰を下ろした。
「一応ウソップのケガを防げなかったという責任があるしな」
その言葉に、我が耳を疑うというか・・・。
「・・・・ずいぶん殊勝なことを言うのね・・・・」
「俺はいつでも殊勝だ」
「・・・・」
ナミはいつもと違うパートナーと作業をすることになった。
ゾロに論文原稿の清書を頼んだ。つまり、ナミのエンピツ書きの文字をペンでなぞるという作業だ。
ナミは海図に専念する。
最初、ゾロが机に突っ伏して文字を書くという光景が珍しくて仕方が無かった。
ひょっとしたら、字なんて書けないんじゃ?とまで思っていたからだ。
それは大いなる勘違いで、ゾロはナミから指示を貰うと、淀みなく紙の上に文字をしたため始めた。
一枚目が仕上がったところで、「これでいいか?」と訊いてきた。
見てみると、一文字一文字がナミの字の倍近くある(これでも本人は小さく書いたつもりらしい)。
お世辞にも上手い字とは言えなかったが、それでもなかなか男らしい堂々とした字だ。
ウソップはナミの字を本当になぞるだけなので、完成した原稿はナミの原稿という気がするのだが、ゾロは下書きのナミの字を全く無視して自分の字で書いていくので、まるでゾロ自身が書いた原稿に見えるのが、妙に面白かった。
ナミが「このまま続けて」と言うと、気を良くした男は猛スピードで書き始めた。
これには「もっと丁寧に!」と一喝した。
人が目の前にいて、しかもそれがゾロなので、ナミの眠気は完全に吹き飛んだ。
実際、うつらうつらしようものなら、ゾロに鼻を摘まれたり、脳天を指で押されたりするので、寝てなんていられない。
「てめぇの字は小さすぎる」
「ここなんて書いてあるんだ」
「こんな単語知らねぇ」
「意味がわからん」
「小難しい文章書きやがって」
「枚数が多すぎる!」
ゾロはブツブツと文句を言いながらも手を休めずに作業を続けてくれた。
どれも悪態なのだが、今日はそんなに腹が立たなかった。
「ルフィはどうしたの」
「宿に置いてきた」
「一人で?」
「当たり前だ。女連れとでも思ったか」
「そんなこと訊いてんじゃないわよ!船に戻ることは言ってきたの?」
「いや。寝てたから」
「あんたがいなくなって、朝起きたらビックリするんじゃない?」
「かもな」
「宿代は払ってきたんでしょうね」
「あれ?」
「なによ」
「金は俺が持ってたんだよな」
「それで?」
「そのまま持ち帰ってきてしまった」
「それじゃ、ルフィは宿代を払えないじゃない」
「そうなるな」
「そうなるな、じゃないでしょう」
「ま、なんとかなるだろう」
「なんとかなる問題かい!」
とりとめもない会話を交わしながら、二人は手を休めず動かしていた。
ゾロは、ナミより早く作業が終わっても、ナミに付き合ってずっと起きててくれた。
ナミから笑みがこぼれる。
(一人で作業するよりも100万倍楽しいわ)
「できたー!」
ゾロがキッチンに立って、マグカップにコーヒーを注いでいるところで、ナミの歓喜の声があがった。
ナミは出来上がった海図を目の前に掲げて見ていたので、背後に立つゾロからもそれが見えた。
よく見ようとコーヒーをすすりながら、ナミのそばへ近づく。
ゾロは海図の見方なんて分からないし、それがどのレベルの出来なのかも分からなかったが、キレイな絵だな、という認識ぐらいは持てた。自分では逆立ちしても描けないだろうとも。
ね?と同意を求めて振り返ったナミに、「おお」とだけ答えた。
「あ、私もコーヒー飲む。ノド乾いちゃって」
ゾロが持つカップを見て、ナミが言った。出来上がったばかりの海図を机の上に下ろすと、よっこらっしょっと言いながら立ち上がる。
しかし、さすがに疲労が出たのか、少しよろめいた。
そんなナミの肩を、ゾロが空いている右手で支えた。
その時、
たっぷん
という聞こえない音がして、左手のマグカップのコーヒーの表面が揺れ、溢れ出た。
10センチくらいに連なった黒っぽい雫が落下していくのが、まるでスローモーションのように二人の目には映った。
そして、
ぼたっ
という不気味な音とともに、見る間に不吉な染みが海図の上に広がった――――…
一瞬、二人は何が起こったのか理解できず、目が点になった。
しかし、やがてナミがまずコトの次第を認識すると、
「イヤァァァァァアア!!!」
叫び声をあげ、机の上にバン!と両手を叩きつけるように置いて、広がったコーヒーのこげ茶色の染みを食い入るように凝視した。
「そ、そんなそんな・・・・」
あまりのことに言葉をそれ以上、紡ぐこともできない。
あんなに必死で描いた海図なのに。
やっと完成したのに。
ゾロに手伝ってもらってまでどうにか締め切りに間に合ったのに。
肝心要の海図がこんなになっちゃって・・・・。
ゾロも最初は呆気に取られていたが、ようやく事態を飲み込めた。
ナミが心血注いで描いた図が台無しになってしまったことに。
ナミは顔面蒼白になって、助けを求めるような、すがるような視線をゾロに向けてきた。
その瞳に、久しく見たことがなかった潤みがある。
これは相当重症だ。彼女がこんな目をするのは。
しかし、そうされても自分にはどうすることもできない。海図など、完全に門外漢の分野。
だからこれしか言えなかった。
「描き直せ!」
「無理よ!」
今の時刻は午前4時。出航予定時間はなんと8時。あと4時間しかない。
ナミは長年の経験から、自分の海図作成に要する時間を正確に把握していた。
ゾロも無理は承知。すぐそばでナミの作業を見てきて、それが容易でないことぐらいはゾロにも理解できていた。
けれど、
「できる」
「お前なら、絶対にできる」
力強いゾロの言葉。
ナミはハッとなって、ゾロを見た。
鋭い視線で見返される。
その言葉に背を押されるように、ナミは再び机に向かった。
***
ウソップは食べ物のいい匂いで目を覚ました。
すぐに、そばにゾロとナミが心配そうに自分を覗き込むように見ていることに気づく。
「おはよう、ウソップ。具合はどう?」
「あ・・・?朝か?」
「そうよ。朝食を持ってきたの」
「サンキュー」
見ると、ナミがトレイにおかゆを乗せていた。
「私達の分も運んできたから、ここで3人で食べよう」
「えーと、お前、原稿は?」
ウソップが昨夜から気になっていたことを口にする。
それを受けて、ナミはゾロと一瞬顔を見合わせて、またウソップの方を向くとニッコリ微笑んだ。
「完成したわ。さっき、ゾロと一緒に投函してきたところ」
「そうかー、そりゃよかった。俺も安心したぜ」
「心配かけちゃったわね」
「いや、だってよー、この前もけっこう大変だったし」
予選の時の締め切り前夜を思い出したのか、ウソップはそう言った。
「完成したのはゾロのおかげ」
ウソップに対して言う形ではあるが、ナミにしては実に珍しく素直に感謝の気持ちを述べている。
「いや、俺は別に」
聞き慣れない言葉を聞いて、わずかにゾロの声が上擦る。
「何言ってるの、あんたが来なきゃ、私きっと途中で寝てたし・・・。それに・・・。やっぱりあんたのおかげ」
今度はゾロの方を向いてちゃんと言った。
そこまで言われ、ゾロがちょっと照れて頭をガシガシと掻いている。続いて、いや、お前もよくやったよ、と口篭もりながらもナミを誉めるような発言。
ウソップは目を丸くした。
かつてこんなに穏やかな雰囲気の二人を見たことがあっただろうか?
いつも言い合いでしか会話をしてない二人が、今はお互いを称えあっている!
二人は見つめあい、ウソップのことなど眼中に入ってない様子ですらある。
(なんか、俺っておじゃま虫?)
今、自由に動ける身であったなら、「あとは若い人同士で・・・・」と席を外すお見合いババァになるべきところではないか、とすら思った。
「・・・・で?賞金はいくらなんだっけ?」
なんとなく居ずらい気持ちはあったが、ウソップは会話に入ってみることにした。
この発言が和やかな雰囲気を壊す導火線となるとも知らずに。
その質問にやっとナミはウソップを見た。
「50万ベリーよ」
「けっこうな額なんだなー」
「そうよー。当選したら、ゾロにもおすそ分けするからね。」
また、ナミはゾロを見やった。
「25万ベリーか。何に使うかな」
ゾロが自分の分け前の金額を口にし、ニヤリと笑った。
「・・・・ちょっと・・・・?誰が半分もあげるって言った・・・・?」
「ああ?」
「どうして、あんたが半分の25万ベリーももっていくのよ?」
「そんなもん当然だろ。俺の貢献度のデカさを思えば」
「あのね!頭捻って論文書いたのは私なのよ?あんた自分がどんな文章書いてたのか理解できてんの?海図を描いたのも私。あんたは字をなぞっただけ!」
「その字をなぞるにしても、俺がいなきゃ間に合わなかっただろうが。完成したのは俺のおかげだ。当然の報酬だろ」
「馬鹿言うんじゃないわよ。なんで五分五分なのよ!?あんたが1割、私が9割!それで十分よ。」
「てめぇ、そりゃ取り過ぎだろ。シブロクにしろ。」
「なんでそんなに!―――ニッパチよ。あんた2、私が8。これ以上は絶対にあげない!」
「このカネゴンめ!」
「誰がカネゴンかーーーーッ!!!」
またいつもの言い合いが始まった。内容は極めて低レベルだが。
そういうことは当選してから揉めたら?というウソップの至極もっともな意見は二人の耳を素通りしていった。
お互い、目には見えないが口から火炎放射を出しながら言い合うので、近くで見てるとものすごい迫力。
自由に動ける身であったなら、すぐさま部屋から出て行きたいところだ。
しかし、今の己の身ではそれも敵わず。
ウソップは自分のケガの心配をしながら、火の粉が飛んでこないことをひたすら祈るしかなかった。
その後、この賞金の分け前に関する争いは、意外にあっさりと解決した。
ナミの原稿が、落選したからだ。
FIN
<あとがき或いは言い訳>
カウンタ4000のリクエスト小説でした。
4000を踏んでくださったのはMOMOさんvvv
いただいたお題は「ゾロナミでちょっとウソップからんで欲しい!」でした。
「ウソップは絡んでるけど、これのどこがゾロナミなの?」という耳の痛いツッコミをありがとうございます!ほら、ナミがゾロの額に手を当てるところとか、ゾロナミじゃない?え?全然違う?ケンカするほど仲がいいって言うしね・・・(段々とフェードアウト)
MOMOさん、こんなものになってしまって大変申し訳なく思っています。お題を貰った時に、真っ先に浮かんだネタでありまして、自分的には思い入れがあるんですが・・・。ごめんなさい。もちろん返品可でございます〜。また、長らくお待たせしましたことにも、重ねてお詫び申し上げますm(__)m。