カチャン、というフォークとお皿がぶつかる音で、我に返った。
見ると、私の向かいに座るルフィが、夕食に出た自分の分の肉を、私のお皿の上に置いているところだった。
「ルフィ?何してるの?」
何よりも好きな肉でしょう?
「おう、今のお前にはこれが必要だ。これ食えば元気になるぞ。」
その言葉に、私は咄嗟に、今は誰も座っていない隣りの席を見た。
すずらん
小さな島。小さな港町。市場も小さく、お店の数も少ない。
その日、私はゾロを誘って、一緒に散歩に出かけた。
そして、市場の往来で突然声を掛けられたのだ。
「あの、すみません…。」
背後からの、そのおずおずとしたような問い掛けに、私もゾロも驚いて振り向く。
そこには、ほっそりとした、かわいらしい女性が、少しはにかんだような表情をして、立っていた。
年の頃は私より2、3上といった感じ。栗毛色のやわらかそうな長い髪が、その形のいい顔の輪郭を縁取っていた。
私はもちろん初めて会う人だった。でも、ゾロは違った。
彼女を見た途端に目を見開いたから。
「お久しぶりですね。」
という彼女の言葉に、ゾロは、ああ、と答えた。
私は少し驚いて、ゾロの方を見た。
ゾロは私チラッと目を向けて、少しバツの悪そうな表情。
どうも、私はまずい場面に居合わせているらしい。
すぐにそう気づいたので、言った。
「先に行くわね。」
ゾロは私から少し顔を逸らしたまま。返事はなかった。
それを肯定の意と解釈して、私がその場を立ち去ろうとすると、
「あの、よろしければ、家に寄ってくださいな。あの、あなたもご一緒に。」
と言って、その女性は、私を呼び止めた。
再度、ゾロの方に目を見やるが、ゾロ自身が彼女の言葉に驚いているような様子。
それで、私には来てほしくないんだなと悟った。
「いえ、まだ用がありますので。」
適当な嘘。でもこれで充分だ。
「夕メシの時間には戻る。」
立ち去る私の背後から、ゾロの声が掛かった。
でも、ゾロは、夕食の時間までに戻って来なかった。
***
いつも私の隣りに座るゾロの席は、今は空席。
隣りの席を見たのは時間にすれば一瞬だったと思う。
再び視線を前に戻して、ルフィに分けてもらった肉をまじまじと見つめる。
ルフィが私に肉を分け与えるなんて、はっきり言って信じられないことだ。
ルフィにとって肉は元気の元。それを与えようとするということは、それくらい、私は消沈した顔をしていたということか。
周りを見回すと、サンジくんもウソップも少し心配そうに私を見つめている。
溜息が出た。
「ありがとう、ルフィ。」
私はその好意を素直に受け取ることにし、その肉を半分に切り分けた。その半分をさらに一口サイズに切り分け、口に運んだ。
「美味しいv」
この時の私の表情は本当に和らいでいたんだと思う。
ルフィが私の顔を見て、シシシと笑ったから。
その後、ルフィはやっぱり返してくれと言って、大きい方の肉の塊にフォークを突き刺して、一口で頬張った。
私は大笑いした。
***
夜の帳が下りても、ゾロは戻ってこなかった。
誰も何も言わなかったが、ゾロは町で泊まってくるのだろうと思っていた。
もちろん、私もそう思っていた。
ゾロはお金を持っていなかったけど、お金が無くても泊まるところが彼にはある―――つまり、彼女の家に。
夕食の後、シャワーを浴びると、私は自分の部屋に戻って地図を描き始めた。
とにかく、余計なことを考えないようにするのに必死だった。
私は地図を描くと、心が落ち着くのだ。
ものすごく集中してしまうので、周りのことは目に入らなくなるし、音も耳に入ってこない。
ましてや雑念なんて入る隙間もない。
作業は下書きが済んで、今度はペン入れをしていく段階だった。
ハッキリ言って、地図の作成作業の中で一番楽しい部分だ。
下書きに沿って、ペンで描線を描くだけなのに、それだけのことなのに、もう何度失敗したか?
ペン先にインクをつけ過ぎて、線の途中で滲みを作ってしまったり、曲線定規を当てているのに、描線が下書きからずれたり。散々だ。
その度にホワイトを塗ったり、カッターで紙を削ったり。もうボロボロ。
情けないこの出来に、私は目を閉じた。
今日はダメだった。地図に集中しようとしてもできない。
余計なことを考えてしまう。
彼女はゾロにとってどういう人なのだろう。かつての恋人だろうか?
(別になんでもいいんだけど)
今ごろゾロは何をしているのだろう。
(何してたって、私の知ったことじゃない)
瞼の裏には、昼間のゾロと彼女の姿が浮かぶ。
ゾロは、彼女と連れ立って、町を歩いたのだろうか。
そして彼女の家に行って。
食事をして、話をして、それから―――抱き合って?
一瞬浮かんだ頭の中の映像に、ビックリして、目を開ける。
そうなっていても、全然不思議じゃない。
そうなっていても、私には関係無い。
そうなっていても、私にはどうでもいいことなんだけど、
でも、こんなに苦しい思いをするくらいなら、
―――あの時、無理矢理ついて行けばよかった!
地図の上にポタリと水滴が落ち、インクがにじんだ。
その時、かすかに船の胴体に掛かっている縄梯子が軋んだ音が聞こえた。
瞬間的にゾロが帰ってきた、と思った。
それで、私は部屋の階段を駆け上がった。
***
頭上には、煌々と月が輝いていた。
夜のしじまの中、それ以外に見える明かりは星ばかり。
私が甲板に辿り着いたら、丁度ゾロも縄梯子を上り終えたところだった。
その姿を見ただけで、なんともいえない気持ちになった。
うれしくて仕方が無かった。
ゾロは私がその場にいるのに気づいて、ぎょっとした顔をした。
「おかえり。」
「なんだ?出迎えか?」
「まままさか!たまたま通りがかっただけよ!」
私は頭をぶんぶん振って、否定した。
でも、息咳き切っていたし、左手にはペンを握り締めたままで、全然説得力は無かったけど。
慌ててここまで来たものの、すぐに私達の間は沈黙で埋まった。
ゾロはまず遅くなったことを私に詫びて、私も了承した。
そしたら、会話が途切れてしまったのだ。
“今まで、どこで何してたの”というのは、気軽に訊けるようなことではなかった。少なくとも私にとっては。
壁にもたれて、並んで立ってはいるものの、互いに顔を逸らしている。
でも、その場から立ち去ることもできなかった。
やがて、ゾロはスボンのポケットに手を突っ込んで、モゾモゾと何かを取り出し、私に差し出した。
それは、小さな花だった。
一輪のスズランの花。
でも、幹はポッキリと折れている。
「縄梯子を上る時に、ポケットに突っ込んだら、こんなになっちまった。」
私は、ゾロの顔を見上げた。
ぶっきらぼうに言ってはいるけれど、それなりに照れた表情。すぐに私から顔を逸らした。
半ば呆然としながらも、私はその花を受け取った。
ゾロと花。お互い一番かけ離れているような存在という気がする。
そもそも、ゾロがこの花をどうやって手に入れたのか?
花屋さんに行って、これ、一本ください、と?
それとも道端で咲いていて、わぁキレイだ、摘んでいこう、と?
そんなはずがない。ということは。
「・・・・これって、彼女が?」
「明日、結婚するんだとさ。」
「は?」
「あの人は、俺が1年ほど前に、3ヶ月ほど世話になった道場の息子の恋人だった。」
唐突に話が始まった。私は黙って頷いて、話の先を促した。
「俺はその男と、彼女を争った。」
「ええっ?!」
「と、いうことになっている。」
ガクッ。
思わず身体が前のめりになる。なんなのだ、一体。心底驚いたというのに。
「“ということになっている”っていうのはどういうことなの?」
ゾロの話によると、そのうち彼女の方が、ゾロに思いを寄せるようになってしまったのだという。
当然のことながら、それを快く思わない男が、ゾロに剣での勝負を申し込んできた。
男がゾロに勝てたら、彼女は男のもとに戻る、そういう条件だった(ゾロが勝った場合の条件は無かったらしい)。しかし、体裁としては彼女を巡る争い。
「それで?どっちが勝ったの?」
「俺が勝った。」
「なんで?なんでゾロは負けてあげなかったの?」
だって、ゾロが勝っても何の意味もない。
ゾロが彼女を思っていたのならともかく。
恋人同志が元の鞘に戻る、ただそれだけのための決闘だったのだから。
しかし、この質問にゾロは少し痛そうに顔をしかめた。
「・・・・今の俺なら、多少はそういう判断もできるかもしれない。或いは勝負を受けなかったかもしれない。でも、その頃の俺には無理だった。勝負を挑まれたら、受ける。そして勝つ。それしか考えていなかった。それに手加減することは相手に対して失礼だと思った。」
ゾロらしい答えだった。言うまでもなく彼の目的は世界最強。そのために放浪に出たのだから。
「勝負には勝ったものの、もうそこには居られないと思った。だから出て行った。でも、あの後二人がどうなったのか、気にはなっていた。」
勝手に惚れられたのだから、ゾロには罪はない。
けれど、勝負に勝ってしまったことで、二人は別れることになっていたら。
それには責任を感じてしまう。
「昨日、彼女と再会したとき、そのことを確認したかったのね。」
「そうだ。まさか、この島に移り住んでいるとは思わなかったが。」
「それで、どうだったの?」
「だから、明日が結婚式なんだそうだ。あの二人の。」
ああ、そこに話が戻るのね。
「二人、別れてなかったんだ。」
「ああ。」
「安心した?」
「ああ、安心した。」
ゾロはわずかに口の端を上げて、壁に沿って背を滑らせてゾロはその場にしゃがみこみ、胡座をかいた。
本当に安堵しているのが、その声音から、表情から伝わってきた。
私もその場に腰をおろし、ゾロの隣りに座り、その横顔を見つめた。
私も安堵していた。よかった、ゾロと彼女の関係がなんでもなくて―――
「家に行ったら、相手の男がいて、しばらく昔話に花を咲かせた。あと、明日の披露パーティーとかの準備も手伝わされた。だからこんなに遅くなったんだ。」
ゾロが顔をこちらに向けて、私を気遣う風に言ってくれているのがわかる。
私は、ふと、手に持つスズランの花に目を向けた。
「これは・・・。」
「結婚式の時に女の方がよく花束を持つだろう。」
「ブライダルブーケのことね。」
「そう、それ。今日、彼女はそれを作っていたんだ。それの余りだ、その花は。」
さも、余りものがあったから、たまたま持ち帰ってきた、というような口ぶり。
それでも、普通ならゾロは花になんて見向きもしないはず。
これを持って帰ってきてくれたのは、私のため?
そう思っていいのだろうか?
真っ白の小さく可憐な花を、いくつもつけているスズラン。
その花言葉は「純潔」。
花嫁にふさわしい。
ブーケはどんなに素晴らしいものとなったのだろう。
「式は明日の11時からだそうだ。俺は来るよう誘われたが・・・お前も行くか?」
私の答えはもちろんYESだった。
だって、私が貰ったこのスズランの仲間たちを、ぜひ見てみたいから。
翌日は、二人きり・・・・で行くつもりだったが、思い直して、他のみんなも誘って行った。
結婚式は、大勢でお祝いした方がいいものね。
FIN
<あとがき或いは言い訳>
このゾロとナミ、SS「約束の時間」くらいの仲の良さ。まだグランドラインに入る前ということで、チョパもいません。
6月なので、ジューンブライドを意識してみました。すずらんの花言葉には、純潔以外にも「幸福が訪れる」というのがあるそうです。
私が参加している美人スキー同盟さん主催の初イベント、『美人祭』への投稿作品です。もともとは裏がメインのお祭りだったのですが、表作品でも良いとのご配慮もありまして、投稿させていただくことにしました。
美人スキー同盟の主催者のお一人である森アキラさんが、このSSのカットを描いてくださいました。今まではFEINT−21様の裏サイトでのみ掲載されてましたが、このほど頂いて参りました。オモテでは初公開となります!!宝物庫から飛べますが、ここからもGO!→●