袖摺り合うも他生の縁  −5−

                               四条



海賊男の背後から襟首を掴み、首元に刀の刃を押し当てながら自分の前に盾のように立たせて歩く。
ここまでは人質の効果は絶大で、一味の者どもが遠巻きに私達を囲みつつ、潮が割れるように道を開けていく。
メインマストの下までやってきた。そこには騒ぎを聞きつけた一味がズラリと並ぶ。
私は声高にもう一度要求を口にする。

「船長のところに連れて行きなさい!さもなくば、この男を刺しま――」

最後まで言い終えることができなかった。
なぜなら、ドンと銃声音が轟き、人質にとった男の額を打ち抜いたからだ。
私が支えていた男の身体から一気に力が抜け、そのまま甲板の上にごとりとくず折れた。
そのまま、男はピクリとも動かなくなった。
私は、どうすることもできなかった。ただ呆然と事態を眺めるしかなかった。

(あ・・・・)

遅れてわなわなと震え始めた自分の手を見つめる。
一瞬で手の中から命が零れ落ちていった。
一瞬で一人の人間がこの世から消えた。
たった一発の銃によって。
静かに顔を上げるとその銃が、今、私に向けられている。
形勢、逆転。



***



望み通り海賊のボスと引き合わされたのはよかったが、状況としては好ましくないことこの上ない。
後ろ手に縛られて、船長室に押し込められたのだから。

「海軍女はいくらぐらいで売れるかなぁ?」

舌なめずりしながら、船長と呼ばれた男が近づいてくる。
これで船長なのかと問いたくなるような男。図体は大きいものの背が低く、顔はひしゃげたガマガエルのよう。
男が私の顎を掴み、ぐいと持ち上げられる。離れてても分かる口臭に顔をしかめる。

「なかなかカワイイ面してるじゃねぇか。身体の方はどうかな・・・?どれ、売る前に俺がひとつ値踏みをしてやろうじゃないか。さぁ、痛い目見たくなかったら、大人しくするこった!」

そう叫んで男が踊りかかってきた。圧倒的な質量のある体躯でぶつかってこられたので、どすることもできず押し倒された。
ガンとしたたかに後頭部を床に打ち付けた。軽く眩暈がしたが、重い身体に乗られて床に縫いとめられる。手首を縛られた不自由な身体を海老のように反らせて抵抗するも、力の差は歴然。悲しいくらいビクともしない。目を開けると、眼前に醜い男の顔が迫っている。必死で頭を振ってそれを避けた。

「抵抗したって無駄だ。女はな、どうしたって男の力には敵わねぇのさ!」

男は私を哀れみの目で見つめながら嘲笑う。
しかし、そんな男を私は内心で嗤う。
そうやって女をバカにして油断しているがいい。
今に目に物見せてくれる。
もうすぐ、あの少女の知らせを受けた海軍の仲間達が助けにくるに違いない。
仲間が来さえすれば、海賊一味は一網打尽だ。せいぜい今は強気でいればいい。
そうやってなんとか己を奮い立たせた。

「なんだその目は?何か希望を抱いているようだが無駄だ。ああ、あの小娘が海軍を連れてきてくれるとでも思ってんのか?本気で信じてんのか?たいそうなお笑いだ。教えてやろう、あいつはな、海賊専門の泥棒だ!海軍なんかに寄り付きゃしないさ。ああ、寄り付くワケがねぇ!自分からとっつかまりに行くようなもんだしな!」

そう言われて、頭を殴られたような気がした。
と同時に目が覚めた。
そうだった。彼女は泥棒なのだ。
当然、公権力を嫌う。近寄るわけがない。
それなのに、どうしてそんな女を易々と信じたりしたのだろう。
信じるに足るものなど、何もありはしないのに。

心の拠り所としていたものが失われ、途端に全身から力が抜け落ちるのが分かった。
今まで気力だけで己の保っていたのだと初めて自覚する。
気持ちが挫けたのを敏感に感じ取り、男が舌なめずりして私の首筋に吸い付いてきた。
おぞましくて吐き気がする。悔しくて歯を食いしばる。
このまま、この男のいいなりになってしまうのだろうか。
女の子達を助けるどころか、自分の身も守れずに。
なんという不甲斐なさ。
私は何もできない。
何も守れない。

―――正義感もけっこうだけど、ちょっとは冷静になったら?

本当にその通りだわ。
正義感だけでは何もできない。
実力が伴わなくては。
私はこんなにも未熟で浅はかで。

けれど―――彼女は私だって助けようとしてくれた。
陸上で私が襲われた時、突然私の目の前に現れて。
周囲の人々は見て見ぬふりで、海軍の私ですらひるむような場面なのに、自ら飛び込んできた。
大切なお宝を敵にぶつけてまで、私を助けようとしてくれた。
私を救う義理など何もなかったのに。
あの時の彼女に勝つ算段があったとはとても思えない。
きっと、考えるよりも先に身体が勝手に動いたのだろう。
彼女も未熟で浅はかで。
正義感だけでの行動だった。


そんな彼女の良心を、正義を、今は信じたい。

仲間はきっと助けに来てくれる。

なぜなら、あの少女が知らせてくれるから。

ならば今、この時さえ切り抜けられれば―――


私は渾身の頭突きを男にお見舞いした。
私の脳も揺れたが、相手も相当なものだろう。
男の額が割れて血が流れ始めた。痛みと自分の血を見て男が怯んだ隙を突いて、私は巨体の下から転がりながら逃れた。そのままの勢いでドアを蹴る。二度、三度の蹴りでドアを蹴破ることができた。
部屋から甲板へ駆け出した時、どーんという鈍い音ともに船体が大きく揺れた。
海を見やると、海軍船が一隻迫ってきていた。
ああ、彼女は知らせてくれた、知らせてくれたんだ!

「海軍だーーー!海軍が来たぞーーー!」

私は大声を張り上げた。
それだけで船内が面白いほどにパニックに陥り始めた。
そうこうするうちに海軍船はピタリと海賊船の横に張り付き、次々に海兵が乗り移ってきた。
白兵戦が始まる。しかし既に海賊達の統率は崩壊しており、戦闘員達が船上を蜘蛛の子を散らしたかのように右往左往し始めた。いかだに乗り込む者、闇雲に海に飛び込む者。さて、どこまで追い込むべきかと考える。深追いしても仕方がない。

水平線が夕闇に包まれる頃には、海賊船は海軍によって完全に制圧された。
不意にトントンと肩を叩かれて振り返る。
オレンジの髪の少女が立っていた。

「あなた・・・・逃げたんじゃ・・・・なかったの?」

てっきり海軍に通報だけして、姿をくらませるものだと思っていた。まさか戻ってくるなんて。

「もしかして、私を助けるために戻ってきてくれたの?」

なんという優しい少女だろう。
自分の危険を省みず、私のために・・・・。
感極まって、私は彼女を抱きしめた。
すると、ポンポンと彼女は私の背を叩いて身体を離し、私の顔を覗き見る。

「感動してるところ申し訳ないんだけど、別に私はおねーさんを助けに来たわけじゃないのよ。」
「は?」
「だって、おねーさんのことは心強い海軍さん達が、どうせ助けてくれるでしょ?」
「じゃあ、どうして・・・・」

戻ってきたの?
心の中で問うと、少女はにやりと笑って、

「そんなの、決まってるじゃない。」

そう言って、クルリと背中のリュックを自慢げに見せる。
そのリュックは、こんもりと膨らんでいた。
まさか。

「海賊船に乗り込んで、しかもこんな怖い目に遭って、おめおめと手ブラで帰れるわけないでしょ?」

少女は片目をつむり、あっけらかんと言い放つ。
参った。
この娘、筋金入りの泥棒だわ。
呆れる私を尻目に、探索中にお宝は発見してたの、みすみす見逃すわけにいかないじゃない?当然の戦利品よねーvなんて言っている。

「やめなさい!私の目の前でそんなマネ、許さないわよ!!」

私は少女の腕を掴む。易々と腕を捕らえられても、彼女はただ余裕の笑みを浮かべている。

「私を捕まえるより、檻の中の娘さん達を解放してあげる方が先決なんじゃない?海軍の号砲で、きっと彼女達、震え上がってるわよ。」
「もちろん、彼女達は速やかに救出します。でも、あなたも逃がしはしないわ。」
「危ない、おねーさん、伏せて!!」

少女が急に叫んで身を屈めたので、私も咄嗟に同じように屈んだ。
何?まさか、賊が?
仲間達が救援に来てくれたことで油断が生じてしまっていた。
恐る恐る振り返ると、何もなかった。誰もいなかった。
少し呆気に取られものの、すぐに顔を元に戻したら、もうそこには少女の姿はいなかった。

(しまった!)

舌打ちして海を見下ろすと、少女は小船に乗って舫い(もやい)を解いていた。
私が見ていることに気づくと、ニッコリ微笑み片手を上げて大きく一振りし、

「じゃあーねー、おねーさん!いろいろお世話になりました♪」
「こらーー!待ちなさい!!」

もちろん、彼女が聞く耳を持つはずがない。
小船は漕ぐ力よりも早くまるで潮に導かれるかのように、スルスルと沖へと流されていく。
残された私にできることといえば、ただ呆然と見送ることだけ。

「たしぎ軍曹?ご無事で何よりです。」

そう声をかけられて、我に返る。
いつの間にか海兵が二人、私のそばに立っていた。
コホンと一つ咳払いし、彼らに向き直った。

「船底に約10名の女性が閉じ込められています。すぐに救出に向かってください。」
「「はっ!」」

二人が同時に敬礼する。
そして、そのうちの一人が少女の小船を指差して言った。

「あの船はいかがいたしましょうか。不審船と思えますが。拿捕しますか。」
「・・・・・。」
「たしぎ軍曹?」
「放っておきなさい。」
「は?」

私はふぅと溜息をつき、一息に言った。

「あれはただの通りすがりです。」

私の答えに彼らは一瞬ぽかんとし、次にちょっと当惑したように二人して顔を見合わせている。
そんな彼らを横目に、私はもう一度水平線の向こうに小さくなる小船を見やった。
なぜだか頬がゆるむのを止められなかった。




FIN


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<あとがき或いは言い訳>
結局ナミの名前が出てこなかった(汗)。名前は出てきてないですが、オレンジ色の髪の少女はナミなんですー(でもそういや、たしぎの名前が出たのだって最後の最後だな^^;)。

設定としては麦わら一味結成前、ナミが海賊専門の泥棒の頃の話です。原作では今もってこの二人は接近遭遇してませんが、もし昔に出会ってたら・・・・と妄想してみました(笑)。

ネタを仕込んだのはけっこう古いのに、なかなか書き出せず。ずーっと先送りにされてきました。しかし、「このネタは絶対にナミ誕の時にしか書けない!」と思い、今年はチャレンジしてみました。

最後になりましたが、ナミさん誕生日おめでとう!あなたの笑顔を再び見る日が早く訪れますように^^。