彼からの贈り物〜ゾロVer.〜




智弥 様


 自分の部屋で荷造りをしているだろう彼女へと声をかけるため、俺は彼女の部屋を覗きこんだ。
「おい、終わったか・・・、って、何してる」
「ん、これ見てる」
 部屋の入口から顔を覗かせた俺に、彼女は微笑んで手にしているものを見せる。俺はそれに見当がつきひとつ頷くと、彼女に近づき手元を覗き込む。
「懐かしいっちゃあ、懐かしいよな」
「うん、もう五年になるのよね」
「そうだな」
 なんとなく感慨深くなって、二人で写真を見つめてしまった。そういえば、これを撮ったのは俺だったな。

 写真に写ってるのは、笑顔の彼女と、一頭の茶色い中型犬―――





 その犬と出会ったのは、俺が大学三年の時だった。
 川沿いの道をランニングしていると、後ろから何やらついて来る足音がしているのに気づき振り返ると、足元にはどう見ても雑種の犬がいた。しかも、リード付き。これは散歩途中に、なんらかの理由により手からリードが離れてしまったんだな、と考えた。
 何やら期待した感のある黒い眸としばらく見つめ合ってから、俺はリードを手にした。すると、犬は眸を輝かせて勢いよく歩きだした。しかたがないので俺は一緒に歩きだす。
 住宅街に入ると、後ろから女の声が聞こえてきた。どうやら誰かの名前らしい。それと同時に、犬が足を止め振り返る。その尻尾はブンブンと振られていた。
 ああ、飼い主が捜しに来たのか。俺はそう思って、犬と同じように振り返った。
 視線の先にいたのは、軽く息を弾ませてこちらを見つめている俺と同年代くらいの女の姿。その姿に、ああ、よっぽど心配して犬を捜して走り回っていたんだな、と思った。
 だから、次にとった女の行動に、俺は目を瞠った。
 彼女はいきなり俺の目の前で、犬の頭に拳を振り下ろしたのだ。ギャンッと鳴いて、犬は尻尾を後ろ脚の間に挟みながら俺の後ろに隠れる。呆気にとられて、俺は彼女を見つめてしまった。
 彼女はひとしきり犬に説教をかますと、いまさらながらに気まずそうに、俺に礼を言ってきた。
 それが存外におかしかったから、俺は悪いとは思いつつ笑わせてもらった。俺につられたのか、彼女も一緒に屈託なく笑っていた。
 彼女との付き合いは、それからだった。
 当時大学三年生だった俺と短大二年生だった彼女は、夕方や休日に犬の散歩という名のデートを重ねた。時にはちゃんとしたデートもしたが、悪友曰く『朴念仁』の俺が落ち着けるのは何気ない散歩デートだった。犬のほうも、彼女と違って全力で遊んでやる俺に懐きまくってたしな。
 散歩デートと言ったって、たいしたものじゃない。それこそ本当に、ただの『犬の散歩』だ。
 ランニングする俺がリードを持ち、それに合わせて彼女が自転車に乗って並走したり、真夏の夕方に長い時間散歩して犬が俺たちより先にへばったり、犬が暑さに負けて近くの田んぼの用水路に飛び込み泥だらけになった体でタックルをかましてきたり、川に入ったときに石を投げるとそれを追いかけて深みにはまって焦りまくっていたり、彼女の自宅の風呂場で体を洗ってやれば嫌がってカエルが潰れたような格好で這いつくばって逃げ出そうとしてみたり、車で遠出してリードを外してやると鉄砲玉のように飛び出して行ってなかなか戻って来なかったり、それにしびれを切らして車を発進させると必死の体で追いかけてきたり。ときにはリードを外しての散歩で、犬が先に行き過ぎたときはわざと立ち止まったりしゃがみ込んだりすると、慌てたように取って返してきては早く行こうとばかりにじゃれついてきたりもした。
 そんな散歩の中で、犬がたいそうなおバカで、そのわりには学習能力はちゃんとある、というなんとも愛嬌の奴だということを知っていった。それと同時に、彼女のことも――。
 そういえばいつだったか、例の脱走癖で自宅の庭先からいつのまにか姿をくらまし、三日ほど行方不明になってたこともあったな。その間、夜に飯を出しておくといつのまにかキレイに平らげていたらしいから、戻ってくるには戻ってきていたらしい。
 行方不明になっている間、彼女と俺は夕方になると二人で捜しまわった。なかなか見つからなくて、彼女はそのたびに不安を隠しながら、わざと怒ってみせていた。
 そして三日目の朝に、いつものように飯を食いに戻ってきた犬に声をかけると、しおしおと歩み寄ってきたらしい。俺が彼女から、犬が帰ってきたと連絡をもらい急いで訪ねてみると、そこには家族に囲まれて、のんきに飯を食ってる小汚い野良犬然としたそいつがいた。つけていた首輪もリードも失くし、どこをどうウロついていたのか、その三日間は晴れていたはずなのに体は泥にまみれていた。
 人の顔を見た途端、嬉しそうに尻尾を振ってくるのんきなその姿に、心配かけさせやがってと無性に腹が立って、俺はその体をむんずと押さえ付け抱え込むと、彼女の自宅の風呂場をめざし、問答無用とばかりに逃げようとするその体を押さえ込み、ガシガシと遠慮会釈もなく洗ってやった。
 俺が怒っているとわかったのか、それからしばらくは人の顔を見ると、耳と尻尾を情けなく下げて擦り寄って来たりもした。
 ああ、そういえばそのすぐ後に、彼女とあいつを撮ってやったんだっけな。無事に帰ってきた記念にって。
 そんな風にして、俺と彼女と飼い犬との二年という月日は過ぎていった。その二年の間に、彼女はひと足先に社会人になり、俺も無事に大学を卒業して就職し、休日が合ったときには仕事の息抜きを兼ねた散歩デートを重ねていった。
 少しずつ、散歩の距離が短くなっていくことに気づいてはいた。犬の足取りも、しっかりした軽やかなものから、年寄りのようなヨタヨタとしたものになっていったことも。そして、見た目さえもすっきりとした姿だったのが、だんだんと首周りの肉付きがふっくらとしてきて、毛色は色褪せてきて、目も眠そうで。冬の日にひなたぼっこする姿はまるで、ぬいぐるみのようだった。そのことに彼女も気づいていたが、俺はあえてそれには触れなかった。第三者から指摘されることほど、辛いものはないだろうから。

 そして、雪の降る二月のあの日。
 犬の様子がおかしいからと、ちょうど休みだった俺に電話がきて、動物病院に付き合うことになった。さすがに中型犬とはいえ重さはかなりのもので、女の力じゃ連れて行くのは無理だったからだ。
 ひとまず動物病院に犬をあずけ、俺たちは帰ってきた。獣医の軽い言葉にすぐに良くなるものだと信じて、俺は不安がる彼女を励ました。そして俺も楽観的に考えていた。あの食い意地がはったあいつに限って、まさかの事態はないだろうと。そう思っていた。
 その日の夜にかかってきた、あの電話があるまでは。
 その電話があった時、俺は嫌な予感がした。電話に出ると、彼女の茫然とした声が聞こえてきた。俺は車の鍵を引っつかむとすぐに彼女の家に向かった。いまにも泣きそうな彼女の手をとり、そして二人で犬を迎えに行った。
 老衰に加え、寒さによる低体温。それが原因だったらしい。
 獣医の話では、ケージの中でぐったりとしていた犬は、夕方に一度立ち上がったという。だから獣医も大丈夫だと油断していたらしく、しばらくしてから診た時にはすでに亡くなっていたという。
 診察台に横たわる犬を見て、獣医の「立ち上がったのは、家に帰ろうとしたんだろう」という台詞を聞いた瞬間、彼女は泣き出してしまった。それからはもう、ただ犬の体を抱きしめて、彼女は車の中で泣いていた。
 その後のことは全部、俺がした。彼女の頭にはもう犬のことしかなかったし、これ以上他のことで煩わせたくはなかったから。
 だから診察代を支払うのも、家族に連絡するのも、彼女たちを家に連れて帰ったのも、家族が帰ってくるまでの間、彼女たちに付き添ったのも、全部引き受けた。
 俺は少しでも慰めようと声をかける。が、出てくるのは慰めからは程遠いものだった。
「食い意地のはった、こいつらしいよな。飯をしっかり食ってから死んだあたりは」
「・・・ぅん」
「うちに帰ろうとしたんだな・・・。あんだけ脱走しまくってたのにな」
「ん・・・」
「まだ、こんなにあったかいのにな・・・」
「・・・ぅん」
「老衰だとよ。十四年生きたんだ、犬にしちゃあ、長生きしたほうだな」
「・・・でも、やっぱり、もっと・・・、長生き、して、ほしかったの・・・!」
「ああ、わかってる」
 ただ事実だけしか言えない自分が、この時ほど恨めしいと思ったことはなかった。だから、彼女や犬を撫でる手に想いを込める。だんだん冷たく固くなる体に縋りつき、ただ涙を流し続けて俺の言葉に頷くことしかできないでいる彼女が、心置きなく泣けるように願って。
 それからしばらくは立ち直れないでいる彼女に、俺は時間を割いては傍にいるようにした。あいつの替わりにはなれないが、話しをして気を紛らわせるくらいの相手にはなれるからな。
 哀しみを堪えて仕事を終え、会社帰りに震える声で俺に電話をしてくる彼女が落ち着くまではと、何時間も付き合ったことも何度もあった。それについては、彼女の家族は何も言ってはこなかった。
 だからこのさい、俺自身の疲れは後にまわすことにした。そんなことくらいで彼女の気がすむのなら安いもんだったし、どんな理由があるにせよ、彼女との時間が一番精神的にも肉体的にも休まる時間だったからだ。
 なんでここまでペットのために泣けるのかとも思うが、わずかな時間しか接することのなかった俺でさえ、どこかポッカリと穴が開いたような気がしていた。そう思えば、彼女の気持ちもわかるような気がした。

 そして二ヶ月ほど経ったある日、なぜか俺はあいつの夢を見た。
 三日間の脱走のすえ、首輪もリードも失くして戻ってきたあいつにと、二人で選んで新しく買ってやった赤い首輪をしたあいつが、出会った時のように川沿いの道に佇む俺の足元にいた。
 あいつはじっと俺を見つめ、ただひと声、ワンッとだけ鳴いた。
「・・・ああ、わかってる」
 俺はそれに頷いて、犬の頭を撫でてやった。それに嬉しそうに尻尾を振ると、あいつはくるりと向きをかえ、どこかを目指して走っていった。その方向は彼女の家があるほうだったから、最期に会いに行ったんだと思った。
 だから俺は、その姿が見えなくなるまでその場から動けなかった。
 だから、彼女の夢の話を聞いて、少なからず驚いた。
 彼女が語った夢の話は、まるで俺が見た夢の続きのようで、俺は彼女に気づかれないように苦笑した。
 それに、誰にも話してないと言う。誰にも、ということは、家族にさえも話していない夢のことを、なぜ俺にだけ話すのか気になり軽く問いかけてみる。
「俺には、いいのか?」
「あんたはいいのよ」
「そりゃあ光栄だがな、なんでだ?」
「ん〜・・・、ヒ・ミ・ツ」
 案の定、彼女は謎めいた微笑を浮かべ言葉を濁す。俺はなんとなくその理由に気づき、彼女の口から直接聞いてみたい気もしたが、それ以上は野暮になるかと思い直し、さも諦めたかのように肩を竦めて部屋を見回した。
「まあ、いいがな。それよりも、荷物積み込むぞ」
「あ、うん。お願いね」
 彼女の言葉に俺は頷くと、荷造りが出来上がっている箱から運ぼうと手をかける。彼女も荷造りを再開する。
「あ、ねぇ」
「なんだ?」
 何かを思いついたかのように声をかけてくる彼女に、俺は荷物を運ぶ手をいったん休め振り返った。
 彼女は穏やかな、だが、どこか懐かしむかのような微笑みを湛えて、俺を見つめていた。
 だから、彼女が何を言おうとしているのか、わかってしまった。
「もし出来たらね、犬を飼いましょう。あの子みたいな雑種でおバカな子」
 ああ、やはりな。自分の推測が当たり、俺は微かに笑ってみせた。
「ああ、そりゃいいな。だが、当分はアパート暮らしだぞ」
「うん、出来たらでいいの。だから、いつか、ね?」
 俺が同意したことが嬉しかったのか彼女は微笑み、頬からあごのラインに指をそえて小首を傾げながらそう言ってきた。俺は笑顔で頷いてみせる。
「んじゃ、それを目標にがんばりますか」
「うん」
 俺の言葉に、彼女は笑顔で頷いた。
「あ、ゾロ」
 荷物を持って部屋を出かけた俺を、彼女は再度呼び止めた。なんだと言わんばかりに俺は顔だけを向ける。そこには、めったに見せることのないとびっきりの笑顔を浮かべた彼女がいた。
「ゾロ、愛してる」
「はっ・・・!?」
 彼女の笑顔に不覚にも見惚れていた俺は、一瞬何を言われたのかわからなかったが、それこそめったに言われないことを言われたのだと理解した瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。
 だが、やられっぱなしは性に合わない。俺は平静を装ってニヤリと笑ってみせる。
「俺も愛してるぜ、ナミ」
 俺もめったに言わないことを言って、足早に部屋を出た。珍しく俺かららしくないことを言われて驚いたのか、彼女はポカンと俺を見送っていたようだった。それはそれで目論みが当たったからいいのだが、やはり慣れないことはするもんじゃないな。いまさらながらに、顔が熱い。
 ――できれば、俺が朱くなっていることに気づきませんように。
 だが、目敏い彼女のことだから、すでに気づいていて笑っているかもしれない。というか、確実に笑われているに違いない。
 だが、彼女が相手でなければ、こんな他愛ないやり取りでも幸せな気分になることはないんだろうとも思う。
 俺は車に荷物を積み込みながら、思い出の中のあいつに話しかける。
「おまえがいなきゃ、会うこともなかったんだろうな、きっと。悪いな、俺みたいなのと結婚することになっちまって。おまえが、最後に俺に託したようになったと思うが、喜んでくれるか?」
 それこそ、全身を揺らすくらいに激しく尻尾を振って、喜びを表して――。
 付き合い始めてから、早六年。あいつがいなくなっても、俺が異動になって遠距離恋愛になっても付き合いは続いた。
 異動になった当初は、俺と彼女の接点は彼女の飼い犬だけだったし、俺と付き合い続けることであいつを思い出して辛くなるのなら、彼女がそうと望むのなら、俺はこのまま自然消滅してもしかたないとさえ思っていた。
 しかし、彼女は異動先の俺のアパートにやって来たのだ。
「あの子はいなくなってしまったけど、私とのことまでなかったことにするつもり?」
 俺を見つめそう言い切った彼女の、どこか挑むような眼差しに見つめられた瞬間、俺は彼女に完全に堕ちた。
 それからは、まめに連絡を取るように心がけた。学生時代の悪友からのアドバイスがあったから、ともいうが。その悪友曰く、
『とにかく、連絡は欠かすんじゃねぇ。メールでも電話でもなんでもいい、彼女に淋しい思いだけはさせんな。んで、出来れば会いに行ってやれ、めんどくさがるんじゃねぇぞ。それが遠恋を続ける秘訣だ』
だそうだ。だからってわけじゃないが、珍しく俺はそのアドバイスに素直に従った。
『おはよう』のメールから始まり、それこそどうでもいいような他愛ないものまで、最低一日に一回はメールをするようにした。たった一行程度のメールでも、彼女は嬉しかったらしい。試しに時間があるときに電話で話せば、彼女の嬉しそうな弾んだ声。だから週に一回は必ず電話した。そして休みが合えば必ず会いに行くことにした。ときには彼女のほうから会いに来てくれるときもあった。彼女の笑顔を見るたびに、今回ばかりは素直に従っておいてよかったと、胸を撫で下ろしていた。
 そして、今年になって俺が親が勤める会社に転職することになったのをきっかけに、初夏のある日、俺は彼女に婚約を申し出た。俺たち二人を通してそれなりに付き合いがあった俺たちの両親は、それはそれは嬉しそうに諸手をあげて賛成してくれた。つーか、俺の母親が一番ノリノリだったな、娘が出来たってな。
 それからは、あれよあれよいう間に話が進み、俺たちは俺の実家のすぐ近くにアパートを借りて生活することになった。そして、秋には家族だけで結婚式を挙げて、冬には披露宴を行うことになった。忙しい一年になりそうだが、それすらも幸せなんだろう、彼女は会うたびにニコニコと笑っている。面倒なはずのアパートへの引っ越し作業も、俺が手伝いを申し出ただけで嬉しいらしい。

「幸せにする、とは言えねぇが、不幸にだけはさせねぇよ。それだけは絶対だ。だから安心していいぜ、ルフィ」


 爽やかな風が吹き抜ける中、空を見上げてそう呟けば、尻尾をブンブン振り回して喜んでいる姿が見えた気がして、俺は笑った。




FIN



 

<管理人のつぶやき>
彼からの贈り物』のゾロバージョン!同じ物語がゾロ視点で描かれています。
ゾロが犬のルフとナミどう出会ったのか、彼らとどんな風に付き合ってきたのかがよぅく伝わってきました。ナミさん、ゾロに大事にされてますねぇ・・・。ゾロはすごく彼女のために動いてくれました。さすがはルフィが選んだ男です(笑)。遠距離恋愛の秘訣の伝授はサンジくんからですよね(笑)。それに素直に従ったゾロ。最後はルフィとの力強い約束。これは絶対に守らないとね!

【投稿部屋】で投稿してくださってる智弥様の、ナミ誕2作目の投稿作品でした。智弥様、どうもありがとうございました!