SEXUALITY & MELANCHOLY  −4−

                               ぞの様



8月3日−−今年2回目の私の誕生日。

あの悪夢の7月3日をリセットするために、もう一度私のハタチの誕生日をお祝いするの。

「お誕生日おめでとう、ナミさん!」

カオサン通りのオープンカフェで、サンジ君は手作りのバースデーケーキをプレゼントしてくれた。
長いろうそくが2本立てられたそのケーキは、緑色の不思議なクリームで覆われていた。
まるで、ゾロの頭みたい。
そんなことを考えながら笑っていると、とっておきのワインを開けて持ってきたサンジ君が、「マリモ君は来ないの?
つーか来ない方がオレ的には嬉しいけど」と皮肉を言った。
「いちおう、時間と場所は伝えたんだけど……」
そわそわと通りの喧噪に目を凝らすと、宿の方からゆっくりとゾロが歩いてくるのが見えた。
小さなデイパックを肩にかけて、特に急ぐ様子もなく店に入ってくると、ゾロは私を見て、少し笑ったような、困ったような不思議な表情をした。
私はゾロが来てくれたことが 嬉しくて仕方ないのに、どんな顔をしていいのかわからず、慌てて視線をそらしてしまった。
「時間を守るのは社会人の常識なんだけど?」
サンジ君が皮肉を言うと、ゾロは「オレまだ学生だし」と無愛想に返した。
「ろくな大人になんねえぞ」
「あんたみてェにな」
二人のそんなやりとりを見ているだけでも楽しくて。
今日は忘れられない夜になりそうだな、と心の奥でわくわくしている自分がいた。

「じゃあ、改めて、お誕生日おめでとうナミさん!」

そう言ってワインで乾杯をした。
果物の香りが強い、飲みやすい白ワインは、飲みやすいせいで量が進み、まだ昨日の疲れが取れていない体の隅々にゆきわたった。
「タイワインってあまり知らないでしょ?」
うなずくと、サンジ君はタイワインの歴史について、嬉しそうに語り始めた。きっと、仕事で関わっていたんだろうな、と思うと、ワインボトルのラインを指でなぞりながら得意顔で話し続けるサンジ君が、とても無邪気な少年のように見えた。
ゾロは、いつの間にかワイングラスを空にして、ビールを飲んでいた。ごくごくと勢いよくビールが流れていく喉仏の動きを見ているうちに、気づけばじっとゾロの横顔を見つめていた。
それに気づいたのか、ゾロは少し遠くを見ながら頭をがしがしとかいた。
「これ」
何の前触れもなく、ゾロはぽん、と私の手の中に花束を置いた。
「あいつらに作ってもらった」
新聞紙でくるまれたそれは、やはり色とりどりの鮮やかな花がぎっしり詰まっていたけど、特にオレンジ色の花が多かった。
「……ありがとう」
やはり男の人から花をもらうのは嬉しくて、さらに胸がキュンとするのは、それがゾロから贈られたものだからということが、今度ははっきりとわかった。大きく息を吸い込むと、バラのほのかな香りが感じられて、この花束が永遠に枯れなければいいのに、と思った。

「オレ、今日帰るから」

突然、通りの喧騒が耳元から消えた。
「……え?」
ゾロは前を向いたまま、残ったビールを飲み干した。
「12時前の飛行機で……日本へ帰る」
自分に言い聞かせるように、ゾロはもう一度ゆっくりと言った。 時計はすでに9時を回っていた。
「もう行かなきゃなんねェんで……オレはこれで」
サンジ君に軽く礼をして、ゾロは立ち上がり、私をじっと見た。 初めて会ったときと同じ角度で。
「元気でな」
そう言って、デイパックを肩にかけて、店を出て行った。
そのまま動けなくなってしまった私の肩に、サンジ君の手がぽん、と乗った。
「見送らなくていいの?」
その言葉を合図に、私は椅子から落ちるように立ち上がり、通りに出ると、宿に向かって歩いていくゾロの後姿が見えた。
「待って……ゾロ!」
ようやく追いついたときには、ちょうど1台のタクシーが宿の前に停まったところだった。
「……空港まで一緒に行くわ」
息を整えながらそう言うと、ゾロは無表情のままじっと私を見つめていた。
「いや……来なくていい」
「だって……また迷って空港に行けなかったら困るでしょ?」
少しからかうように言いながらも、私の心の中では必死だった。

まだゾロのこと、何も知らないから。
残された時間でもっと知りたいから。
せめてあと少しだけ一緒にいたい。

「来るなって言ってんだよ」

冷たく突き放されて、目の前がぐらりと歪んだような気がした。
でも、それはゾロに強く腕を引かれたからで、次の瞬間、私はゾロの胸の中にいた。

「……ナミ」

名前を呼ばれたのは、初めてだった。
たったそれだけで、私の心の中はいいようのない喜びで満たされた。
ゾロは力任せに私を抱きしめ、あまりの強さに息ができないくらいだった。
こんな風に抱きしめられて、ゾロのたくましさを知ることになるなんて。

このままゾロと離れたくない。まだ別れたくない……!

「ここで別れておかねェと……日本でも会いたくなっちまうから」

体が触れている部分から、私の気持ちがゾロに伝わったのかと思った。

強い力から解き放たれると、私が何か言葉を発するのを防ぐように、ゾロは私にキスをした。
重ねるだけの素っ気ないキスだったけど、ゾロの唇はとても熱かった。
「……ありがとうな」
そう言って、ゾロはタクシーに乗り込んだ。
けたたましいクラクションを鳴らして、タクシーはカオサン通りを走り抜けて行く。

そしてまた、夜の喧騒が戻ってきた。

「飲み直そうか」
随分時間が経ってからお店に戻ると、サンジ君は何事もなかったように笑った。
ゾロのグラスはすべて片付けられていて、そこに彼がいたことすら夢だったんじゃないかと思った。
でも、テーブルの上に置かれた花束が、夢じゃなかったんだと教えてくれた。
食べかけのバースデーケーキが全部なくなる頃、ふいにサンジ君が時計を見て、
「ナミさんの誕生日も終わりだね」
と言った。
それを聞いて、ゾロを乗せた飛行機はもう飛び立ったのかな、と空を見上げた。

今日が誕生日なんて、ウソなのに。
最悪だったハタチの誕生日をもう一度やり直したかっただけ。
サンジ君とゾロがいる2回目の誕生日は、きっと忘れられない素敵な日になると思ったから。

宿に戻ると、オーナーにわがままを言って、ゾロが泊まっていた部屋に変えてもらった。
ベッドメイキングも何もしなくていい、そのままでいいから、と無理を押し通し、荷物をゾロの部屋へ移した。サンジ君はタバコをくわえてその様子を見守っていただけで、一言も口を出すことはなかった。

部屋に入ると、ついさっきまで人がいた気配が残っている。
少しだけ乱れたシーツと、半分だけ水の入ったグラス。
ほんの数時間前まで、ここにゾロがいた。そう思うだけで、苦しくなった。

「……恋は3秒でできるって、今なら信じられる」

ほんの3日前、ゾロの目を見た瞬間、私の心は完全に彼に奪われていたんだ。

「ナミさんは、素敵な恋をしたんだね」

サンジ君は、後ろからそっと優しく抱きしめてくれた。
ぽろぽろと涙がこぼれて、それを隠すようにサンジ君の胸に顔をうずめると、まるで小さな子どもをあやすように、サンジ君は私の頭をぽんぽん、と撫でてくれた。

そして、 ゾロの香りが残るシーツの上で、私たちは絡み合うように抱き合った。
洗面器に水を張って入れた花束の甘い香りが、蒸し暑い部屋の中に漂って、汗ばんだ体にまとわりついてくる。
それはとても不思議な感覚で、体に触れて快感を与えてくれるのはサンジ君なのに、私の心を締め付けて涙を引き出すのは、ゾロの存在だった。
ゾロの香りに包まれながらサンジ君を迎え入れると、ふたつの何かが私の中でひとつになって、足元から頭の天辺まで閃光のように駆け抜けていくのがわかった。

私の体を支配しているのはサンジ君で、心を支配しているのは、ゾロなんだ。

「ナミさん……本当にいい女になったよ」

泣きながらあえいでいる私を見て、サンジ君は少し寂しそうに笑った。

次に目が覚めた時には、部屋の中はすでに薄明るくなっていた。
甘い花の香りとタバコの香りが湿気と混ざって、私の体の上を重く覆っている。
「……起きた?」
サンジ君の声が聞こえて、私はぼんやりとしたまま時計を見た。
開ききらない目と、時計の角度で、文字盤がよく見えなかった。
「……8時……?」
「日本時間ならね……今は朝の6時だよ」
そう言われて、ここがゾロの部屋だったということを思い出した。
もう彼は、日本に到着しているだろう。
私とサンジ君がゾロの部屋でセックスしている間に、ゾロはタイから日本へと帰っていった。
それが妙におかしくて、思わず笑ってしまった。
サンジ君は私の髪を優しく撫でながら、片手で頭を支えるように横になった。
「ナミさんの誕生日は7月だよね?」
「えっ? ……なんで」
驚いて見上げると、サンジ君はニヤリと不適な笑みを浮かべる。
「飛行機の中で入国カード書いてる時、パスポートをちらっとね」
さすが抜かりないのね、と感心するのと同時に、あの飛行機でサンジ君の隣に座った瞬間から、そして宿のカフェでゾロと目があった瞬間から、私の運命は決まっていたのかもしれないと思うと、ちょっとだけゾクっとした。

「……でも、私のハタチの誕生日だけは、8月3日にするわ」

サンジ君はにっこり笑って、「それがいいと思う」と言った。

「あいつ、いい男だったな」

ぽつりと独り言のように、サンジ君はつぶやいた。
「……嫌いなのかと思ってた」
「嫌いだよ? オレはいい男が大っ嫌いなんだ」
「ゾロもサンジ君のこと、嫌いなタイプだって」
「それはムカつくな。マリモのくせに……ていうか、あいつにまた会いたい?」
「……わからない」

どっちにしても、もうゾロに会うことはない。
どこに住んでいるのかも知らないし、ゾロにたどり着く情報はなにひとつ持っていなかった。

「でも……もし日本に帰って再会したら、案外つまんない男だったりするのかもね」
「そういうこと。あいつは、ナミさんにとって最高の男であり続けるためには、もう二度とナミさんに会っちゃいけねえんだ。ざまあみろ!」
そう言って笑いながらサンジ君はタバコに火を点けた。
「オレはいつでもウェルカムだよ? っつっても、多分会うことはないだろうけどね……オレ、もう日本に帰らないから」
「え?」
思わず起き上がると、サンジ君は事務的な口調で「このままカタールに赴任なんだ」と言った。
「カタール?」
名前を聞いても、地図のどこにある国なのか、すぐには出てこなかった。
「今度は中東で、ダイヤモンド探しになりそうだ」
「……どこへ行ってもチャラいのね」
サンジ君は笑いながら、「マイペンライ」と言った。アラビア語では何て言うんだろうな、なんておどけながら。

そんなサンジ君のことを、私は「チャラいけど、いい男よ」と、心の中でだけ褒めてあげた。



「ナミ」

視界の隅で、どこかで見たような男が声をかけてきた。
何で私の名前、知ってるのかしら?
ごくん、と喉を鳴らして、その男は粘っこい、いやらしい目で私を見ている。
「お前、なんか雰囲気変わったな……つーかさ、別れるなんて冗談に決まってんのに、電話もメールも無視すんなよ?」
一体何の話をされているのか、わけがわからない。っていうか、うざい。
ふふ、と軽く笑って、私は肩で風を切るようにその男の横を素通りした。
「おい……ナミ!」

軽々しく私の名前を呼ばないで。
名前を呼ぶだけで、一瞬にして私の心を奪えるのは、ゾロしかいないんだから。
そんな下品な目つきで私を見ないで。
私の体を満足させられるのは、サンジ君しかいないのよ。

いい女の条件は、「色気」と「憂い」だって聞いたけど、私はもうひとつ見つけた。


いい女の条件−−

色気と、憂い。


そして、もうひとつは−−いい男に出会うこと。




-END-


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<管理人のつぶやき>
なんと7月3日の誕生日に失恋してしまったナミさん。傷心のまま単身タイへと向かい、そこで出会った二人のイイ男!一人はサンジくん、もう一人はゾロ。共に過ごしたのは刹那のような時間だったけど、その二人のおかげで、ナミは身も心も生まれ変わることができました。肩で風を切って元カレの前を通り過ぎていったナミさんの姿に胸がすく思いでしたね^^。

今年も【ZEALOTS' ZENITHAL ZONE】のぞの様が投稿してくださいました。
ぞの様、素晴らしいサナゾ作品をどうもありがとうございましたーーー!!



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