SEXUALITY & MELANCHOLY  −3−

                               ぞの様



暁の寺−−ワット・アルン

このお寺から見る夜明けが格別に美しいから、そんな名前がついたのかもしれない。

遠くまで続く川の流れを見つめながら、私たちは朝日を待っていた。
早朝だというのに、観光客らしき人もちらほらいて、施しを受けるお坊さんが行き交っている様子も見られた。

ゾロは、まっすぐ前を向いたまま、何も話さなかった。
それがやはり誰も寄せ付けない雰囲気を出していて、昨日私にキスをしたのはどこの誰だったのかしら、と思ってしまった。
花屋の子どもたちはまだ来ていなかった。
水かさの多い、深い色をたたえた川の上に小さな太陽が現れ、空を青からオレンジへと染め始めると、どこからともなく小さな歓声が上がった。
「……きれいだね」
ゾロの背中に言葉を投げると、ゾロは何も言わず、ただ太陽の方向に向かって立っていた。

「……そいつはオレよりふたつ年上で、小さい頃からずっと一緒に剣道をやってきた、一番のライバルだったんだ」

ふいにゾロが話し始めたのは、最近亡くなったという親友のことだった。
ポケットから小さな袋を取り出し、中を開けると、ゾロの手のひらに小さな白い塊がぽろりと落ちてきた。
「これ……って、お骨じゃ……?」
ゾロは手の中を見つめたまま、小さくうなずいた。
「納骨の時に、思わず取っちまった……何でそんなことしたのか、今でもわからねェ……ただ」
「ただ?」
「……ついこの間まで息して動いてたやつが、こんなちっぽけな塊になっちまうのかって……信じられなくて」
ゾロの表情は変わらなかったけど、その声は泣いているように震えていた。
「持ってるのも辛くなって、返そうかと思ったが……あの小さな墓の中に入れるくらいなら、どこか広い場所に流してやりてェって……自由にしてやりたくて」
私は後ろからそっと腕を回して、ゾロに抱きついた。
ゾロの体はほんの少し震えていて、触れている部分がしっとりとあたたかくなった。
「でも、この川に流したところで意味があんのか、とか、あいつが好きだった地元の海の方がいいんじゃねェかとか……毎日ここに来ては迷って」
遠くからにぎやかな声が聞こえると、花屋の子どもたちが私たちを見つけて嬉しそうにかけよってきた。
「テンガン? テンガン?」
そう言って、私たちの周りをぐるぐる回ると、また露店の方へ戻っていった。

「……自由になりたいのは、ゾロの方なんじゃないの?」
「……オレが?」
「うん……うまく言えないけど、ゾロは……怖いんでしょう? そのお骨を手放した後、その人と自分を繋ぐものがなくなってしまうのが……」
ゾロは私の手の上に自分の手を重ねて、ぎゅっと握った。
「……何でわかるんだよ……?」
何で、と聞かれてもどう答えていいのかわからない。
ただ、体が触れている部分から、ゾロの中にある深い悲しみが私の中にも流れ込んで来たから。
それを癒やしてあげたいって思った、ただそれだけなの。

そこへ、さっきの子どもたちが「テンガン、テンガン」と歌いながら、大きな花束を持ってきた。
色とりどりの花が凝縮された花束は、結婚式のブーケのように見えた。
「ねえ、この花と一緒に見送ってあげたらどう?」
そう言ってゾロに花束を見せると、ゾロはふと口元を緩めた。
「そうだな……花のひとつもなきゃ、あいつも浮かばれねェな」
そうして私たちは、花束の間に小さな骨を埋め込み、川べりまで降りた。
子どもたちも嬉しそうについて来て、私の両手をしっかりと握っていた。
すっかり高くなった太陽が、川面をきらきらと照らしている。
ゾロは静かに目を閉じて、祈るようにうつむいた。
そして、ふと顔を上げると、そのまま大きく振りかぶって花束を投げた。
花束は、ひらひらと花びらを散らしながら川面に落ち、見た目にはわかりずらい大きな流れに乗ると、そのまま船のようにすいすいと遠ざかっていった。

「……っ!」

たぶん、それが親友の名前なんだろう。
一言だけ、ゾロは大きな声で叫び、あとは花束が見えなくなるまで川から目を離さなかった。
子どもたちは、急に黙り込み、私の腰に抱きついて顔をうずめた。
そっと覗き込むと、その頬にきらきらと光る涙が流れていて、ゾロは表情を変えないまま、静かに泣いていた。

男の人が泣く姿を、きれいだと思うなんて。

かける言葉は何も見つからなかったけど、私はもう一度ゾロを後ろから抱きしめて、二人ともそのまま長い時間動かなかった。


胸の開いた豪華なドレスを着せられて、私は言われたとおりサンジ君の隣でにこにこしていた。
高級ホテルのパーティールームで、サンジ君は慣れた手つきで私をエスコートし、英語やらタイ語やらを流ちょうに扱って、常に会話の中心にいた。
きらびやかな世界で、周りの視線をすべて自分の方へ向けることができる。この人は本当に超エリートなんだ、と感心していると、タイの大富豪らしき太った女性が、「テンガン、レウマイ?」と微笑みながら聞いてきた。
「テンガンって何?」
耳打ちすると、サンジ君はよそ行きの笑顔を絶やさないまま、「結婚してるのかって聞かれたんだよ」と答えた。
そこでようやく、あの子どもたちの言葉の意味を知った。
あの花束は、結婚式のブーケのつもりだったんだ……。
嬉しそうに「テンガン、テンガン」と歌っていた。
無邪気な心遣いに気づけなかったことに少し胸が痛くなった。
今度あの場所へ行ったら、たくさんお花を買ってあげよう。
そんなことを考えていると、サンジ君が私の顔を覗き込み、「疲れた?」と聞いてくれた。
「うん……少し」
するとサンジ君はにっこりと笑ってうなずいた。

高級ホテルのゲストルームは、バンコクの街を一望でき、二人で過ごすには広すぎる部屋だった。
サンジ君は私のドレスをするりと脱がせると、まさかのお姫様だっこでキングサイズのベッドまで私を連れて行った。
「ちょ、ちょっと……恥ずかしい」
「いまさら」
私の抵抗は聞き入れられず、ベッドの上に落とされると、あっという間に全裸にされてしまった。
そのままサンジ君と激しいセックスをして、自分でも驚くくらいすごい声を出した。
「ナミさん、すげえ色っぽくなった」
サンジ君はそう言って、私の額に軽くキスをした。
「……会ってまだ2日なのに?」
「恋は3秒でできるって言うよ?」
「……恋?」
その瞬間、ゾロの顔が浮かんだ。
川面を見つめて静かに泣いているゾロの横顔を思い出すと、やっぱり胸がキュンとなった。
これは、恋なのかしら?

「……オレが言った、いい女の条件、覚えてる?」
「色気と……憂い、だっけ」
サンジ君は満足そうにうなずくと、サイドテーブルからタバコを取り、一本くわえて火を点けた。
長い煙を吐き出す横顔は、男のくせにやけに艶があって、サンジ君の言いたい色気ってこういうことなのかしら、と思いながら眺めていた。
「ナミさんの元彼は、ダイヤモンドの原石を見過ごした大バカヤロウだよ」
そう言って、またサンジ君は私の体を触り始めた。
「元彼とヤる時って、気持ちよかった?」
「ううん……一方的で、独りよがりで、自分がイったらすぐ終わり。全然気持ちよくなかった」
サンジ君はタバコを消すと、「そんな男は別れて正解」と嬉しそうに言った。
「オレの変な趣味聞きたい?」
「変な……?」
「そう、オレはいい女の原石を見つけるのが好きなんだ。純朴そうな女の子がどんな風に魅力的な女性に変わっていくのか……オレの手でそんな風に変えられたら最高じゃね?」
人に愛撫しながら、よくこんなにひょうひょうと話せるものだわ、と舌を巻いた。
「だから、ナミさんを見た時はちょっとテンション上がった……すげえ原石見つけたー!って、これは大化けするな、って」
「私のこと……調教してるの?」
「調教? とんでもない! これは……言うなら開拓、かな」
ニヤリと笑うその表情はとても憎らしかったけど、確かにサンジ君の手にかかれば、今まで経験したことのないような感覚が何度も押し寄せて、私の体は完全に開拓されてるわ、と頭の奥の方でぼんやり思った。
うまく言えないけど、女であることのよろこびを教えてくれるっていうか。女として扱ってくれることで、ものすごく満たされていくのがわかる。

今思えば、元彼には物扱いされてるようだった。
「オレの女」って言い方も気に入らなかったし、「女のくせに」って言われたこともあったな。
そもそも、何であんなやつとつき合ってたんだっけ?

サンジ君は文字通り私の中に入って、今まで凝り固まっていた羞恥心みたいなものを全部解きほぐしてくれる。
触れ合ってる部分がバターみたいにとろけるような感覚。
もう元彼の顔も思い出せないくらいに、体が生まれ変わったような感じ。
こんな人と一緒にいたら、本当に私、すごくいい女になれるんじゃないかしら?
そんなことを思いながら、私とサンジ君は夜が明けるまで何度も何度もセックスをした。

「ナミさん、ひとつお願いがあるんだ」
薄明るくなった窓の外を眺めながら、サンジ君は十何本目のタバコに火を点けた。
「……何?」
「いつかどこかでオレにばったり会うことがあったらさ、肩で風を切って素通りするくらいにいい女になっててくれよ?」
力の入らない体でゆっくりと振り向くと、サンジ君は顔にかかった髪をそっと直してくれ、嬉しそうに笑った。
「……サンジ君は、私の彼氏になりたいとは言わないのね」
「そりゃ、なれたら嬉しいけど」
「けど?」
「……ナミさんの体は支配できても、心まではできないよ」
気だるそうに笑って、サンジ君は軽くキスをしてくれた。



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