その女がオレの前に現れたのは、冬の終わりと春の始まりが曖昧に混ざり合う季節の変わり目だった。

息はまだ白いのに、日差しだけはもう春を告げていて、それを鬱陶しく思いながらオレは冬眠中のアナグマのように眠っていた。

「ウェザリア・ホームサービスです!」

まだ開き切らないまぶたを無理矢理持ち上げた視界に入ってきたのは、春を通り越して夏の太陽みたいな髪の色をした若い女。

「……あァ?」

マンションの扉を右手で開けた状態で、左手で頭をがしがしと掻きながら、寝ぼけた頭を必死で働かせている間に、その女はズカズカと部屋の中へと入って行った。
のろのろとついてくるオレにはお構いなしに、女は腕組みをしながら部屋を見渡し、大きく肩を上下してため息をつく。
「きったない部屋!」
そしておもむろに腕まくりをすると、床に転がっていたビール缶を拾い始める。
「男の一人暮らしって本当にひどいわ……ねえ、ゴミ袋どこ?
あ、それと後から買い物に行くから私にお財布預けてね。とりあえず掃除の間は邪魔だから別の部屋に行っててくれない?」
「ちょ、ちょっと待て! 誰だてめェ?」
ようやく目が覚め、視界の中でせわしなく動き回るオレンジの髪に問いかけると、そいつはくるりと向き直って、大きな目をオレに向けて言ったんだ。

「ウェザリア・ホームサービスから来ました、ナミです。よろしくね、ロロノア・ゾロさん」





house keeper  −1−

                               
ぞの 様


オレの家は旧家で、祖父は資産家、父親も教育委員会のお偉いさんで、母親も武道の名家出身……いわゆる地元の名士ってやつだ。
そこの一人息子であるオレは、勉強はできねェがとりあえず母親譲りの剣道だけは強いってことで、かろうじて「将来を期待される跡取り」の座をキープしている。
しかし、何度も言うようだが、オレは勉強ができねェ。親戚連中はオレのことを脳みそ筋肉のボンクラ息子だと思ってるみてェだし。まァ、オレだって好きでボンクラに生まれたわけじゃねェんだが、こればっかりはどうしようもねェ話だ。
だからなのか、両親はオレが二十歳になった頃から、やたらと見合いの話を持ってくるようになった。
写真なんか見る気もねェが、それでも耳に入ってくる情報だけ拾っても、やれどこかの社長令嬢だとか、由緒ある家柄だとか、家族三代に渡って名門大学の出だとか、そんなんばっかりだ。
ボンクラ息子には「恥ずかしくない嫁」を与えりゃ何とかなんだろ、ってことか。
まァ、そんなわけでオレは世間一般にはイイトコの坊ちゃんで、一人暮らしをしているマンションはオートロックの最上階だし、家事代行のハウスキーパーまで雇ってりゃ、ボンクラに拍車がかかるってもんだ。

「確か、今日から来るのは45歳の子持ち主婦だって聞いていたが……」

掃除の間ベランダに追いやられたオレは、まだ状況がわからないまま、てきぱきと片付けを進めるナミの動きをじっと追いかけていた。
「なんかね、息子さんが足を骨折して入院しちゃったんだって。それで、急遽私が代理として派遣されたってわけ!」
ナミはオレよりひとつ年下の大学生だという。何でわざわざこんなバイトをしてるのかと聞いたら、急に悪魔みてェな顔をしてニヤリと笑った。
「だって、家事代行を頼む人なんて金持ちばっかりだもの。バイト代だって割がいいのよ。だから、あんたみたいなイイおうちのボンクラ息子は、私たちにとっては大切な大切なお客様なの」

……随分とバカにされたような気がする。いや、気がするじゃなく、バカにされた。すげェされた。

オレはチッと舌打ちをして、頭をがしがしとかきながらベランダで寒い風を浴び続ける。
すると、寝室の方からナミの声が聞こえた。
「やだあ、ティッシュはちゃんとゴミ箱へ入れなさいよ〜」
ハッとして、慌てて寝室に入ると、ナミはすでに散らかったティッシュをゴミ袋へ入れ、さらにベッドの下に散乱していた本……言わずもがなエロ本をパラパラとめくっていた。
「て、てめェ! 勝手に部屋のモンを漁るな!」
「へー、ゾロってこういう女の子が好みなの? 色白童顔の貧乳……清純そうなお嬢様って感じ」
「ちがっ……それはウソップの」
あのヤロウ、人んちにてめェの本置いていくんじゃねェ!! と、悪態をついたところで今この状況では何の意味もなかった。
ナミの手から本を奪おうとしたが、ひらりとかわされ、バランスを崩したオレは、それでも手を伸ばしてナミの腕を掴むとそのままベッドの上に倒れ込んだ。
むにゅう、という感触で我に返ると、オレは見事なまでにナミの胸のど真ん中に顔を埋める形で押し倒していた。

……でけェ胸してんな、こいつ。

「……言っておくけど、ハウスキーパーに手を出したら、罰金だから」
「はァ!? 今のは不可抗力じゃねェか!!」
飛び跳ねるように起き上がると、ナミは特に驚いた様子もなく体を起こし、じっとオレの目を見つめる。
「まあ、貧乳好きのあんたには嬉しくも何ともないでしょうけど?」
「だからいつオレが……!」
貧乳好きだとか言ったんだよ! どっちかっつーとオレは……いやいや、今はそんなことどうでもいい。
一人で悶々としているところで、ナミはもう一度ニヤリと笑ってウインクをした。
「今のは黙っててあげる。こういう問題起こしたら私もクビになっちゃうし、あんたの家だって世間体があるでしょ?」
そこでナミはずいっとオレの目の前まで顔を近づけて、にっこりと笑った。
「だから、私の言うこと聞いてね?」

そんな訳で、半ば脅されたような形で、オレはナミを雇い続けることになった。
あの悪魔の表情から、どんな条件を突きつけられるかと思ったが、ナミの要求はいたってシンプルだった。
週3回、バイトの日は夕食をオレの家で一緒に食べさせてくれ、というのがひとつ。
そしてもう一つは、飲み会で終電がなくなった時やテスト前には泊まらせてくれというもの。
ナミは大学から随分と遠い場所にアパートを借りているらしく、バイトが終わって帰ってから夕食を食べると太るだの、いつも飲み会で終電の時間を気にするのが嫌だの、とにかく自分勝手な理由を並べ立てた。
「それに、あんただって一人で食事するより誰か一緒の方が楽しいでしょ? 私の食費も浮くし、一石二鳥!」
どこが一石二鳥だ、と心の中でツッコむ。
「別に……一人も大勢も大して変わらねェ」
とは言ったものの、ナミの作る料理は悪くなかったし、何よりもあいつは酒が強い。
飲み会の後にオレの家に来て、さらに飲み比べなんてこともしょっちゅうだ。
酒好きのオレとしては、飲み相手がいるのはまァ嬉しかった。もちろん、酒代はすべてオレが出すわけだが。
いつの間にかオレの家にはナミの「お泊まりセット」が置かれ、あいつは頻繁に人んちでシャワーを浴び、パジャマに着替え、人のベッドを占領して寝るようになった。そんな日には、オレは寝室を追い出され、リビングのソファで眠ることになったが、どこででも寝られるオレにはさほど問題ではなかった。
大学でレポートの課題が出された時には、ナミはパソコンを持ち込んで徹夜で仕上げる。あいつの方が学年が下なのに、オレの課題まで見てくれた。レポートのクオリティが急に上がったと周りのヤツらには怪しまれたが、オレは決してナミの存在を人に教えることはなかった。

そもそも、あいつはただのハウスキーパーで。
オレたちはつき合ってるわけでも何でもない、半同居人みてェな奇妙な関係で。

「なァ、お前彼氏とかいねェのか?」

ある日の夕食時に一度だけ聞いてみたが、ナミの答えは「いたらこんなバイトしてないわ」だった。
それを聞いてホッとすると同時に、オレは自分の気持ちに気づいてしまったんだ。

オレはいつの間にか、ナミを好きになっていた。



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