house keeper  −2−

                              
 ぞの 様


気がつけば、夏が近づいていた。

いつものようにナミはオレの家にやって来て、掃除をして洗濯をして、そして夕食を作る。
週3回のバイト、そしてそれ以外の日も飲み会だレポートだ帰るの面倒くさいだの言って、結局ナミは毎日やって来る。
テーブルで向かい合って夕食を食べ、その後酒を飲み、流れで一緒に映画を見たりもする。
そしてナミは勝手にシャワーを浴び、オレの寝室で勝手に眠る。
オレはリビングのソファで眠り、朝目覚めるとナミの姿は消えている。
そうだよな。別につき合っているわけでもねェし。用が済めばあいつは何も言わず帰って行くんだ。

一度だけ、真夜中の寝室にそっと入り込んで……つーか、オレの部屋なんだからコソコソする必要なんてねェんだが、ナミの無防備な寝顔を見て、胸がすげェ痛くなった。
長いまつげとか、厚ぼったい唇とか、はじけそうな肌とか、見ていると吸い込まれそうになって、思わず手を伸ばしてオレンジの髪に触れてしまったが、すぐに手を引っ込めて部屋を出た。
手を出したら、罰金……そんなことはどうでもいい。どれだけでも払ってやる。
手を出したら、あいつはこのバイトをクビになる……つまり、もうここへは来ねェってことだ。

オレは、あいつの何なんだ?

……雇い主か。そうだ、そうだったよな。

そんな問答を何度も何度も繰り返しては、何も変わらない現状にげんなりする。
一体いつまでこの状態を続けりゃいいんだよ。これじゃ、生殺しじゃねェか。
でも、あいつに会えなくなるのが嫌で、オレはこの身動きが取れない状態から抜け出せずにいる。


「私ね、もうすぐ誕生日なの。7月3日で二十歳」

ある日、ナミはやけに上機嫌でオレの顔を覗き込んでそう言った。
「へェ」
興味のないフリをしながらも、ちらとカレンダーに視線を移す。今週末か……バイトの日じゃねェか。
誕生日までバイトとは、色気もなんもねェ。
「祝ってくれる彼氏はいねェんだっけなァ」
皮肉を込めてそう言った後に、ふと疑問が浮かび上がり、何気なく聞いてみた。
「……好きな男もいねェのか?」
カレンダーの7月3日の文字がゲシュタルト崩壊するくらいの時間はあっただろうか。
背後にいるナミからは何の返事もなかった。
不思議に思い振り返ると、ナミは大きな目でじっとオレを見つめていた。
その視線が何故か痛いくらいに胸に突き刺さって、息をするのも忘れるほどの緊張感に襲われた。
「いるって言ったら?」

……好きな男、いるのかよ。

「じゃあこんなバイト、さっさと辞めるこった」

他の男んちに毎日出入りして寝泊まりしていることがバレたら、振り向いてもらえねェぞと言ったら、ナミは「そうだね」とつぶやいて、その後は一言も話さなかった。


そして7月3日。

オレは色白童顔貧乳のお嬢様好きな友人、ウソップに頼んでケーキ屋につき合ってもらった。
45歳のハウスキーパーの息子が足を骨折して入院していたが、無事退院してリハビリも順調で、今日は誕生日だからオレからもケーキを贈りたい、などと、オレとしては良くできたウソをついて。
ナミの髪の色と同じ、オレンジのケーキを買って家に帰ると、いつもと変わらない様子でナミはオレの帰りを待っていた。
食卓には普段通りの夕食が並んでいたが……一人分だった。
「お前は食わねェのか?」
そう尋ねると、ナミはいそいそと帰り支度をしながらオレとは目を合わせずに言った。
「うん、何か友だちが誕生日パーティー開いてくれることになって……だから今日はもう帰るね」
「飲み会なら、また寝に戻ってくるんだろ?」
「ううん、そのまま友だちの家に泊まるから」
「そうか……」
そうだよな。誕生日の夜に好きでもねェ男の家に泊まってもなァ。
ふっと笑いがこみ上げる。
手に持っていた紙袋をすっと差し出し、オレは自分でも驚くほど滑らかに、そして静かに言ったんだ。

「誕生日おめでとう……そんで、もうここには来んな」

ケーキを受け取ると同時にその言葉を聞いたナミは、ひどく戸惑った表情のままその大きな目を潤ませていた。
オレはもう一度口元だけで笑い、ナミに背を向けた。

「お前、クビだ」

そのまま寝室に入りドアを閉めると、しばらくの沈黙の後パタパタと遠ざかる足音が聞こえ、最後にバタンと玄関のドアが閉まる音が家の中に響いた。
ごろりとベッドに寝そべり、天井を眺めながら、これでよかったんだと自分に言い聞かせる。

側にいても触れることができねェんなら、いねェ方がマシだ。

こんな形で出会っていなけりゃ、オレにも望みはあったんだろうか。

……いや、ねェな。

ずっと側にいて見向きもされなかったんだから、普通に出会ってたらきっとオレのことなんかあいつの眼中にも入らなかっただろう。

「金でも積めば、ちょっとはその気になってくれたかもしれねェな……」

口に出して虚しくなった。
所詮、オレは旧家のボンクラ息子で、家柄とか金とかを取り払ったら何の取り柄もねェつまんねェ男ってことか。



「ウェザリア・ホームサービスです!」

それから数日後、ドアホン越しに元気な声が聞こえた。
ドアを開けると、推定年齢45歳くらいの女が穏やかな笑顔で立っていた。
「今日からお世話になります……です」
その女は名前を名乗ったが、全く頭に入ってこなかった。
とにかく話すのが好きだという新しいハウスキーパーは、聞いてもねェのに一人でしゃべっていた。
「本当は3月からこちらに伺う予定だったんですが、息子が足を骨折してしまって……退院してリハビリも終わって、今は元気に学校に通っているんですよ。それまでしばらく専務が私の代わりにこちらへ来てくださっていたみたいで本当に助かりました」
「専務?」
オレはベランダに立ち、てきぱきと部屋を片付けるハウスキーパーを目で追っていた。
「ええ、ウェザリア・ホームサービスの専務、ナミさんですよ?」
「はァ?」
専務って!? あいつまだ二十歳になったばかりだろうが!
返す言葉がなく固まっているオレを見て、ハウスキーパーは「あら、言っちゃダメだったかしら」と特に悪びれた様子もなく笑い、そしてまたベラベラとしゃべり出した。
「ナミさんは、ウェザリア・グループの会長の孫娘さんで、ホームサービスの専務でいらっしゃるんですよ。若いから、ただのお飾りかと思っていたんですが、これがまた仕事の出来るお嬢さんで……大学の成績も優秀だそうで、私たち従業員もナミさんをとても信頼していて……」

……いやちょっと待て! 情報が多すぎてわけわかんねェ。

「それで、先日ナミさんも二十歳になられて、ようやくお見合いをする気になったとかで……私も家の方がようやく落ち着いて来たのでバトンタッチしたんですよ。息子の快気祝いにって、オレンジのケーキまでいただいて、本当に素敵なお嬢さんですよね」

見合い……だと?


猛ダッシュで実家に戻ったオレは、部屋に積み上がった見合い写真を片っ端から開いていった。
「マジかよ……」
まさかとは思ったが、似たような顔ばかりが並ぶ中、確かにナミの写真はあった。
ナミは綺麗な着物を着て、凛とした佇まいに品格を漂わせている。
正真正銘、深窓の令嬢だったのか。
オレは急いでナミとの見合いをセッティングしてもらうことにした。両親は泣いて喜んでいたが、きっとこの見合いは破談になるだろう。
だってナミはオレに見向きもしなかったのだから。親の力を持って無理矢理押し切ったとしても、そんなのはただの政略結婚だ。

ただ、オレの中にはもう一度ナミに会いたいという気持ちと、会ってすっきりと振られりゃあきらめもつくだろうという二つの気持ちがあったんだ。



←1へ  3へ→









戻る