house keeper −3−
ぞの 様
「本日はお日柄もよく……」
高級ホテルの庭園を臨むレストランで、両家顔合わせの後、お約束のように「後は若いお二人に任せて」と言われ、オレとナミは二人きりになった。 それまでの間、オレたちは一度も目を合わせなかったし、一度も言葉を交わすことはなかった。 気まずいことこの上ねェったらありゃしねェ。 ナミはぼんやりと窓の外に目を向けていて、オレはナミの着ている派手な着物の柄をじっと見つめていた。 言いたいことと聞きたいことが山ほどあるのに、何から話せばいいのかわからねェ。
「……なァ」
ようやく喉から声を絞り出すと、ナミはちらとオレの方を見た。 「好きな男がいるって言ってたのに、何で見合いなんかするんだよ? しかも、今日の相手がオレだってわかってて、何で断らなかった?」 するとナミは窓の外を見たまま、気だるそうに答えた。 「とりあえず会うだけでもって言われたから……断るのは後からだってできるし。それに……好きな人にはとっくに振られたから」 「振られた?」 「所詮あんたは、私のことなんてただのハウスキーパーとしか思ってなかったのよね」 そこで初めて、ナミは上目遣いでオレを見つめた。胸の奥がぎゅっと掴まれたような感覚。 「今日だってどうせ親に言われてしぶしぶ来たんでしょ? じゃなきゃ、あんたがお見合いなんてするはずないもの」 「はァ? オレはなァ……」 「相手が私だから口裏合わせて断りやすいと思ってるでしょ? バカにしてるわ……人の古傷に塩塗り込むような真似」
ちょっと待て……状況がわからねェ。
「話が合わなかったとか言って、適当に断っておいてよ。女の方から断られるよりカッコつくでしょ? きっとこの後もっと素敵な女性が現れると思うわよ……ああでも、そもそも女に興味がない? だって何か月も一緒にいたのに私に一度も手を出さなかったもの……もしかして男の方が好きだったり?」 ナミの声は少し震えていて、大きな目はやはり最後に見たときと同じように潤んでいた。 「お前が手ェ出したら罰金って言ったんだろうが!」 少し声を荒げて体を乗り出すと、ナミはびくっと肩をすくめてすぐにオレから顔を背けた。 「な、何よ……もしかしてそんなのバカ正直に信じてたの? 本当にあんたって世間知らずのボンクラ息子ね」 「ふざけんな! オレは約束したことは守るタチなんだよ」 「約束なんてしてないわよ! だからもういい。あんたは私に興味がなかった、そういうことでしょ?」 気がつけば、二人とも体を乗り出して睨み合っていた。 周囲の客が何事かとオレたちに注目していたので、オレはナミの腕を荒々しく掴んで、絵に描いたような日本庭園の中へ連れ出した。 「ちょっと……もう話すことなんてない」 後ろを振り返らずに進むオレの背後から、ナミの弱々しい声が聞こえる。 「オレにはひとつ聞きたいことがあるんだよ」 手を離し、ようやく振り返り、オレは大きく息を吸った。 「……もしオレがお前に手ェ出してたら、どうしてた?」 涙目のナミは、ぽかんと口を開けて、マヌケな声を出した。 「手、出す気……あったの?」 「あったに決まってんだろうが! つーか、毎日どんだけ我慢してたと思ってんだ?」 「やだ、毎日とかキモい」 素でそう言われて、オレはぐらりと目眩がした。 「キモくて悪かったな! 罰金なんかどうでもいいんだよ。手ェ出したらお前がクビになると思って、オレはずっと何も出来なかったんだよ!」 「あんた、バカじゃない?」 また素でそう言われて、オレの頭の中でゴーンと鐘の音がした。 ナミは腕組みをすると、呆れた顔でため息をつく。
「私の言った好きな人が自分のことかもしれないって何で考えなかったの? そうしたら手を出しても、ハウスキーパーから恋人に変わるだけでしょ?」
「……は」
そんなこと……思いもしなかった。 急に脱力感に見舞われ、オレはがっくりと肩を落とした。
「……何だったんだ、オレの気苦労は」
全く、本当にオレは脳みそ筋肉のボンクラだ。そんな簡単なことに気づかなかったなんて。
ゆっくりと体を起こし、ナミに向かって手を伸ばす。 「人がせっかく買ってきたケーキ、他人にやりやがって」 「振られた男にもらったケーキなんて、食べたくなかったの」 そう言ってナミはオレの手を取った。 オレは笑いながら舌打ちをして、そして勢いよくナミを引き寄せた。 幸いにもここは静かな日本庭園。今日は貸し切りで誰も来ねェ。 「もう一回祝うか? お前の二十歳の誕生日」 ナミはぎゅうっとオレに抱きついて、何度もうなずいた。 「ケーキと……そうだな、プレゼントは何がいい? 婚約指輪か? それとも結婚指輪にしちまうか?」 するとナミは肩を震わせて笑いながら、「気が早い」と言った。 早くて結構。もう絶対に逃がしたくねェからな……なんて言うとまた「キモい」って言われそうだ。 「とりあえず」 と、ナミがオレの目を覗き込んで笑ったので、その言葉通りオレはとりあえずキスをした。
とりあえずだけど、最高のプレゼントだとナミは言った。
そして、またナミはオレの家に毎日やって来るようになった。 ハウスキーパーとしてではなく、恋人として。というか、正しくは婚約者として。
まさかオレが縁談を進めてくれと言うなどとは夢にも思わなかった両親が、それはそれは浮かれてしまい、オレの気が変わらないうちに、とすぐに結納の段取りをしてしまった。 そして今、ナミの薬指にはでっけェダイヤの指輪が光っている。
「……去年の冬だったかな、うちに届いたお見合い写真の中でゾロを見つけて、ずっと気になってたの。それで調べてみたらうちのサービスの利用者だってわかって。ちょうど3月でハウスキーパーさんが交代する時に次の人の息子さんが骨折して……だからこれはチャンスだって思って」
手際よく夕食の準備をしながら、ナミは嬉しそうに話してくれたが、それって一歩間違えたらストーカーじゃねェか? オレが一言「キモい」と言ったら、ナミは顔を真っ赤にして怒っていた。 「だって、いきなりお見合いとか嫌だったんだもん! 家とか関係なく、普通に会って話してみたかったの。それに……」 「それに?」 ナミはつかつかと歩いてきて、オレの膝に座り、ぎゅっと抱きつく。 「会ってみてよーくわかったわ……あんたは絶対にお見合いなんかするタイプじゃないって」 だから思い切って行動に移してよかった、とナミは嬉しそうに言った。 「……そうだな」
オレはボンクラだから、お前くらい行動力があって賢くて、どこに出しても恥ずかしくない女じゃねェとバランスが取れねェんだよ。
とりあえず褒めまくったら、また「キモい」と言われてオレは苦笑する。 「理想の嫁だって言ってんだ。素直に喜べ、バカ」 そう言ってオレはナミを抱えて寝室へ向かう。
あァ、ひとつ訂正しておかなきゃな。
オレは貧乳よりも胸のでけェ方が好みだって。
【おわり】
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