ねえ、知らないでしょう。
あんたは絶対に気づかないでしょう。

だから私は、口を噤むの。




リミット・ブレイク ―1―

                                糸村和奏 様


「ゾロー? 見張り交代……」

優秀なコックが抜け目のなく用意してくれた夜食とお酒を持って見張り台に上ると、案の定男は寝ていた。
たまには良い意味で予想を裏切ってほしいものだわ、とため息をつく。

とは言え、本当に危険が迫っている時は必ず目を覚ますのも知っているから。かえって寝ていてくれて良かったのかもしれないが。


三本の刀を抱え込んで規則的に肩を揺らす男に、ヒールの音が鳴らないようゆっくりと近づいて。
手が触れないぎりぎりの距離から、その顔を見つめた。
気配に敏い男だけど、たぶん、このくらいなら大丈夫だろう。短くはない付き合いの中で、2年前からひそかに測ってきた距離だ。

起きている時だって、そりゃ目が合うこともあるし、もっと近づくこともある。喧嘩だってする。
でも、こんな風にじっと見つめたら、きっと……いや、絶対に不審がられる。
なんだよ、とか。気持ち悪ィな、とか。
はたまた、何企んでやがる、とか。
露骨に顔をしかめて言われる様子が容易に想像できて、口を尖らせた。



――いつから、なんてもう忘れた。
何が切っ掛けだったか、なんてことも。
多分、ちょっと低めの声だとか。皮肉を言いながらもいざと言う時には守ってくれる力強い腕だとか、覚悟とか、信念とか。
そういうものの積み重ねだったんじゃないかと思う。


その感情を自覚した時には動揺した。
今まで生きてきた18年間で、一度も経験したことがなかったもの。
小説の中でしか知らなくて、自分にはおよそ縁がないと思っていたもの。

この思いを、もしも打ち明けたなら。多分、最初は目を剥いて驚くだろう。
そりゃそうだ、信じられなくても無理はない。自分が一番信じられないくらいなんだから。
熱でもあるのか、と言われるか。もしくは絶句するか。そのくらいが関の山だ。

でも、そうして、その後。
きっと真面目な顔で、きっぱりと断られる。
ひょっとしたら、ありがとう、とか言われるかもしれないけれど。少なくともバカにしたりはしないだろう。そんな器の小さい男に惚れた覚えはない。
いつだって迷いがなくて、潔くて。変な期待を持たせるようなことは、絶対にしない。
それが、私の好きになった男。

その手に抱えるのは、刀と野望。
目に映るのは、挑むべき強敵と、鷹の目。
好きなものは、酒と昼寝。

守るべきものは、ルフィと仲間の命。そして、約束。


……初めて抱いたこの想いが報われることは、きっと、ないだろう。


それでも良い、と思った。
この船が、一味の皆が好きだった。ここで、仲間たちと、夢を追って共に航海していける。
アーロンの下で耐えてきた8年間からすれば、考えられないほどの幸福。
長い間封印してきた、世界地図を描くという夢を追うことができる。大好きなお金やお宝は自分で手に入れられるし、みかんはここで育てていける。
そうして、ルフィが海賊王になり、この男が世界一の大剣豪になるのを見届けることができるなら。

我慢するのには慣れていた。隠すのも慣れていた。
気づかれていない自信も、あった。

打ち明けるつもりは、なかった。
だって、柄じゃなさすぎる。頬を染めて、乙女のごとく恥らって、思いを告白……なんて。したたかな「泥棒猫」には似合わないでしょう?

……けれど、そんなのは建前で。
何よりも、仲間という輪に綻びが出来てしまうのが怖かった。
告白して、拒絶されて、それでも私は今まで通りゾロに接することができるだろうか。

一事が万事初めてのことばかりで、見当もつかない。
仲間でさえも、いられなくなってしまったら。ようやく見つけたこの温かな居場所を、無くしてしまったら。
こんな風に、傍にいることさえも。できなくなってしまったら。

強欲だの魔女だの言われるのを否定はしないけれど。
大切な仲間たちを失ってしまうくらいなら、何もいらない。

実際に2年間離れてみて、より強くなったその思いがいつも私をためらわせて。結局また、何も言わないことを選択させるのだ。



――呑気に寝息を立てる男を見ながら、また小さく息を落とす。


こうして寝顔を見つめるのも、2年ぶりだ。付かず離れずのこの距離も、前と同じ。
船長やコック共々、2年経って覇気なんてものまで身に付けているから油断ならない。


「……ゾロ、」


呼んでもその目が開くことはなくて。胸の奥が小さく締め付けられた。
隻眼となったこの男にとって、死角になっているであろう部分に身体の位置をずらす。
そこに座り込んで、横顔をただ、見つめる。


好き。
うん。すき、なのよね。やっぱり。
この、どこか気恥ずかしくて、でもふわふわとした、幸せな気持ちは。


世間一般ではきっと、片思い、という奴なんだろうけど。不思議とこの状態をさほど辛いとは思わないのだ。
それは多分、傍にいることを許されているから。
仲間として、同じ記憶を、思い出を、共有していける立場にいるから。
たとえ女として見られていなくても、航海士として認めて、信頼してくれているのは分かっているから。


……一方通行な想いを、少しくらい分かってほしいと思ったことも、ないわけではない。


2年間、あのゴースト娘と一緒にいたと知った時は切ない気持ちにもなった。
だって、私が髪を伸ばしても、どんなに自分を磨いても。ゾロは何も言わないどころか、眉一つ動かさないんだから。

戦闘となれば迷わず敵陣に切り込んで、大きな怪我ばかり増やしていく。
極めつけに、離れてる間に目まで片方無くしている始末だ。こっちの心配も知らずに、まったく。


でも、悔しいことに。
そんな奴だからこそ、惚れている。


恋は人を変えると言うけど、自分にこんな一面があったなんて驚くばかりだ。
見つめているだけでいいの、なんて。そんな健気な乙女心はとうに無くしていたつもりだったのに。

仕方がない。この男が私を好きでなくても、私はどうしたって好きなのだから。
愛されるより愛したい、ってやつなのかしら? それはそれで、なんか悔しいけど。
思わず苦笑して肩を竦めた。

「あーあ、不毛だわ」
「分かってんじゃねェか」
「?!!!」

独り言に返事が返ってきて、息が止まりそうになる。
はじかれたように横を向くと、切れ長の片目から注がれる、強い視線とぶつかった。



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